2023年5月19日金曜日

コチャの冒険

北軽井沢に時々行くのは庭のため。落ち葉が降り積もって整理されていない森の中にイングリッシュガーデンを造ろうと目論見始めたのは最近のことで、その前はおよそ土いじりに興味はなかった。種を蒔いて苗から育てなどという手間のかかることは無理だから、適当に咲いている花を買ってきて埋めていくと、その次来て見ると根付いていたり枯れ果てていたりして植えた花の半分くらいは年を越してくれた。

厳しい寒さの北軽井沢の氷の地面に冬を越してくれたのはビオラやパンジーなどのスミレ簇。冬に枯れてしまったと思っていたのが思いがけず今年も芽吹いてくれたのがあじさい。球根から植えたら水仙がまとまって咲いてくれた。そうなると面白くなってきて行くたびになにかしら植えてくる。

一番の問題は木が多すぎて日当たりが悪いこと。落ち葉が堆積しているから其処いら中が腐葉土の栄養の良い地質だけれど、植物に強い姉の言うことには、日本古来の花は貧弱な土壌でも結構。あまり栄養が良いと育たない。反対に外国産の花はたくさんの栄養を必要とするから腐葉土は役に立つという。同じあじさいでも日本の株と輸入ものの株ではペーハー(酸性度?)が違うから同じ土ではだめ、と滔々と宣った。さすがです。

去年から大木だけ残して生えてくる若木を切って日当たりを確保。花のためにほんの少しのスペースを確保して手始めにそのつど買った花を植えてくるから、てんでんばらばらで計画も何もない。いつになったらイングリッシュガーデンと呼べる代物になるか見当もつかないけれど、これが体に大変良いということに気がついた。ウオーキングなど体の一部を使うのではなく、全身運動になるからだ。心地よい疲れが良い睡眠をさそい、筋肉痛にもならない。我が相棒の猫のコチャははじめのうちは怖がって外に出なかったけれど、そこは猫、好奇心が猫を殺すというではないか。だんだん大胆になって庭を歩き始めた。いつも勝手に出ないように玄関とリビングの間のドアは閉めておく。

数日前の夜8時ころ、コチャのベッドを見たらいない。あれおかしいな、餌も手つかずのまま残っている。家中くまなくベッドの下まで覗いてもいない。血の気が引いた。家にいなければ外。この真っ暗で広大な森の中に出たら探すこともできない。けれど懐中電灯を持って外に飛び出した。いつもなら夜の森はうちの中から見ても怖い。「こちゃ~こちゃ~」金切り声が闇をつんざく。この広い森にたった1軒、川を隔てた家に明かりが灯った。私の絶叫にびっくりしたらしい。お構いなく私は涙声で叫ぶ。

木々を照らすと葉が明かりにちらついて影を作る。その度に「あ、いた」と思うけれど、それは葉っぱの影。範囲を広げて外の道も駆けずり回って見るけれど、これが徒労であるとは自分でもわかっていた。灯りがついたのは一軒だけ。他にはどの家にもひと気はない。この広い森で迷子になったらもう助からないのはわかっていた。追分の友人に電話をした。「コチャがいなくなった、助けて」「見つからなければ死んでしまう」友人は「法事で今関西にいるから」のぞみが絶たれた。初めて空を眺めたら大きな星が輝いていた。こんなにきれいな星を見たのは初めてだった。コチャは森の動物に襲われてお星さまに・・・?いないのがわかったのが午後8時、その前から森をさまよっていたのだから。

泣きながら家に戻って考えたけれど、夜の闇の中での捜索は無理、夜明けを待とう。まんじりともせず夜明けを待つ。午前4時が過ぎて空がようやくかすかに明るんできた。もう少し明るくなってきたので外に出る。家を出てから右に行こうか左に行くか迷ったけれど、さっきは左に行ったから今度は右に。突き当りも右に。薄明かりの中、道に黒いものが見える。なにか落ちている。しかもその後ろに一匹の猫がいる。その子はコチャではなくこのあたりで時々見かける猫。飼い猫か野良かは知らないけれど。

不自由な足を引きずって走り寄ると、黒い塊は紛れもなくコチャだった。一瞬車に轢かれて?と嫌な予感。でも近づいて「コチャ」と声をかけたら顔を上げた。ああ、生きていた。生きていてくれた。結構元気な声で文句を言ってきた。「もっと早く迎えに来てよね」











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