2015年1月25日日曜日

生野祥雲齋

テレビの「なんでも鑑定団」を見ていたら、竹細工の出品があった。
華道の先生をしていた出品者の父親が、お金に困っていた竹細工士にお金を貸してあげたところ、その感謝の気持ちで自作の竹細工の籠をを持ってきたという説明があった。
その制作者はその後とても有名になって、人間国宝になった。
名前は生野祥雲齋。

もらったというその籠は見事な細工で、他の作品の紹介もあったけれど、思わず鳥肌がたった。
こんなに繊細で美しい細工が竹で出来るなんて、思いも寄らなかった。
実物を見たいと思った。

竹をあのように美しく細工しようと思うのは、日本人だけかも知れない。
初めての受賞作品は、余りにも細工が見事で竹を殺してしまっていると、批評されたらしい。
その後修行を積んで、竹を生かした作品を造り続け、晩年の作品は、竹には殆ど手を加えず、色も塗らず、そのままの姿で花入れが作られていた。
その花器の切り口が、えも言われぬ美しさ。
竹の命を人間の手で殺してしまうことに罪を感じ、それにも拘わらず竹の命を昇華させて、芸術作品にする。
こんな素晴らしい細工を今初めて知って、ほんとうに感動した。

たった1本の竹の筒。
それで、これほどの作品が出来るとは思わなかった。
天賦の才能と血のにじむような努力が見える。
竹は命を全うしたと言える。

晩年の作品の簡素な美しさを見た時、アイザックスターンのことを急に思い出した。
おそらく日本に来た最後だったかと思うけれど、ピアノトリオでのコンサートだった。
かつての艶っぽいヴァイオリニストが、すっかり好々爺然として静かに座っていた。
その演奏は全ての飾りを取り払って、とてもシンプルになっていたけれど、共演の若いチェリストヨーヨー・マを遙かに超えた存在となって心を打たれた。
大きな大きなもの凄い存在感。














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