2016年12月15日木曜日

小田原で誕生祝い

前日葬式、翌日誕生会。
この歳になると生死は境目がなくなってきて、どちらでも良くなる。
小田原在住の、オーケストラの旧い仲間のSさんがお誕生日だというので、えっさえっさと小田原まで出かけた。
全部で8人の元同僚たち。
Sさんは元パーカッション奏者だったから、4人がパーカッション、その他はいろいろ。
年齢も千差万別・・・というほどの人数ではないけれど、私がオーケストラに入った時にはSさんはベテランだったから、おとうさんみたいな存在だった。

とにかく博識で、オーケストラの歴史を語らせれば一冊の本が書けると思うので、私たちは会うたびにお願いしていたけど、その気もないらしい。
私は大家族出身だから人見知りもなく、年齢に関係なく誰とも仲良くなれたせいで、ずいぶん年上や年下の人たちとも付き合えた。
特にSさん一派には可愛がられて、年齢を超越したお付き合いが続いた。
Sさんの奥様お嬢さん息子さんとも一緒に遊んでもらっていたけれど、お嬢さんのN子さんと私はほぼ15歳(あるいは20歳)ほど年齢の差があると思う。
このへんははっきりしない。
私は当時もう大人だったけれど、彼女は10歳あるいは8歳くらいだったと思う。

今回の誕生会は、N子さんが会場を設定、小田原駅で待ち合わせた。
まさかと思っていたら、あちらから私を見つけてくれた。
「少しも変わっていなくて」と言うけれど、私はすっかりおばあさん。
でも不思議なことに、子供だった頃の彼女しか知らないのに、私もすぐにわかった。
「少し小さくなったのね」と言われる。
でもね、私が小さいのは元々。
あなたが大きくなったのよ。
きびきびとした、素敵な女性に成長していた。

ガクタイという人種は、ほとんどこだわりのない人が多い。
時空もすぐに超え、年齢差も性別にも無頓着。
彼女はガクタイではなくまっとうな生活をしているらしいけれど、本当にお父さんっ子だから、その素質は十分。
そのお父さんのSさんは、パーカッション奏者として活躍していたけれど、頭の良さが幸いして計理士の勉強をして、その後は計理士としてオーケストラの経営や運営に携わっていたと思う。
その辺は私は良くわからない。
だいたい会計士と計理士の区別がつかないから、もしかしたら会計士かもしれない。

小田原駅前のビアホールで乾杯。
話に花が咲いていたら隣の部屋の忘年会が盛り上がって、お互いの声が聞こえないくらいになった。
覗いてみると、個室の中ではダンスやカラオケをやっている。
うるさいなあと思ったけれど「私たちも昔はああだったのよね」と、私と年の近いWさんがつぶやいた。
そうね、あの勢いはどこへ行ってしまったのかしらねえ。
若いころの私たちは特に感受性が強く、天国から地獄へ、ジェットコースターのように毎日スリリングに気分が変わった。
可笑しいことは笑いが止まらない、怒ればテーブルひっくり返す・・・ことはなかったけれど、悲しいと大泣きに泣く。

こういう職業だから感情が激しいのは許していただくとしても、いたずらもひどくてよく叱られた。
そんなことも良い思い出。
「私がこの人を、お父さんに選んで産まれてきたの」というN子さんの言葉が感動的だった。
酔っぱらった父親を連れて帰る娘。
楽しそうに会話をする親子の姿を走り出した電車の窓からみていると、しみじみ羨ましいと思った。
私の父は威張っていたから、こんな風に連れだって歩いたことはなかった。
でも、もしかすると父はそれを望んでいたかもしれない。
母が子供たち全員を自分の羽の下にかくまってしまったので、父は家庭内ではいつも孤独だった。
それで母に威張っていたのだと思う。
時代も時代だったということもある。
今ならきっと話し合えたのにと、残念に思う。

私は父にとても可愛がられたという記憶があるけれど、それでも一緒にお酒を飲むわけにはいかなかった。
失くしてから思う親の気持ち・・・年を経ないとわからないことが沢山ある。
最近になって気が付いたことも、ちょっと手遅れとなってしまった。




































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