2022年9月17日土曜日

かゆい・ゆかい

 文字を入れ替えただけで天と地ほどの差が出る。やっと痒い生活が終わった。痒くない生活がこれほど愉快とは。かわいそうな野良たちは家に入れてもらえず秋が深まって朝夕肌寒い日々、心細い思いをしているに違いない。メス野良は普段はクールでお澄ましやさん、それが一生懸命すり寄ってくる。けれどやっと手に入れた平和を壊されてはいけないから私は逃げ回っている。彼女にしてみたらなんで?と。

もう一つ解決は楽器のこと。私の楽器は御年300歳をこえている。うちの猫は猫年齢で100歳ほど、人間の年齢なら二十歳くらいに。でも楽器は本当の年齢だからよくぞここまでご無事で生きながらえてくださったと感謝したい。しかしこの年寄りが気難しくて時々手に負えなくなる。若くて健康な楽器はバリバリと働いてくれるから多少の天候の差、気温や湿度にもコンディションがそれほど崩れることはないけれど、古い楽器は低気圧が近づくとひどくご機嫌斜め、まるで人間みたいなのだ。時々若くて働き盛りの楽器に代えることも考えていたけれど、古さゆえの味わい捨てがたく四苦八苦していた。

私のとんでもないミスで楽器のコマを倒してしまったことがあった。コマは無惨に真っ二つ、楽器本体にヒビが入らなかったのが不幸中の幸いだった。次の日から仕事で地方へ行くので、真っ青になってすぐ近所の弦楽器工房に走った。コマを付けて点検をすると幸い楽器はなんとか無傷だった。とりあえず音は出る。

旅から戻って同じ楽器工房で本格的な調整をしてもらいしばらく使っていたらなんかおかしい。コンディションがどんどん下がってくる。見てもらってもどこも悪くないと言われるしこれはおかしい。それであちらこちら訊き回って紹介してもらった別の工房へ行くと、コマの削り方がなってなかったらしい。コマは楽器に合わせて職人さんが削る。ここが腕の見せどころ、あの小さなコマにその楽器の人生を左右するほどの魂が込められる。

まもなく古典音楽協会の定期演奏会、私はヴィヴァルディの協奏曲「アモローゾ(愛)」のソロを演奏することになっているけれど、楽器の鳴りがいまいち。先日弦を替えたときにコマの位置がわずかにずれたらしい。自分でしばらく調節してみたけれど、どうも低弦の鳴りが悪い。かすかに芯に鳴らない部分がある。気にしなければ終わってしまいそうなほんの僅かな響きの差。パスタのアルデンテみたいに芯に硬さが残る。これはプロに頼むしかない。

ここ数年通い出した弦楽器工房のTさんという若いマイスターはオタクという人種に属する。職人さんはだれでもそうだけど、仕事が好きで好きで仕方がないのだ。予約するとき「休日だけど構わない?」と訊くと「そのほうがいいです」と答える。家族がうちにいる日は工房にこもりっきりだそうなので。だからといって人間嫌いではなさそうで、楽器の話になると夢中になって詳しく説明してくれる。ただ人間より楽器が好きだというだけの世にいう変人なのだ。

彼の調整で音の芯はきれいに無くなった。ほんのかすかなズレだけど私にはコマを動かす勇気がなくてここ数日ウジウジと悩んでいたのだ。そして私がコマを割ってしまった話をすると「ああ」かすかに非難の声が混じっているため息を漏らした。以前私の楽器にはフランス製の古いコマがついていた。それを聞いた彼は「実はうちに古いコマがありますが、ふさわしい楽器につけたいと思って保存してあるのです」滅多な楽器ではつけてやらないぞという気持ちが声に表れていた。

そこをなんとかと粘って今年の暮にコマを取り替えることになった。大事そうにケースから取り出した3枚のコマを矯めつ眇めつ、木目や色合いから木の硬さや全体のバランスを調べ、そこから音の鳴り方を想像する。中でも良さそうな一枚を選んでもらい今年中に削ってもらうことになった。私の年齢からいってあと数年しか使わないと思うけれど、次にこの楽器を使う人に最高のコンディションで渡したい。

私の楽器は顎当てに近い部分にパフリングの浮きが見える。パフリングというのはヴァイオリンの胴体をぐるりと一周する2本の黒い線のこと。これは書いたのではなく細い木を曲げて埋め込んである。膠で接着してあるので膠が剥がれたりすると音が悪くなったりビリついたりする原因になる。そこが気になる。汗の染み込みやすいところなので長年の冷や汗がパフリングを浮かしているのだ。まだ剥がれが出ていないので今のところそっとしておくことになった。しかしそれも数年後には修理が必要になるかも。

「レッド・ヴァイオリン」という映画があった。製作者の妻が亡くなった日に完成された名器がその後様々な人の手にわたる。それぞれの国で運命に翻弄されながら、やがてオークションで巧妙に偽物とすり替えられてある男のものとなる。レッド・ヴァイオリンとはその色が赤いから。赤い色の秘密は製作者の妻が亡くなったことと関係があるという少しえぐい筋書き。

300年の間に私の楽器は誰の手でどのように暮らしていたのだろうか。彼自身は東洋の小さなおばあさんの家に来るとは夢にも思わなかったに違いない。次は誰の手で鳴らされるのかしら。楽器は個人が所有しても決してその人だけのものではない。何代にも亘り受け継がれる文化財なのだから本当に大事にしないといけない。コレクターが金庫にしまっておく存在でもない。鳴らしてこそ楽器が生きるのだから。

痒みが去って楽器は快調、弾き手はもうヨレヨレながら頑張ります。

古典音楽協会第162回定期演奏会

9月29日(木)午後7時開演 東京文化会館小ホール 

聴いてくださると嬉しいです。



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