2024年7月24日水曜日

尾籠な話しですが

 先日北軽井沢を訪れた二人の美女。テレビの仕事でよくご一緒したコーラスさんたち。ふたりとも頭文字が同じ名前なのでU子さんとUさんいうことに。

Uさんは今は北杜市在住、U子さんは東京都民、お二人とのつながりは仕事で度々ご一緒だったほかは「猫」好きという共通の趣味?があるから。ある日、U子さんは軽井沢駅でお出迎え、Uさんは北杜市から車で二時間かけてやってきてくれた。Uさんはアクティブでどんなド田舎でも車を飛ばして颯爽とこられるので、今回も素敵な車が我が家のジトジトした枯れ葉の堆積したおばけのでそうな森まで来てくれた。彼女は自宅で留守番している猫が心配なので、その日の夕方、来たときと同じように颯爽と帰っていった。

そして残ったU子さんとは積もる話で夜更けまで語り合い、次の日もずっと様々な話が尽きなかった。話している以外は眠って、起きるとまた話して、時々食べてはまた眠る。この森でこんなに喜んで暮らしてくれる人がいようとは思ってもみなかった。残念なことにはずっと雨に降られて、輝く日の出と見事な夕焼けを見せられなかったこと。

話の大半は猫の話。猫嫌いが聞いたらなんてバカなと思うかもしれないけれど、U子さんが私の猫たちを見ていると色々思いつくことが多かったらしく、帰宅してから猫のトイレと猫砂を送ってくださった。

私はうちのコチャとのんちゃんのトイレに悩まされていた。コチャはいい子でちゃんとトイレで用を足すけれど年を取りすぎていて然るべき場所がわからない。自分はトイレの中で用足しのつもりが、あまりにもトイレの縁ちかくで行うので盛大に縁を飛び越えて外に漏れることがしばしば。だからトイレの外側に防水シートを張り巡らすだけではだめなことが多い。毎日愚痴をこぼしながら後始末。

のんちゃんは元のらだからトイレでいたすことはあまりなかったはず。いつも私を自動ドア開閉係として夜中でも外に出たがる。自分のトイレは切羽詰まったときにしか使用しない。

それをU子さんが見て、自宅で余っていると言ってトイレを送ってくれることになった。昨日一つ、もう一つは少し遅れて届くという。

先に届いたのは獣医さんが考えたというトイレ。今まで使用していたトイレより縁が高い。足腰弱ったコチャが乗り越えられるかどうか心配したけれど、難なく乗り越えて使い始めると、あれほど悩まされていた周囲への飛び散りがなくなった。添えられていた猫砂も今までの物とは全く違う強力な固まり方で。

これは盲点だった。私が長年使っていた猫トイレは今までの猫たちは普通に大丈夫だったし、コチャほど長命の猫がいなかったのでわからなかったこともあって、そのまま使っていた。けれどコチャは本当に長生きで、人ならばもう100歳はとっくに超えているはず。不自由な後ろ足がヘナヘナするのを踏ん張って餌を食べているのを見ると愛おしくなる。まさに老々介護の現場がここにあるのだ。どんなにトイレを汚しても誰が叱ったり出来ようか。

でもU子さんのお陰で目が醒めた。せっかく北軽井沢まで来てくれるひとたちがいるのに猫のトイレのニオイがしてはまずいのは重々承知のこととはいえ、対策を怠っていたのは私の過失。動物を飼っている人たちは慣れていて気にならないと言ってくれるけど甘えてはいけない。

ついでにもう一つ尾籠すぎる話ですが・・・読むと私の車に乗れなくなるけど。

コチャがこんなに長生きするのには驚いている。数年前からもう駄目だと何回思ったことか。次の日には私のベッドの横にコチャが死んで横たわっていることに違いないと思うこともしばしば。具合が悪くなる度に動物病院で点滴をしては栄養補給。しかし餌を老猫用に変えたら少し持ち直していた。それでも危機はしょっちゅう訪れた。

車で北軽井沢に行くときに必ずケージの中で催すらしくその都度大騒ぎ。それで考えた。もしかしたら普段便秘がちなのでは?

お腹を触ると硬いことがしばしば。トイレで踏ん張っても硬いものが少し出るだけ。それなら毎日車でそのへん回ればいいのでは?

この作戦が見事に功を奏して、いまや彼女のお腹はすっきり!毎日もりもり食べてヘナヘナした足もかなりしっかりと立てるように。毛艶も改善。出すことがどれほど大切かを痛感した。みなさんも食べるより出す方に専念したほうがいいとまあ、余計なお世話だけど。

最初から最後まで尾籠で申し訳ない。











2024年7月22日月曜日

介護の現実

 今年も北軽井沢合宿の準備の手始めとして長野原町役場にホールの使用申し込みをしたけれど、キャンセルすることになった。

毎年北軽井沢には10人くらいのアンサンブルのメンバーが訪れる。私も楽しみにしていたけれど、やはりここは軽井沢よりも来るのに時間がかかるから皆には少し負担ではないかと思っていた。それでも毎年陽気なお客さんたちと会えるのは大層楽しかった。けれどそれが参加者の減少で急遽東京近隣の場所でということになった。なぜかというとこのアンサンブルが始まって以来何年になるかしら・・・

若々しかった生徒たちももはや中年または中年過ぎてきて、私といえばもう後期高齢者。本当なら猫と日向ぼっこしながらうつらうつらして一日過ごしても誰にも文句は言われないはず。なのに、まだこうして若者と交わっての仕事があって、それ自体は嬉しいものの体も頭もポンコツ。皆さんまだまだイケるなどと世迷言を仰るけれど、とっくに廃棄物のレベルになっている。しかしメンバーは長い間やめないで続けてくれてありがたい。ずっとほとんど同じメンバーで練習を重ねてきたので時々すごくいい音がする。

音楽教室の発表会に向けて毎年最後の二回と合宿と3回の練習のお手伝いをしている。合宿は練習もだけれど、一緒に飲み語り学生時代のように楽しい。それが今回できなくなった理由の一つには介護の問題が浮上してきた。ちょうどご両親や兄弟などの介護が必要になる年頃になったメンバーは泊りがけでの外出ができなくなってきているというわけ。そんなことで遠い北軽井沢は都内近隣の日帰り圏内に変更となった。

私はもう両親を見送っているけれど、かつては病院の母のベッドの隣の椅子で寝てそのまま仕事場に行くというようなこともあった。私の兄弟はたくさんいるから持ち回りで介護ができたのがラッキーだった。一人での介護はとんでもなく大変にちがいない。その次代は逃れられない家族としての努めになるけれど、どうして毎年高い税金や保険料を支払っているのに負担が軽減できないのだろうか?

働き盛りでようやく地位も確立できた人々が介護のために仕事を降りなければならないなんて信じられない。そのための施政もできないくせに自分たちの裏金作りはしっかりと無税で確保するなんて、これを人非人と言わないでなんという。

母の病室では音が出せないから、練習のためヴァイオリンを横抱きにして左手だけのお稽古しかできないけれど気は心、練習をしたつもりになる。こんなことも今思えば懐かしい。母がこの世にいただけでも幸せだった。子育てと介護がこんなに大変な国って、他にあるのだろうか。

私の友人は子供が生まれてもオーケストラの仕事をやめなかった。そのために毎日練馬から横浜の方までヴァイオリンと子どもと荷物を持って子供を預けに通っていた。それから仕事に行き、帰りも演奏会場から子供を引き取るためにどんなに遠くても通っていた。

例えば公共の会場だったら保育室を設けるとか、どこか近くの育児支援をする施設を作るとか、大企業は必ず女性社員のために保育施設を作るとかできないものかといつも考える。オリンピック会場などには建設費を惜しまないのに子供にはケチでは人は育たない。海外への外面だけ考えて派手な施設をこれみよがしに建設して、イベントが終わったら取り壊すなどは甚だしい浪費。

介護の現場の厳しさは当事者でないとわからない。ろくな援助もないのに親を介護する人が現場を放棄したり自殺したりすれば非難轟々、議員さんたち、ご自分の親御さんはどうしてますか?ちゃんと介護してる?もちろん裏金で立派な施設に入れてらっしゃるでしょう。

年取ると怒りっぽくなるというけれど、毎日憤慨することで元気でいられるような、これも狙ってのことでしょうか。お陰様で毎日怒っていたら最近少し元気になりました。

うちの猫のコチャも最近すごい!数年前、もうだめだと思った時期があったのに餌を変えて便秘を治したらそれはもうびっくりする回復ぶり。やはりお腹にものを貯めるのは良いことではないようです。














2024年7月21日日曜日

ファスナーを開ける猫

 のんちゃんという元野良猫の頭の良さは驚き。

先日は高速道路でナイロン製の網を食い破って猫のキャリーバッグから脱出したことは前回のnekotamaで書いた通り。私は今回やっと健康が回復したので北軽井沢に少し長めに滞在した。先日のハプニングの経験から今回はコチャのバッグにのんちゃんを入れて、コチャは新しくプラスチック製のケージを使うことになった。

コチャの大きさに今度買ったプラスチックのケージがぴったりだったので。行きは良かった。のんちゃんも文句を言いながらもなんとか網は破かれずに澄んだ。それではと帰りの入れ物も同じものにしたら、家から出て5分くらいのところでのんちゃんの頭がヌッと出た。あれっと思う間もなくコチャが長年愛用したキャリーバッグは使えなくなった。

のんちゃんはキャリーバッグのファスナーをやすやすと開くことに成功したのだった。まいった!どうやって学習したかというと、前回網の目を引き裂いての脱出は相当な体力を使ったものと思われる。たまたまファスナーの引手の部分に爪が届いて引き下げたら開いたらしい。そこをさわればなんとか開くということがわかったらしい。

あっけなくファスナーを開けられてしまったのは浅間牧場の交差点。車を牧場の駐車場に入れて考えた。今コチャが使っているプラスチックのケージはのんちゃんには小さいけれど、これに入れるしか方法はない。窮屈で可哀想だけど交換しよう。

慎重に逃げられないようにコチャを予備のバッグに入れる。空いたところへのんちゃんをガッシと捕まえて押し込む。近くを通る車からの視線を感じる。いったい何をしているのかと見ている。奮闘の末二匹はケージ交換終了。やれやれ

この数時間前、Y子さんからのお誘いで軽井沢の大賀ホールへコンサートを聴きにいった。マチネーだったのでお昼ご飯をY子さんの家で頂いて、そこから徒歩でホールまで行った。梅雨明けの日差しはもう強烈なのに木陰は涼しい。気分よく散歩してホールに到着。やはり軽井沢は素敵。特にこの界隈は美術館やコンサートホールが並び、賑やかな駅前の雰囲気とは別世界。北軽井沢の雑木林もいいけれど、ここに来ると充実した人生を送ってきた人々が古くから好んで作り上げた特別な別荘地の感じがする。

私のように馬を飼いたいというので山を探していた野生人とは人種の違いを感じる。北軽井沢では熊の話は聞かないけれど、雑木林には様々な動物がいて最近はイノシシが散歩しているとか。しかも川沿いに親子連れで歩いているというから自宅敷地内に川が流れている我が家も安心できない。それで猫たちも表に出すことができないので、猫用の小屋を作ってあげることにした。

玄関横に掃出し口があって猫の出入り口にはぴったり。そこから外に金網の小屋を作ってせめての外気を吸わせるという計画をたてた。近所に木工細工をする人がいてお願いしてあるけれど・・・彼に頼んだ表札は二年越しでまだ出来上がっていない。これも計画倒れになる可能性もあるかも。

さて軽井沢の大賀ホールでのコンサートはウイーンフィルの元コンサートマスターのライナー・キュッヒルさんのヴァイオリンリサイタル。

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ8番から始まった。ブラームス「雨の歌」ショスタコーヴィッチ、プロコフィエフ、チャイコフスキー・・・至福のときだった。

輝かしく端正で豊かで、幸せに満たされたコンサートだった。ここ大賀ホールは音響が素晴らしい。私も1昨年弾かせてもらったけれど、ステージのどの場所で弾いても音が変わらない。本当に心地よい。

そして家に帰ると待っていたのは二匹の猫。お腹をすかせて食事を摂ると立派な排泄物を揃って産出、翌日帰る予定だったのを急遽「今」帰るに変更。こんなチャンスはまたとない。いつも車の中でトイレシートを取り替える羽目になって情けない思いなのに、今日はその心配がない。

そろそろ日が落ちる、高速入り口まで明るいうちにたどり着けたら楽だから、大急ぎで家の片付けをして猫を車に乗せて発車、でこの文章の最初に戻るとファスナーの話しに繋がります。

帰宅するや二匹の猫はすっかりくつろぎ、のんちゃんは早速ご近所さんを訪問に出歩いている。梅雨が明けて暑いけれどやはり自宅がいいらしい。北軽井沢は前の持ち主のノンちゃんから引き継いで6年、あと4年持てばいい。体力的にはそろそろきつい。運転も大変。山を降りて軽井沢に居を構えるとなると先立つものがない。千葉県の海辺の家に引っ越してもいいかも。やはり私は野生の血が濃いから自然の中に住みたい。さあてね。









2024年7月10日水曜日

のらの脱出

北軽井沢で病後のリハビリ、清浄な空気と溢れる緑に目の保養を終えての帰り道、高速道路でハプニングが。ほんと、死ぬかと思った。

最近は老猫のコチャはすっかり車に慣れておとなしい。けれど新入りのノラ改めのんちゃんは一向になれることがない。

人のノンちゃんは北軽井沢の家の前の持ち主、ノラはその後継ぎとしてノンちゃんのお名前を頂いて平仮名の「のんちゃん」とすることにした。白黒模様の艶のある毛並み、一見大人しげで美人だしほっそり優雅な物腰、いかにも可愛げに見える。ところがこれが恐ろしく気が強く感情が激しい。しかも賢い。

長年野良で生き抜いてきただけのことはあって、並大抵のことでは我慢することはない。思ったことは必ず押し通す。地域猫として数件の家を渡り歩き可愛がられてきた。艶々した毛皮には傷も見当たらない。外見は全く良いとこのお嬢様。声は高く澄んでいて決して大声を出さない。

ところがこの猫は人の気持ちを見抜く。こっそりわからないように出かける前の日に荷物はほとんど車に運び込んでおく。出かける前から何気なく最後の積荷を運び込むけれど、そのあたりからもう状況は彼女に筒抜けになっている。絶対にケージに入りたくない!という意志がオーラとなって見える。幸い猫には急所があって、首筋を掴まれると身動きがとれなくなる。そこを掴んで乱暴にケージに押し込めファスナーを閉じる頃には私はハアハアと荒い息を収めるのに大変。まずは私の勝ち。

前回ケージのファスナーを開けてのんちゃんは脱出、高速を降りてからだったからすぐに対処できたけれど、今回はそれを高速上でやられてしまった。どうやってファスナーを開けたのだろうか?たぶん最後の止め方にわずかに爪をいれる空きがあったのだろう。

もちろんファスナーは前回のこともあるのでちゃんとしまっていることを確認している。ケージをシートベルトでしっかり固定。しかし今回の彼女の騒ぎ方は前回を上回っていた。なにがなんでもこんなところに入っていたくはないという彼女の強烈なアピールで車内は大騒ぎ。途中の点検で見たところ、底に敷かれたトイレシートはずたずたに食いちぎられていた。

そろそろ高速の出口が近くなったころ異変が。ひときわ大騒ぎがあってやっとそれが静まったと思えた頃、私の左肩からぬっと猫の顔が!あわわわわ・・・・なんで?どうしよう。

猫が大人しく座っているわけがない。しかものんちゃんは私の膝が殊の外お気に入り。膝に乗られたら運転できない。とりあえず速度を落とし左側の走行車線に移り75キロで走っている軽トラックの後ろにつく。猫はと見れば物珍しげにフロントガラスの景色を眺めている。眺めながらも私の膝に座ろうとする。しっかりとのんちゃんの体を左手で固定した。

細身でありながら長年の野良生活で鍛えた彼女の筋肉は強靭で、激しく逃れようとする。そうさせまいと抑える私。ああ、どうしよう。路肩は狭く車を止めるのは無理。その時、三芳パーキングエリアがあと13キロと標識が出た。13キロ・・・とにかく走ってたどりつけばなんとかできる。

そこからは私の持っている全神経と筋肉が悲鳴を上げるほどの恐ろしさだった。猫が暴れる・・必死に抑える・・車がふらついてあわや・・・

外から見たらふらつく車でなにか異変が起きていると見えたに違いない。トラックが横に並んで少しの間並走している。しかし前の軽トラが75キロで走っているので追い抜いていった。軽トラがのんびりと走ってくれてよかった。

三芳のパーキングについたときには心底助かったと思った。のらのケージを見たらファスナーを開けたのではなく、ナイロンの硬い網目の部分が僅かに破られていた。こんな狭いところからどうやって抜け出したのか。しかしそれからが問題で、一体この猫をどうやって壊れたケージで運ぶのか?

いつもなら段ボールが積んであるのに今回は身軽に出たのでそれもない。クーラーボックスはあるけれど猫は蓋を閉めたら窒息してしまう。しばらく思案した結果、高齢で最近ほとんど身動きしないコチャのケージにのらを入れ、コチャは壊れたケージでも決して抜けられないとみた。

入れ替え作業は油断できない、高速の駐車場で逃げられたらもうこの子は生きて帰れるとは思えない。決して手放してはいけない。

まずコチャを座席に移し、その間しっかりと抱きかかえていたのんちゃんをコチャのケージへ。幸いコチャのケージはしっかりしているからこれはこわしようがない。のんちゃんを入れてしっかりファスナーを閉めた。ボロボロになったのんちゃんのケージへコチャをいれると大人しく入ってくれた。コチャはやっぱりいい子だ。

しかし猫が暴れたくらいで壊れるほどの粗悪品、売っていたペットショップに一言カスハラしておかなければ。か弱く見えるのんちゃんは実はものすごく凶暴で、私にさえも噛みついてくる。異常なまでに意思を通す。強烈な愛情深さと賢く人の心を読み取る力、時々猫ではないのではと思ってしまう。

事故を起こさないで本当に良かった。思い出すたびぞっとする。生まれて初めての事故が大好きな猫によって引き起こされたら私は絶望してしまう。ここ数年の悲しい出来事の上事故まであったらもう生きてはいけない。でも誰かが私を守っていてくれるのを感じることがある。

のんちゃんに似た私の母親かもしれない。