2025年1月4日土曜日

年賀状

年賀状は数年前に 停止する旨を書いておいたのだけれど、行き渡らず未だに送っていただくことがある。元旦にのんびりしていて夕方近くに郵便受けを見ると数葉の年賀状を見つけた。やはりいただければ嬉しい。ありがとうございました。

すぐにコンビニに行ってまだ残っている年賀はがきを買い求めた。以前の枚数は200枚を超えていたので暮には死にもの狂いで年賀状書き。今は20枚ほどで収まってくれればいいなと思っているけれど、7日過ぎまでは油断ならない。それまでにあと何枚か来るとなったらはがきの用意をしておかないといけない。10枚ほど追加したけれど、今日もまた追加のためにコンビニへ。今から出そうと思われた方、そういうことですので・・お願いします。

食っちゃあ寝の正月太りを解消しようと追加は少しずつ買いに走る。今必要なだけ買うことにした。面倒だからと多めに買うと必ず余る。かといって必要だけギリギリに買うと必ずといっていいほど1枚足りないとか、私のやることはいつも中途半端。

10年ほど以前、年の暮れに義理の姉が亡くなって200枚ほど書き終えた年賀状が宙に浮いて大慌て。喪中の印刷を近所の店に注文しに行ったら「先ほど同じ方の喪中はがきを注文なさった方がいらっしゃいましたよ」と言われた。「それ私の姉」だった。

年賀はがきを書くのは秘書がいるような人ならいいけれど、私のような暮から正月にかき入れ時というような商売ではなかなか大変なのです。でも、もう暇になったからいただいても余裕、嬉しいけれど、やはり来年からはご遠慮申し上げます。

私が毎日家にいるので昨年から家猫になったのんちゃんが穏やかになってきた。はじめのうちはビクビク、私でさえも油断ならないと思っていて、なんの悪気もなく私が急に動いたりすると怯える。膝に乗ってくるからまったりと抱っこしていると、途中で急にシャアーと唸って噛みついてくる。私は身に覚えのない敵意にさらされた。

一緒に眠るようになっても、朝起きると片方の腕だけ引っかき傷だらけになっていて驚く。でも今はもう、うまく私の寝相の悪さを回避してくれるらしく、ほとんど無傷でいられるようになった。

世間の意地悪に出会うことが多かった野良時代が思いやられる。いつも人の手は自分を追いはらい打擲するためにあると思っていたに違いない。お腹をすかせてやっと見つけた餌を取り上げられ追いかけられもしたでしょう。少しだけ人間を信じられるようになったらしい。

ところで猫の親愛の情は、自分のおしりを飼い主の顔に近づけることで表現するとご存知でしたか?毎日猫が私の眼の前にお尻の穴を見せに来る(笑笑)これはあんまりうれしくはない。なんでかな?

















2025年1月2日木曜日

箱根駅伝

 超絶美しい富士山。心地よい日差し。そんな平和な朝、学生たちは何を思って苦しい山坂を走るのか。

強豪青山学院大学の最初のランナーが不調で、首位争いに加わるかと思っていたけれどまさかの10位。どこの学校を贔屓にということはないけれど、やはり優勝常連校は気になる。青学は4区までは後ろの方にいたのに終わってみれば首位にいた。往路優勝!ここがすごい。

いつも思うのは監督の余裕の心の広さ。最初のランナーをちょっと睨んで「お前がちゃんと走れば」的な苦言を言っていたけれど、何故か愛情を感じる言い方で心の広さが素晴らしい。言われた生徒も監督の方を向いて叱責を受け止める。監督は失敗はそのまま受け入れてよくできた他の生徒を褒める。これは天性の懐の大きさだと思った。失敗は誰にでも起こる。まして駅伝の厳しさは監督自身が一番良く知っているし。

団体の順位が個人的な記録のトータルで決まるというのは少し残酷なような気がする。個人競技なら自分の調子が悪くても仕方がない、また頑張るさと考えればいいけれど、団体だと、あいつのせいで自分たちがせっかく頑張ったのに負けた・・・なんて思わないかしら。誰でも常に絶好調とは限らない。中央大学の最終ランナーはずっと首位にいたのに、最後の山登りで青学に抜かれた。

終わってから中大監督が思いがけなく晴れやかな顔で、明日も頑張ればと言うようなサバサバしたコメント、昔の監督ならげんこつが飛んだのではと思う。中大の最終ランナーが悪かったのではなく、それほど青学の記録が素晴らしかったのだ。

人はリラックスしたときに最も力が発揮できる。でもリラックスしすぎてもだめで適度な緊張を持続したあとでのリラックスが最強だと思う。

パリオリンピックで兄妹の柔道選手が揃って金メダル獲得の呼び声が高かった。しかし前日テレビで見た競技場を下見に来た妹さんのほうがあまりにものんびりした顔をしていたのでおや?と思った。周囲に悠々とした態度で手を振っていたのでこれはやばい!余裕で勝てると思っているらしい。

ああいうときは事前にギリギリに緊張しておかないといけない。それで少し疲れてよく眠れる。眠らなくても緊張の持続は時間が経つと一度緩むから、そこでリラックス。直前にもう一度緊張が来ても一度経験しているから二回目の緊張は少し緩め。そしていざ勝負というときにはすべて真っ白の中で集中できると、こういうのが一番理想的なんだけど。

例えばコンサートの前に全然緊張しないから、余裕で舞台袖で話したり笑ったりしていると最悪な事態になることが多い。舞台に出ていざ音を出そうとするといきなり体がこわばってしまう。そうなったらもう失敗街道まっしぐら。立ち直れなくなる。柔道の妹さんもそんなことだったのではないかと思うけれど、それでも失敗したことは良い経験と諦めてその後の競技を頑張ってほしい。

なんだかんだ言われても、学生たちは一人でひた走るだけでなく友人たちとの絆を深められるこの競技に魅力を見出していると思う。たった4年の特別な期間、輝かしい時間を共有し燃え尽きても、それは生きる者にとって最高の宝になる。失敗しても苦しくても、できるならやったほうがいい。横からとやかくいうことではない。

と思っていたら、カラコルム・シスバレーに新ルートを見つけるために4度目の挑戦をした登山家のドキュメントをやっていた。これはもう命がけの話で燃え尽きるどころか死を賭してのはなし。

前人未到のシスバレーの空白地帯に新ルートを見つけるために二人の登山家はほぼ垂直の雪の壁を登る。荒い息遣いが聞こえる。その人を上から撮っているカメラマンは同行者なのか、プロのカメラマンなのか。こういうときに登山家よりもカメラマンに驚嘆する。

今でこそ小さいカメラなどが開発されているけれど、そして今回の登頂にもそんなカメラが活躍していると思うけれど、昔は大きなカメラを担いで登山家やスキーヤーと共に上り、あるときは先に登って上から撮る姿が写っていたりすると、カメラマンの方が技術的に上でないとできないのではと思ったりした。

激しい風や雪崩に悩まされながら4回目の挑戦、北東壁のルートを見つけて2日目に下山した二人の山男は大きな肉にかぶりつく。どす黒い顔がところどころ赤黒く焼けて、どちらが誰かわからないほどそっくり。それでも嬉しそうに笑っている顔は可愛い。命がけで登るのはどんな気持ちなのか知りたい。登ったけれど降りるのはもっと難しいと思うのですが。

こうして1日中テレビを見て終わるのが毎年のこと。











2025年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いします。

このブログを始めたときは日記のようにその時の時代背景や自分の辿った道を書き残して置こうと思っていた。元々ろくでもない人間なので誰が読んでもつまらない、読む人などいないと思っていたら、思いがけないところでnekotama読んでますと言われてびっくりすることがある。まあ、物好きな。でもありがとう。

日記なら公開にしなければいいのだけれど、そうなると継続が難しい。ヴァイオリンも聴いてもらえなければ弾かなくなってしまうかも。それであえて公開することにした。自分だけで書いていると自身の心の毒をそのまま吐き散らしてしまう。いつも公開する前に下書きを読み直すと、自分の心のはけ口のみになって人に伝えようとする努力をしなくなっていることに気がつく。

何回か書き直してギリギリ人に伝わるように書き直す。そのあたりで心の毒を客観的に見ることができるようになる。冷静になれるのはその書き直しの段階で徐々にカタルシスをしながら自分を外側から眺められるようになるのだった。それは私にとって非常に大事なことになった。

思い込みの激しい自己中心的な性格なので、そうでなければ常に冷静ではいられないけれど、書くことによってそれを人に伝えるための作業がどれほど役に立っているか。プロの物書きではないので上手に描けなくても構わない。自分の考えが整理できたらそれだけでもよしとすることに。

そんな拙い文を長年読んでくださる方々、ありがとうございます。

元日の今日もなんの予定もなくぼんやりしていたら、自作の料理をぶら下げて来てくれた人がいた。何を話すでもなくテレビを見てアハハと笑ったりして帰っていった。お正月はこういう意味なく楽しめる貴重な時間なのだ。

雪国からは、自分の立ち位置からきれいな雲や空や海の写真がリアルタイムで送られてくる。家に座っていて目の保養。きれいな川が写っていたから「泳いでみて」とけしかけたら「川の水がわくまで待ってください」だと。どうやって沸かすのかしら。

そうこうしているうちに、だんだん自分の進むべき道が見えてくる。時々こういう時期が私には必要で、全く予想もしていない道筋ができることがある。あとから考えると、その道を歩いたのは必然だったと思うことが多い。努力をしたわけではない、導かれたのだとも思う。

自分がどうなるか大いに楽しみで、年齢的にはこれが最後の分かれ道。最後のチャンスはさてどうなりますか。

皆様の御多幸とご健康をお祈りしております😻nekotama