2015年3月14日土曜日

原始的生活

洗濯機が壊れた。
決定的に壊れたのでは無くて、たぶんどこかにゴミが溜っていたりするレベル。
取説を読むと、注水口が詰まっているらしいけれど、注水口を眺めてもどうやって外して良いかも分からない。
たぶん注水口のゴミを取り除けば良いレベルの故障なので、替えるのはもったいない。
そのうち修理に来てもらおうと思って、ほったらかしにしてスキーに出かけた。

帰って来たら不自由この上ない。
いつもなら、もうこんな旧い器械はいやだと一気に買い換えるところだが、今回は事情があっておいそれとは買えない。
持ちアパートの貸部屋が空いて、大々的にリフォームすることにした。
築19年だから、キッチンのリフォームもすることにして見積もりを出してもらったら、あらまあ、大変!こんなにかかるの?
それでも私がもう少し年をとると、こういうことも面倒になるから今のうちにやってしまおう。
それで沢山のお金が、羽を生やして飛んでゆくことになった。
しばらく洗濯機は買えない。
ゴミ詰まりをとるだけでいいのに、それも出来ない。
リフォームの業者が来るから、だれかに頼んでみよう。

それでも洗濯は毎日しなければいけないから、コインランドリーにでも行くかと思ったけれど、お風呂に入っているときに手で洗ってみた。
これがけっこう楽しい。
まず洗面台にお湯を張って洗剤を入れて、洗濯物を浸けておく。
体が温まったころ、ちょっともみ洗いをして又知らんふり。
時々お湯ですすぐ。
又湯船でゆっくり、時々すすぐ。
これを繰り返す。

最後に湯船に全部入れて、どしゃどしゃかき回す。
湯船の縁に洗濯物を載せて、しばらく水切り。
ポタポタ垂れなくなったら、洗濯機で脱水。
脱水機能が壊れていなかったので、助かった。

結果としては器械で洗うより、こざっぱりと洗い上がる。
これは収穫だった。

昔、洗濯機が家庭に普及していなかった頃、私たちの母親はこうやって手で洗っていた。
6人もの育ち盛りの子供達の泥だらけの衣類を、しかも当時は湯沸かし器なんか無くて、冬はさぞ辛かったでしょうに。
当時の人にとってみれば当然のことだったかもしれないけれど、母は偉かったとしみじみ思う。

私の父は戦後、洗濯機の開発をしていたようで、私が子供の頃、うちの廊下でゴトンゴトンと音がして実験していた。
それが製品化できたのかどうかは知らない。
その後は家電ではなく、電車の車輌を手がけていたようだった。
戦前、戦中にやっていた発明の仕事で、戦後のどさくさを一生懸命乗り切ろうと模索していたのだと思う。
両親は苦労しても、私たちはのほほんと幸せに育った。

















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