今日は昨日と打って変わり、上天気。
快晴、無風、気温も高い。
今日は先日無くなった姉の納骨があり、鎌倉霊園の高台にあるお墓に行くので今日の日差しがありがたい。
お坊さんの読経とお話を聴いてから、姉の連れ合いが先に入って待っているお墓まで車で上った。
そこでお坊さんのご指導でお参りをしてからお墓の蓋を開けると、中に義兄の骨壺が入っているのが見えた。
二つの骨壺を並べると、仲の良かった2人がやっと一緒になれて、特に義兄は姉を溺愛していたから嬉しくて、壺の中でお得意の「ベサメムーチョ」を歌って居るのではないかと皆で笑い合った。
姉夫婦は高齢だったから誰もが諦めのつく年であったけれど、やはり失った私達は悲しみがわく。
少し泣き笑いだった。
無事に納骨が済むと兄弟と親族がしばらくその場を去りがたく、なんとなく景色を眺めたり、周りのお墓を見たりしている。
今日は墓のある場所から真っ白な富士山が見えた。
左手には「あれは相模湾かね?」兄が指さす方には、陽を浴びて金色に輝く海が神々しいまでに美しく見える。
生まれたときから兄弟姉妹の中でも特別な存在だった姉は、死んでからも美しい景色に囲まれて贅沢に、優しい連れ合いと2人でここに眠る。
兄弟は皆僻みもせずに、そんなものと思って居た。
姉の子供達も物静かに母親の死を受け入れて、和やかに会食も済んで帰途に就いた。
12才まで姉にだっこされて寝ていた私には、姉というより母のような存在だった。
姉の1番上の息子である甥は、姉の我儘に振り回されて今まで独身だったけれど、これから嫁を見つけようと叔母である私たち姉妹は張り切っている。
この次集まるのは**の結婚式だね、と声が上がる。
姉への最大の供養は私たちがいつでも仲良くすることだと、甥が最後の挨拶で言っていた。
目に見えないほどだが軽い障害があって生れた甥が、立派にこんな挨拶をして頼もしくなっているのも嬉しいことだった。
姉のお眼鏡に叶わず、ずっと無視され続けていた姪の連れ合いが、初めて私たちの話しに笑顔で加わってきた。
今までは姉がいると、ひっそりと部屋の片隅で無言で、それでも家族の集まりには出てくれる律儀な人なので、気の毒に思っていた。
本当に姉の我儘には誰彼と無く振り回されたが、それでも皆の「おねえちゃま」は家族の宝物。
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