2015年10月27日火曜日

犬の生き方

思わず泣いたエピソード。








こんな記事を見つけました。

私は獣医として働いているが、ある日ベルガーという名前の10才になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインも3人ともベルガーが大好きで、何らかの奇跡が起こってくれないかと期待していた。
ベルガーを診察してみると、ガンで余命僅かであることが分かった。もうベルガーは手遅れな事を家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。

夫婦は6才の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言って来た。シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。

その翌日、私はベルガーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。年を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、私はこの子が状況を理解しているのか疑問に感じていた。

数分ののちにベルガーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルガーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。私たちはベルガーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のよりも短いという、悲しい現実について話し合った。

静かに会話を聞いていたシェインが突然「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは全員驚き、彼の方を向いた。
彼がその時放った言葉は私を驚かせた。それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。

彼はこう言ったのだ。

「人は良い人生の過し方を学ぶために生まれてくるよね?いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか、だよね?」

そしてその6才の少年は続けた。

「ほら、犬はもうすでにそれを知っているんだから、そんなに長いこと、この世にいなくても良いんだ」

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人は余りにも沢山の事を求めすぎている。
欲にまみれて、愛することが難しくなっていないだろうか。
犬や猫の様にひたすら人に愛を注いでくれる存在が居て、人はようやく精神の均衡を保っているような気がする。
人同士の愛は難しい。
いくら愛しても振り向いてもらえなければ、憎しみに変わったりする。
動物は純粋だから、愛すれば同じだけ応えてくれる。

駐車場の外猫たちも、最近ようやく撫でることが出来るようになった。
私の純粋な愛が伝わったのか、それとも餌ほしさに愛嬌振りまく処世術を身につけたのか。
その辺は彼らに訊かないとわからない。
















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