2016年9月6日火曜日

ちょっとサボったら

コンサートが終わって北軽井沢から帰宅した昨日は、一日ヴァイオリンを弾かなかった。
今日練習を始めたら、もう、手が硬直してうまく弾けない。

若いころはこんなことはなかった。
数日遊びほうけていても、楽器を持つと同じように弾けた。

最近は毎日練習を欠かさなくても、その日によってコンディションが全く違う。
これは若いときでもそうだったが、最近とみに感じる。

なにが原因かというと、体のこわばり、運動不足の時は顕著に表れる。
私たちは死ぬまで楽器を毎日弾かないといけない。
赤い靴を履いて死ぬまで踊り続けた美少女のように。
唯一の違いは、私が生まれてこの方美少女だったことがないということ。
そこが残念!

残念でもなんでもいいけど、また虫が起きて、某さんはそろそろコンサートを計画しない?と言ってくる。
コンサートを開くとなると、練習量は格段にアップする。
お客様に聴いていただくには生半可な練習では足りない。
かといって私たちの年齢となると、若いころのようにがむしゃらな練習をすると、手が壊れる。
私は長期決戦型で、練習はおそろしく早く始める。
次回のコンサートの予定が決まると、すぐに楽譜の用意をする。
来年の「古典音楽協会」の秋の定期演奏会は、バッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロを弾かせてもらうので、1年も前なのにそろ楽譜を出しておかねばと思っている。
このソロはおそろしく難しい。
指が回る極限状態の速さ。
もちろんゆっくり弾けばいいけれど、それでは曲全体のテンポが遅くなってしまう。
私としては、その極限まで早く弾きたいので、一年がかりで練習しようと思っている。


若いころならこんなに心配はなかった。
最近はどれほど練習しても怖さが残る。
いままでたいていの事は切り抜けてきたから、まだ余力は残っているけれど、ある日突然限界がきたら・・・思うだに恐ろしい。
舞台の上で立往生したら・・・
落語家でいましたよね。
ある日噺の途中でわからなくなって「勉強しなおしてまいります」と言って高座をおりて、結局復帰できなかった人。
心中察してあまりある。
もし私がそんなことになったら。

猫は未来をつかさどる脳の部位がないというから取り越し苦労はしないけれど、半猫の私はえらく心配性。
血液型はO型。
O型はいい加減、楽天的、おおざっぱ。
でも心配性で、意外と気が弱い。
その心配性は良いように考えると、性格がいい加減なわりにはコツコツ練習することにつながる。

最近気が付いたことは、手のひらの水分量の問題。
どうして上手く弓が持てないのか、どうして上手く左手の指が音程を正しくとれないのか、考えに考えたあげく、水分量の激減が原因であることにたどり着いた。
もちろん、手指の変化、指が曲がったり柔軟性がなくなったりもあるけれど、最大の原因は水分量であると結論した。
試しに、前の日に手の保湿を十分にして、練習前にもケアをすれば、かなり楽に弓が持てる、脱力できる、音程も正しくなる、音色も音量も豊かになるといいことずくめ。
悩んでいる方はお試しあれ。
それで若者と高齢者の違いが出る。
私はどちらかというと高齢者。
どちらかと言わなくても高齢者。
手のひらの水分が多すぎて困るほどだったのが、ここ最近枯れ始めている。























2 件のコメント:

  1. 演奏家にとっては身体も楽器の一部みたいなもので、微妙な体調の変化が音に出てしまうんですね。
    でも「老練」って言葉があるくらいですから、体調のバランスに気を配れば、より深い音が出るのではないですか。
    次回またnekotama様の演奏聴かせていただく時を楽しみにしていますので、化け猫になっても演奏続けてくださいな。(^ ^)

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  2. 化け猫にはとっくになっておりますが、老練とはいきません。
    ♫ローレンローレンローレン♫なんて西部劇の主題歌にありましたっけ。
    やっと思い出した「ローハイド」
    一回演奏会が終わるとおそろしく疲れます。夕鶴のつうみたいに、自分の羽で織物をしたみたいな気分になります。

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