2021年9月30日木曜日

帰ってきた古典音楽協会定期演奏会

 昨日は1年半ぶりの再開となった「古典音楽協会」定期演奏会。一昨年3月のコンサートがコロナ感染拡大のため中止となって次もその次も流れて、これではもう私達高齢者はこのまま朽ちてゆくものとおもっていた。しかししぶとく生き残っておりましたぞ、我が古典のメンバーたちは。誰ひとり欠けることなく集まりました。

驚いたのは、これだけブランクがあったにもかかわらず誰の音も生き生きと、むしろ以前より張りもありリズム感も若々しくなっていたこと。幼少時から辛い練習に耐えて黙々と練習を重ねた習慣が身についていたのが幸運の源。

上野の東京文化会館の小ホールは、いつもの入りよりはすくなかったものの、ステージに出ると客席からの熱いエール、こちらから見るとどのお顔もニコニコと歓迎の表情で、嬉し泣きしそうになった。「古典」は自分たちだけでできていない、聞いてくださる方々と一緒に長年歩んできたその結果であると感慨深いものがあった。

今回は全面解除とはいかないのでお知らせは控えめだったので、いつものように満員御礼とはならなかったものの、次からはまた座席を探すのに苦労するという嬉しいお小言を頂戴したいと思う。とにかくこの小ホールのステージに戻ってこられたのが何よりの幸せだった。しかし元気な高齢者集団だなあ。コンマスの角道さんは83歳、信じられない若々しい音で協奏曲を弾く。

ヴァイオリンという楽器はゼロ・ミリ単位の指の動きで音程を作る。耳も運動機能もよほどの訓練をしていないとすぐに衰える。私は1年半、コロナが流行り始めてから8つものコンサートが中止になってがっくりとして練習に身が入らなかった。その間も着々と練習をサボらなかった我がコンマスは、全く変わっていない。恐れ入りました。

再開がきまってからメンバーが集まって練習ができたのがたったの一回。だから当日のステージ練習はあちらこちら破綻だらけ。いつものさっさと終わるゲネプロと違って時間がかかった。これで本番?しかし、数十年来の団員たちの絆は強く、本番はいつもの音、いや、いつもよりもずっと力強い音が聞こえた。全員の顔が生き生きと弾ける喜びで輝いていた。

文化会館は馴れているせいもあるけれど、とても弾きやすい。小ホールの舞台に立つと「ただいま」と言いたくなる。厳しい審査を通らないと立てないこのステージで「古典」のメンバーであるということで毎回演奏できることはこの上ない幸せだとおもっている。私達メンバーも高齢化が進み、あと何回できるかわからないけれど、来年の創立70周年までは頑張らないといけない。しかし、自分でも驚く。こんなに長いあいだ所属した団体は「古典」が初めて。

私は今までいくつかの団体に所属しても長続きしたためしはなかった。どこに入ってもなにかしっくりこない。「古典」は競争の激しい業界を生き抜いてきた人たちなのに心底優しく、うちに秘めた強さが忍耐につながっていく。そこに私は深く共感を覚えるのだ。思いは一つ「いい音出したい」そろそろ天国の入り口に到着するので浄化作用が働いて、音はこれからますます良くなるでしょう。乞うご期待!


2021年9月16日木曜日

積み重ね

朝、目が覚めると最近はいつも「調子悪い。デルタ株にやられたか?ミュー株に感染したかしら?」まともに気分が良かったためしがない。
今朝も一旦起床して朝ごはんを食べて、それでもちゃんと目が覚めないからもう一度眠ってしまった。目が覚めたらすでに正午過ぎていた。よほど疲れていたようだ。

といっても最近は音楽教室の発表会に合わせてアンサンブルの指導にあたっていただけで、どちらかというと面白く楽しいことだけしかしていない。
今週の土曜日に本番があるのだけれど、その最後の練習のときに今までで一番いい音が出たのが嬉しかった。今までとは違う余韻が練習場に鳴り響いたときには、私はしてやったりと思った。長い年月がかかった。

まずは音程を合わせることから始まるけれど、それをハモらせるには音のバランスをとることなど一つ一つ限られた時間で積み重ねないといけないから、同じメンバーで長く続けることが肝心なのだ。ビブラートひとつとっても出来る人もいればできない人もいる。幸いこのアンサンブルにはできない人はいない。けれどビブラートの質や速さなどまで問題にするほどのクオリティーは求められない。
楽譜を読むのがやっとだった彼らが、ずっとやめずに我慢して小うるさい小言を聞いてくれたからここまで来られたと感無量。これで本番で舞い上がらなければ大丈夫。
ほっとしたけれど才気煥発なメンバーたちの若さのエレルギーに対抗するのは中々大変。彼らの元気なことと言ったら、コロナも寄せつけないから私も自分がコロナにかかるわけにはいかない。

この感染症と来たら罹った本人が苦しむだけではなく周り中に迷惑をもたらすから、そこが厄介なところ。万一罹ったら濃厚接触ということで他の家族や友人たちまで巻き込んで公演が中止になったりするから、おいそれと熱が出たとも言えないし、言わなければ言わないで、これも後々のトラブルになると思うので、厄介な話しなのだ。
今朝もあまりにもどんよりしていたので数回熱を測った。もしやというわけで。氣のせいかゾクゾクするし。36.2度、な~んだ平熱。コロナが流行り始めてからいつもこの繰り返しで、体温計は現在の私の一番親しい友人となった。
久しぶりに沢山寝たらすっかり気分は良くなった。

さて久々に投稿するにはなにか理由があったのに思い出せない。ということは、ボケ自慢をしたかったのかも。これがすごいんだから。いやいや、もっと大切なことを書くつもりだったのかも。ま、いいわ、思い出したらまた投稿しましょう。

話は転じてうちの野良の近況を。
野良は只今2匹。(元)メスの白黒、(元)オスのトラ猫。毎朝7時ころと夕方5時ころの2食を食べに来る。駐車場で私の車の下で待機している。
以前は私が行くのを足踏みしながら待っていた。餌を容器に入れるのが待ちきれず、入れるそばから盗み食いするほどお腹をすかせていた。ところが最近は、すでにお腹がポンポンに膨れた状態で来ることが多くなった。どうやらうちの野良猫食堂に来る前にどこかで食べてくるようだ。それでも野良猫の悲しさ、餌があるときにはできる限り食べておく習性であるらしく、見ているとはちきれんばかりのお腹になおも詰め込む。
その後、コンクリートの床にゴロゴロと横たわって「ささ、早くブラッシングをしなさい。早く早く、耳の後ろがかゆいんだから」なんて。

最近は私が野良たちと楽しげに遊んでいるのが通りすがりの人達には羨ましがられているらしく、困ったことにこっそり餌をおいていく人がいる。駐車場の外の道に餌の残骸が散らばっているのをよくみかける。それを狙う他の野良たちもいる。
こういうことで近所でも嫌がる人が出てきてしまうのだからやめてほしいと思っている。
単に可愛いだけではすまされない問題なのだ。一旦餌を与えたら最後まで責任をもってやらないと、そういうことから近所迷惑でかわいそうな野良たちが迫害を受けることになる。私も今の野良たちが死ぬまで続けないといけない。
旅行に出るときには餌やり人を確保して、日常と違うやり方で猫が警戒しないようにお願いしないといけない。たかが野良猫というなかれ、彼らは日々危険に直面しているから警戒心が強い。今通ってきている野良たちは私には抱っこされるし、ブラッシングを要求したりすっかりなれきっているけれど、見知らぬ人が手を出そうものなら引っかかれる。子供でも引っ掻いたら大事になってしまう。そこのところを大いに警戒しているけれど、ただ可愛いとだいうだけで遠慮なく近寄ってくる人たちが悩みの種。

家の近くに小さな公園がある。そこに多頭飼育崩壊した野良たちの残党が屯していていつも気になっていた。けれど、私が責任を持って餌やりできる範囲を超えているから滅多なことでは手を出さないことにした。ここ数日、そこの公園の木が数本切られ、下草が刈られてこざっぱりとしていた。するといつもは10匹近くいる野良たちが一匹も見られない日があって、私はえらく心配した。全員捕まって三味線になっているまいか。
そこへ一匹の黒猫が現れて、とりあえずその子だけでも無事と知ってホッとした。
環境が変わると野良たちは警戒する。私も、もしや彼らの追い出し作戦が始まったかと思ったけれど、次の日にはほとんどの猫が舞い戻ってきて、毎日夕方餌をやっている人もいて胸をなでおろした。

最近我が家の周りで地域ネコの意識が高くなって、それぞれの家で野良の面倒を見ているようだ。猫好きのご近所さんが通りすがりの立ち話。
「可愛そうな猫を棒を持って追いかけるおじさんがいるのよ、ひどいわねえ」
「そういう人は同じ目に合わせるといいのよね」と過激な発言はこの私。
だってねえ、自分より遥かに大きい動物が棒を持って追いかけてきたら、それはそれは怖いでしょうに、そういう人はなんでそんなことをするのだろうか。もしかしたら家庭内で奥さんからいじめられている鬱憤を吐き出しているのかも。









2021年9月4日土曜日

人生の佳境

 すでに一ヶ月ほど、投稿を休みました。

なぜかといえば書き始めると腹の立つことばかり思い出して精神衛生上非常によろしくない。読む人たちもうんざりだろ思うし、まだブスブスと胸の奥にくすぶっている熾火が再燃するといけないから黙っていたけれど、相変わらず・・・いやいややめておきましょう。

これがどれほど脳みそに悪いことかというと、私は急激に痴呆症になってしまった。物言わぬは腹ふくるるわざなりというけれど、腹はやけ食いで膨れたのであって、これは筋トレでしばらく頑張れば解決すると思うけれど、心のケアは自分だけでは難しい。せめての慰めはだんだん日常が復活して来て、古典音楽協会の定期演奏会が再開の運びとなったこと。でも一年半のブランクは私達の年齢の者にとっては相当厳しい。すでに筋肉や反射神経が衰えているところにもってきて、脳みそが萎縮し始めているので何回も弾いた曲なのに、あなた誰?みたいに忘れている。

9月はめずらしく忙しい。音楽教室の発表会に出演する弦楽アンサンブルの指導と本番で一緒に弾いてほしいとの要望。少し前なら本番で初見でもいけたと思うけれど、それがなかなか早いパッセージが覚えられない。あ~あ!

本当なら今頃は北軽井沢の私の家に生徒たちが集まって盛大に合宿をしていたはずなのに、コロナ感染が異常に拡大したために直近で中止の憂き目にあった。ほら、又ぐちが始まってしまった。オリンピックなどやらなければお盆の時期にも国民は里帰りを我慢したと思う。けれど8割もの人達が反対したにも関わらず海外の感染者を国内に入れて、それで国民に我慢しろというのが無理というもの。メダル量産とか言って喜んでいるのがバカバカしい。選手たちは本当に気の毒に思うけれど、この人達に罪はないし恨みもない。頑張っている姿を子どもたちに見せたいと言って、すぐに引率者の陽性が見つかったり若年層に感染が拡大したり、当たり前じゃないですか。一本筋の通った政策ができない政府に対して国民は皆呆れている。教育は臨機応変に、こんな時期に混雑する場所にどうして子どもたちを連れて行くのかしら。

たしかなにか面白いことがあったのでブログ再開するつもりだったのに、なんだったかそれすら思い出せない。そうそう、先月の北軽井沢でのフェスティヴァルで演奏が終わったときに、地元の人からたくさんきゅうりを頂いた。なんでもたくさん獲れ過ぎて余ったのでということだった。その量が半端でなくずっしりと重いので、楽器を置いてきゅうりをケースに詰めて帰ろうかという冗談まで出た。こんなに食べきれるかなと思ったけれど、それがとんでもなく美味しかった。

見た目は形も色もバラバラ、曲がっていたり太ったのや痩せたのや様々。帰宅してから塩麹に漬けて見た。一日おいて食べたら「エッ、きゅうりってこんなに甘いの?」バリバリと食べて私はキリギリスになってしまうかと思えるほど毎日きゅうり三昧。もともときゅうりはそれほど好物というわけではなく、毎年夏の暑いさなかにしか食べない。あとは他の料理に付け合わせとか添え物でしかないと思っていたのに、この期間だけは主食になってしまった。きゅうりもこんなに喜んで食べてもらえて本望、少なくとも生産者は得意になる資格十分だった。

先日北軽井沢の我が家にしばらく滞在していった人からお礼のメールが来た。彼女は半分ドイツ人。なぜかというとドイツの企業にいまだ在籍していて、今後、余生を日本で過ごすかドイツに戻ってドイツ人と結婚するかの選択肢があるということなので、その決断のために私に相談したいという。私だったらドイツを選ぶかもしれない。しかし無責任に私が決めるわけにもいかないから、とりあえず残りの数年を仕事がんばってみたらという無難な返答になってしまった。それからでも決断することができる。彼はずっと待っていてくれるというなんとも羨ましいお話なので。いいないいな、私を待っているのは猫ばっかりなのに。

メールは北軽井沢は「期待していたのより遥かに美しいところ」だったとのお褒めの言葉。そうでしょう、そうでしょう。浅間山の全景が見られるポイントに長い時間座って雲の流れを見てそよ風にふかれて、幸せな時間を過ごした。それが彼女の選択に一役買ったかもしれない。

更に嬉しかったのは、北軽井沢は日本のバイクのレースの発祥の地だったということを知ったこと。浅間牧場の売店で見かけたのがバイクの展示室。入ってみると懐かしいバイクがずらりと並んでいた。こうしてみると私は子供の頃から車やバイクに興味を持っていたらしい。よく覚えているのがその証拠。女の子なのに珍しい。なるほど、北軽井沢への入り口となる山道は、走り屋さんたちの絶好の走り場。2年ほど前、そこで事故で亡くなった女性が倒れているのを見てしまった。バイクと命の危険は隣り合わせ、ご主人らしき人が呆然と立ちすくんでいた。それでも亡くなった人はその瞬間まで幸せだったのではないかと。

こう言うと生真面目な人は私を不謹慎と思うかもしれない。けれど、自分が大好きなことをしている瞬間に死ねたら本望。私はオーケストラで演奏している最中に鳴り響く音の中で、ふと、今死ねたら・・と思うことがあった。