2016年9月17日土曜日

ハイドン

明日は代々木上原の「ムジカーザ」でハイドンのジプシートリオを演奏する。
全曲繰り返しを入れても15分という短い曲ながら、3楽章のジプシー風のメロディーやリズムが面白い。
私はこの曲がとても好きで何回も演奏している。

短いながら快活で端正で、本当によくできた曲だと思う。
弾いていてとても楽しい。

ハイドンと言えば交響曲の父と呼ばれ、モーツァルトは彼を尊敬してやまなかった。
あの天才モーツァルトを感服させて、のちにモーツァルトが彼の弦楽四重奏曲をハイドンにささげた話は有名だけれど、ハイドン自身の弦楽四重奏曲はとても難しく、後半のものなどは一体なにを弾かされるのか戦々恐々という感じ。
ちょっと不思議な音型や難しいパッセージがあって、あの当時にずい分考えが進んでいたと思われる。
シンフォニーも彼のお茶目な遊び心が横溢しているものが沢山あって、こういう曲を書く人に一度でいいからお目にかかって見たかった。

作曲家の晩年の作品というのは非常に面白い。
ベートーヴェンの後期なども、もし彼がこのまま生きながらえたら一体どんな境地にたどり着くのだろうかと想像する。
形式を逸脱して前衛的な音楽になっていくような、ところどころにその片鱗を見出す。
一人の作曲家の人生を次の作曲家が受け継ぐことができれば、クラシック音楽も破壊を免れないものになっていくにちがいない。
幸運なことに人は誰でも寿命があって、どんな天才でも一からはじめないといけないから、破壊寸前までいってご臨終となる。

ハイドンの交響曲「時計」の思い出。
(この話は以前もここに書いたので、あ、nekotama惚けたな!と思う方がいらっしゃるかも。)

私が音大に入って初めてのオーケストラの授業の日、のんびりと教室に入っていくとすでに全員着席していた。
一体どこに座ればいいのかわからずウロウロ席を探していると、上級生がコンサートマスターの席を指さした。
あなたの席はここよ。
冗談じゃない、一年生の分際でそ、そんな!
美しい4年生はこともなげに言う。
「初めての人はそこに座ることになっているの」

考えてみれば、これはいじめ。
一年生のくせに時間ぎりぎりに来るなんて生意気、と思ったに違いない。
そこしか席は空いていなかったから、おずおずと座った。
出された譜面はハイドン「時計」シンフォニー。

私はヴァイオリンを始めたときから、オーケストラに行く道が定まっていたらしい。
中学一年生からジュニアオーケストラ、そして地元の室内オーケストラに入っておじさんたちに交じって弾いていたし、時々ソロもやらせてもらっていた。
だから「時計」は全くの初見ではなくてラッキーだった。

当時の指揮者は怖くて有名なD先生。
にこやかに笑っていたかと思うと突然表情が一変し指揮棒を投げつけるなど、生徒たちは戦々恐々だったから、私のようになにも知らずに来た新入生は良いカモだった。
そうとは知らない私は居心地悪くもじもじしていたけれど、先生はいきなり私に「時計」の冒頭部分を一人で弾くようにと指示してきた。
先生にとっても、上級生を差し置いてそんなところに座っている新入生は、どんなやつかと思ったにちがいない。
私はオーケストラでさんざん弾いた曲だから、何の苦もなかった。
先生は「ほう!」という顔で名簿を見て、丸を書いたらしいのが見えた。
いつも私は幸運で、もし本当に初見だったら、おびえて弓も動かせなかったと思う。

その後、このえこひいきの強い先生が亡くなるまでなにかと引き立てていただき、実技試験成績が悪いにも関わらず、いつも上級生のオーケストラに参加できた。
初めての時いじわるをした綺麗なおねえさま方からも、4年生のアンサンブルに誘われて勉強させてもらった。
大学の四年間、このハイドンがきっかけで、思い切りアンサンブルの勉強ができたのが、私の財産となった。
そしてオーケストラに入ってからは、コンサートマスターからハイドンの弦楽四重奏の連続演奏に加えてもらった。

だからハイドンはないがしろにできない。













































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