2016年12月22日木曜日

海馬

タツノオトシゴに似ているのでシーホース、海馬というらしい。
記憶の中枢。
その海馬が、私の場合、まだ子供なのかもしれない。

記憶力の悪さは生まれつき。
特に人の顔は覚えられない。
同じくらいの年代であまり特徴のない顔の人は、誰が誰やらわからない。
学校を卒業して何年目かに行った同窓会で「あらー、懐かしい、お元気?」と言われて、「ええ、元気よ」と答えたまでは良かったけれど、はて??誰??
「あら、覚えてないのね」と言われてしまった。
そこで上手く芝居をして、ほかの人にこっそり聞けばいいものを、不審な気持ちが顔に出ていたらしい。
ばか正直というか、裏表がないというか、取り繕うことができない。
たいていはしばらくすると思い出す。
けれど、最近はその「しばらく」が永遠に続くようになってしまった。

海馬くんがついに成長しなかったみたいで、特に最近は著しく記憶が低下している。

ブログに書きたいことは山ほどある。
あ、これを書こうと日に何回も思うけれど、いざ、パソコンに向かうと、それがなんだったかすっぽりと抜け落ちている。
その都度記録しておけばいいのだが、これは忘れないぞという過信が常にあってサボるから、結局忘れてしまう。
キーボードに手を置いたまましばらく考えるけれど、忘れるくらいだから、なに、大したことじゃないと思ってあきらめる。
以前は毎日のように投稿していたのが、最近は週に1日か2日。

数日前のテレビで、海馬を元気にするための物質があるというから喜んで見ていたけれど、なんだかよくわからないうちに終わってしまった。
筋肉量に影響されるらしく、ウオーキングがとても良いですよという月並みな結論で、騙された感が強い。
そのウオーキングを毎日欠かさない私がこの体たらくでは、真実味に欠ける。

幼少のころはミステリーにはまっていて、ミステリー作家になりたかった。
アガサ・クリスティーのような素敵なミステリー作家に。
なぜあきらめたかというと、自分には断片的な面白いことは思い浮かぶのに、それを構成して一つの作品に構築する能力が欠けていることを、すぐに悟ったから。

そのうえ海馬くんが貧弱となると、最初に書いたことと最後の結末がたぶん一致しなくなるだろうと思う。
トリックもへったくれもなくなる。
膨大な長編作品を読むと、よく途中で人物が入れ替わったりしないものだと感心する。

「ハリー・ポッター」の作者のローリングさん。
緻密な構成に圧倒されながら読んでいる。
これは原書で読むからこそわかったことで、日本語で読んでいたらおそらくストーリーを追って読み飛ばしていたと思う。
例えば前の章で起きた出来事人物などが、巧みに次の章に生かされている。
ほとんど読み飛ばしてしまう程度のさりげなさで挿入されている。
それも彼女のすごいところ。
それが分かる私もすごい!と思うでしょうが、たいていは先生のルースさんの記憶のおかげ。

つたない英語力で単語の一言一句をおろそかにしようものなら、前後の意味が通じなくなるから、本当にゆっくりと地を這うように進む。
すると、彼女の言葉の響きに対する異常なまでの執着心がわかってきた。
至る所で韻を踏んでいる。
ルースさんも音楽家だから、すぐに気が付く。
声を出して読むのも重要。

章の始まりと終わりに同じ言葉が隠されていたり、これはたぶん英語で読まないとわからない。
そんなわけで、私にとってハリー・ポッターは生まれてこの方、隅々までちゃんと読んだ初めての本になりそう。
ここでも海馬くんは眠っていて、すぐ前のページで辞書を引いたばかりの単語を何回も引くはめになる。
それこそ何回、何十回も同じ単語を。
脳の萎縮はまだ見られないそうだが、萎縮していないだけで中身はスカスカだったりして。

たった一つだけ覚えられるのが数列。
すぐに覚えられて、さかさまからも言える。
認知症のテストは受けたことはないけれど、数列だけはできても、日付や年号はどうしても覚えられない。
これは若いころからだから、なんらかの理由があると思うけれど、テストでは、まず、年号日付で引っかかるはず。

今朝も車を運転しながら、あ、これ今日のブログの題材にと思ったことがあった。
メモっておこうと思ったけれど、運転中。
これは忘れないと思っていたのに、いまパソコンの前に座ったらどうしても思い出せない。
ほんとにまったくもう!




























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