2013年5月14日火曜日

父親

今年一年間、町内会の当番で組長を努めることになった。組長というのはご近所数軒のグループの連絡係や冠婚葬祭の手伝いなどする取り纏め役のことで、私のグループはちょうど10軒。皆さんおっとりとしていて面倒なことはやる気が無い人たちだから、以前は半年毎に交代していたのを、一年交代にすればあと10年は回ってこないというので、ある年からそう決めてしまった。そして10年目。今年はついに番が回ってきてしまった。およそ事務能力の全く無い人にやらせるとどうなるかというのは、私がお手本になる。まず初めの仕事は町会費集め。それはやっとのことで無事集めたものの、領収書をもらうのを忘れてまだとりに行っていない。そして今度は赤十字の寄付を集める。これは皆さん協力してくれてすぐに集まった。そのあとがいけない。寄付金の領収書を発行するのに、複写になっているのを知らずに下敷きなしで書いたからさあ大変。名前が二重になったり、寄付金の額が10倍になったり、気がついたときには領収書はめちゃめちゃ、数が足りなくなってしまった。さあ、困った。誰かが何とかしてくれるだろうと、次の日町会事務所にいくと葬式の真最中。おずおずと(私だって時々はそういうこともあるのです)葬儀の受付に事情を話すと、私が全部やっといて上げますよと言うではないか。だって・・・一応遠慮はしたものの、こういう訳で領収書が足りなくなったと事情を話して、全部お任せすることにした。しばらくして先ほどの受付の人が我が家を訪れて、すっかり綺麗に書き改めた領収書や書類を渡してくれて、これを持って事務所に行きなさいという。私がちゃんと仕事をしたように取り計らってくれたのだ。お礼をいうと「お父さんに長い間お世話になったから」と言って帰っていった。急に父のことを思い出して涙ぐんでしまった。父は戦後の大変な時期にこの街で人々のお世話をしてきた。相談事にのり、役所とかけ合ったり、災害のときには被災者をうちでお世話をしたり、超のつくお人好しで資産はそのために食いつぶしてしまった。そんな父を母はいつも非難して内を顧みないと言っていた。うちには6人も兄弟がいて大変だったのに、他所の人の世話ばかりしてと言って嘆いていた。私は父親っ子でとても可愛がられたのに、やはり子供は母親が一番。だから父が悪く母はかわいそうだと兄弟皆そう思っていた。ところが成長して色々分かるようになると、もしかしたら母の方が理不尽なのではと兄弟で話すようになった。父は近所の障害児が懐いて、毎朝パジャマのままで会いにくるような優しい人だった。今になって自分がどれだけ可愛がってもらったかを思い出す。父が出かけるときには後ろ姿が見えなくなるまで「おとーちゃまー」と叫んでいたことなど。父も時々振り返ってニコニコしていた。夜は両親の間に寝て父にだっこしてもらっても、最後には母の懐にいく。すると父は少しがっかりする様子だった。そんなことはすっかり忘れていたのに、あとからあとから思い出が蘇ってきた。父が他所の人に積んだ徳が私に還ってくる。父親はかわいそう。今頃ようやくわかってもらえるなんて。



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