2010年10月20日水曜日
中国、チベット旅行記 西安へ
西安に帰るには直行便に乗ればいいのだが、国慶節の連休のおかげでチケットが入手できなかった。それで、まず成都に飛んで乗り継ぎ便で帰ることになった。空港でガイドと運転手とお別れ。良い人達で良かった。空港に到着すると、飛行機が大幅に遅れているという。果たして乗り継げるのだろうか。帰国後すぐ仕事だから、乗り継げないと困る。頭の中で、仕事を変わってもらえそうな人のリストが浮かぶ。別さんが走りまわって情報を集めてきた。同じ会社の飛行機だから、多分大丈夫。別さんも新婚早々で、早くご主人に会いたいのに。一度荷物を受け取って乗り直さなければいけないので、「乗り継ぎの時、私すぐチェックインするから荷物お願いします」といわれて焦る。大きなスーツケースと別さんのキャリーバッグを引いて成都空港を走りまわる自分の姿を想像して、噴き出しそうになる。でも、それも無事乗り継げて一路西安へ。空港にはこのたびの無謀な旅行計画を実現させてくれた、西安の旅行会社の楊さんが待っていた。うわー、ハンサムだ。スラッと背が高くゆったりとした雰囲気。夕飯をご馳走してくださるそうで、ホテルにチェックインする前にレストランによることになった。別さんも早く帰りたいと思うけれど、最後の仕事として一緒に来てくれる。西安の街は驚くほど様変わりしていた。30年も経っていれば不思議はないけれど、あまりにも変わってしまった。城壁や門の近くには建物が少なかったのに、今や、ネオンが輝く。あらまあ。 夜遅いのに大勢のひとが歩いている。かつて、中国に来たとき、夜遅くまで人々が道端でしゃがんだり、ブラブラしているのが不思議だったけれど、その習慣はまだ残っているらしい。レストランは餃子専門店。餃子のフルコース。次々に様々な餃子が運ばれてくる。その席でも、他の時にも楊さんは「無事で良かった。心配しました」と度々おっしゃる。よほど、心配だったのかしら。初めのうちは気がつかないことが多く、私に叱られてばかりいた別さんが、最後の方になると娘のように良く世話をしてくれた。きっと良いガイドになるでしょう。次の日の早朝、空港へは楊さんのお見送りをうけて、成田へ。成田エクスプレスの乗り継ぎもうまくいって、帰宅。猫たちの大歓迎を受ける。玉三郎は大号泣。それから数日は私に密着していた。高山病がたたって咳が抜けない。今までで一番大変な旅行でした。目に浮かぶのは、空気の希薄な所で力なく微笑む人の顔。平均寿命が60歳位。長生きは出来ない。人間は生まれた所でほぼ運命がきまるのか、と思う。そこから抜け出られる強烈な意志がなければ、あそこで埋もれてしまう。それを不幸と言ってはいけないが、あまりの厳しさにショックを受けた。たった一人で五体投地を続け、這うようにして聖地に辿り着こうとする人。途中で死ぬ人も多いだろうと思える過酷な環境。目を覆うばかりの貧しさ。日本も戦後は貧しかった。でも、あそこまでの救いようの無さではなかったと思う。努力すればなんとか這い上がれて、やがて世界有数の経済国家になれた。それで幸せになったかどうかは別として。幸せのあり方をとやかく云う事は出来ないが、諦めきったような微笑を思い出すと、たまらない気持ちになる。
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