2014年7月23日水曜日

あれは、いじめだったのか~

何回も書くけれど、私は6人兄弟の末っ子。
お金が無い大家族なのに、姉が通っていた田園調布にある私立中学校をフラフラと受験してしまった。
良妻賢母を育成するような地味な学校だったので全く校風になじめず、高校大学と一貫だったのにとっととやめて、音大附属に逃げ込んでしまった。

その中学の学生は、そこそこ豊かな家の娘達が通っていた。
そのわりには、質はいまいちというところ。
なんでそんな学校に行ってしまったかというと、3才上の姉が通っていて、彼女が中学を3年終えて高校に行くと、都合良く制服のおさがりがもらえるというわけ。
入学式には全員ピカピカの制服に磨かれた靴、新しい鞄を持って来る中で、私だけ13才も年上の姉のお古の鞄、すぐ上の姉が3年間着ていた、袖口がすり切れ色褪せた制服。
鞄はかつては上等だったけれど、なんたって13年物だから取っ手の革が剥がれ中の芯が剥き出しになっていたのを、母がビニールを巻いてくれた。
全くおしゃれではなかったから、髪はボサボサ、顔も洗ったか洗ってないか分からない風情。
少し自分の中に入り込んでしまう方だから、時々ボンヤリ考え事をするし、休憩時間には本を読んでいるし、とても浮いた存在だった。
それでも、そのぼんやりが幸いして、お古の鞄も制服も取り立てて、恥ずかしいという気もなかった。
大家族の我が家では毎度のことで、お古が恥ずかしいという感覚は無い。
子金持ちの商店の娘などが「あなたの鞄って貫禄あるわよねー」なんてわざわざ言いに来る。
やはりあまり良い気分ではないけれど、それは事実だからしかたがないと思っていた。
6人の兄弟全員にちゃんとした教育を受けさせてくれた両親が、戦後の貧しい中でどれほど苦労したことかと思えば、そんな嫌味は一向に構わない。

この中学時代は私の唯一の暗黒時代だった。
ところが上手くしたもので、私がヴァイオリンを弾くと聞きつけた他のクラスのM子さんが近寄ってきた。
一度家に遊びにいらっしゃいと言われ、のそのそ従いて行ったら彼女はゴルフ場の経営者の娘で、田園調布の邸宅にすんでいた。
それからは毎日学校が終っても電話で1時間はしゃべっているほど気が合って、彼女にそそのかされて一緒に音大附属高校を受けたのが、私の幸運の始まりだった。
M子さんとはその後もずっと友達でいる。
これもなにか大きな手に動かされたとしか思えない。

中学はそんなわけで席替えの時も、みすぼらしい私の隣には誰も来てくれないような状態だったのに、今はたくさんの友人がいて周りに集まってくれる。
不思議なもので、自分の居場所というものがあるのだと思う。
うまく居場所を見つけられれば幸運。
かならず人にはそれぞれ場所があるはずで、それを探すのに手間を惜しんではいけない。

昨日、ブラームスの練習が終ってピアニストと食事をしていて、鞄や制服のことでからかわれた話をしたら「あなた、それはいじめよ」と言われて初めて気がついた。「いまどきの子供だったらいじめられたと思うでしょう」とも。
なるほど、そう定義付けられると納得出来る。
当時どこの家にもすでにテレビは普及していたのに、私の家にはなかった。
それを話したら、サルのような顔をした家電店の娘が「テレビがないなんてすっごく貧乏なのね」と鼻の穴を膨らませて言ったのを良く覚えているから、やはり相当不快に思ったのは確か。

6人兄弟の学費をどうやって工面していたのか分からないけれど、貧乏でも全員を望み通りの学校に行かせてくれた両親には感謝している。
しかもヴァイオリンまで習わせてくれて。

大家族は強い。
揉まれて育ったから多少の事では屁とも思わない。
好きな人に邪険にされると落ち込むけれど、こちらが歯牙にもかけない相手なら、なにを言われても空気みたいなもの。
Sさんが「あなたはいじめても反応がなかったから、それ以上いじめられなかったのよ」と言う。
そうかもしれない。

大嫌いな中学校だったけれど、そこを抜け出すために音楽の道に進めて、本当によかった。
暗黒時代が無かったら、私は今頃研究者になって「スタコラ細胞はありま~す!」なんてさけんでいたかもしれない。
あるいは、多摩川の河川敷で青いテントで暮らしていたか・・・それはわからない。
ノラ猫いっぱい飼ってね。





















2 件のコメント:

  1. いじめる方もさぞやいじめ甲斐のない子だったんですねえ。あはは。

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  2. 今でも仕事場で「打たれ強いねー」と言われます。
    最近はちゃんと逆襲出来ますがね。
    いじめに気が付かない天然は強い。

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