2013年4月7日日曜日

春の嵐

タイトルを書いたら思い出した。ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」多感な少女時代(私にもあったのです)に夢中で読んだっけ。ここ数日大荒れの天気。沖縄に出発する日は大風、千葉で強風が吹いたそうだ。沖縄行きの安いツアーをさがしていたら、成田発着のツアーが飛び抜けて安い。私は成田まで直通で行けるからそれでもよかったのだが、他の人たちがいやだと言うので羽田発になった。今回は成田発だったら飛行機が飛んだかどうか。羽田でも強風で滑走路が2本しか使えず、出発がだいぶ遅れたくらいだから。帰りの飛行機も、もう少し遅い時間だったら欠航もあったかと思う。欠航しなくても、かなり揺れたと思う。往復とも快適に行けたのは良かった。昨夜からの大雨でうちの前の川の水量が上がって、夜中に度々2階の窓から覗いてみた。私の住んでいる建物は階下は全部駐車場だから、水が上がったら車がぷかぷか浮いてくるだけだが、それもよそ様の車なので少し心配していた。しかし、何事もなく輝くような朝を迎えた。以前はこの川は毎年氾濫して、川沿いの家は床上浸水の被害を被っていた。以前の私の家はそれを見越して少し高く作ってあったけれど、朝目がさめて玄関を開けると、水がドアのすぐ下まで来ていてびっくりするようなこともあった。それが川の下を巨大な管を通す工事をしたお陰で、今は水が溢れることもなくなった。家を建て直すときに1階全部を駐車場にしてしまったのも、そんな経験があったから。子供の頃、この川のお陰で台風のたびに辺り一帯が水浸しになっていた。特別ひどい大雨の後、私の実家を除いてすべて水浸しになったことがあった。実家は少し盛り土がしてあって、他の家よりも数メートル高いところにあったので、被害は受けなかった。それで、四方八方からボートで続々近所の人たちが避難してきた。古い広い家だったから人はいくらでも受け入れられたが、物が足りない。女性達は皆せっせとご飯を炊いておにぎりを作り、男性はボートを出したり、後片付けをしたりてんやわんや。その中でボーッとした子供だった私は見るともなしに見ていると、救援物資の毛布を隠れて二枚とってしまう人や、おにぎりだけなのを文句を言う人がいて、子供心にもなんてあさましいと思った。今回の大震災のあとで救助してくれる人たちに感謝している被災者の声を聞くたびに、たった2,3日の避難生活なのに文句ばかり言った人たちのことを思い出す。当時は今とは比べることも出来ないほど日本中が貧しかったから、人の気持ちもすさんでいたのかもしれない。自分が被害に遭わなかったから、呑気なことを言っていられるのかもしれないが、こんな時に人の本性が見えるものだなあと思う。

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