年賀状は数年前に 停止する旨を書いておいたのだけれど、行き渡らず未だに送っていただくことがある。元旦にのんびりしていて夕方近くに郵便受けを見ると数葉の年賀状を見つけた。やはりいただければ嬉しい。ありがとうございました。
すぐにコンビニに行ってまだ残っている年賀はがきを買い求めた。以前の枚数は200枚を超えていたので暮には死にもの狂いで年賀状書き。今は20枚ほどで収まってくれればいいなと思っているけれど、7日過ぎまでは油断ならない。それまでにあと何枚か来るとなったらはがきの用意をしておかないといけない。10枚ほど追加したけれど、今日もまた追加のためにコンビニへ。今から出そうと思われた方、そういうことですので・・お願いします。
食っちゃあ寝の正月太りを解消しようと追加は少しずつ買いに走る。今必要なだけ買うことにした。面倒だからと多めに買うと必ず余る。かといって必要だけギリギリに買うと必ずといっていいほど1枚足りないとか、私のやることはいつも中途半端。
10年ほど以前、年の暮れに義理の姉が亡くなって200枚ほど書き終えた年賀状が宙に浮いて大慌て。喪中の印刷を近所の店に注文しに行ったら「先ほど同じ方の喪中はがきを注文なさった方がいらっしゃいましたよ」と言われた。「それ私の姉」だった。
年賀はがきを書くのは秘書がいるような人ならいいけれど、私のような暮から正月にかき入れ時というような商売ではなかなか大変なのです。でも、もう暇になったからいただいても余裕、嬉しいけれど、やはり来年からはご遠慮申し上げます。
私が毎日家にいるので昨年から家猫になったのんちゃんが穏やかになってきた。はじめのうちはビクビク、私でさえも油断ならないと思っていて、なんの悪気もなく私が急に動いたりすると怯える。膝に乗ってくるからまったりと抱っこしていると、途中で急にシャアーと唸って噛みついてくる。私は身に覚えのない敵意にさらされた。
一緒に眠るようになっても、朝起きると片方の腕だけ引っかき傷だらけになっていて驚く。でも今はもう、うまく私の寝相の悪さを回避してくれるらしく、ほとんど無傷でいられるようになった。
世間の意地悪に出会うことが多かった野良時代が思いやられる。いつも人の手は自分を追いはらい打擲するためにあると思っていたに違いない。お腹をすかせてやっと見つけた餌を取り上げられ追いかけられもしたでしょう。少しだけ人間を信じられるようになったらしい。
ところで猫の親愛の情は、自分のおしりを飼い主の顔に近づけることで表現するとご存知でしたか?毎日猫が私の眼の前にお尻の穴を見せに来る(笑笑)これはあんまりうれしくはない。なんでかな?