2014年7月22日火曜日

ブラームスは濃い

今日ブラームスの「ソナタ」を合せにピアニストのSさんの家で、私としては珍しく集中して練習をした。
休んでいたので体も心も少し楽になった。

若い頃の私は、ブラームスはヴァイオリン協奏曲とシンフォニーを除いて、どちらかと言うと嫌いな作曲家だった。
それが40才過ぎて、ある晩秋の1日、弦楽四重奏3番を聴いていたら突然目覚めた。
なんて素敵なの!涙が出る。
そこでやっと、ブラームスの良さが分かったという奥手。
今年の秋に弾くブラームスのソナタは3番。
この曲がいつ頃の作品かというと、作品108だから、けっこう歳をとってからの作品になる。
没10年ほど前。
その前の2番が作品100、なぜか私の中では2番は若い頃のものと勝手に思い込んでいた。
それほど明るさと幸せ感に充ちているので、そんな気がしていたのだけれど、ブラームスが中年過ぎて幸せなときがあったというのは、たいそううれしい。
クララ・シューマンに憧れていたのに思いが叶わなかった彼が、少しは楽しいこともあったのかと他人事ながら喜んでいる。
なぜブラームスが好きでなかったかというと、先に中々進まない。
じれったい。ウジウジしている、優柔不断、重ったるい。
ところが自分が歳を重ねたので、その良さが分かってきた。
人は心の中に多くの物を抱え込むと、そんなに簡単に前に進めるものではない。
後ろ髪を引かれる思い、断ち切れない苦しみ、失う悲しみ、そして少し苦みを帯びた喜びなどが、ズシリと心に溜まってくる。
それが漸く分かったのがずいぶん遅かった。
なんというか、1色だけで塗っていたカンバスが段々塗り重ねられて、深みを帯びてくるとでも。
更にそれが風化して、得も言われぬ味が出る。
歳を重ねると、得るものと失うものとが若い頃の丁度反対側に、シーソーのようにバランスが取れる。
体力や瑞々しさがなくなるけれど、私は今のほうがずっと幸せだと思っている。

ブラームス後期の作品、3曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタのうちでも3番は、ずば抜けてガッチリとした構成と分厚い和声の上に成り立っているので、体力、気力ともにかなり負担が大きい。
とくに第2楽章の美しいメロディーが、なぜこんなに充実しているのかと思う程中身が濃くて、やわな私でははね返されてしまうほどなのだ。
豊かな音量と長い息継ぎ、そして殆どがヴァイオリンの最低部のG線で演奏される。

今日もピアノのSさんに説明していたのだが「声の出ない歌い手がゆっくりした曲を歌うと悲惨なことになるでしょう。あれと同じよ」とまあ、こんな事を。
声の出ない私もしかり。ゆっくりと弓を使って響きを保っていくのは、中々息切れのするものなのです。
















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