2024年2月8日木曜日

ノラの言い分

ずっと前から我が家に通ってきたノラ 。とても野良猫とは思えないほどの上品な立ち居振る舞い。毛並みはすべすべとして汚れもない。大声を出さない。ガツガツ食べない。およそ私とは正反対の品の良さ。

どこかで飼われていると思われるのにそれらしい家も見当たらない。やたらに甘えないし意志がはっきりしていてどうやら我が家がお好みらしいということはわかる。かと言ってずっと居付くわけでなく気ままに猫社会の社交生活に参加したいらしい。お腹が空くと帰ってきて満腹になれば少し寝てお友達が迎えに来れば出かける。その都度ドアを開けろとかなにか食べたいとか下女をこき使う。最初のうちは抱っこも嫌がっていたのに、最近は私の膝でつきたてのお餅のようにとろりとなって眠ることもある。重い。

その品の良い野良猫に対してうちのコチャのなんと野蛮なことか!ずっと長い間押し入れで暮らしていた彼女は猫嫌い。玉三郎を始め4匹の猫たちと暮らしていたけれど、コチャは決して仲間として彼らとは接しなかった。彼らを避けるために狭い家の中では押し入れ生活を余儀なくされていた。玉三郎やモヤがなくなってやっと一人になれたコチャはやっと安住の地を得て私に思い切り甘えられる事になった。何という幸せな余生!かと思ったらノラの侵入によってあっけなくストレス倍増、押し入れで思いっきり喚く毎日となった。

可哀想ではあるけれど、いい加減猫社会に溶け込んでほしい。つやつやの毛並みと賢さで人間受けの良いノラと、不器用でボソボソの毛並みのコチャでは勝負あり、ノラはご近所の評判もいい。でもコチャは人目につかないように家から出ない。時々北軽井沢に行くときに車に載せようとケージに入れて外に出すと大きな声を振り絞って鳴く。その声たるや到底猫とは思えないどら声。声を聞いただけで汚い猫がいるようだと思われてしまう。しかしその実態は、可愛いクリクリ目とオオサンショウウオのような斑の毛並みは中々かわいい。それは私だけの基準であっても、この世にたった一人でも彼女を可愛いと思う者がいるだけで素晴らしいニャン生なのだ。すでに腰も曲がり後ろ足に力が入れられないために排泄もままならない私のコチャに幸せあれ!

そして今年はくまさん受難の年、人間も大変、動物とひととの関係が見直されるような時代になったのだろう。昨日のニュースで公園で遊んでいた子どもたちが犬に噛まれて大騒ぎ。犬は最初は尻尾を振って遊び気分だったらしいのに、犬に噛まれたことのある子供が怯えて逃げ出したために追いかけて嚙んだらしい。ひとは怯えると独特の匂いを発すると聞く。その子は最初から犬が怖くて噛まれた経験で余計に怖くなって逃げるという最悪な事になってしまった。普通に飼われている犬はこちらが怯えなければ噛んだりしない。急な動作とか攻撃的な態度を取らなければ普通は大丈夫だけれど、ときには犬だから人にはわからない理由で噛むこともあるのだと思う。

私が多摩川の河原を自転車で走っていたら後ろからシェパードが吠えながら追いかけてきたことがあった。それで自転車を止めて「なあに?」と訪ねたら急に大人しくなってちょっと照れた風でおすわりをする。こちらはもとより犬に用事はなく「じゃあね」と自転車を漕ぎ始めるとまた吠えながら追いかけてくる。何回も同じことを繰り返してはいたけれど他人様のワンちゃんを連れて歩くと誘拐犯に間違われそうだから困った。吠えられてそのまま逃げていたら後ろからガブリとやられていたかもしれない。そのうち飼い主が現れて事なきを得たけれど、犬に追いかけられたらまっすぐに向き合って止まれば良い。大丈夫、ワンちゃんは頭がいいからムダに噛んだりはしない。落ち着いて対応すれば向こうも怯えない。けれど、中には稀に本当にやばいやつもいる。これはひとも同じだからそういう犬にはゆっくりと対応すればいい。けっして怯えたふうを見せないように。

ところがうちのノラは私に抱っこされると噛み付いてくる。甘噛みなんて程度ではなくガブリとおもいッきり。これは参った。ひとに甘やかされた経験が少ない。程度がわからないらしい。それでもこれがノラの精一杯の愛情表現だと思うと叱ることもできない。かみながら顔は優しい。程度をわきまえるように時々コツンとかるくげんこつで叩く。そのうち程度を覚えるだろうと思うけれど、なかなか痛い思いが続く。

人間もそうかもしれない。可愛がられなかった子供が相手の気を引こうとわざわざ悪さをしたり。それも愛情表現がもしれないけれど、人だと困ったことになりかねない。生きるのは大変。猫の場合、くまの気持ち、犬の言い分、人間の立場。一つの世界に密集していると誰が悪いわけではない。








0 件のコメント:

コメントを投稿