2016年12月8日木曜日

自動運転

2020年には自動運転の車が一般道を走ることを、目指しているという。
私が生まれた時期は、本当に幸運な人生の始まりだったと思う。
戦後、国民全部が貧しかったので、私の家が貧しくてもさほど気に留めることもなく、教育も今のように管理されていなくて伸び伸びと成長した。
大家族だったから人手が足りていて、保育園に預けられることもなく、幼稚園すら行かなかった。
子供の嫌いな子供だったから、これもラッキー。
学校は休みがちだったけれど、兄姉たちが見てくれていたから、困ることはなかった。
大学を卒業して仕事を始めてしばらくしたら、高度成長期。

11年間オーケストラでみっちり修業した。
この時は怠け者のこの私も、寝食を忘れて頑張った。
好きなことならいくらでも頑張れる。

その後フリーになって、世はまさにバブルの時代。
仕事は降るようにあって、スタジオからスタジオへと、飛び回って稼いでいた。
数日仕事をすれば、お財布は二つ折りにできないほど膨れ上がった。
まだギャラが振り込みになる前の頃。
段々仕事が減ってきたころでも、レギュラーの仕事が常にあったので困ることはなかった。

そして本当に厳しい時代、生演奏がシンセサイザーにとってかわられて、スタジオの録音技術が発達したために、以前より演奏者の人数も要求されない時代がやってきた。
それでもテレビの仕事はステージが多かったから、映像的に人数は減らされない。
そこに、かかわっていたのもラッキー。
大みそかの長い仕事は、毎年のボーナスみたいなものだった。

放送が週3、4本くらいあったころから段々減らされて、とうとう1本になったころ、私は仕事を辞めた。
その直後、それまでそれらの仕事を回してもらっていた事務所も、他の事務所に変わったと聞いた。
一番良い時期を駆け抜けてきたわけで、今もし自分が仕事適齢期だったら、本当に苦労したと思う。
たいして美人でもない、才能もない自分が果たして仕事をやっていられたかどうかわからない。
欲を言えば、もう少し早く地下鉄や鉄道路線が今のように整備されていてくれたらなあと思うけど、それは欲が深すぎるかも。
地方に仕事に行くときは、おそろしく遠回りで何回も乗り換えがあって、本当に大変だった。
最近はほとんど乗り換えなしで行ける。
これだけはとても残念なことだけれど、そのおかげで足腰が衰えなかったのかもしれない。

パソコンや携帯が一般の家庭に普及し始めた頃、強力なサポーターに出会ったのもラッキー。
大変な器械音痴の私が、こんなにネットの世界を楽しめるとは思いもよらなかった。
今や完璧に整備された器械に囲まれて、頭の弱い私が器械にバカにされながら毎日電脳生活を満喫している。
足腰が弱ってきたころに通信販売が日常的になったのも、ラッキー。
重たいものを買いに出かけなくても済んでしまう。

さて自動運転の話に戻ると、私は今まで無事故だったけれど、いつまでも幸運とは限らない。
自分で言うのもなんですが、運転にはとても向いていると思う。
あまりパニックを起こさない性格だし、見かけによらず非常に用心深いから。
怒りっぽいけれど、我を忘れるようなことはない。
動体視力も良い(良かったと言うべきかも)し、視力は1.0で眼鏡なしで問題なし。
反射神経も音楽家だから良いはず。
老眼が進んでいるけれど、それは楽譜や読書のような細かい作業がだめなのであって、日常生活にはなんの支障もない。

それでも、今後の運転はどうするか考慮中だったけれど、自動運転の車が出れば、願ったりかなったり。
自損事故は諦めても、人身事故だけはなんとしても起こしたくない。
そんなことがあれば、今までの幸せな人生がすべておじゃんになる。
ちょうど運転が怪しくなるであろうその時に、自動運転が実現するなんて、素晴らしい。

今はとても元気で、うちの放浪癖のある鍵がどこかへ行ってしまうだけで、他の生活は何の支障もない。
安穏に暮らしている。
今後は介護ロボットがより精度を増して、人から介護されずに最後まで一人で自分の身のまわりのことができる時代になりそう。
だから、介護の心配もしていない。

世の中の進行状態が、まるで私の年代に合わせて進んでくれているような・・・自己中の自惚れ。
両親が戦中戦後苦労してくれて、私が人生の終盤に入るころには若い人たちが苦労して、なんだか申し訳ない気がする。

感謝の気持ちだけで生きていられるなんて、これを幸運と言わないでなんというか。



























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