今朝は抜けるような青空。
久しぶりの美しい秋の日差しに、猫たちも日光浴をしている。
昨日は眠ってしまってなんの物音も聞かなかったけれど、今朝のニュースであちこちの水没画面を写していたから、この辺も暴風に襲われたのかも。
今朝ノラたちのエサを運んでいたら、駐車場は落ち葉がいっぱい吹き寄せられていた。
実は予定していた練習が延期になってしまったので、新潟から無理に帰ってくることもなかったようだ。
昨日のうちに知らせがあれば、もう一泊して喉黒にかぶりついていたかもしれない。
あくまでも食べ物に固執。
これでは地獄では餓鬼道に落とされるにちがいない。
おいしいお魚といえば富山を思い出す。
富山にも毎年仕事で滞在していた。
富山のお魚は、スーパーマーケットの魚売り場のものでも、もの凄く新鮮でびっくりする。
特に立山の雪解け水は高い栄養分を持っていて、富山湾に流れ込んで美味しい魚につながるのだそうだ。
富山には大学の同級生が住んでいる。
大学と言っても、音大を出てから仕事に明け暮れて、あまりにも普通の教養がかけていると思ったので、放送大学に入学した。
高校も音大附属だから、語学などはずいぶん沢山のカリキュラムがあっても、数学や物理などはかなり端の方においやられていた。
それらをもう一度身につけたいと思ったから、当時設立されたばかりの放送大学は、通信制で私にはうってつけ。
早速入学することにした。
入学するのは簡単で、高校の卒業証明書があれば、誰でも入れる。
ところがかなり高度のレベルで、卒業するのは大変だということがわかった。
数学者の友人が「こんな難しいことやるんですか」と教科書を見てびっくりするくらい。
私は一般大学を知らないから、当然この位のものは当たり前なのだろうと思っていたけれど。
それはそうだ、文部省(当時)の機関だから、税金でバカを作るわけにはいかない。
初めてのテストの時、あまりにもチンプンカンプンで答案用紙を目の前にして涙を流した。
ざっと教科書を読む位では到底歯がたたない。
それから心を入れ替え、大学の図書館で授業のビデオを閲覧して勉強した。
物理の実験科目は学校で行われ、その時に隣に座ったのが富山県人の男性だった。
身長180㎝、初対面の時、おっとりした大型犬のような雰囲気で話しかけてきた。
通学路線が同じなので、時々一緒に帰った。
息子ほど歳が離れていて、さっさと先に卒業して富山に帰っていった。
それ以来富山に仕事に行くと、コンサートを聴きに来てくれる。
この人が唯一の学友。
元々富山は、美味しいタラ汁を食べたときからのお気に入りの地だった。(どうしても食べ物につながる)
しかもその先もずっと仕事で滞在することも多くて、お寿司屋さんも行きつけが出来て、さんざん通い詰めた。
仲間達も富山大好き。
仕事が富山と分かると、ヤッター!と喜ぶ。
10年前乳がんの手術をした私は、その前から引き受けていたのが富山と函館に行く仕事だった。
それを事務所が気を遣って、都内の仕事に振り替えてくれた。
せっかくの好意なのに、こともあろうか、美味しい物を食べそびれたと周りにこぼしていた。
しかも周りも病気のことなどちっとも心配してくれないで、惜しかったねーと一緒に嘆く。
そして帰って来てから「あれ食べてこれ食べて、おいしかったわよー」とうらやましがらせてくれた。
持つベきっものは友人と、その時骨身にこたえて歯ぎしりをした。話だけとは・・・
そんな過酷な環境にいるので、病気なんかやってられないと、いつの間にか強くなった。
放送大学は10年かかったけれど、ちゃんと卒業しましたよ。
あくまでも仕事優先で、せっかく授業を受けてもテストの日に仕事が入ったら受験できない。
ずいぶん何回もそんなことがあって、それでもこの大学で得たものはすごく大きかった。
新聞でも雑誌でも、それまで科学欄が読めなかったのに、ようやく意味が通じるようになって、サルから人に進化できた(かも)
タラ汁と言えば、富山で食べるとすごく美味しい。
それで帰りがけ、朝市でタラを丸ごと買って飛行機に乗る。
家に帰って作ると、ん、今いち。
どこが違うのかわからないけれど、どうしても同じように作れないのが悔しい。
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