2017年8月28日月曜日

夏の終わり

日テレの24時間テレビが終わると、急に秋の気配。
今年も楽しく仕事をさせていただいた。
この現場で出会う人達と来年も又会えるだろうか?という気持ちが最近特に著しい。
そして毎年夏の疲れがどっと出るのも、この時期。

今年の夏は北軽井沢ミュージック・ホールでのフェスティヴァル参加があって、準備に追われていささか疲労がたまり、天候が悪く思うような音が出せなかったのがけっこうショックで、回復には時間がかかりそう。
そのままの状態で秋のシーズンに突入すると、9月のコンサートは憂鬱なことになりそうなので、心の洗濯をしなければと思うものの、なにをしたら良いのやら・・・
私としては珍しく心細い日々を送っている。

嬉しいことは11月半ば、モーツァルトのディヴェルティメントK.563が弾けること。
弦楽三重奏曲の長い難しい曲ではあるけれど、私には懐かしい思い出のいっぱい詰まった曲でもある。
ヴァイオリニストの故外山滋さんと一緒に弾いたことがある。
その時私はヴィオラを担当。
彼が「nekotamaさん、そこの音は2小節目で少し高めにとってください」とおっしゃるから「でも、私は3小節間同じ音を伸ばしているのですが」というと「うん、でもね2小節目は和音が変わるからその和音の音程にして」と言われる。
それまで私は同じ音を伸ばしているのだからこちらにほかが合わせるべきと思っていたけれど、そうか和音で変えなければいけないのかと、学んだ瞬間。
弦楽器のアンサンブルの奥の深さはこういうところにある。
だから難しいし、だからとてつもなく面白い。

それから私がヴァイオリンで鳩山寛さんのヴィオラでも弾いた。
鳩山さんはヴィオラも名手だった。
どこからか安い中国製のヴィオラを手に入れてきて「これが良く鳴るんだよ」とおっしゃってゴーゴーと鳴らしていた。
ハトカンさんの手にかかると、こんな楽器でも否応なしに彼の音になってしまうのが面白い。
モーツァルト自身もこの曲が好きで、ヴィオラを弾いたという。
長くて難しく地味なこの曲はコンサートでもあまり弾かれることがないけれど、私はずっと弾きたくてウズウズしていた。
この秋にヴィオラの名手Hさんと弾けるというので、その間のコンサートの練習を飛ばして
音を拾っていたら、色々懐かしさがこみ上げてきた。

体も脳も疲れているので、只今大スランプ突入。
指が思うように回らない。
特に右手がおかしい。
以前はなんでもなくできたスピッカートができない。
何処かに力が入っていると思うのに、原因がつかめない。
おそらく体の何処かに変化が現れていると思うのだけれど・・・
骨の変形とか立った時の重心のとり方とか。
例えばスポーツの選手が陥るものと同じ。
ほんのすこし肩がぶれているとか、足が前に出すぎているとか、その程度で走れなくなる、打てなくなる。
私もたぶんほんの些細なことが原因だと思う。

こういうときにあまり真面目でない性格が幸い(?)してパニックにはならないけれど、以前は練習を重ねると自然解消したものが、その位のことでは収まらない。
あと半月で2つのコンサートがある。
その一つはバッハのブランデンブルク協奏曲4番のソロパートを弾く。
春先まではとても快調に早いパッセージも弾けたのに、この夏にはもう弾けない。
おやおや、がっかり。

でも人生にはがっかりすることがたくさんありすぎて、もう慣れっこかな。
そろそろたくさんのものを捨てなければいけない時期に差し掛かっている。
最近身内や友人が次々に亡くなって、私の秋の季節(本当は冬だったりして)が足早にやってきた。
それらを全部受け入れて、なお楽しめる才能が私にあることを感謝。
地面に落ちたどんぐりを拾う楽しみもあるということ。
そうだ、私はリスになろう!!!






















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