去年、一昨年、足の故障に悩まされもうこの先スキーもランニングもできないかと諦めの境地、とても悲しかった。けれど最近この猛暑で体が温かいせいか足の痛みは殆どなくなった。階段もまっすぐに縦に降りられる。まだ縦の姿勢は最近やっとできるようになったのでおぼつかない足取りながら、ここ2年間の状態から見れば大した進歩なのだ。
できることはなんでもやってみた。整体、高周波治療、筋トレ、ストレッチ、毎日の散歩等々。最後にたどり着いたのは貧乏ゆすり。老化からの体の故障のなんと多いことかと痛感。諦めるのが一番手っ取り早いけれど、それは自分にも周りにも大変な迷惑だからなんとかしようと色々考えた。最初はやりすぎる。早く効果を得ようと頑張りすぎてかえって逆効果だったり。とかく私達は毎日数時間の楽器の練習をずっと続けるのが当たり前だったから、なにか始めたら根性がものを言って頑張ってしまう。これが一番いけないと気がついたのがごく最近だった。
例えば朝の散歩、まだ疲れていないから楽に歩ける。毎日近所の公園をぐるっとひと回りして来るのだけれど、コンディションによってはショートカットしたほうが良い時もある。わかっているのにもう少し頑張ろうと言う気になって歩いてしまう。筋トレもすべて同じ。ほんの数分ずつ軽い運動が一番いいのについ自分を甘やかすなという根性が頭をもたげてくる。それでやっと良くなった膝痛が悪化することがしばしば続いた。それをやっと抑えることができるようになった。それでもまだ時々やりすぎて、しまった!と思う。
今朝の散歩はいつもより少し距離が多かった。外で待ち構えている野良猫が散歩についてきたがるので彼らをまくのが大変なのだ。気が付かないで歩いているとすれ違う人たちが笑う。なんだろうと思って後ろを見ると猫が二匹尻尾を立ててついてくる。猫の足音は聞こえないから。それで私は家に入るふりをして車の陰にまわって他の道から出ることがある。猫のいる場所を大回りしないと道路に出られないこともあって、今日は一区画分遠くなったというわけで。
ゆっくりと歩く。私の性格からするとゆっくり歩くほうが難しい。公園に着いて木陰に入るとひんやりと気持ちが良いので、わずかにランニングをしてみた。最近少し走れるかもと思ったのは、信号の変わり目で急ぎ足ができるようになったことから。ある時無意識に小走りしている自分に気がついた。おや、もしかしたら走れるかも。今朝は軽くランニングの姿勢をとって走ってみたら、本当に走れそう。まだゆっくりだけれどかなりの距離を小走りができた。両足が地面から離れる感覚が新鮮で心がおどる。あまり図に乗るとまた足を痛めるかもしれないので途中でやめたけれど、回復の確かな手応え。さてランニングシューズを買わねばとまた靴フェチが。危ない危ない!
最近見たテレビで90歳を超える男性がトライアスロンに励んでいる映像を見た。それも普通のトライアスロン大会に比べて超ハードなものらしい。その大会で彼は年齢別で連続優勝している。なぜならばそのクラスでの参加者は彼一人だけだったからという。参加することだけでも驚異的な存在らしい。そこまでできる人は体力、気力ともに生まれつきに備わっているのかもしれない。私ごときが彼が頑張っているから自分も頑張ればできると思うのは大間違い、人にはそれぞれ分をわきまえることが必要。
ところで連日の大谷翔平くんの頑張りはもはや人間離れ。肉離れではないけれど足がつるというから彼も人の子だと妙なところで感心しているけれど、少し心配。いつもたくさん寝ると言うけれど、それができないときはどうするのだろうか。私は最近眠る時間が多くなったけれど、やはり5時間以上は眠れない。眠るにはエネルギーが必要なのだ。大谷くんがもし眠れなくなったらと思うとゾッとする。いやいや、不吉なことを考えるのはよそう。でも、あまりにも世界記録を塗り替えすぎてもう彼がホームランを打っても当たり前、奪三振が何人もいても当たり前となったら、なんか一人で大車輪で走り回って気の毒な気がする。
かれは弱体のチームにとっては救世主。彼の美学はそんなチームを見捨てずに自分が頑張って救いたいと思っているのだろう。でもだんだん顔つきがなにかを我慢している感じに変わってきているのが気になっている。
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