2019年3月22日金曜日

イチローの引退

日本で最後のステージを終えてイチローが引退した。
少し涙を浮かべたような潤んだ目で、いつものように淡々と心境を話す。
一番感謝したいのは妻と飼犬の一弓と話す。

野球に興味がないというか、スポーツの試合を見ることは殆どない。
たまにサッカーの試合をテレビで見ることもあったけれど、例の「ドーハの悲劇」以来見たくなくなった。
ヨッシャ!と思ったら、試合終了直前の敵側のゴール。
無言で立ち上がってさっさと寝てしまった。
こんなにムッとしたことはない。

だいたい、球を転がしたり打ったり投げたりするような遊びの延長にあるものに、一喜一憂することはバカバカしい。
それを見て、自分がさもやっているかのようにはしゃぐ見物人たちもなんだかなあ。
彼らからしたら楽器をこすって音を出して、音が良いのわるいの、音程が高いの低いの、テンポが早いの遅いの言っている我々のほうがよほど理解不能なのだろう。
どの世界でも命がけの人がいる。
一瞬音がひっくり返って、ベルリンフィルに入れなかったので自殺したトロンボーン奏者がいたっけ。

人は勝手なもので自分の興味の範囲でしか他人を評価できない。
そんな私でもイチローは特別な存在だった。
決して体格が良いわけでも輝かしいパフォーマンスもない。
門外漢の私でもわかるのは、あのバッティングのすごさ。
よく見ていると、バットはボールを的確に飛ばしたい方向にそっと運んでいるようなのだ。
打つのではなく運ぶという言葉がぴったりくる。
本当はものすごい速さで球をヒットしているはずなのに、そこの部分だけはスローモーションを見ているかのように見える。
計算され尽くした動きと力の無駄の無さ。
日本いや世界の野球選手の中で抜きん出ていると思う。
ほんとうのところ、私は大谷翔平くんのファンだけれど。
ほんとうのところ、ほかの選手のことは知らないのだけれど。

イチロー引退のニュースを見ていたら、自分のオーケストラ最後の舞台を思い出した。
世界のイチローとは比べようもないと思うけれど。
たぶんマーラーの8番だったと思うけれど、最後のステージが終わって自分では涙なしに引っ込むつもりだった。

ステージを去るつもりで後ろを振り返ったら、普通なら後ろの人達の背中が見えるはずなのに、皆こちらを向いている。
ん!なんで。
見ると後ろの人達が泣いていて、私に駆け寄って来て花束を渡された。
まったく予期していなかったので、そこで私はどっと崩れてしまった。
不意打ちはやめてよ。
わかっていればにこやかにしていられるのに。
後はグズグズ。もうやだ!

その時花束を渡してくれた人たちの中の若手と(今は若いとは・・・)夏に一緒に弾けることになった。

それから20年間、オーケストラの仕事は一切断ってきた。
ところがある日後輩から、そろそろオーケストラのお仕事やってみません?
引き受けたのはどうした心境だったのか。
やはり好きだったから。
引退後の初仕事は、R・シュトラウスの「英雄の生涯」で、若い人たちが集まる某オーケストラだった。

呑気に練習場に行ったらコンマスの後ろの席で、一箇所ソリ(ソロの複数)もあるという大変な場所だった。
それでもずいぶん前に一回弾いたことがあったとは言え、初見であんな難しい曲を弾けたのは若かったから。
今なら、1ヶ月も前から緊張で大変。
それからずいぶんオーケストラも弾いていたけれど、目が悪くなって本当に引退した。
その時も周囲はもっとできるでしょうとか、考え直せとか言ってきたけれど、もう限界ですのにゃと言って断った。

今後のイチローさんも、野球に戻るのでしょう。
どんな形でも野球から離れることはできないと思う。
彼なら何をやらせても一流になるとは思うけれど、コアが野球だから生涯離れられないでしょう。
考えてみると、好きなことを一生貫かれる幸せ者といえる。
まだ40台?
これから前途洋々、羨ましい。




















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