2024年7月22日月曜日

介護の現実

 今年も北軽井沢合宿の準備の手始めとして長野原町役場にホールの使用申し込みをしたけれど、キャンセルすることになった。

毎年北軽井沢には10人くらいのアンサンブルのメンバーが訪れる。私も楽しみにしていたけれど、やはりここは軽井沢よりも来るのに時間がかかるから皆には少し負担ではないかと思っていた。それでも毎年陽気なお客さんたちと会えるのは大層楽しかった。けれどそれが参加者の減少で急遽東京近隣の場所でということになった。なぜかというとこのアンサンブルが始まって以来何年になるかしら・・・

若々しかった生徒たちももはや中年または中年過ぎてきて、私といえばもう後期高齢者。本当なら猫と日向ぼっこしながらうつらうつらして一日過ごしても誰にも文句は言われないはず。なのに、まだこうして若者と交わっての仕事があって、それ自体は嬉しいものの体も頭もポンコツ。皆さんまだまだイケるなどと世迷言を仰るけれど、とっくに廃棄物のレベルになっている。しかしメンバーは長い間やめないで続けてくれてありがたい。ずっとほとんど同じメンバーで練習を重ねてきたので時々すごくいい音がする。

音楽教室の発表会に向けて毎年最後の二回と合宿と3回の練習のお手伝いをしている。合宿は練習もだけれど、一緒に飲み語り学生時代のように楽しい。それが今回できなくなった理由の一つには介護の問題が浮上してきた。ちょうどご両親や兄弟などの介護が必要になる年頃になったメンバーは泊りがけでの外出ができなくなってきているというわけ。そんなことで遠い北軽井沢は都内近隣の日帰り圏内に変更となった。

私はもう両親を見送っているけれど、かつては病院の母のベッドの隣の椅子で寝てそのまま仕事場に行くというようなこともあった。私の兄弟はたくさんいるから持ち回りで介護ができたのがラッキーだった。一人での介護はとんでもなく大変にちがいない。その次代は逃れられない家族としての努めになるけれど、どうして毎年高い税金や保険料を支払っているのに負担が軽減できないのだろうか?

働き盛りでようやく地位も確立できた人々が介護のために仕事を降りなければならないなんて信じられない。そのための施政もできないくせに自分たちの裏金作りはしっかりと無税で確保するなんて、これを人非人と言わないでなんという。

母の病室では音が出せないから、練習のためヴァイオリンを横抱きにして左手だけのお稽古しかできないけれど気は心、練習をしたつもりになる。こんなことも今思えば懐かしい。母がこの世にいただけでも幸せだった。子育てと介護がこんなに大変な国って、他にあるのだろうか。

私の友人は子供が生まれてもオーケストラの仕事をやめなかった。そのために毎日練馬から横浜の方までヴァイオリンと子どもと荷物を持って子供を預けに通っていた。それから仕事に行き、帰りも演奏会場から子供を引き取るためにどんなに遠くても通っていた。

例えば公共の会場だったら保育室を設けるとか、どこか近くの育児支援をする施設を作るとか、大企業は必ず女性社員のために保育施設を作るとかできないものかといつも考える。オリンピック会場などには建設費を惜しまないのに子供にはケチでは人は育たない。海外への外面だけ考えて派手な施設をこれみよがしに建設して、イベントが終わったら取り壊すなどは甚だしい浪費。

介護の現場の厳しさは当事者でないとわからない。ろくな援助もないのに親を介護する人が現場を放棄したり自殺したりすれば非難轟々、議員さんたち、ご自分の親御さんはどうしてますか?ちゃんと介護してる?もちろん裏金で立派な施設に入れてらっしゃるでしょう。

年取ると怒りっぽくなるというけれど、毎日憤慨することで元気でいられるような、これも狙ってのことでしょうか。お陰様で毎日怒っていたら最近少し元気になりました。

うちの猫のコチャも最近すごい!数年前、もうだめだと思った時期があったのに餌を変えて便秘を治したらそれはもうびっくりする回復ぶり。やはりお腹にものを貯めるのは良いことではないようです。














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