2015年10月14日水曜日

視力

来年の八ヶ岳音楽祭の曲はベートーヴェン「第九」だそうで、音楽祭創設10年目の節目にふさわしい歓喜の歌が会場に流れるのは、ちょっと感激かも。
その日に私がそこで演奏出来るかどうかは不明。

最近ずっと耳に故障が起きそうな予感があったけれど、あまりの忙しさにすっかり忘れていた。
人はなにか気にし出すと、そこに集中してしまう。
私も、ちょっとした不具合が気になって四六時中そのことを考えていて、泥沼から抜け出せないようになっていたのだと思う。
たぶん軽い風邪から始まったことなので、もう気にかけるのはやめた。
足首の痛みのこともそうだけど、甘やかして使わないで居るともっと悪くなるので、お構いなしに歩いたら痛みは軽減。
もし痛みが引かないでもっと不具合になったら、手術をして直してしまえばいいと開き治ったら、普通に歩けるようになった。

八ヶ岳音楽祭で私の後ろの席にいた女性は、白内障がひどく、この音楽祭が終ったら手術の予定だとか。
怖くない?と訊いたら、良くなるかと思うと嬉しくて、早く受けたいわ、と返事がきた。
彼女は本当に見えにくくて、それで楽譜を最大に拡大してきたと言う。
そのお陰で私がそれをコピーさせてもらえて、助かったというわけ。
目が悪いと、普段は鏡に映る自分の顔がよく見えなくて良いけれど、いざ楽譜を見ようと思うと、それはそれは不安で神経質になる。
特にオーケストラの楽譜は難しい上に指揮者を見て、他の音を聴いてと大忙しだから、目をこらして見ている余裕はない。
チラッと見て把握できないと、指揮者の指示や他の奏者との兼ね合いを見逃してしまう。
神経が四方八方に行き届かないと、良いプレーヤーにはなれないので、特に楽譜が普通に見えると言うことが、重要になってくる。

以前「白内障の手術をしたら、楽譜が良く見えるようになって人生変わりました」と言った人がいた。
それを聞いて私も眼科へ飛んで行って「白内障の手術をしたい」と言ったら「白内障でもないのに手術は出来ません」と断られた。
まるで笑い話だけれど、楽譜が良く見えないのは切実な問題。
特にオーケストラで一つの譜面を2人で見ると、斜めから覗くことになるので、反対側のページが良く見えない。
見えないと自信がなくなって、消極的になる。

忙しい日々がやっと一段落して家にいると、又耳のことが気になってきた。
ずっと忘れていたのに。
面白いことに、ひとは複数の心配事があったほうがいいのではないかと思う。
そうすると、どちらかに集中しないで、気持ちが分散される。
心配事が沢山あっても悪くないのかもしれない。
私ならノラ猫のこと、耳のこと、ヴァイオリンのこと、目のこと等々。

次の本番はメンデルスゾーン「交響曲イタリア」
音符が細かくてテンポが速くて・・・
これから練習にとりかかるけれど、果して目がついて行けるかどうかが心配。


























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