2013年12月27日金曜日

遊びもたいへん

奥志賀から戻りました。
初日は快晴無風新雪、最高のスキー日和り。
のんびりと遅めの列車で行ったので、宿の奥志賀高原グランフェニックスホテルに到着したのは午後2時を回っていた。
目の前のゲレンデからリフトに乗り、足慣らしに短い初心者コースを一滑り。
2本目はもう一つ上のリフトまで乗ってから初心者用の迂回路を選んで下まで。
3本目はエキスパートコースを一気降り。
そこでリフトの営業もお終いになったので終了。
ホテルのバーに行くとすでに今回のメンバー、「雪雀連」の山田会長、同年配のSさんと彼の会社関係のKさん(女性)がカクテルを楽しんでいた。
私の連れはピアニストのOさん。
5人で食前のカクテルをいただいて、前面の大きなガラス窓からライトアップされた雪景色を見ていると、全く日常生活を忘れてしまう。
会長は毎度おなじみ「ギムレット」Oさんは「マティー二」私は「マルガリータ」
実は苦い思い出があって、ずいぶん古い話だけれどメキシコに行った時、『太陽のピラミッド』と言われるティオティワカンに上ろうという前にこの「マルガリータ」の口当たりの良さに油断して飲み過ぎて腰を抜かした。
ピラミッドを目の前にして上れなくなってしまったのだった。
その話をしながら飲んで、さて食事。
イタリアンレストランで又白ワインを少し飲んでいたら、気分が悪くなってしまった。
この数日なにかと忙しく、寝不足も続いていたために疲れもたまっていたらしい。
またしても「マルガリータ」にやられてしまった。
太陽のピラミッドの呪いかしら。
それでも次の朝もさんさんと太陽が照って、絶好のコンディション、今日は焼け額山に行くと会長が言うので起床したものの、体が重い。暴飲暴食がたたっている。
約束の時間に間に合わず、ゲレンデに出てみると他の3人は影も形もない。
Oさんと2人で後を追って出かけた。奥志賀ゲレンデから焼け額ゲレンデまでは途中廊下があって、しばらく歩かなくてはいけない。
これがきつい!
緩い登り坂のあと少し下りがあって、又緩い登りと言うように決して勾配のある坂ではないのに、下りも勾配が無いので滑ることができない。
結局全部スケーティングか手で漕ぐことになる。
体力の無い私は滑るのはいいけれど、こんなことですっかり消耗してしまう。
焼け額ゲレンデに着いても仲間の姿は無く、仕方が無いので2人で昼食を食べて奥志賀に戻ることにした。
ところがそこで今度はOさんが気分が悪くなってしまった。
彼女は北海道育ちでスキーは非常に上手い。
その彼女が突然滑れなくなってしまった。
後ろにいたはずが姿が見えないので待っていると、おそろしくふらふらといつもの彼女の颯爽とした滑りとはほど遠く、今にも倒れそうになっている。
顔色は土気色。
これは一大事なので救助を呼ぼうかと思っていたけれど、なんとかプリンスホテルまで降りたので、レストランで一休みした。
Oさんは滑れる状態では無いので、各ゲレンデを巡回しているシャトルバスに乗ろうと思ったが今出たばかりだという。
レストランの人に事情を話してタクシーを呼ぼうとしたら、タクシーはスキー場内ではひろえないという決まりだという。
結局その人が私たちのホテルに電話をしてくれて、迎えの車が来て無事帰ることが出来た。
色々な症状から、どうやらOさんは高山病ではないかと皆が言う。
私もチベットに行ったとき高山病に罹ったけれど、呼吸ができずチアノーゼ状態になって、ひどく気分が悪い。
Oさんの顔色もその時の私の顔色そっくりだったし、下に降りてきたらすっかり症状が治まったので、本当にそうだったかもしれない。
とりあえず無事で良かった。
初めの予定では、今朝、湯田中行きのバスで長野原に出て、長野電鉄で小布施で下車、そこで遊ぼうと言っていたが、雪も激しくなってきたのでおとなしく帰ることにした。
Oさんも私も遊ぶ前には片付けなければいけない用事が沢山あって、疲労がたまった状態で出かけることになる。
Oさんは私よりも10才くらい年下だけれど、12月半ばのロンドンアンサンブルのコンサートのために奔走してくれたので、疲労がたまっていたらしい。
そして明日は忘年会コンサートで出席者が少ないから、一緒に沢山弾かないといけない。
遊ぶのもそろそろ命がけとなってきたのがおかしいけれど、それでもおとなしくしていられる自信はない。




















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