2018年9月18日火曜日

ノンちゃん雲に乗る

家人が亡くなってやっと身辺整理が半ば片付いて、あとは10月の偲ぶ会の準備に取り掛かろうとしていたときにまたも衝撃的な知らせが飛び込んできた。
私の保護者のような存在だった人形作家のノンちゃんの訃報だった。
北軽井沢に彼女の別荘ができてから私は事あるごとにそこに泊まらせてもらい、一緒に買い物して食事の支度をしたり、のんびりと窓から林の木々を眺めて過ごした。
合鍵を預かっていたから、好きなときに友人と使わせてもらったりもした。

のんちゃんは人形作家の田畑純子さん。
10年ほどまえ、日生劇場の「バックステージ賞」を受賞。
表舞台を支える裏方の優秀な人たちに贈られる賞で、そのお祝いの席で私達はカルテットを弾いて祝福した。
のんちゃんの作る人形たちはトボケた表情で、私の家にある猫はメタボ猫とガリガリの痩せ猫。
メタボの方は私がデブ猫がほしいといったら、考え込んで作ってくれた。
まるで私のように洋ナシ型の体型。
もう1匹はスラリと痩せていて釣り上がった目がちょっと意地悪そう。

彼女の家はミノムシのような木の皮で葺いた壁と屋根。
年を経るごとに木の皮が膨張して隙間がなくなってくるのだそうで、雑木林の中にひっそりと佇む姿が絵本の中の家のようだった。
その家で私がヴァイオリンを弾くとのんちゃんは殊の外喜んでくれて、この家は貴女に継いでほしいのとずっと言われていた。
私もこの家が好きだったから、来年からこの家を受け継いで行く予定だった。
来月正式に手続きする予定で、先日の北軽井沢ミュージック・ホールフェスティヴァルが終わったときに「来月少し長めに泊めてね、猫も連れてくるから」と言ってお別れした。
来年からは私がノンちゃんをお客様としてお迎えして、おもてなししますねとも。

ノンちゃんは気性の強い真っ直ぐな人で、言い出したらあとへは引かない。
1人で言葉もわからない東欧の国に行ったり、勇敢で無垢な女性だった。
彼女が私を後継者と決めたら、私はそれを受けなければならない。
そしてこの家を次の世代まで守らないと・・・そんな風に思っていた。
けれどノンちゃんのいないこの家はなんと空虚なことか。
私が好きだったのは家ではなくて、ノンちゃんの「居る」場所だったのだ。

私はもうなにがなんだかわからないけれど、演奏は続けないといけない。
一昨日は代々木上原のムジカーザでバッハを弾いた。
その朝ノンちゃんの訃報を聞いて、倒れそうになった。
車の運転大丈夫かしら、それよりヴァイオリンは弾けるのだろうか?
体が小刻みに揺れる。
リハーサル、本番、なんとかいけた。
一緒に弾いたのはいつものSさん。

研究会の弾き合いをしている仲間のNさんとOさんも聴きにきてくれた。
終わってから打ち上げにさそわれたけれど、その気になれない。
他の出演者たちは若く美しい人ばかり。
華やかな席でしょんぼりできないから、NさんとOさんに付き合ってもらって食事をした。

Nさんは鋭い洞察力があるので、人生相談。
皆さん強く正しく生きてきた人たちだから、こういうときのアドバイスが本当に助かる。
今まであんなに笑いと幸福に満ちていた私が、この頃どん底。
でも私は本当に楽天的で良かったと思う。

樹木希林さんの訃報でテレビが大騒ぎ。
素晴らしい女性でしたね。
私も彼女のファンだったけれど、真っ直ぐに筋を通し、自分を客観的に見つめられ、ユーモアを失わない。
私の友人たちも皆、希林さんとたくさんの共通項を持っている。
芯の通った強い人たち。
こういう人たちと巡り会えた事自体が幸運なのだ。
今すごく逆境みたいな私の運勢も、なに1年もすれば又輝いてくるさ!と思う。
自分を見失わなければ、悲しみは遠のくし、幸運は自分で引き寄せられるし。

ちなみにバッハの演奏の評判は上々。
若い人たちが感動して涙をこぼしてくれた。
ノンちゃんの訃報はその時はまだ周囲に漏らさなかったけれど、私の悲痛な思いが伝わったのかもしれない。
悲しみや苦悩がなければ音楽は輝かない。
闇があってこその光。
少し大人の演奏ができたかも。
いい気になって段差でつまずかないようにしよう。













0 件のコメント:

コメントを投稿