2010年10月20日水曜日

ラサからヤムドュク湖へ

高山病で取りやめになったシガツェに行く途中にある美しい湖に連れて行ってもらうことにした。やっと運転手の腕の見せ所。道は良くないけれど、うまく避けながら高山病に配慮して、少しユックリと登ってくれる。運転は非常に上手い。でも、車のマナーは40年前の日本がそうだったように荒っぽい。途中の川岸の道は本当に美しい。山は昼夜の寒暖の差が激しすぎて、木が生えないそうだ。川岸の車が激しく往来する道に、五体投地をしながら進む巡礼の家族がいた。子供を連れて一歩ずつ進んでいく。どれだけ時間がかかるのだろうか。一体なにを祈っているのだろうか。はしゃいだ気分に陰りが出来る。さらに進むと、子供と独身のお年寄りのための水葬場に出た。チベットでは普通は鳥葬、感染症でなくなった人は火葬らしい。水葬場は子どもが・・と思うと、物悲しい。軍のトラックが数珠つなぎになって走っている。そこで、私の車の運転手が軍隊にいたという話しをきいた。免許証を見ると沢山の資格を持っている。運転が上手いわけだ。たくみに穴や凸凹を避けてカーブを静かに曲がる。前日私が高山病を患ったことに考慮しているので、ユックリ登りますよと言ってくれた。昨日沢山の点滴をしたせいか、やたらにトイレにいきたくなる。いつもトイレトイレといっているので、あちらからトイレは?と聞かれる事が多くなった。それも高山に来て、心臓がバクバクするからなのか。ヤムドュク湖についても真っ先にトイレ。散歩して写真をとらないの?と劉さんに言われても、寒いからいい。それに数歩歩いただけで息がスーハースーハーと苦しい。ここは今までで一番標高が高い。人が住めるところとは思えないのに人家があって、頂上付近にはチベットの犬を連れた人が一緒に写真をとらないかと声を掛けてくる。力なく笑みを浮かべ手を差し伸べてさそう人の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。こんな山の中に暮らし、努力しても報われることのない一生を過ごすのか。逃れ出る術もないのか。胸がキリキリ痛んで、観光気分は吹き飛んでしまった。帰り道、又車道の脇にたった一人、五体投地で進む人を見つけた。街からもはるかに離れた道を一歩又一歩と進んでゆく。夜になったらどうするの。食べ物はあるの?駆け寄って尋ねたくなる。厳しい自然の中で生きていくためには、信仰が拠り所になるのだろう。しばらく押し黙っていると、劉さんは退屈らしく居眠りをはじめた。ちょっと脅かしてみよう。厳しい声で「劉さんお仕事をして」というと飛び上がって姿勢を正し、ガイドを始めた。夜はチベット族の歌や踊りのショウが見られるレストランで夕食。これがラサでの最後の晩餐。地上に降りて沢山呼吸が出来れば、元気になるかしら。

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