2019年12月21日土曜日

喉が痛い

バカは風邪を引かないと言うから安心していたら、見事にひいてしまった。
昨夜から鼻水が軽く出て、おや、湯冷めしたかなと思っていたら今朝は喉の痛みと咳、微熱あり。
体温は元々低いから、36・8度はきつい。

私の一番の弱点は喉。
喉に炎症が起きると後は一瀉千里、怒涛のように気管支炎にまで至る。
咳がなかなか治まらないのでひどく消耗するから、喉にほんの少しでも炎症が置きたら即病院へ行く。
病院嫌いで他の場所の病気はほとんど我慢して治るまでじっとしているけれど、喉だけは絶対と言っていいほど薬を飲まないと治らない。

これ以前にも書いたけど。
花粉症の季節に、喉の痛みを我慢してひどい目にあった。
仕事が忙しくて病院に行く時間がとれないので市販薬でごまかしていたら、ついに水を飲むのも呼吸まで危うくなった。
その時点でやっと近所の病院へ行った。

その病院は子供の時からのホームドクターだった。
私の家族はそこの院長先生に何度も命を救われた。
見立てが天才的だったけれど、病院はというと失礼ながらボロボロ。
その病院には設備が無いから少しでもおかしいと思えば、大きな病院へ紹介してくれて、病名も外したことがない。
金儲けなど頭にないみたいで、風邪をひいたくらいだと「暖かくして寝てなさい」と注射もしない薬も出さない。
それでも一旦怪しいと思ったら即、適切に処理してくれた。
地域の名医として知られ、先生がなくなったときに葬儀の参列者が2000人と聞いた。
眉唾ではあるけれど、それほど多かったと。
開業医で2000人ってすごくない?
その時先生が東大の医学部出身だったと初めて聞いた。

先生の息子さんはその時アメリカにある世界的に有名な大学に在籍して、循環器系の研究をしていたらしい。
呼び戻されて2代目の院長に。
しかし息子さんは専門が循環器系、開業医になるつもりがなかったと思うけれど、父親の後を次ぐことになったので最初は大変だった。

ちょうどその頃、私は先程の喉の治療に行ったというわけ。
2代目先生は私の喉を見てワッと叫んだ。
すごい腫れてますよ、一番強い抗生物質を点滴します。
それを聞いて私は嫌~な予感。
なるべくなら弱めの薬から始めてほしい。
強い抗生物質はなんの効き目もなく、ついに先生は机の上に顔を伏せて「何なんでしょうね?どうしたら治るのかなあ」
私に訊かないで、先生、医者はあなたよ。

このままだと呼吸困難になる。
先生を見限って近所の耳鼻科に行った。
そうしてやっと私は呼吸困難を脱出。
結局花粉症だからアレルギーの治療をしないといけなかったらしい。
そのへんはよくわからないけれど、耳鼻科の先生は「治らなかったでしょう、あはは」

それ以来私は風邪かなと思ったら耳鼻科に直行する。
だから耳鼻科だけは軽い症状でもすぐに行くことにしている。
今日は耳鼻科に行って「軽い鼻風邪ですね」と言われた。
インフルエンザでなくてよかった。

先程の2代目先生は私の母にいじめられていた。
「私はあなたのお父様に看取ってもらうつもりだったのに」とか色々言ったらしい。
最初はおとなしかった2代目院長は最近は随分威張っているそうだ。
やっと開業医らしくなったらしい。

姪の友人にドイツ人の女子大生がいた。
姪が短期留学でアメリカにいたときか、オーストラリアでアルバイトしながら放浪していた時期のどちらかで出会ったらしい。
その彼女がリュックを背負って日本に来た。
日本国内を旅行して姪の家に来たとき、高熱を出した。
姪が2代目先生のところに連れて行った。
先生が「え、ドイツ人?困ったなあ、僕ドイツ語出来ない」というから英語で大丈夫となだめて、診察してもらった。
そのドイツ人の女の子が帰宅して「あの人私の顔を全然見ない、顔見ないで診察できるのかしら?」
彼が留学していた超エリート大学の名前を私が教えると「信じられない」と言って大笑い。
でもドイツ女子は治って、次の目的地にリュックを背負って、でかけていった。

いつも喉が痛くなると思い出す話。
前にも何回も書いたので今度読むのが3回目なんていう方がいるかも。
でも前に読んだことなんて覚えてないでしょう?
私なら3分で忘れるから。




































0 件のコメント:

コメントを投稿