2018年9月15日土曜日

修羅場

気性が激しいからわけのわからないことが起きるとすぐにカッとなる。
家人が亡くなった先月から今月にかけて、今までやったことのない作業をしなければならないことが、すごくストレスだった。
日常の業務はおよそ社会性のないことで、自分の心のなかでああだこうだと模索しているのは楽しいけれど、いざ形のあることをしようとすると手も足も出ない。
書類を揃える、銀行口座の凍結、記帳、支払いの停止や開始など、ため息が出そうで本当に嫌だった。
けれど、これもやってみると、そう難しいことでもないとやっと気がついた。
だれでもがやらなければならないことだからとんでもなく難しくはないはずだけど、日頃地に足がついていないものだから、最初にパニックになるのがお決まりなのだ。

8月の初めころからの地獄のような日々は流石に堪えた。
面倒な役所通い、説明受けてもわけわからん、その間にコンサートの準備と練習。
脳みその使う部分が違うから、片方を考えるともう片方は考えることができない。
コツコツとやっていればやがて終わるとは思っていても、楽しくないことはやったことがない人生だったから、猛烈に嫌!が先にたつ。

貴女は我慢ということを知らなければだめよ!と友人に言われたことがあった。
忍耐が得意ではない。
好きなことならいくらでもやっていられるのに、嫌いなことは絶対にいや。
すべては末っ子に生まれて猫っ可愛がりされたせいなのだ。
末っ子というだけで病気とは良く言ったものだわ。

ようやく全ての事務処理の下準備ができて、これから最終的な段階へ入る。
ここでかなりホッとして、やっと人並な落ち着きを取り戻しつつある。
明日は代々木上原のムジカーザでバッハを弾く。
ピアノ(チェンバロ)とヴァイオリンのソナタの3番目の曲で、スケールの壮大さが気にいってたびたび弾かせてもらっている。
何回弾いても飽きがこないかわりに、弾けば弾くほど内側に深くなるという厄介な作品。
でもそれだからこそ面白い。
相棒はいつものS女史。

友人たちからポツリポツリと電話がかかってくるようになった。
最初のひと月はシーンとして皆さん遠慮してくれた。
パニック状態だったから平常心での会話はできない。
わかっていて、そろそろ正常になったかな?という頃をみはからっていたらしい。

今年のイグノーベル賞の受賞者もやはり日本人だった。
受賞対象の研究は、座ったまま大腸の検査のできる内視鏡。
実際の検査方法をステージで見せる様子(勿論着衣のままですぞ)はちょっといただけなかったけれど、ユーモラスな研究を日本人が得意というのが嬉しい。
ユーモアは洗練された文化から生まれる。
それを受ける方も知的能力がないと、野暮になる。
自分の言った冗談を説明しないと気が済まない人がいるけれど、あれは最高に野暮ったい。
そのイグノーベル賞の展示会?が後楽園で開催されるというので、見にいかない?とお誘いの電話を受けた。
毎年このブログでも楽しみに投稿させてもらっていたけれど、実際に目で今までの成果が見られるのは初めてなので楽しみにしている。

私が特に面白いと感じた受賞研究は「粘菌の研究」(2010年11月24日投稿のnekotama参照)
粘菌というのは森の中などで密かに増える動物とも植物とも言えない菌類。
放って置くと自分の餌にたどり着く最短のコースを見つけ出すそうで、なんだ、私よりずっと頭いいじゃん。
粘菌は見ることができるのかな?














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