2023年12月16日土曜日

冬到来

 ゴタゴタしているのでなかなかヴァイオリンの練習にまとまった時間がとれない。北軽井沢に行って集中してさらおうと5日ほど山にこもった。

今年の温暖な気候のお陰で北軽井沢についたときはまだ暖かかった。森の木はすっかり葉を落としきれいな青空が広がっていた。庭一面の落ち葉の堆積はふかふかと足ざわりがよく、細かい木をだいぶ伐ったために日当たりが良くなった。行けば毎回ノンちゃんの好きだった大木の周りに必ず花を植える。今年もヴィオラの鉢を数個まとめて植えてきた。

森には車も人も見当たらない。今年も私だけの森!と思ったら夕方になって周囲の2軒に明かりが点いた。なんだ、私一人ではないのかと少しがっかりだったけれど、やはり周囲に人がいるのはホッとする。天気予報を見てから良い日を選んで行ったために毎日明るい陽のさす暖かい日が続いた。

だいぶ疲れが溜まっていて指も頭も動かない。猫はいつもの通り道連れにされてだいぶご不満な様だけれど以前よりはずっと慣れてきた。ケージに入れて車が走り出すとやかましくわめき出すのがいつものこと。ついでにその間に便秘の解消に務めるらしく、必ずケージの中でトイレを済ますのでそれに気がつかないでいると後始末するまで泣き続ける。やっとそれがわかってからは一度車で近所を走って用を済ませて後始末をしてから再び走り出すことにするようになった。

日常的に2日に一回くらい近所を回って便秘しないように車を走らせるから、今の彼女はお腹スッキリ食欲モリモリ、もはや死を待つのみと思っていた頃の調子の悪さはなくなった。毎週の点滴も不要になって高い介護食のお陰で餌を飲み込むこともできる、足腰はだいぶ弱ってきたけれど、このぶんでは25歳も夢ではなさそうだ。ありがたいけれど同じ仲間の猫が嫌いで最近うちの一員となったノラは容認してもらえないのが悩みのタネ。今回は初めてノラを北軽井沢に一緒に連れて行こうと思っていたけれど、不穏な空気に怯えて出発当日はケージに入れる寸前に逃げられてしまった。

森の家に着いてドアを開けるとホカホカと温かい。ノンちゃんから譲り受けたこの家は最近になってとんでもなくハイテクな家だということがわかってきた。今までは他の家と同じように毎年11月の終わり頃には水道が凍らないように水抜きをして家を閉めていた。この水道の問題さえなければ冬にもちょっとでかけたいときに出かけられる。一旦水を抜くと水道を出すのにまた工事を頼んで、お金も手間もかかる。ところがノンちゃんの家は床暖房を切らなければ水抜きの必要はない。その分電気代はかかるけど水抜きの工事にお金がかからなくなるからどちらか選択すればいいだけの話。今年は初めての越冬を試みるつもりでいるから水抜きはパス。夜間電力を利用して家の土台のコンクリートに蓄熱して家全体を温めているのだそうだ。恐れ入りました。

毎年ノンちゃんとご主人の田畑さんはお正月を北軽井沢で過ごしていた。それで田畑さんの代まではずっと家を閉めなかった。けれど私は雪道の運転が怖いので毎年冬は行かなかった。もちろんスキーをやっていたから北軽井沢にいなくても雪景色は堪能していた。ところが膝の故障が起きてスキーに行くのも何かと不自由になってみると、しきりに冬景色が恋しくなった。

今年もスキーに行く踏ん切りがなかなかつかなくてスキーの先生に相談してみた。私はもはやうまく滑ろうなどという高望みは捨てて初心者コースを無事に降りてこられれば満足。しかし一人で滑っていて万一転んだら起き上がれない可能性が高い。それで講習を受けるのではなく先生に一緒に滑ってもらい、転んだら助けてもらうという路線に変更しようかと相談したわけで。先生はいいよと言ってくださったけれど、なんだかそれも悪いからしばらく考えていた。先生は悪いところがあるのなら整形外科に行って診てもらうようにと。それもそうだ。しかし、私の現状は怪我などではなく、筋力の衰えからくるものだからトレーニングで治る部類。自己トレは難しい。やはり専門家に見てもらいたいいけれど、私ごときの軽症では近所の病院でもしっかり面倒は見てくれない。それで思い出したのが友人たちが通う病院のリハビリテーション。

人と一緒ならサボれないしちゃんと効果のあるトレーニング法が学べる。思い出したので以前美容外科の肌トレに行っていたその病院へまた通うことにした。とりあえず外観から元気になろう。今日予約が取れたのでこれから行こうと思ったのが、考えても病院の最寄り駅が浮かんでこない。あらま、顔より脳のシワを活性化する必要がある。どこを優先するかは好き好きだけれど、対外的には脳外科が最優先のような気がしないでもない。シミが目立つので顔全体をレーザーで一掃してもらう。

久しぶりに訪れた病院では以前の担当医はとっくにいなくなっていて若いきれいな女性医師が出迎えてくれた。先生は色々相談に乗ってくれたものの、こんなおばあさんでは効果も薄いしと思っているらしくいまいち乗ってこない。しかも以前のシミの状態より加齢が原因となるとなかなか難しいらしい。肌自体が劣化しているから。

今日は試しに一部だけシミ除去することにしてベッドに横になった。顔の中でもひときわざらついた手触りのシミがあって、それは他のシミとは違う種類らしい。そこだけ盛上がっている。麻酔のテープをそのシミに貼って数分待ってからレーザーで削っていく。怖がる人がいるかも知れないこのようなことは私は割と平気な方で痛ければ喚けばいいだけの話。我慢強くない性格なので平気で大騒ぎする。

アートメイクの眉毛とアイラインを入れたときにもチリチリとした痛みがあったけれど、なんのことはなかった。ところが隣のベッドで施術されていた人は我慢に我慢をしていたらしく始まって数分後「ああ、もうだめ」と言ってベッドを降りてしまった。痛みより恐怖だったのだろうと思った。今回も軽い麻酔をしたので痛みは感じられなかったものの、機械の唸りと皮膚を擦る感触が嫌かもしれないと思った。初日のお手入れはほんの10分くらいで終了、これから少し頑張ってみよう。

終わると若い先生はホッとした様子。年齢からすると私は厄介な患者と思ったに違いない。途中でショック死されてもおかしくない。なにもこんなに年を取ってからシミ取りなんかしてもしょうがないでしょうと言いたかったと思う。緊張が溶けたのか急に明るくなってはしゃいでいるのが可愛い。

私は若い女の子?にもてるのよ。受付の女性も一緒にはしゃいでいるから急にその辺が華やかになった。いいねいいね、本当は機械でシミとりするよりこの明るさが人生を豊かにするのだ。じゃ、また来年ね!と予約して病院をあとにした。すでに日が落ちても都会は明るい。それも好きだけど森の静けさと真の暗闇は人に怖れの気持ちを蘇らせてくれる。それは自然に対するもの、人間の欲望のなんとちっぽけなものかということ。モンゴルの大草原を馬で駆け抜けたときに思った。なんにもないということがどれほど素晴らしいかということを。

なのに私の家はものに溢れている。ガラクタを来年こそ片付けよう。となると、まず、自分から?






















0 件のコメント:

コメントを投稿