2025年7月30日水曜日

ツンデレ猫にとりつかれる

 ちょっと北軽井沢で森林浴。友人のHさんが今回のゲスト。彼女には時々一緒に遊んでもらうけれど、二人でいるとろくなことがない。いつぞや江の島のイルミネーションを見に行ったときには大風か吹いて立ち往生。横浜中華街では叩きつける大雨などなど・・・で今回も北軽井沢の森が大荒れになるという恐怖に怯えながらの滞在となった。

私が一日先に到着して、その日一日あまりの気持ちよさにぐっすり。自宅にいると暑さでくらくらして表にいるわけでもないのに熱中症の症状が出る。眠りに眠って二日目、Hさんをお迎えにいくと涼しい顔をして待っていた。相変わらず髪の毛は緑色。この色については理由があるらしいけれど、ここは説明せずに彼女の変人ぶりを示すこととしておこう。

しかし、森の多い北軽井沢の森ではまるで森の精のように見える。見かけはともかく性格は賑やかすぎるけど。この寂しい森がえらくお気に召したらしく、楽しそうにしているのが嬉しい。本当なら「何よ、この汚い森!たぬきが出そうじゃない」とかなんとか言いそうなところだが、嬉しそうに緑濃い窓を眺め、小川のせせらぎを聞いているから安心した。

彼女は東京都心の庭木立に囲まれた家に住んでいたけれど、最近は海に面した土地に引っ越して、見かけはド派手でも内心は自然派、この森も気に入ってもらえると思っていた。普段のわたしはこの森に一人で住んでいる。幸いにも向こう三軒両隣に永住者が多く夜でもそこここに灯りが灯るからさほど寂しくはない。それでも時には我が家一軒だけが明るくてあたりは真っ暗なときもある。それはそれは静寂が重くのしかかる。たぶんおばけもいそうなこの森に一人ぼっちは寂しいけれど、その反面すごく気分が良いのが不思議。

他の友人がご主人と一緒にこの森を見て買おうかと考えたらしい。するとご主人がおばけがいそうだと言ったので考え直して買うのをやめたという。そして知り合いの霊能者に森の写真を見せたところ「いる」と言ったとか。そのくらい濃い森なのだ。

そこに私が住んでいるからなおのこと怖いことになっているのに、平然とHさんは過ごしている。

私達の計画は日曜日におそばをたべにいくこと。この蕎麦屋は地粉やさんといって地域では特別美味しいと有名なお店。移住初心者だった私が5年ほども経ってやっと食べるコツを見つけた。いつも少しでも遅いと長蛇の列、その日の分のそばが終わってしまう。のんびり行ったら本日の営業は終わりという札が貼られていたのは何回もある。それで悪知恵働かせ、蕎麦屋の近所の友人に朝いちで整理券を取りに行ってもらうことに。それからは食いっぱぐれない。今回も頼んで2人分の整理券ゲット。無事におそばにありついた。

もちろん整理券を取った人もおそばを食べたけれど、同行した女性に皆びっくりした。御年99歳、背筋を伸ばしシャキッと立っている姿は、私よりも若々しい。姪御さんといっしょに真っ白なベンツに乗ってそばツアー参加。まあ、お金持ちでお手入れは万全なのだと思うけれど、あまりにも若くきれいで品が良い。私とは真逆の御婦人の身ぎれいな服装を見て、これが生まれの良さというものだと感心しまくった。

その方たちはおそばのあとお別れして、我ら二人は追分のまつりの武者行列を見に行った。しかしちょっと時間に遅れたら武者行列はすでに追分宿を出ていったしまった。残念というかまあ、期待はしていなかったというか、投げやりな二人はそこで追分をあとにして森の中へ帰っていった。

森へ帰れば顔の美醜はほとんど関係なく、私も安心していられる。朝食を食べてからぼんやりしていたらウッドデッキの脇に立っている木に、なにか動くものが見えた。木の裏側から出てきたのは大きなリス。リスにしては大きすぎるけれど顔はリスに違いない。もしかしたら外来種を飼育されていて逃げ出したリスかもしれない。イタチ?かとも思ったけれど、確かめるすべもなく一瞬で消えた。

気温は都心よりも10度ほど低い。帰路につく高速で車の運転をしていたら短い手袋とシャツの袖の間の露出した肌が、ジリジリとあっという間に焼けて赤くなった。驚いたなあもう。

駐車場で待っていたのはのんちゃんとその兄弟猫グレちゃん。ゴロゴロ喉を鳴らしてくれた。夜になると私のそばを離れないのんちゃんが添い寝してくれた。この暑いのに本当にありがとう、熱くてたまらんわ。いつもなら早朝に外に出せと大騒ぎするのに、全く出ていかない。夏の毛皮もおしゃれかも。

やっと午後になったらグレチャンを探しに外出した。グレはちょっとすねて甘えてすねて。うふふ、たまらんなあ、猫は天性のひと誑し。

外出中、甥に猫の餌やりを頼んでいった。「一昨日は猫が二匹で待っていてくれたけど、昨日は待っていなかったよ」と。ちょっと待て「待っていてくれた」?この甥はたしかねこ好きではなかったようだけど。今朝は駐車場で二匹は甥を待っているようだった。こうして野良たちは人の行為を当てにして人の心を虜にしてうまく生きているのだ。




















2025年7月12日土曜日

モンゴルの風

天皇皇后両陛下がモンゴルに滞在され、ナーダムを楽しまれておられるという。この報道で私はかつて自分がモンゴルの大草原をかけ抜けた記憶が一気に戻ってきた。

いつの日からか私の夢はモンゴルの大草原を馬で走ることだった。夢を実現するべく名古屋空港からウランバートルの空港に向けて飛び立ったのはちょうど今から30年前の秋。日本には台風が迫っていた。名古屋駅で新幹線を降りて同じツアーの参加者たちと合流、名古屋空港へ向かうときには木々が大揺れに揺れていた。こんな風の中果たして飛行機が飛べるのだろうか。しかし、飛んだ!嬉しい。

揺られながら暮れゆく日本を離れてしばらくすると、もうあたりは漆黒の闇。星も月も雲に隠れ真っ暗。それなのにまもなく着陸のアナウンス。どこが空港?見ても真っ暗な中にぽつんと赤い光が見えるだけで建造物もあるかどうかわからない。あれが空港?いくらモンゴル人の目が良くても無理でしょう。でも着いてしまった。寂しい暗い空港が迎えてくれた。

一泊はホテル。次の日からは馬で草原を走りゲルに1泊、草原ではテントに泊まる予定。

来たぞ!モンゴル。夢がかなった。その数年前、私が初めて中国に行ってシルクロードを辿ったとき、タクラマカン砂漠で衝撃的な感動を覚えた。私はここが故郷みたい。前世はここで生まれたのかも。するとチンギスハーンはご先祖様?

それはないとしても、私の感じた懐かしさは何だったのか。気温は約15度前後。少し寒いかと思えるくらい。でも胸が踊る。二日目はゲルに宿泊体験。機能的で美しいゲルは真ん中の焚き火の煙が天井上の穴から抜けてゆく。グループで数人ずつに別れて泊まった。全員合わせてたぶん30人ほどのツアーだったような記憶。それよりも少なかったかもしれない。

同じ乗馬クラブの会員が全国支部から集まってきた。私のクラブからの参加者はなく、ほとんどの人が関西系だった。乗馬の経験を尋ねると皆さん立派なベテランなのに、私はやっと20鞍、これはほとんど初心者なのだ。鞍という数え方は乗ったレッスンの回数を表す。ひと鞍ふた鞍と数える。中には200、300鞍というベテランもいて私はいつも一騒動起こすことになる。私は出発前に駆け足がだせないと行けないからと駆け足の特訓を受けてきた。

その上、自衛隊や宮内庁の乗馬指導員に富士五湖のそばの木曽馬牧場につれていってもらい特訓を受けた。これは素晴らしい体験で、木曽馬とモンゴルの馬はほとんど同じ品種のように見える。体は小さいが耐久力に優れ頭が良く従順でおとなしい。まるで私のような・・・とは誰も言ってくれなかったけど。

走り方も側対歩と言って右足の前後、左足の前後の足が同時に動く。だから揺れが少なく乗りやすい。これだけ準備したから初心者といえども皆さんについていけると思ったけれど、結局落馬して怪我をしたのは私ともう一人だけ。初日から群れを離れ一人で楽しく走っていたらえらく叱られた。その後は、モンゴル人の少年が二人、わたしの監督がかりとして両脇にピッタリつけられた。巻いてしまおうと思って走ってもあちらのほうが乗馬はうまいから、すぐに捕まえられる。

二人の少年は私の両脇に並んで両側から私にモンゴルの数の数え方を教えたり、ものの名前を言わせたり、教育係にもなってくれて、私達はそのツアー中すっかり仲良しになった。お別れのときに二人が寂しそうにこちらを見ていたので思わず涙ぐんでしまった。

最近身辺の整理でほとんどの写真を捨てた。子供の頃のものや学生時代のものなどは未練がなかったけれど、モンゴルの写真だけはすてられなく未だにとってある。

そうやってひたすら馬で走っていたけれど、ある日朝起きたら馬がいない。モンゴルの馬子さんたちが大草原の何処かに馬を探しに行ってくれた。馬が来る間みんなで白い小さな花が咲く大草原に座り込み語り合った。「天国ってこんなところなのよね、きっと」私がそう言うとみんな頷く。「ネパールで飛行機が来るのを待っていたときと同じようだな」と変わり者の偏屈な男性が言う。あら、この人喋るんだ。初めて声を聞いたわ。

金の太いネックレスをして髪の毛を短く刈っている人は一見ヤクザさん。でも話をすると静かな穏やかな話し方。羊肉が食べられなくて食事の時間になるとどこかへ行ってしまう。どうしたのかと思っていたら、テントの陰で持参した日本のレトルトものなどを食べていたらしい。なんと可愛らしい。もう一人、馬が好きすぎて抱きしめている青年は馬乳酒の飲み過ぎでお腹を壊しずっと青い顔をしている。

ある日鞍が外れ落馬した女性が第一号のけが人。その次のけが人は偉そうによそ見をしながら馬を走らせていたこの私。タラバカンというネズミの穴に足を取られた馬がこけて、私は落馬、顔面を強打した。ツアーの最後まで大きなあざが赤から紫へ、紫から黄色に変わる七面鳥のような顔で過ごすことになった。

両陛下はいいなあ。今モンゴルにいらっしゃるのだ。

私にはもはや夢となったモンゴルと乗馬。本当に面白い人生だった。






























































































2025年7月11日金曜日

セコムさんありがとう

夢を見ていた。

古くからの友人で以前はずっといっしょに旅したりお酒を飲んだりしていたのに、最近はとんとご無沙汰の人の夢。彼女は髪の毛に金色の大きなリボンをつけて華やかに笑っていた。なぜかそこで目が覚めた。そしてなぜか電話の着信音のようなものをきいた 。こんな夜中に電話かけてくる?スマホに着信記録は見当たらない。時間は午前2時。

夢か。なぜか数年来少しも会わなかった人の夢を見るなんて、なにかあったのかな?明日電話してみよう。ベッドに戻ってもう一度眠りにつこうと思っていたら外の階段を上がってくる静かな足音を聞いたような気がした。こんな夜中に上の階の人が帰ってきたのかな?

私の耳は地獄耳。最近日によって少し聴力の衰えを感じることがあっても、あいかわらずよく聞こえる。忍び足のような足音が気になる。起き上がってドアスコープから外を覗くと、信じられない景色が目に飛び込んできた。向かい側にレッスン室のドアが見える。でも、開いている。明るい部屋が見える。一体なにが!その後の自分の行動が、これも信じられない!

なんのためらいもなく部屋を出て隣へ行った。私はあまり物事に驚かない性格で、ステージで演奏しているときに様々なハプニング・・例えば大きな地震が来たりとか、誰かが繰り返しを間違えたり、イヤリングが落ちたとか・・それでもびっくりすることなく平常心でいられるのだ。でも今回は自分の家のドアが開いていて電気がついている、この夜中に、普通びっくりするでしょう。

隣に行くと玄関に大きな男の人が立っていた。ああ、セコムさんだ。またやらかしたか!

生活反応がなかったものですからと言われる。生活反応の警備の契約をしているので、一定の時間反応がないとこうして見回りに来てくれる。独居老人が中で倒れていても誰も気がつかなければ、孤独死になる。周囲は大迷惑だからと契約した。それで時々反応装置をかけていない場合は警報装置が作動してこうして見回ってくれるのだ。

時々と言っても頻繁にというほど装置のかけ忘れが多く、電話がかかってくる。するとさっきの着信音はこれだったのか。そこで電話に出なかったのでわざわざ見回ってくれたのだ。半分ボケた老人につけた装置は頻繁に作動して警備の人たちを悩ましている。昨日寝る前にちょっと気になった。レッスン室のセコムかけたかな?でも、さっき鍵をかけた記憶あるし大丈夫だろう、と。こういうときにはたいていかけてないのだということは長年のことでわかっているのに。

最近特に頻繁にかけ忘れる。これはいかん。猫は全く役に立たないから犬を飼おうかしら。猫は私が目覚めたついでに窓を開けさせてフラリと真夜中の外に出ていった。







2025年7月10日木曜日

木々の魂

今年はまだ一回しか北軽井沢の森に 行っていない。

毎年木々が芽吹いた頃、新緑の森を見たくて出かけるのだけれど、隠退した音楽家はなぜか忙しい。引退したというのは嘘ではなくて、本当に心身が疲れ果てて生きる力もなく、ひたすら休む日々が続いた。楽器のケースは7ヶ月ほどはめったに開けられなかった。休むというのも割合にエネルギーが要るものだとその時思った。

休もうと思っても睡眠は短く切れ切れで、目が覚めると運動をしなくてはとか明るく振る舞いたいとか色々余計なことを考える。そのことで疲れてしまうのだった。そして春が終わりあっという間に暑い夏の気配、その頃からメキメキと調子が上がってきた。ようやく体に力が戻ってきて、痛かった膝や足首の調子も良くなってきた。今だったらスキーもできそう。

それでもまだというより、もうこのままで終わりたいという気持ちと、もう少し休みたいという気持ち、少しずつ練習してみようかなという気持ちが交互にやってきては消えてゆく。思い切ってレッスン室の改装を始めた。より防音を強化するためにドアを変え二重窓の間に防音材を詰めてみた。これが思いがけなく効果的に音漏れを減少させ音の質の向上につながった。自分の音がまとまって聞こえるのが心地よい。

そうこうしているうちに、いち早く事態を察知した友人たちからのお誘いがあって、それが導線となって私の再生を促してくれた。もちろんもう大掛かりなコンサートはできないけれど、これからゆっくりと好きな曲を好きなだけ弾ければいいなと思っている。

部屋の工事は終わったけれど、なかなか片付けはできない。もともとが整理整頓まるでだめだから仕方がない。最初のうちはもう新しい服や靴など買うまいと思って自粛していたけれど、時々衝動買いをする癖は治らない。また買い物してはサイズが合わなくて返品したりとう無駄なことが続く。

もうとっくに部屋はスッキリしていいと思うのに、何故かごちゃごちゃのまま。私の才能は猫を手懐けることに多くの時間をさいているから忙しいのだ。徐々に片付け始めてはいるものの、スッキリとなるのはいつの日か。体が動かなくなったら、それに反して頭の中は忙しくなってきた。もともと1日中動かなくても楽しめる性格なので。寝たきり老女になっても私は退屈しないと思う。ただし、それまでにボケなければだけど。

だんだん音楽復帰の風がそよそよと私を誘うようになってから、練習が本格化してきた。以前よりも練習が楽しくて没頭している。それはやはりだいぶ頭が弱ってきたからだと思う。以前なら少し集中すれば苦もなく弾けたものが今はそうはいかない。何回練習しても音が覚えられない、指使いがさだまらないとか、すったもんだの毎日。すったもんだはこういう楽しいときには大歓迎なのだ。練習は面白い。

やっとひけるようになって次の日、同じところでつまずく。なんてこった。楽器の練習は根気あるのみ。それで北軽井沢の滞在は練習にもってこい。

今回猫は家においていった。元野良猫を野に放った。最近野良の、のんちゃんは、近所の家に入り浸り、ときにほんの少し帰宅するだけでまたお出かけ。お兄ちゃん猫と仲良くご近所を食べ歩いている。家のご飯に飽きて、グルメになってしまった。うちはそれで餌代がかからなくて助かっているけれど、時々帰ってきてほんの少しお愛想に一口つまんで出ていく。それで私がしばらくいなくても大丈夫とみた。

猫のいないドライブは快適で、毎回の大騒ぎが嘘のよう。そしてたっぷり練習ができて浅間山への散歩もおもうがまま。これで寒くなってくると猫は以前と同じように甘えてくるのでしょうね。それも嬉しいけれどしんどくもあり。

今庭の木々が緑の海のように広がって鳥がさえずり、家をすっぽりと包みこんでくれる。守られていると同時にエネルギーを放射して私を元気ずけてくれる。やっと長い眠りから覚めたように私の頭が回転を始めた。

しかしながら残念なことに、フル回転するとオーバーヒートを起こしかねない。中年の時期にかかっていた整体の先生によく言われた。「部品が古いからねえ」今はその時よりももっと古くなっているのだけどね。

































2025年7月5日土曜日

自分のためだけの練習

 この8月に久々にステージに立つ。その他の予定は来年までまだなにもないから、毎日色々な曲を弾いて楽しんでいる。自分のためだけに練習することのなんと楽しいことか。

もともとあまり表立って弾くよりも陰でコソコソ陰謀を企てることのほうが好きだから、ああでもないこうでもないと楽譜をためつすがめつ眺めて、どうやって面白く弾こうかと思い巡らす。楽譜を見るのは本当に面白い。私は楽譜の顔を見た途端テンポがわかるという特技を持っている。常識的に言えば楽器の技術にふさわしいテンポ設定があるということなので。

それでもとんでもない作曲家がいるから油断ならない。先日のnekotamaで書いたけれど、新曲で本邦初演などの曲では想像もつかないときもある。でも大抵の作曲家ならその人自身の癖とか類似の曲とかを知っていればすぐにテンポはわかる。それでほとんど外れたことはない。

楽譜を見慣れてくるとあちらから話しかけてきてくれる。最初は見落としたりしていた記号も弾き進めるうちに生き生きと語りかけてくる。だから初見の楽譜を読むときにはとりわけワクワクする。最近よく一緒に弾いているHさんが次々に課題を出してくるので、あたふたしながらもたいそう面白い。彼女とはオーケストラの同僚だった10年ほど、なにかにつけて合わせてきた。それが今、数十年のブランクを経て再開している。こんな幸せなことはないでしょう?

オーケストラに入りたての新人だった頃、私は毎日涙目だった。次々に全く知らない曲を練習しなければならなかった。楽しいなんてものではない、緊張のあまり練習場に入ると吐き気がしたものだった。来る日も来る日も譜読みに明け暮れ、仕事が終わっても大久保の練習場の閉室時間の22時まで、練習する毎日。

ほかの人たちのように子供の頃から英才教育を受けなかった。その差は歴然で音大を卒業してもなお他の人よりも遅れていたはずで、その割に座る席は恵まれたポジションだったからそれは苦労した。しかしものすごく苦労して練習したおかげで、その努力を見ていた人たちが助けてくれたのだった。ある人が私に言ったことは「あなたは卒業してからの修行がすごかったわね」修行だそうで、たぶんそのように見えたのだと思う。

周囲の人達がこの人を助けたいと思ってくれたのが私の一番の幸せだった。ドジでトンマで見るに見かねて手を差し伸べたくなる、そのような新人だったらしい。当時N響を定年退職したばかりの北川さんという方がエキストラで来て、もたもたしている新人に色々教えてくださった。「この指使いはどのポジションであっても同じにすると簡単なんだよ」とか。その北川さんの娘さんが、後に私の仲の良い友人になり、その後の仕事でも最後まで一緒にできたことが本当にラッキーな遭遇だったと思っている。

こうして考えると私は自分で成長したわけではなく、周りの人に感謝をしてもしきれないほどの好意を受けて育ててもらったのだという思いが強い。本当にみなさんありがとうございます。その中でも音楽家ではないけれど長年に亘り一番力を貸してくれた方が今病に倒れ、私は自分の無力さに打ちひしがれている。私にできることはないかもしれないけれど、私が安心して音楽に打ち込むことができた環境を作ってくださった方の快癒を心底祈っている。

自分だけの練習と思っているけれど、それはまた聴いていただくための練習にもつながる。来年の秋にはコンサートができると思います。それまで技術の維持と音楽に対する情熱が枯渇しないように、何よりも健康で怪我のない生活が求められる。辛さも寂しさもすべてひっくるめて生きる喜びを失わないように。普通よりも遅れて始めた音楽の勉強が自分にこんなに大切なものになろうとは夢にも思わなかった。












2025年7月1日火曜日

ワンちゃん事情

ネットで知り合いになったWさんとは滅多に会えないけれど、ふたりとも今はフリーであるので久しぶりにお目にかかることになった。

彼女は何回聞いても私にはあまりよくわからない・・・要するにまともな社会の人だから お話を聞くだけで面白い。雰囲気も落ち着いているし、時々こうして話ができると私もこの日本に居場所があるかもしれないとホッとするのだった。

昨日あのクソ暑い!中私の家に来てくださった。いつもなら客人をおもてなしするのに不味い手料理で対応するのに、連日の暑さで脳みそがパンクしているからなんのアイディアも浮かばない。幸い家近にデパートがあってお惣菜売場がある。そこで買えば少しはまともなものが食べられるかと出かけた。

開店と同時に売り場に殺到と思ったけれど、客は殆どいなくて肩すかし。売り場は活気がなくドヨンとした売り子さんたち。不景気と暑気あたりで元気がない。私も連日の暑さに寝てばかりいるから何を買っていいかわからない。

とりあえず手前から目についたものを買っていった。なんだか葉っぱばかり、サラダ類しか目に入らない。自分の食欲に合わせるとこうなってしまうので最後にローストビーフサラダを買うことにした。きれいに並んだローストビーフの下に野菜類が隠れている。注文すると店員さんはまずローストビーフを脇に避けて野菜から入れ始めた。思わず「あ、ビーフを退けないで」と言いたくなったのを我慢。

野菜がたくさん入ったところでわずかにローストビーフを上に乗せ始めた。その間私はじっと作業の過程を見つめていた。さぞやりにくかったと思うけれど、そこは慣れたもので店員さんはしれっとしている。たしか以前はこのサラダのローストビーフはこんなに細かく切ってなかったような気がする。だからそれなりに量が入っていたのに、今は細片を無理やり葉っぱの上に並べてきれいに見せている。あーあ、本当に世知辛い世の中。

全てのものが値上がりしてお米まで庶民の口には入らなくなりそうで。日本人よ、危機でござる。デパート自体いつ傾いてもおかしくない。車で駐車場の入口スロープを登りながらあたりを見た。天井に大きなひび割れの修理箇所がいくつもあり、普通ならこんなものは修理後はきれいに隠すのにその余裕もないらしい。堂々と大きなミミズがのたくっているような筋を見せっぱなし。

駅で待ち合わせた客人と暑い中家について、まずはビール。Wさんはお酒が強そうでいつかはじっくりと一献酌み交わしたいとおもっていたのに、あいにく私のほうが最近とんとアルコールに弱くなってしまった。飲むと息がはあはあして苦しいので最近はめったにアルコールを口にすることができない。残念なことに酔っ払ったときのあの陽気な世界に行くこともできない。

以前船の上で仕事をしたことがあって、仕事が終わったら何でも飲んでいいよと言われてお酒をいただいた。ところが船はいつも揺れているからか、めったにないほど早くお酒が回ってしまった。上機嫌になった私はもう何を見てもおかしくて、それを見た仲間たちのおもちゃになった。みんなで箸を転がす。「ほれ」とか言いながら。それを見た私が「ああおかしい、ケッケッケ」と笑い、最後に客室につながる階段を抱えられながら登った記憶。船室のベッドに寝かされた以後は何も覚えていない。

こんな陽気なお酒は若くて元気でないと味わえない。残念だけれど、昨日もノンアルコールのビール。せっかくお酒に強い人がいるのに。でも正気でじっくりとお話できたのが良かった。

私達は世間の道から少し脇道にそれた場所にいる。一見華やかでもその実態は練習に次ぐ練習。最後に打ち上げ花火が揚げられるからカタルシスにはなるけれど、頭の中にはずっと本番にむけての予定が渦巻いている。常に正気とは限らない。それを取り戻させてもらえるのが、冷静に着実に生きている真っ当な人たちなのだ。時々足を地につけている人達と他の世界の話ができることが、私にとってすごく重要なことだと思っている。

その貴重な存在のWさんは以前ミニチュアシュナウザーの飼い主さん。その子が亡くなったらご主人がペットロス症候群になってなどと聞いて、気の毒になった。以前コンラート・ローレンツ博士の本で、ペットを失くしたらすぐに次の子を飼いなさいと書いてあった。

そのときには随分冷静で冷たいんじゃない?と思ったけれど、それは後に全くの真実で最高の治療だと実感した。その博士の説は御本人が信じられないほどたくさんの動物と生活し、そして見送った実体験からのものだったと。Wさんの家に新しい子がいると聞いてほっとしている。

次々にペットを飼うのは動物にだけではなく人間の心の平和にも良い。汚い、うるさいなど言っていないで実際に飼ってみればよく分かること。私自身、最初に飼った猫を失くし一ヶ月間泣いて暮らした。その次の猫に会うまでの悲しかったこと。つぎの猫に出会い、それ以後隙間なしの猫との共同生活。猫を飼うデメリットよりも飼うメリットの大きさを考えて次のワンちゃんを飼う決断をしたWさんご夫妻は正しい!