2012年3月21日水曜日

明石詣で

病を得て療養、今は明石に移住して静かな日々をおくっておられる、往年の名ヴァイオリニストの外山滋氏のご自宅に伺った。私が中学生の頃に外山さんのリサイタルを聴きにいった記憶がある。若くして世に出られたためにご苦労も多かったかもしれないが、私がお目にかかったころは、まさに油が乗り切って大変な過密スケジュールをこなしていらっしゃた。かつて弦楽3重奏で私がヴィオラで共演させていただいた時、一度レッスンをしていただけないかと恐る恐るお尋ねしたことがあった。すると「レッスンではなくて楽器をもって遊びにいらっしゃい。一緒に弾いて遊びましょう」とおっしゃった。私にとっては雲の上の人ではあったけれど、少しも偉ぶるところがなく、いつも面白い話を聞かせていただいた。今日も居心地のいいお宅でやく3時間余り、殆どの時間を笑い転げてしまった。次々とお話が進み、指揮者の近衛秀麿氏、山田一雄氏、ヴァイオリニストの鳩山寛氏など懐かしい名前が飛び出してくる。鳩山さんは「ハトカン」の愛称で呼ばれ、私にとっては室内楽に目覚めさせていただいた恩人。近衛、山田両氏は振るタクトがわかりにくいので有名な指揮者だったけれど、音楽性は高く評価されていた。それぞれ数々のエピソードを持つ豪傑で、かつての日本の西洋音楽黎明期ともいえる時代を担っていた巨人たちでもあった。その方たちから愛され共に演奏し、パガニーニコンクールの審査員を務めたり、芸大で多くのお弟子さんを世に送り出した外山さん。飛びぬけた頭脳で、理論的に技術を分析してみせてくださる。今日は久しぶりにお目にかかったので、初めのうちこそ少しのんびりとされている様子だったけれど、お話が進むとどんどん目の輝きが増して、声にも張りが戻って、本当にタフな方であることを改めて実感した。今日はヴァイオリニストの北川靖子さんのお誘いをうけての明石行き。北川さんのお父様は元N響のメンバー。私がオーケストラに入って毎日あまりのハードスケジュールに泣いていた頃、N響を定年退職されて私の古巣の東響にエキストラでみえて、未熟者の私にやさしくコツを伝授してくださった。その方のお子さんと長いお付き合いになるとはその頃夢にも思わなかったけれど、こうして一緒に外山さんのお宅を訪ねて行くと、蜘蛛の糸が張り巡らされているようなご縁を感じる。外山さんが次々と名前を出す人たちは、ほとんど私の知り合いなので、懐かしく面白くつい長居をしてしまった。今頃お疲れになっていなければいいけれど。お弟子さんもよくいらっしゃるようで「明石詣で」というらしい。私たちも時間を見つけて「明石詣で」に行って貴重なお話を聞かせていただきたいと思う。

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