2014年12月25日木曜日

一国の主に対して

キムジョンウン氏の暗殺計画のコメディー映画が上演中止になったことをオバマ大統領が批判したというので、急遽上演することになったと伝えられる。
表現や言論の自由とかいうけれど、私は一国の主席にたいしてこんな失礼な事をやってもいいのかと、その方が気になる。
そもそもこんな映画を作るのは、その国を非常にバカにしていないと出来ない。
実際にキムジョンウン暗殺計画はあるらしいので、なおさらこれをパロディーにする神経がよくわからない。

北朝鮮は確かに絶対あの国に生まれたくないと思う様な国だけれど、その国民は自分の国をバカにされたくはないはず。
どんなに酷い生活でも、そこに生まれてしまった以上は、国を愛する気持ちは他の国の人と同じだと思う。
将軍様を苦々しく思う人は多いと思うけれど、よその国からはバカにされたくないでしょう。
日本の戦前の教育がそうだったように、あの国も子供の時からたたき込まれた信念は他からの付き崩しがない限り、そんなものだと受け入れていると思う。
もし戦前の日本で天皇が暗殺される映画があったら、国民は激怒したのでは。
ほんとうに失礼なことだとは思いませんか。

オバマさんだって自分が黒人であることで、幾多の差別に遭ってきて、それを言論の自由だとかたづけられないことも度々あったはず。
それにしても北朝鮮の人々は気の毒でならない。
特に子供達。
飢えに苦しんでやせ細っている彼らに対し、軍の上層部は食べたい放題。

先年行ったチベットの人達を思い出す。
痩せて真っ黒に汚れた顔で、力なくほほえむ彼ら。
体を地面に投げ、五体投地で聖地に向かってノロノロ進む彼ら。
湖の畔の人家もない場所を這うようにして、祈りを捧げている。
なにをが彼らをそうさせるのかというと、極貧の生活、全く希望の見えない将来。
彼らも又、中国政府によって自由を奪われ、生活苦にあえいでいる。
世界からこの様な人達が居なくなる日は来ないと思うけれど、貧しくとも自分たちで統治出来る国であれば、不満は少ない。
それがよその国だった大国に襲われてのことならば、彼らの絶望感はいかほどのものか。
生き仏のダライラマは戻ってこない。
教育も受けられない、仕事もない。
今の日本の若者は、どんな状況でもとりあえず食べていける。
住む家もある。
切羽詰まれば生活保護もある。
チベットの人達は、一切の援助は望めない。
死ぬ一歩手前のギリギリのところで、生きている。
そんな状況を目の当たりにして、胸が痛くなった。

行ったことはないけれど、北朝鮮の人達も同じような境遇にあえいで居ると聞いている。
日本は今、平和で誰もが自由に話すことができて、こんな良い国はないと思うけれど、これも私たちの先祖が、つらい差別や貧しさを抜け出るために働いてくれたお陰。

あのバカな戦争に負けて、そのために自由が獲得出来たと言うべきか。
あそこで勝っていたら、北朝鮮のような軍の独裁国家でいたかもしれない。
こんな駄文を書いてはいられなかったかもしれない。
ものを言うとすぐに掴まってしまうような時代が来ないことを、切に祈っている。
敗戦は国民にとっては勝利だったようだ。

言論の自由は勿論素晴らしい。
でもそうだからと言って、他をバカにすることが自由と言えるかどうか考えて欲しい。









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