いつも早朝というより真夜中に目が覚める。午前4時、雨は小降りで猫も二匹揃っている。野良は私が出かけるのを諦めたと思って油断している。ときは今。出かける前に老猫のこちゃのトイレを済ませないといけない。こちゃだけ車に乗せてそこいらへんを走り回る。ついでに24時間営業のドラッグストアで餌の買い出し。さて野良のトイレ事情はわからない。いつもは目が覚めると私にドアを開けさせてしばらく帰ってこないからそのへんでトイレを済ませるのだろう。そこで仲間の猫たちに出会うと昼ころまで帰ってこない。それでは渋滞が始まってしまうから可愛そうだが出発してしまおう。5時近くだんだん明るくなってきた。
野良は私に抱っこされてもまさかその後の苦難が待ち受けていようとは知る由もない。車のドアを開けると珍しそうに中を覗き込む。今だ!ファスナーを開けてあったキャリーバッグに放り込まれてしばらく理由がわからなかったようだけど、その後は猛烈に騒ぎ始めた。ファスナーがちゃんとしまっているかどうか点検して、よし、完璧。
このあとの騒ぎはその時から始まった。
仄明かるい道を走り始めると二匹の猫の合唱が始まる。野良は若いから高い声で「ニャン、ニャン」こちゃはどすの利いた声で「ガオーガオー」一斉に合唱が始まって、驚いたことにその後3時間半、途切れることがなかった。私は気が狂いそうになった。そのうち野良がキャリーバッグをガリガリ引きちぎろうとする。ネットになっている部分が切れるのではないかと心配になるほど。それが不可能と知って諦めても鳴き声は収まらない。
おかしいことに二匹の声の大きさと音程は車のスピードに合わせて上下する。スピードに合った声があることに気がついた。自動スピード検査機を積んでいるようだ。幸い野良はトイレを我慢できているようで、数回の検査でもセーフ。やっと高速をおりたと思ったら運転している私の顔の横に野良の顔が並んだ。仰天して思わずブレーキを踏んだ。一体どうやってキャリーバッグから抜け出したかわからないけれど、出入り口のファスナーをどうにか引きずり下ろして抜け出たらしい。しかしどう見ても猫が通れるほどの空き方はしていない。猫は液体であるという説は正しいらしい。
そこは[カフェ春木]の直ぐ側だったから駐車場に車を止めて、悪戦苦闘の末野良をキャリーバッグに戻しこんだ。ここのカフェには時々朝食時に寄るけれど、そのときはまだ8時になったばかり。開店は8時30分になっているけれど、ここのご主人はたいてい起きていないらしい。しかしその日は珍しく起きていたようで車の側まで降りてきた。「うちにきたの?」「違う、ごめん勝手に車停めて。猫が逃げそうになって」猫をキャリーバッグに押し込めるのに苦労していると「うちに来たのでなければいいんだ」まだ朝食の用意はできないよと言いたいらしい。寝起きのご主人は犬派だから猫に興味はない。
ここまで来るとあとは難所の山道。急カーブが続く。そこでコチャが気分が悪くなった。もうすぐ家に着くというのに。家に入ると冬中切らずにおいた床暖房のほんわかした温かさがありがたい。
コチャは毎度来慣れた家、しかし野良は見たこともない家に連れてこられてびっくり。しかしおどおどしないのはさすが頭脳も度胸もあるうちの野良。真っ先に階段を見つけてロフトの探検に出かけた。その間年寄り猫のコチャはしっかりと野良の監視について歩く。一通り家の見取り図を頭に入れたらしい野良は自宅から持ち込んだ彼女専用のベッドに収まった。
やれやれ、外は雨で気温9度、肌寒くまだ新芽も出ていない森の木々は裸で震えている。その中でひときわまっすぐに丈高くそびえて白い花を咲かせているのは辛夷。そこに鳥が飛んでくる。声の感じでは歌がまだ下手くそなうぐいすなのに、見た感じは一回り大きい。なんという鳥かしら。生き物がいるのは楽しい。周辺の家も森の中もほとんど人の気配はなく、僅かに連休に備えて家のメンテナンスを頼まれた業者の車が通り過ぎるのみ。
疲れていても食い気は健在、御代田の蕎麦の名店「地粉や」に行ってみよう。道も空いているし連休前のこんな寒い日なら混んではいまい。11時半ころ駐車場に入っていくと空きがある。ラッキー!店にはすぐに入れて念願のクルミそばをいただく。その後は佐久平に車を走らせて新しいカインズホームを探した。けれど以前にも行ったはずが見当たらない。おやおやどうしたものか。とりあえず新人野良が心配なので家に帰ろうと車を回すと、なあんだ、近くの別のところにあったではないか。
あまりの広さに圧倒されて疲れ切った私はおそばのエネルギーだけでは持たないから帰って眠ることにした。二匹の猫は騒がしく鳴いて餌を要求したあとぐったりと寝込んだ。しかし野良の様子が気になる。家を出たのは夜明け、その前に排泄したのは何時ころかしら。見るとお腹がやけに張っている。新しく用意された彼女専用トイレはずっと小綺麗なままで心配になる。時々部屋を徘徊してそのトイレまでいくものの、用は足せないらしい。
そのうち夜になった。しかし彼女のお腹はパンパンに膨れたまま。これはおお事だ!もしこのまま出ないと尿毒症に。明日朝帰らないといけないかも。しかし近所にこのあたりで有名な動物病院がある。万一のときには駆け込もう。でも電話番号を知らない。いざというときには地元の人に訊こう。
その時ふとひらめいた。いつもの野良は外がトイレだから土の上にならできるかも。クリスマスローズのために買い込んだ土があるじゃないの。もったいないけど試してみよう。
その時ほど自分を「天才」だと思ったことはない。クリスマスローズの美味しそうな土のトイレに早速入っていった野良はめでたくことを済ませて、二人で安堵のため息を漏らした。ああ、良かった。これで明日から花作りに専念できる。
次の日は絶好の花作り日和、シャベルと落ち葉掃きの熊手を持ち長靴を履いての作業は初めは簡単に思えた。しかし30本近い苗を植え終わったときには足はガクガク、傾斜地で転びそうになってよろよろ。最後の水やりはとてつもない重労働に思えた。もう食欲もなく近くのコンビニで買ったお惣菜を食べて二匹の猫と爆睡した。
夜中に同じベッドで寝ていた野良を蹴ったらしい。朝起きると私を嫌な目で見ている。近づくと逃げる。しかも猫同士の確執も一向に改善されていないから仲裁に駆け回る。私はもう疲れ果て、帰路についたときには心底ホッとした。
今回初参加だった野良はまだ正式の名前がない。今回思ったのは、北軽井沢の家の前の持ち主の田畑純子さんの通称はノンちゃん、そのノンちゃんのお名前をいただこうと思う。年齢からいって野良は私の最後の猫となる。本当はコチャが最後のつもりだったけど野良が来るようになって、それなら飼えるだけ飼ってみようと覚悟を決めた。
賢く情が深く人の気持ちを素早く察知してしかれば二度と同じことをしない。真に飼い主とは正反対の利口者。ノンちゃんも賢くおおらかで勇敢な素晴らしい女性だった。天を仰いでお許しを乞うたら優しい声が「いいわよ、nekotamaさん」と聞こえたような気がした。