2015年3月24日火曜日

小田原行は断念

前回の東響同窓会も欠席したので今回こそと張り切っていたものの、やはり体がまだ本調子でない。
27日の古典音楽協会の定期演奏会を控えているので、ここで体調崩したら皆に迷惑がかかるから、やっとの思いで小田原行は諦めた。

東響時代、苦しい経済状態だったオーケストラの再建に、家族同様に力を合わせてきた人達。
本当に仲が良かった。
演奏旅行もボロ車に人と楽器を満載して、高速も無い時代、安ホテルを渡り歩き、どさ回りと称しての旅。
時には野宿。
これは東響の暗黒時代。
やっと経営が安定したとき、私は戦列を離れた。

今どきの若い人だったら、こんなバカな仕事はしない。
私たちは貧しいのが当たり前の時代だったから、そんなことは平気だった。
今の時代にこんなことをやれと言ったら、皆そっぽを向く。
3Kというけれど、まさしくそれ。
それでも、当時の苦労は未だに私のキャリアに役に立っている。

どんな曲が来ようとも、一応弾いた事はある。
たいての事は知っている。
どんな下手くそなソリストにも合わせられる。
変な指揮者が来ても驚かない。
あははは・・お腹がよじれるほど酷いキャリアだなあ。

思えば本当に悲惨な経験が多すぎたけれど、お陰でフリーになってから存分に良い目を見せてもらった。

どさくさまぎれにやっつけ仕事はお手の物。
初見はえらく利く。
だから出来るひとだと思われて、わんさか仕事が来た。
本当は七転八倒、神経すり減らしていたけれど。

今ゆったりと生活が送れるようになって何が一番嬉しいかというと、ゆっくり譜読みをしてじっくり曲に向き合えるようになったこと。
今まで弾いた曲も見直して見ると、日々新しい発見がある。
作曲者の顔が見えてくる。
曲の形が鮮明に浮かんで来る。
幸せな豊かな時間が過ごせる。

昔の仲間と思い出話をすると、全部お笑いぐさになって、今まで苦労なんかしたことはないように思えてくる。
それに、当時は本当に苦労だなんてこれっぽっちも思わなかった。
毎日笑っていた。
今思い出すと、あんなこと良くやってきたと思うけれど、当時はそれが楽しくてしかたがなかった。
天性の陽性なのだ。

この仲間達があってこそ、あんなに笑っていられたのだから、人生、人との出会いがいかに大事かが良くわかる。
こんな年齢になっても(30才は越えたと言うことです)まだバカが言える仲間は大事にしないと。
バカが言えなくなると私は、無口になってしまう。
いつもは六口なんですが。

それで今日は残念ながら、おうちで寝ております。














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