2019年10月24日木曜日

奥州市チェロフェスタ

本当は今頃北軽井沢の秋を堪能しているはずだった。
木々が色づいて木の葉がチラチラと散り始め、空が広くなっていく。
森の一番魅力的なこの季節、あちらにいない手はない。

森はいつでも美しい。
けれど、私はヴァイオリンを弾くという厄介な性癖があって、11月3日の奥州市でのチェロフェスタに出演するために調子を整えないといけない。
このチェロのお祭りはチェリスト舘野英司氏が中心となって、奥州市のゴーシュたちが一堂に会するという恒例の行事。
私はこの2年ほどは参加できなかったけれど、久しぶりに行ってみようかと思った。
それで台風接近のニュースがあるので、帰ってこられないといけないと思って北軽井沢には行かないことにした。

3年前、いつもこのフェスタに一緒に行ってくれた同級生のFさんが亡くなった。
彼女はどんなに具合が悪くても他人にさとられないように元気そうにしている。
思えば彼女が一緒に行ってくれた3年間、かなり体調は悪かったと思う。
それをおくびにも出さないで、楽しそうにお酒も飲んだし演奏もしっかりしていた。
どんなときにも弱音を吐かない彼女の最後は見事だった。
友人たちの誰にも知らせはなかったけれど、私は妹さんと知り合いだったところから情報が漏れて、病院に駆けつけたときには彼女に会う事ができた。
ピンクのパジャマを着て顔もきれいにして、とても元気そうだった。
病室に入っていくと「やだー、どうして来たの?だれにも言うなって言ったのに」と彼女らしい反応。
嬉しそうに話をしてくれたので、安心して帰った。
でもそれを待っていたかのようにその夜容態の急変の電話があった。

あっという間に逝ってしまった。
本当に毅然とした生き方だった。
彼女の生き様は凛々しかった。
東京フィルハーモニー交響楽団を退団後は、私ともフリーのオーケストラで時々会うことができた。
彼女はセカンドヴァイオリンのトップとして、落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見失って、どこを弾いているのかわからなくなること。
そういうことはあまりないけれど、新曲になると慣れないのでわからなくなることもある。
彼女だけはそういうことが無いので、弦楽器全体からの信頼が厚かった。

ある時日本人の新作のオペラを上演していた。
長い休みの後セカンドヴァイオリンが先に出て、その後数小節でファーストヴァイオリンが出るというところで、彼女は標的にされた。
私達は彼女の動向をじっと見ていた。
彼女が弾き始めたところから数え始める。
1小節、2小節、3・・・
舞台稽古でそれに気づいた彼女が叫んだ。
「やめてー、みんな見ないでー」どっと笑いが起きたけれど、結局本番も彼女に頼ってしまった。

その人はもう居ないけれど、今回、私が教えていた元生徒のKちゃんから誘われた。
彼女のご主人が舘野氏のお弟子さん。
今回私は彼女とショスタコーヴィッチのデュオを弾く。
生徒と弾けるというのは本当に嬉しい。
それとシベリウスのピアノトリオを、ピアノ関田さん、チェロ舘野さんと一緒に弾く。
シベリウスのトリオは初めてその存在を知ったけれど、多分彼の若い頃の作品だと思う。
爽やかな、よく纏まった曲だけれど、おや?と思ったのは、なにか日本的な情緒があって、とても理解しやすい。

最近の私のコンディションから言うと、もう少し楽器を鳴らしておかないとヤバイ!と言うので、湿度の多い北軽井沢で過ごすのを諦めた。
本当は今回電気屋さんに来てもらって、エアコンの設置をする予定だった。
楽器のために除湿をしないといけない。
今年夏のフェスティバルのときに湿気にやられて、私の楽器は上板が剥がれた。
弦楽器には最悪の環境なのだ。
予定していたエアコン設置は11月に延期して、とりあえず奥州市のチェロの祭典に行ってきます。

























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