2012年4月26日木曜日

すてきな出会い

昨日ヴィオラのFUMIKOさんに伴われてお見えになった方は78歳のお弟子さん。モーツァルトのアイネ クライネ ナハトムジークを発表会で弾くための練習。たいそう社会的地位も高い方であるのに、年若いFUMIKOさんや(彼女より多少古い)私の言うこともなんとかしてマスターしようと努力する姿勢には感動を覚える。一つことに打ち込んできた人は自分の分野でない事に対して非常に謙虚であることが多い。中途半端に物知りだったりすると知識だけで相手をバカにする人もいる。自分の分野をきわめて来た人にとって、それがどれだけの時間と努力を必要とするものか良く判っている。他の分野の人に対しても尊敬の念を惜しまない。大人の音楽の専門外の人たちに教えることは私たちも大変得るものが大きい。技術に関しては歳の差は関係がない。私はもはや年下の人たちの演奏にはかなわないことが多い。それでもこの年になってようやく音楽がわかってきたこともある。だからどちらが優れているとはいいがたいけれど、この世界、どれほど技術があるかで決まるから、そういう意味では負けているのだけれど、コンサートに行って若く技術の高い人の演奏を聴いても、あまり感動はしない。むしろ引退寸前で最後の日本訪問したスークや、若くバリバリのヨーヨーマの傍らで穏やかに弾いていたアイザック・スターンの演奏が素晴らしかったことなど思い出す。人間の存在感はいかにその人の内容に依るものか、改めて考えさせられた。いつも教えに行っている音楽教室「ルフォスタ」もほとんど大人で、生き生きと中高年人生を楽しんでいる人たちに会えるのは本当に楽しみ。小さい子が嫌がるのを無理に教え込んで、コンクールだの音大受験だのさせるのは、どうも私の性には合っていないようだ。人間そのものに興味があるので、科学や人類学などを専攻した方がよかったかもしれない。それでも一日中楽器を弾いていてもなにも咎められない今の生活がやはり一番。だって、他の人から見たら遊んでいるようにしか見えないでしょう。私の母がいつもそう言っていたから。下手くそでも音楽家の端くれにいられる幸せは、遊びが仕事にも人生にもなること。やめられないですねえ。

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