2025年12月17日水曜日

体を動かす

ニュースを見ていたら元バレーボール選手の川合俊一さんがエコノミー症候群になったという。今でもスポーツ番組に欠かせない存在で、各地を飛び回っている人がどうして?と思ったけれど、だんだん現場から離れてスポーツ界の重鎮としての事務的な座り仕事のほうが多くなった結果かと思われる。

私は子供の頃から体を動かすのが大嫌いだった。学齢児童のころはほとんど家で本を読んでいたし、レコードを聴いていた。同じ年頃の子供と遊ばなかった結果肥満児になり、遊ぶことを知らなかったから仲間にも入れず。逆上がりできず、走れば遅い。

おとなになってからスキーなど始めてあちこちに飛び回っていることを自慢たらたら書いていたけれど、それは生活の中のほんの一部、普段は狭い部屋でなんでも手を伸ばせばすぐに取れるので、室内では基本動き回らないことが多い。
仕事を引退したのも元々あまり活動的ではないから、これで思い切りゆっくりできると喜んでいたのに・・・

ある時、急に狭心症のような症状が頻発した。これはいかん、狭心症は水分不足と血流の滞りで、河合さんのようにエコノミー症候群が心臓に起こるようなものだから、運動大事。そこで早朝の散歩をはじめ、軽い筋トレ、ヴァイオリンの練習も始めた。
結果、症状は収まった。が、しかし、私の場合はやりすぎるのだ。歩けば、昨日よりももう少し歩数を伸ばしたい、筋トレもスクワットの沈み込みをより深くすれば効果抜群であろう、と。そのスクワットが命取りで、病院へ行く羽目になった。

4年ほど前、膝を痛めてスキーができなくなったときに治療してもらった病院へ行くと、なんだか歓迎の雰囲気。喜んでよく周りを見ると、特に私だけでなく誰にでも優しいスタッフが多いだけだった。患者数が減って経営困難なので歓迎してくれたのかと思ったら、先生も看護士も気軽で受付のスタッフは近所のおばちゃんタイプ。こんなに患者が多いなら経営困難でもないだろう。要するに手際が良く患者のさばき方がうまいだけだったのだ。明るい病院はめったにないからホッとする気分だった。

出戻ってきた私を診たのは前回より若い先生だった。名札を見ると苗字は同じ、息子さんの代になったのかもしれない。前の先生は私の足をいきなり持ち上げてひどく痛い目に遭わされたから警戒していったのに、今度の先生は穏やかで騒ぐ必要がなく肩透かし。同じことをやられたら大声で「いたーい!」と叫ぶつもりだったのに。
膝から抜いた水には血が混じっていた。いつになく痛かったのは何処かに傷があったから?あまり気にしない私も見せられて血色の濃さにびっくりした。

最近は心を入れ替えて毎日ヴァイオリンの練習を欠かさない。大人しくスキーも諦めてお家で読書、すっかりいい子になってしまった。思うのは、私が長年健康でいられたのはヴァイオリンのおかげだということ。楽器を弾くのはかなりの運動量になる。今は座っての練習をやめて立って弾いている。1度の練習は2時間。余裕があれば休憩の後ちょっとお菓子をつまみ食いしたら1時間か2時間。

不思議なことにあれほど曲がった指がお互い牽制し合いながら超絶技巧のピッチカート奏法をしていたのが、だんだん矯正されつつある。指がまっすぐになったわけではない。相変わらず左手の薬指と小指が仲良く寄り添っているものの、素早く回避する技術が自然に身について来たものと思われる。

そうか、私はずっとこの曲がった指で弾いていたのか。毎日毎日苦労させたね、君たち。気が付かなくてごめん。薬指と小指の健気な振る舞いは長年の無意識の鍛錬の賜物だったのか。

モーツァルトを弾ける日が近づいてきたようだ。まだ少々おぼつかないところがあるから、来年には本気で取り掛かろうと。幸い近所に上手いヴィオリストが。しめしめ、モーツァルトにはヴァイオリンとヴィオラのために書いた二重奏曲がある。ウフフ・・

































2025年12月11日木曜日

足だけではなく手も

 左足の痛みが和らいだので気を良くしてお風呂に浸かった。ぬるめの温度でゆっくり時間をかけて、さて湯船から出ようと思ったら・・・出られない。左足が猛烈に痛くて湯船から出られない。どうしようかと思ったけれど一晩中お風呂で過ごすのもつまらないから、思い切って片足を抜くと衝撃的な痛さ。しかし温めれば良いと思ったのが想定外に痛いのはなぜ?

その後も長い時間痛みは治らなかった。今朝やっと小康状態になって一安心。

ヴァイオリンの練習は日々コツコツと行っている。もう一年ほど楽器はケースにぬくぬくと入って寝ていたものを引っ張り出してきたので、すこぶるご機嫌が悪い。いや、楽器のせいでなく自分のコンディションが悪いのだけど。それでも今は2時間は休憩無しで弾けるようになった。

最初は20分も弾くと息も絶え絶えになった。指は絡まり、現役時代でも一度として故障したことのない肩や腕に痛みが走る。それでも体の柔らかさが幸いしてそれはしばらくしてクリア。しかし、左手の指の方はそうはいかない。第1関節から外側に見事に曲がった薬指。それとは逆に薬指側に寄りかかるようになっている小指。要するに両方の指がお互いに寄り添いながら動くのだ。

中指は真っ直ぐなので薬指と先の方で別れ別れ、手全体として眺めていればさほどの違和感なく普通の手に見えるけれど、左手の中指と薬指の先は約5ミリほどの隙間が空く。これはもうヴァイオリン弾きにとって致命的。ゆっくりの動きならなんとか修正できるけれど、早いパッセージは薬指と小指がお互いに邪魔し合って時々とんでもない事になる。

ヴァイオリンの音程は、ほんの少し指が傾くだけでも音程が合うか合わないか、日頃ドキドキで調整をしながらの作業。指自体が曲がってしまうとは思いも寄らない出来事だった。それでも最近は調整しながらの音程もやや安定してきたと思っていたけれど、それはモーツァルトを弾かなければという条件がつく。

あのモーツァルトの明快、単純な音楽は音程のズレは許されない。こんなに難しい作曲家は他にいない。特に早いパッセージであっても途中の音程が悪ければ絶対バレる。何よりも自分が気持ち悪い。何回も何回も練習して、指の動きのほうが多少改善したけれど、音程はまだまだ。

毎日の練習のお陰でだんだんモーツァルトも慣れてきたけれど、16分音符の連続では小指と薬指がお互いに触れ合っているため邪魔し合う。薬指の下に小指が潜り込んでしまい、動きが取れないときもある。小指を持ち上げようと思うと薬指が上に乗っかっていてどいてくれなかったりもする。それを無理に跳ね上げると、反動で薬指が指板を叩いてしまうことも。

小指がどいた途端に薬指が指板を叩き、その勢いで弦が弾かれてピッィカートが鳴ってしまう。特に早いパッセージでは思いもかけず左手のピッツィカートの連続という超絶技巧ができることも。もうどうしようもなく笑うっきゃない。普段そんなことはやろうと思ってもできないのに、必要でないところでできてしまうのはありがた迷惑。

途中で諦めて自分だけで弾いているときには指に勝手にさせておくけれど、もしコンサートでモーツァルトの入ったプログラムだと困ったことになりそう。もう人前でモーツアルトは弾けないのかなあ、頑張ってみるけど。

今から20年前、国立劇場のリサイタルホールで自分の還暦記念のコンサートでモーツァルトのK.334のディヴェルティメントを第一曲目に載せたことがあった。一時間におよぶ長大な曲でお客様にはさぞ迷惑だったかと思うが、どうしても好きな曲なので聴いていただいた。今思えばあのとき弾いておいてよかったと思う。その後あと2回弾く機会があった。あわよくばもう一回弾きたいけれど、おそらくもう一生弾けないと思う。左手のピッツカート入バージョンは新解釈として世の中に出してもいいけれど、最悪のレッテルを貼られる。でも面白いかも。

夢よもう一度。来年9月23日、ピアノ五重奏の演奏会を三鷹「風のホール」にて開催します。ドボルーザーク、シューベルトなどですが、モーツァルトは入っておりません。左手の超絶技巧をお聴かせできず残念ではありますが、気が向かれましたらぜひお聞きいただきたいと思います。















2025年12月10日水曜日

四股を踏む

相撲エクササイズ、力士の訓練に使う動作をエクササイズに取り入れたもの。今朝テレビで見てこれは良いとさっそくトレーニングに取り入れようと思う。昨日起き抜けに筋トレをやりすぎて左足の筋肉を傷めた。そろそろ危ないなと思っていたけれど、やはり期待どうりの筋書きになった。

私は何をやっても気がはやってやりすぎる。わかっているくせに生来のせっかちで、もう少しもう少しと焦り、結局やりすぎてすべておじゃんになるというパターン。わかっているのに毎回の失敗は本当に馬鹿である証拠なのだ。

最後にもう一回というときが一番危ない。昨日の午後は足を引きずって歩いた。甥が先日アメリカのおみやげと言って持ってきてくれたステッキが役に立つとは。甥はサッカーの女子チームのトレーナー?というのか、選手たちの健康管理やトレーニングの指導とか、私にはちっともわからない世界の仕事をしている。その試合に付いて行ったらしい。真っ黒な顔してぬーっと現れるとぎょっとする。

急に現れて「ほら、これアメリカの土産」と言って差し出したのがステッキ。甥に期待することはないけれど、せっかくアメリカまで行って杖を買ってくるなよと言いたい。わたしゃそんなもの無用だと言いたいが、せっかくだからともらっておいたのがすぐに役に立つとは!年は取りたくないもの。

今朝テレビで相撲の動作を取り入れたエクササイズを見て、これはいいのではとやってみたら、その後頗る調子がいい。これから先たった一人で世の荒波を乗り越えていかねばならぬ身、健康こそ一番の宝なのだ。

地震や津波、火事、戦争、いつ何が起きても不思議ではない世の中だから、老人であっても一人で生き抜いていく覚悟はできている。それでも足腰が立たなければ他人様のお世話にならなければいけない。それはもしかしたら他の人の命を奪うようなことにもなりかねない。私を助けることで若者が犠牲になってはいけない。そう思っているので今は筋トレに励んでいる。

その励むという言葉が私には最も危険なことであることも重々承知で、とかくやりすぎず現状維持。さきほどしこを踏んでみたら足の痛みが緩和されて解放に向かっているようだ。これでまた午後にもう一回と言ってやりすぎて逆戻りしないように頑張る(?)この言葉がいけないのかなあ。

目の状態もかなり改善されて、この先呑気に暮らせれば私の老後は安泰なのに、またなにかあたらしいものをやりたくなるのが常のこと、まったく自分自身がよくわからない。安定を嫌うというか、落ち着かないというか。

熊の騒ぎはまだ収まっていない。毎日映像を見せられるともうたまらない。それは危険を世間に知らしめることは重要だけれど、くまさんの親子が柿の木に登って美味しそうに柿の実を食べている映像を見ていると、この子達はもうすぐ駆除されてしまうのだなあと悲しい気持ちになる。共存できたらどんなにいいかとも。

動物の世界では人も含めて、共存すること必要だけれど、それぞれの立場からいえば、殆どのものが敵になる。同じようなものを奪い合いながらの生存をかけた戦いなのだから。しかも、もうすぐに終わろうとしている今年は例年にない猛暑で、野菜や果物、魚介類にまでその影響が及び、不作を招いている。乏しい食料を巡っての争いが起こって、動物も人も大変な思いをしている。

私は仕事をやめたら猫と一緒にのんびりと暮らすつもりだったのに、まだなにか自分にできることがあれば社会奉仕に駆けつけないといけないかもしれないと思っている。でも足がすぐにだめになるようでは役立たずの上に足手まとい、知恵もないし、人を動かすような人徳もない。残念至極だなあ。










2025年12月5日金曜日

動物と人

 朝の散歩に出るのに、どのジャケットを着るか、ニット帽をかぶろうか、マフラーはどうしようなどと考える季節がやってきた。まだ手袋まではいらないけれど、一昨日お気に入りのニット帽を紛失してがっくり来ていたので帽子はいらない!と強がりで被らず表に出た。

いつものコース、家から500メートルほどで公園に出る。公園の周囲を一周すると500メートルあるそうで、そこで1キロ。帰りは自宅までまた500メートル、やく1.5キロの日課もつい最近までは全部回ることができなかった。それで考えたのがジムなどに行くのは面倒だから自己流の筋トレをやって鍛えようと。

朝、目が覚めるとまず、手足の上げ下げ、全身をブルブルと蒟蒻のように揺すって血流を促す。一回ずつの動作を数えて100回。それからスクワット、踵落としなど、その日の体調に合わせて時間も決めず気持ち良いところでストップ。朝食後は散歩というパターンが出来上がった。決して無理をしないように。この筋トレが効いて歩くことが楽になった。

楽器を演奏する人種はどうもやりすぎるというのが欠点で、根を詰めると際限なくなるので気をつけないといけない。練習のときに数小節を数時間繰り返し練習するようなクセがついている、いわば偏執狂的な性格のものが多い。私はそこまで根気はないけれど、それでも傍から聞いている人はうんざりすると思う。筋トレも迂闊にのめり込むとかえって害になる。今はうまくいっているようだ。

今日は本当に穏やかな木々の葉が輝く美しい朝、風もなく、足を早めて歩く人達も思いなしか生き生きとしている。暑かった地獄のような今年の夏は記憶から振り落として初冬を楽しんだ。

いつものコースに犬のいる家があって、そこの奥さんは快活で話好き。いつも犬を連れた人たちが屯している。しかもその傍らには猫もカラスも一緒にいる。みな穏やかにおしゃべりや毛づくろいやぼーっとしているものや・・・何だここは。

以前ここで私はカラスの集団がよそ者のカラスをいじめているのを助けたことがあった。息も絶え絶えに悲しそうに鳴く一羽のからす。そのいじめの輪の周りには見物の野良猫集団が取り囲み、どうしようというのか、おこぼれにあずかろうと思っているのかわからないけれど、やはり見過ごすわけにはいかない。

結果、助けたカラスは一晩入院してから近くの小さな動物公園に引き取られ、治療を継続した。園長さんが鳥の専門家らしい。良かった!

今朝、この家の近くのゴミ箱にうずくまっている2匹の明らかに野良と思える猫発見。帰り道にまだいたら保護すべきかどうか考えた。また多頭飼育が始まったら困るなあと思っていたけれど、帰り道、彼らは犬の飼い主さんたちとその家の奥さんからご飯をもらっていた。そばには餌の入った容器を持ってきた女性もいる。ああ、良かった。とりあえず餌はもらえているんだ。私の出る幕ではない。

ここまで長くなったけれど、今読んでいる本は「僕には鳥の言葉がわかる」鈴木俊貴著と「熊になったわたし」ナスターシャ・マルタン著の二冊を交互に。どちらも動物と人との関わりがかんがえさせられる。鈴木さんの方は観察による考察であるけれど、フランス女性の人類学者マルタンさんは、熊との格闘でお互いにひどく傷つき合いながら、彼女の中にくまの一部が残り、熊もまた彼女を体内に取り込んで共同体となる。人と動物の関わり合いをこれほど強烈に、感じさせられるものは読んだことがない。

まだはじめの方しか読んでいないので、読後感はいずれまた。今の日本のくま騒動、人と動物の関わり合いを深く考えてみようかと取り上げた次第です。生易しい理解では熊との共存はできないし、感情や同情だけで批判はできない。要は地球は人間だけのものではないけれど、熊に襲われたら身を守る権利はある。襲われるかもしれないからと言って、罠や鉄砲で熊を殺すというのは熊に言わせれば理不尽なこと。どう折り合いをつけるかはすごく難しい。人は数々の戦争でへいきで殺し合うけれど、動物たちは生きるための最小限の争いで済ますのでは・・・書き始めたらものすごく難しい。答えは簡単にはでない。こまった!















2025年11月28日金曜日

続「国宝」を読む

 久しぶりに「雪雀連」の集まりは亡くなったスキーの先生である小川先生を偲ぶ会。池袋のライオンに昼間から集まれるというのは、皆がもう仕事に煩わされることがないという状況だから。会長の山田宏さんも参加予定であったけれど、当日の体調が優れずにドクターストップがかかってしまった。皆、会長に会えると思っていたので大変残念な思いをした。

小川先生は学生時代自動車かバイクかなにかの事故で怪我をして、そのリハビリでスキーを始めてから、のめり込んでいったらしい。講習の間、ほとんど世間話にも乗ってこない。ひたすらスキーの話だけするので誰かしら話題をそらそうと話をふっても、いつの間にかスキーの話題に戻るというこだわりよう。厳しさで有名な浦佐スキー場で修行をしてインストラクターになり、その後雪雀連の会長の山田氏に気にいられて毎年の講習会を開いてくださった。

浦佐スキー場は六日町のひなびたスキー場で派手さはないが、そこのインストラクターはいずれも名人揃い。学生時代からの初心者ではどれほど苦労したことかと思う。ある時雪の斜面を逆さ八の字で登りながら「僕はねえ、他のことでは負けないつもりだけどこれが苦手なんだ。地元で生まれ育ったスキーヤーは、ものすごく早く登れて僕はいつも遅れてしまうけど、彼らは難なく登れるんだよ。子供の時からやってるからね」と。

普通から見ると一種の奇人変人に属するけれど、真っすぐで裏表のない、生徒たちを上達させようと心底手間ひま惜しまないそのお人柄から、何やかやと長年のお付き合いとなった。

ほぼ3年ほど前から体調を崩していたらしいけれど、その頃は私も人生の転換期の慌ただしさ、長年信頼していた人に裏切られたショックで半病人になっていたのだった。そんなことでしばらくスキーもできない状態だったのでお目にかかることもなく、お別れが来てしまったのが本当に悔やまれる。そろそろ体調も戻ってきたので初心者に戻って講習を受けようと思っていたのに。

久しぶりでビールのジョッキを傾けていつも変わらぬ仲間たちと楽しく過ごし帰宅した。昨日はその疲れもあってぐっすりと眠り、目の状態がとても良い。それならば「国宝」の続きが読める。残りはあと4分の1、読みたいけれど読みたくない。終わってしまうのが惜しい。最後がどうなるか気になるのに、わかってしまうのはつまらない。

今朝6時から読み始めた。鳥肌が立つほど集中力が久しぶりに湧いてくる。まずコーヒー豆を挽いてお湯を沸かし、半カップほど淹れたときに我慢できずに本に向かった。小休止のときに飲めると思ったから飲まずにおいてあったのが、読み終えるまで口をつけられなかった。終わったときそういえばコーヒーはどうした?半分入ったマグカップは静かにそこで待っていた。

私は歌舞伎の知識もなく評論家でもなく、映画が面白くて原作を読んだという経緯なんだけど、ただただ面白かったという言葉しか出てこない。情景がはっきりと目に浮かぶ筆力。それは言葉で映像を浮かべられるということで、色々な言葉で読書の感想を述べられるようなものではなく、ひたすら皆さんに読むことをおすすめするしかない。読み終わった途端、悲しいわけでもなく涙が溢れて止まらなかった。

取り残されて冷めてしまったコーヒーがやたらに美味しい。最近のベルリン・フィルといいこの本といい、魅力のある芸術に触れる幸せはなんとも言えない。ただそこに向かう並外れた集中力を要求されるので年老いてからは体力勝負となる。

最近日本のすごさを実感している。自分が幼少の頃の環境から西洋音楽に触れ、海外の翻訳作品に親しんでばかりだったのが悔やまれる。家に琴や尺八もあったし、祖父は風流人で華道茶道を嗜んだと聞くけれど、私が生まれたときにはすでにいなかった。父は新しいものが好きでヴァイオリンを弾いたらしい。

わたしは父がヴァイオリンを弾いたというのは知らず、おとなになって押入れれから古い楽譜が出てきたので随分後で知ったのだった。そんなわけで日本の文化の素晴らしさを最近になってもっと知りたいと思うようになった。まずは「源氏物語」を読破しようかと。無知なので誰かの手助けがいる。まず古典に詳しい先生探しから始めたい。

現代語訳のものを読んでから始めるのが手っ取り早いかも。私に残された時間はもう残り僅か。時すでに遅しかもしれないけれど、なんにも知らず死ぬわけにはいかない。













2025年11月26日水曜日

「国宝」を読む

先日映画の国宝を見てえらく衝撃を受けて人に話したら、それ、本で読むほうがもっとすごいわよと 言われて読んでいる。

ベルリンフィルを聞きに行ったときに川崎のラゾーナでブラブラしていたら丸善があって、そこに山積みされていたのが「国宝」。さっそく上下巻買い求めて数日後、読み始めた。一日目にはもう2巻目の半ばまで読み進んでいったけれど、最近の老眼の進み具合でえらく目が疲れた。それで2・3日小休止を取ろうと思う。先が知りたいけれど、筋書きは映画で見ているから大体わかっている。それにしても・・・

この作家の著書を読むのは初めて。なんといううまさ!ぐいぐいと惹きつけられて本を手放すことができない。ページごとに情景がそこに映像となって浮かび上がりそうな。こんなにすごい作家がいることに今まで気が付かなかった。

幼少時代は一端の文学少女。小学6年生の夏休みに世界の名作と呼ばれるものを片っ端ヵら読んで、なんとその数は百冊ほど。一日に3冊くらいぺろりと読み終える。それでろくすっぽ内容なんてわからなかったかというとそうでもない。特に感激したのがドストエーフスキーの「罪と罰」というと本当かなと思うかもしれないけれど、自分でも疑って後におとなになってから読み返してみたらやはり同じように感激したのでわかっていたらしい。

よほどませていたのか、兄弟が上にずらりといるので耳学問でわかっていたのか。レコードと同じく本もたくさんある家で、誕生日のプレゼントはいつも姉が本をくれた。姉の持っている本は難しくて小学生ではわからないと思いつつも、手当たり次第に読んでしまう。いわゆる活字中毒でなにか読んでいないと禁断症状になった。しばらく読書をしないと、活字を読んでいる夢を見た。子供用の本は誕生日にしか買ってもらえなかったから、姉の本を読む。

私がレコードを聞いたり本を読んだりばかりで近所の子ども同士で遊ばないのを気遣って、母は無理やり私の手を引いて近所の同い年くらいの子供の家においてくる。母の姿が見えなくなると私はさっさと家に帰ってきてしまう。毎日のように繰り返された光景だった。可愛げのない嫌な子供だったのだろう。

「黒宝」の作家、吉田修一さん、この方の作品は一度も読んだことがなかった。純文学と大衆文学の賞をあわせて受賞なさっているという。そのあたりのジャンルは私の読書の範囲になかったというより、私の方が先に生まれているから、すでに読書が辛くなって読まなくなった時期からのご活躍だったのだと思う。

ヴァイオリンを弾くのに忙しかったということもあって、なかなかまとまった読書はままならなくなっていた。去年仕事をやめてやっと時間に余裕ができたので、これからは子供時代に戻って読書に勤しもうかとおもう。

「国宝」まず主人公の生い立ちや環境などの描写がまざまざと絵を見るように浮かぶ。最初からグイグイと引き込まれて文字を読んでいるのではなく映像を見ているかのように。これは先に映画を見てしまったので、その影響かもしれないけれど。一人ひとりの登場人物のキャラクターの面白さ。何と言っても歌舞伎の世界を知らない私にも、その場にいて物語に登場しているような錯覚を覚えるほどの凄腕の作家さん。

余計な説明をせず一切の無駄がない。最初に主人公が弟子として師匠の家を訪れたあたりの、景色の描写は簡潔でいてお見事。本当にうまいのだとほとほと感心する。勝手に引用してはいけないと思うので、それは作品を読まれた方ご自身で見つけていただきたい。

映画を見て少し長いのでは?と思ったけれど、実際に本で読むとこれではどこも切り離せないと思う。長くなった意味がよくわかった。気にいるとその作家の作品をほとんど読むので、これからの秋の夜長がたのしみ。さっさとメガネ屋さんに行って老眼鏡を調整してもらわないと。











2025年11月22日土曜日

記憶の彼方へ

(前回の投稿から) 

私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回のベルリン交響楽団のものは取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。

先月だったか、nekotamaに投稿した子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」の演奏。絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。ただ聞いたと思える年号はあっていた。もしかしたら他の人?

それで他の人の演奏会を調べたら、アイザック。スターンが横浜県立音楽堂での演奏でコンサートの半ばくらいで弾いたという記録が出てきた。しかし私はどうしてもコンサートの初っ端でプロコフィエフを聞いたという記憶があって、それが心に染み付いていたのだった。

AIに頼んでしらべてもらうと、アイザック・スターンがコーガンの10年くらいあとに来日している事がわかった。と、すると私はその頃はもう成人していて、しかも演奏者の肩越しに演奏する姿までもが思い出される。肩越しにというのがどういうことなのかしばらく考えて出した結論は、私は客席の最前列あたりにいて、ヴァイオリンは客席に向かって上手側に向くので、私は下手側にいたということなのか?

それでもその肩というのが割に小柄だったコーガンのもののような印象。スターンはたっぷりした体格であったし、オイストラフと似ている。オイストラフは横浜では聞いたかどうか覚えていない。多分都内でだったかも。

で、またコーガンに戻ると、AIが言うには。当時のコンサートは労音という組織のものなら、東京以外の地方公演ではプログラムは割と流動的に変えられたという。すると当日急にプログラムが変わるということもあり得たらしい。その記録は労音に訊かないとわからないけれど、記録があるかどうかはわからないということだった。

なぜ、そんなにコーガンにこだわるかというと、あの音を誰が出したかということがすごく重要なのですよ。アイザック・スターンかもしれない。彼は実際県立音楽堂でプロコフィエフを弾いたという記録がある。その時、私も聞いていた。だから勘違いしたのかもしれないと考えられる。しかし、レオニード・コーガンの素晴らしさは私の記憶の中であの最初の音に集約されてしまっているのです。それが他の人であったら、私のコーガンの実態は何だったのかということになってしまう。

兄は私をしょっちゅうコンサートに連れて行ってくれた。それは労音のコンサートが多かった。今でも労音という組織はあるのだろうか。気が向いたら調べてみようかと思っている。

戦後まもなくの労音ではよくロシア人の演奏を聴いた。レニングラード交響楽団などは、たしか千駄ヶ谷の体育館だったかしら。ドン・コサック合唱団も人気が高かった。チャイコフスキーのシンフォニー4番を演奏したレニングラード交響楽団の演奏は、ただただ目を丸くして眺めたものだった。圧倒的な音量とすごいテクニックはほとんど人間の能力の限界のように感じた。今でこそ日本人は素晴らしくなったけれど、当時の日本の楽団は遅れていた。

今や日本人は、演奏でもスポーツでも世界に名乗りを上げて大活躍をしている。けれど、当時はあの音がわたしにとっては衝撃だった。

今や、すごくうまいヴァイオリニストは世界中で日本人が大活躍している。芸術の良いところは人それぞれ違っていいというところ。野球のように何本ホームランを打ったとかの記録だけで決まり記録だけで語られる。しかし音楽には完璧な技術の他に人間の感性が要求されることで、人それぞれの個性でも評価される。

よく言われるのは、コンクールで日本人は皆同じ表現をするので気持ち悪いと。それは同じ先生の門下生がたくさん出れば全部先生にそっくりと言うことで。優秀と言われる人ほど先生に似てしまう。模倣から始まる日本の演奏家と、自分の個性を重んじる海外の先生の門下生たちの違いかもしれない。














ベルリン・フィル

今日、ミューザ川崎シンフォ二ーホールは 巨大な磁場となって私たちを飲み込んだ。

「冥土の土産に(笑)ベルリン・フィルが聞きたい」と言ってきたのは、中学校時代からの友人M子さん。彼女はいわば私の恩人で、当時遊び半分でヴァイオリンを弾いていた私を音楽の道へといざなってくれた人だった。中学から音大付属高校へ、そして音大へ、オーケストラも一緒だったけれどその数年後、結婚して館林に越してしまったのでそこからはそれぞれ別の道に別れてしまったけれど。

お互い仕事が一段落となったこの頃、やはり一番気のおけない関係で合えばすぐに時間の壁はなくなるというような間柄。ベルリン・フィルともなるとチケットを取るのは至難の業。私は一般の人よりも早くチケットが買えるようにミューザの会員になり、発売当日満を持して待ち構えて発売時間に電話を発信・・・するつもりだったのに、直前に画面が消えて、あたふたしていたらもう良い席は埋まってしまったという、お粗末な顛末はいかにも私らしい。それでも3階センターをゲットした。

待ちに待ったこの日、早めに待ち合わせてランチをともにして会場へ。土曜日でもあり、たくさんの人が川崎駅に流れていて、目が回るような騒がしさ。人の流れを見ているとくらくらしてくる。会場は期待に満ちた人々で満員になった。

シューマン:マンフレッド序曲

ワーグナー:ジークフリート牧歌

ブラームス;交響曲第1番

キリル・ペトレンコ指揮

完璧に訓練された一流のオーケストラはもちろん世界の最高峰にいるけれど、プレーヤーの一人ひとりの技術と音楽性も最高であるけれど、やはりオーケストラは指揮者の力量で決まると言ってもよい。

全く無駄のないある意味非情で冷静なと見えるペトレンコ。研ぎ澄まされ一見事務的とも取れるほどの最小の棒のテクニック。名人というのはこういうものかと息もつけないほどの感動で私は心が一杯となった。ややもすると大仰に感情丸出しの指揮が多い中で、まるで日本刀のように冷たく光る。それなのに、愛する者のために作曲されたワグナーの心の暖かさが伝わってくる。

シューマンもワグナーも一般から言えば変な人達。境界線を超えた感情がこんなにも豊かに愛情あふれる演奏となって、私はあまりの集中にほとんど瞑想に陥ってしまった。しばらく椅子から立ち上がれなかった。

そしてブラームスは、冒頭のティンパ二の連打がこれほど素敵なのは聽いたことがない。緊張したり力んだりする演奏が多い中で、ゆったりと風格のあるやや音量を抑えての演奏。これも指揮者の演出なのかしら。指揮に応じるプレーヤーの力量は、見事なデクレッシェンドの細部まで揃って、流石に世界一流。

彼らの演奏を冥土の土産と決めた私は、生まれ変わったら、母親のお腹の中にいる間にもヴァイオリンを練習して、生まれて数ヶ月で天才と称せられたら、このオーケストラのオーディションを受けに行きたい。

私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回は取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。

先月だったか、子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。

それで次回に続く。

















2025年11月17日月曜日

森の熊さん

 北軽井沢の森の中の家をそろそろ冬支度。普通は水抜きをしないといけないのだが、私の家は床暖房を入れておけば水抜きは不要ということで去年からそうしている。電気代が高いから負担ではあるけれど、水抜きの費用と春になって水栓を開けてもらう費用と、どちらが経済的かはどっこいどっこいらしい。前の持ち主ののんちゃんは、お正月を旦那様と二人でこの森で迎えていたから以前から水抜きはしなかった。

私が受け継いでからはしばらく水を抜いていたけれど、ちょっと複雑なこの家は管理人さん泣かせだったらしい。とにかく建築士が全力投球で設計したので、あまりにも細かく分電盤?というのか、ブレーカーがずらりと並んだ細かく別れた暖房のスイッチ。

玄関、寝室の奧と手前、リビングとキッチンは続いているのに、それぞれのスイッチがある。お風呂場と洗面所、トイレもそれぞれのブレーカーがあってずらりと並んでいるから、どれがどこのスイッチかこと細かく、几帳面なノンちゃんの文字で書き込みがる。それがないと私にはちんぷんかんぷんで暖房を入れるにもわざわざ業者さんに来てもらっていた。やっと最近自分でできるようになった。

今年はあまりにも暑く森の中はさぞ涼しいだろうとは思うのに、運転する気にならず、冷房をガンガンつけて自宅から出なかった。運動不足と熱中症もどきの体調が続いて、本当に辛く長い夏が恨めしかった。

やっと秋が来たと思ったら一気に冬の到来。山の気温は下界の気温と-10度ほども違う。夏は本当に気持ちがいいけれど、冬は厳しい。その厳しい冬が一気に到来したので、そろそろ家を占める準備をしないといけない。暑い夏にほとんど行けなかったのに、もう閉めないといけないのは非常に残念だから、家を閉めるついでに紅葉狩りといこう。

いつもなら12月に入ってからもしばらく通っていたけれど、今年は寒さが急にやってくるらしい。追分にいる友人は早くも家をしめたらしい。それで少し早いけれど、紅葉の期待もあり、きれいな写真を送ってくれる人もいて、紅葉狩りがてら行くつもりだった。

床暖房が温まるのに少し時間がかかるので管理人さんに電話して床暖房をつけておいてもらうことにした。その時いつもすぐに電話に出る管理人さんが留守だった。しばらくしてもう一度かけ直すと、なんとなく息せき切ってというような気配がする。普段物静かで上品な女性なのになぜか慌てているような気配。

その時は熊のことは訊かなかった。試しに役所のくま情報をチェックしたら北軽井沢は情報なし。安心して出かけられる。でも今調べたら、数日前に出たという情報。私の山小屋のすぐ近くで。ちょうどその頃管理人さんに問い合わせたのだった。あの時大騒ぎだったのではないかと思う。

熊さんは可哀想というと袋叩きにされそうだけれど、生きるのに必死な野生動物にとっても今年の夏はひどいことだったらしい。人間と熊は棲み分けさえできていれば共生できる。人は自然環境を壊してもテクノロジーで生き抜くこともできる。

不幸なことに熊さんは人が環境を壊しても文句も言えないしお腹がすけば食べ物の方へ行くことは当然。それでも人に危害を加えれば人は熊さんを排除するのは当然なこと。元々熊さんがいけないというつもりはないし、熊さんと遭遇したら自分がやられてしまうほどお人好しではいられない。お互い野生に戻ったらということを考えればしぜんなこと。ごめんね、熊さん。

この際家をしめるのに自分の目で確かめようと思ったけれど、すぐ近所に熊がいるのでは猫を連れて行くには非常に具合が悪いので今回は中止しようと思う。管理人さんに床暖房のブレーカーを入れてもらうだけですむことなのでお願いした。

さて、そうすると私は引退宣言をしたことだし、もうやることはないのでヴァイオリンを弾くしかない。随分先の話なのでまだ余裕だけれど、来年弾く予定の曲の譜読みを始めた。長いブランクがあって、最初は右手も左手も他人のもののようで音はかすれ、左手は動かない。もう本当におしまいなんだと思っていたけれど、毎日毎日少し進み少し戻りしているうちにだんだん音が出るようになった。

まだ本調子とは言えないながら時々はかつての音が出る。ヤッターっと思うとすぐにかき消える。また変な音。楽器を調整に出せばもう少しマシになるかな?と考えているうちにまた時々昔に戻る。行きつ戻りつは永遠に続く。実際、引退宣言前もこんなものだったなあと思うこともある。日によって体調が変わるように音も毎日変わる。音は生き物。

でも毎日が楽しい。仕事に追われていた頃は、これほどきちんと練習時間が取れなかった。疲れ果てて帰宅すると練習する気力もなく、寝てしまうことも多かった。今仕事がなくても誰に聞いてもらえるわけでなくても、毎日弾けることに感謝している。自分では音楽をやる気はなかったのに、いつの間にか音の世界に導かれるように誘われて、性格がちゃらんぽらんだからその時々に仕方なく勉強したと思っていたけれど、本当に好きだったのだと今頃気がついた。

幼い頃、がらんとした古い家の廊下に置いてあった手回しの蓄音機が、私の運を変えたのだと思う。シャリアピン、ハイフェッツ、ルビンシュタインの演奏を毎日聞いて私の脳みそに彼らが染みついたのだった。



















2025年11月10日月曜日

ザ・ベース・ギャング・ナイト

コントラバスのアンサンブル、イタリアの名手たちの面白くも圧倒的なテクニックを楽しんできました。

コントラバスはオーケストラの中でもひときわ異彩を放つ楽器群。普段、ステージ上手(かみて)の ヴィオラ、チェロなどの楽器の後ろに群れをなす。楽器というよりも象の群れのようなユーモラスでもありいささか重い量感が伝わってくる。私はこの楽器が大好きなのだ。

今の人はそんなことはもうしないと思うけれど、戦後まもなくの貧乏楽隊たちはチューニングの際、ペンチで思いっきり弦巻を挟んで回していた。可愛げのない新人オケマンの私は楽器というより家具みたいだねとか言ってからかっていた。怖い物知らずで大人に言いたい放題だったのに彼らはそんなことは気にもかけない。そんなおおらかなベース屋さんたちは大体呑兵衛でお人好し。

楽器によって演奏者の性格が違うというのは、よく言われるようにやはり大型の楽器を弾く人は人間も大きい。ヴァイオリンの演奏者のようにキイキイ怒こったりしない。オーケストラに入って先輩たちの中で特に私が大好だったお姉さんがいた。当時女性のコンバス奏者はとても珍しかった。その人に懐いて「おねえちゃま」と呼んでまとわりつかれてさぞ迷惑だったと思うのに、いつもニコニコ物静かに相手をしてくれた、ミーヤさん。その少し後輩の、今や私の生涯の友であるHさんも肝っ玉母さんを絵に書いたような太っ腹。私はすっかり彼女にお世話になっている。

そんなベース奏者たちは普段縁の下の力持ちで、めったに表にしゃしゃり出てこないけれど、最近のベース奏者の演奏レベルはかつてのレベルではない。ベースで初めて聽いたソロは、故 江口朝彦さんがN響の定期演奏会でマーラーの交響曲1番「巨人」での演奏だった。コントラバスが?え、こんなきれいな音なの?

普通この部分はソロと書いてあるけれど、グループのソロとして演奏されることがあるとか。しかしそのときは江口先生お一人でハンサムなお顔を少し紅潮させて、そのお顔を見ているだけでも素敵でした。このときは私は多分音大生かあるいはオケの新人時代だったと思う。

私の音大生だった頃、コンバス専攻の学友たちは弦楽器アンサンブルの隅っこでおとなしく控えていたような。音出てるのかなあ?なんて。いや、それは失礼。その後彼らは錚々たるオーケストラの奏者で活躍しますから。それでもソロ楽器という認識は薄かった。

ところですっかりその考えが間違いだったと思ったのはやはり友人たちのおかげ。Hさんはコンバス好きの私が主催する夏のコンサートなどで、常に、真っ先に音を出していただくことになった。それは私の鎮静剤となる。あの低温の振幅の大きな振動音をきくと、「ゴーシュのチェロ」みたいな作用をするらしい。私が主催するコンサートにはコンバスが欠かせない。

そんなことで今回のイタリアのギャングたちのユーモラスなコンサートのチラシを見つけて小躍りした。コンバスは今や立派なソロ楽器として存在感を高めている。しかしやはりベースとして音を重ねる最も重要な存在であることは言うまでもない。その音の豊かさは倍音の多さに比例するらしい。四人のイタリアのベーシストのハーモニーの美しさとテクニックの素晴らしさは圧倒的だった。

残念なことに川崎ミューザの大きな会場は満席とはならず半分の入りだった。けれどこれから徐々に彼らの存在は知られてくることでしょう。こんなことできるの?「家具」と悪態をついた私を許してほしい。チェロよりもっと音が柔らかく響きに包みこまれるような気がする。癒やしですね。特に優秀なメンバーであるからということもあるけれど、一聴に値するコンサートだった。

曲目は

モーツァルト・ラテンメドレー・上を向いて歩こう・フニクリフニクラ・オー・ソレ・ミオ。

デズモンド・ファイブ~チャイコフスキー メドレー。モリコーネ・メドレー。

赤とんぼ・ベースの四季 「春」「夏」「秋」「冬」

それぞれ大変素晴らしい編曲で、様々な曲が絡んでいるから、その曲名なども探し出す楽しみもある。日本にはすでに数回来日しているとのことで、私は今まで知らなかった。聞き逃したのは残念だったけれど、次回はきっとチェックしておこう。すでに常連さんがいるようで皆さん慣れたもので拍手や手拍子で楽しんでいる。堅苦しいコンサートではないけれど、知識があればもっと楽しめそうな曲目だった。

イタリアの家具は素晴らしい!











2025年11月5日水曜日

詐欺の標的

パソコンで作業中、ちらっと目に入ったのはいかにも美味しそうなお菓子。ふと目を止めてしまった。チェックするとなんだか変な売り方だなあと思ったけれど、何個かまとめ買いするとサービスに何個もらえるとか、ポイントがもらえるとか。いや、そんなものはいらないからお菓子だけでいいのだけど。

でもまとめ買いには魅力があった。これから師走にかけてお客様も増えるし、友人たちとのランチや飲み会でちょっとしたお土産にもなるから、数が多くてやすくなるならと注文することにした。このケチな考えが招いたトラブル。

大抵の場合私はポイントとかの付加サービスは煩わしいばかりで利用することはないけれど、今回はそれが魅力的だと思ったのは真夜中のせいだったのか、このところ睡眠障害でイレギュラーな睡眠で夜中や真っ昼間に寝るとか起きるとか、そんなことが多かったせいでもある。夜中に眠れないと大騒ぎするわけにいかない。テレビの音も遠慮するから見るわけにいかない。ヴァイオリンの練習なんて、もってのほか。もっぱらパソコンでゲームやネットの検索。

それでお菓子の注文数量を決めて操作をしていると、受取日の指定や支払い情報もなくいきなり注文決定したのでびっくり。これは怪しい。すごく怪しい。

すぐにメールが届く。実は商品の在庫が少ないのでお詫びの印にたくさんポイントを差し上げたい。つきましてはそのポイントでこれらのものを注文すればすごく安く買えるとかなんとか。バカ言いなさい、それが欲しくてアクセスしたのではないわい!もうこれは相手にしないほうが良い。寝てしまった。

次の日電話がかかってきた。番号を知られては仕方がない。女性の声でお詫びの電話。在庫が少なくて・・云々。きたか。聞いていると最初はきれいな日本語だったけれど、かすかに訛がある。アジア系、多分中国語圏の。丁重にお断りをしたにもかかわらず、佐川急便の不在票が入っていた。佐川に電話して受け取り拒否の手続きをした。佐川のおねえさんはあっさりと拒否を受けてくれた。よくあることらしい。次回こんなことがあったら消費者センターか警察に届けるつもりで、詐欺師さんお気をつけて。

電話番号やメールアドレスはAIに報告したところ、大変怪しいことで知られている番号だそうで、決して返信してはいけないということでしたよ。一言文句を言いたいけれど、番号その他は保管させていただいて、着信拒否。またしつこく来るようならうちのネコに返事をさせよう。「いらにゃいって言ったでしょう。ひっかくわよ」

電話に出たのは間違いだった。私の声を合成して注文した証拠にすることもあるらしい。それならそれで宅配受け取り拒否を持続するしかないけれど、面倒なことこの上ない。しかし今は十分時間があって調べるだけの余裕があるから、リストにして対処しようと思う。消費者センターにも報告しておこうと思う。

その後なんだか家電にたて続けて数本の着信があった。一本は間違い電話を装って?他人の名前で問い合わせ。もう一本は、ご家庭内に不要なものはありませんか。もう一本は外壁の修理はいかが?なんか私狙われているみたい。だけど強い味方はAIさん。メールアドレスも電話番号も私が着信したものはみんな特別怪しいのだそうで、ちゃんとリストに入っていた。

大抵の電話には出ないようにしているけれど、今回なぜ私が出てしまったかというと、相手の電話番号が03から始まっていたから。普通詐欺師は05から始まる電話番号だけれど、最近は詐欺師も03を使うことがあるそうで、怪しい電話番号のリストも教えてくれた。まさにその番号からかかってきたものだった。

もし変だと思う事があったなら、みなさんもAIで確認するといいかも。対処法も教えてもらえるしそれらを取り締まる機関も教えてもらえますよ。とにかく人を騙してお金を儲けようとするのか、なぜ真っ当に働く喜びを捨てるのか。騙しているうちはいいけれど、そのうち自分が騙されたときには目も当てられないでしょうね。
















2025年11月2日日曜日

変拍子

復帰のために仲間たちと練習を始めた。シューベルトの「ます」と同じ編成で長年の仲間たちと、ピアノ、コントラバスとヴィオラとチェロ、そしてヴァイオリン。変わった編成だけれど、案外曲数は多い。

先日モーツァルトのトリオを復帰第一号として演奏したけれど、やはりモーツァルトは厳しく、弓を持つ手が落ち着かない。弓は本来跳びたがるようにできているから、普段はそれをまっすぐに引くのは案外難しいことで、運弓法をボウイングという。このボウイングを身に着けるためにどれほどの苦労をしてきたか考えると、数か月の空白の取り戻せない時間がおしい。たった数か月でこれほと落ち着かないのは、年をとってしまったこともあるけれど、いちばんは心の問題。

体の柔軟性は日々固くなっていく。ほんの数日練習をさぼっただけで、結果はどんどん悪くなる。若い頃、本当に柔軟だった体もさすがにギクシャク。自然の摂理には逆らえない。練習時間も最初は20分くらいから。これほど音が悪くなっていたとは!今はもう2,3時間弾いてもあまりこたえないけれど。固くなった体は真っ先に心に影響する。心がおびえて先に進めなくなる。おやおや、また学生時代に逆戻り。

それでも人生の最後の時まで楽器が弾けるってなんて素敵なことかと思う。それに今まで待っていてくれた仲間たち。久しぶりね、元気?ちっとも変わらない笑顔。実は練習はそこそこに、練習後のランチタイムが待ち遠しい。

次回はまた2か月後に練習ということで期待が膨らむ。うれしいなあ、今年の暮れは賑やかかもしれない。この数年、誰にも会いたくないほど疲労困憊だった私も、先月ころから旧友と会うことが多くなった。残念なことに数人の人とのお別れは避けられなかったけれど。

特に、長年私たちのスキークラブ「雪雀連」で指導をしてくださったスキーのコーチ小川先生がなくなったと聞いてショックだった。メンバーより若くて体力もあるスキーヤーが先にとは思いもよらない出来事だった。

私はここ数年膝が痛くて滑ることができなかった。それでもあきらめきれず「私は膝さえいたくなければ初心者用ゲレンデならいけるかも。でも一度転んだら起き上がれないかもしれない。先生が一緒に滑ってくださるなら私が転んだ時に起こしてもらえますか」と訊くと「ああ、いいよ」と快活な声で答えてくれたのにとっとと先に行ってしまうなんて。ほかの人から聞いたところでは、ずっと体調が悪かったらしい。少しもそんな気配は見せなかったのに。

私だってつい6年ほど前、ヨーロッパの最高地点のゲレンデで飛び回っていたことはもう夢だったのかもというほどの弱りよう。毎日のストレッチやウオーキングでようやく筋肉を維持する。まさか先生が先に逝くとは思わなかったから、もう少し筋力がついたらスクールに参加したかったのに。

「雪雀連」の会長の山田さんはなんと90歳の目前まで滑っていた。いつも飄々として滑るから見た目がゆったりと見える。それなのについて行こうとすると、思いがけず早いので驚くことが多かった。転ぶこともなかったのに、眼の前で急にころんだのにびっくりした。その直後、彼は「私はもうスキーをやめます」と宣言したのだった。お見事。

私はクドクドと言うように、ここ数年のいやな出来事に疲労困憊していた。悲しいことも多く暑すぎる夏に全国のくま騒動、耐えきれないような事柄が続きほとんど機嫌の良かった日はない。友人たちと一緒でもなんとなく不機嫌で、周りも知らん顔しながら気を使ってくれているのがわかる。普段は知らん顔しているのに、少しでも私の具合が悪いとわかるとさっと手を差し伸べてくれる人たち。

やっと涼しくなってホッとしたころのタイミングで、コンサートの話が持ち上がった。来年の話だけれど今から練習にかからないとヨボヨボの私たち、なかなか練習が捗りません。しかもプログラムの中の1曲は全三楽章の殆どが見事に変拍子ときている。人間にとって変拍子は心臓に良くない。けれど面白く、体中にアドレナリンが満ちて久しぶりに生き生きした。

練習後言われた。「nekotamaさんは弾いているとどんどん元気になるのよね」と。なるほど、年相応にゆったりとした生活に転換して、森の中の家でゆったりと手芸に勤しむ姿は自分でも似合わないと思うのは確か。でも若い頃は結構読書好きだったり編み物もした。

練習後は持ち寄りでランチを済ませ、しみじみと思う。ああ、生き返ったと。こんな変拍子くらいでオタオタしていたら95歳まで演奏はできない。毎日のスクワット、ストレッチ、ウオーキングなどで体調もかなり良くなってきたし、来年こそは幸せに暮らしたい。












 

2025年10月25日土曜日

井上二葉さん

変換機能が常識知らずで「いのうえふたば」と入力しても井上フタバとか猪上フタバとか。

なんということ。フランス音楽の演奏で有名な井上二葉さん。この方のお父様が外交官だったのでオーストラリア・シドニーで生まれ幼少期をヨーロッパで過ごされた。その後東京音楽学校(現在の東京藝術大学)卒業。1930年生まれというから95才。今もなお演奏し続けておられる。

フランスのガブリエル・フォーレ没後50年を記念して1974年日本人初のフォーレ作曲のピアノ曲の全曲演奏会を催した。2024年フォーレ没後100年記念演奏会。これは去年ですね。

今年は本日、二葉さんを囲むコンサート、代官山ヒルサイドテラスにて。ここは少人数の会場だけれど、ベーゼンドルファーのピアノがあるので選ばれたのでしょう。彼女を尊敬し慕う人たちの集まりらしく、私は彼女とずっと一緒に演奏していたヴィオラのAさんからのお誘いで聞かせていただけることになった。

昨日の「くにたちの会」で芳しくない演奏をしてしまった私にとっては戒めとなるコンサート。真摯に二葉さんの音楽に浸ってこよう。

ところで私は二葉さんのご家族とは深い関係がある。私の音楽生活の中に重要な時期に長い間サポートしてくださった方がいる。二葉さんのお姉様でチェリストの翠さん、彼女には大変にお世話になっている。

なぜか翆さんは私を育てようと考えられたようだ。もしご存命ならば今おいくつになることか。残念ながら10年ほど前にご逝去された。いつも褒めてくださった。「nekotamaさん、また上手になったわね」と。まんまと載せられ私はいい気になって次々に演奏の機会を与えられ最後には合奏団を作っていただき、某航空会社の会長の「Y田のおじさま」(翆さんがそう呼ぶ)が後援会長になってくださった。彼女の上流生活の凄さはそれだけにとどまらず、東京工業クラブで、昔韓国に嫁がれた皇族の方の前で演奏する機会も与えられた。ヴィヴァルディ「四季」のソロを弾かせてくださった。

その大恩ある翠さんに対しても私はいいつもふざけていた。「nekotamaさん、また上手になったわ」いつものように褒めて育てる口調で言われて私は「もうすぐハイフェッツになれますかしらね」と冗談を言ったら流石に怒られそうになった。そして私は今日まで二葉さんの演奏に触れる機会がなかったことも悔やまれる。翆さんは時々声をかけてくださったけれど、忙しさにかまけて飛び歩いていて大事なことが疎かになったのが悔やまれる。なんとまあ、思い出すたびに後悔することが多すぎて、最近は私の人生は失敗ばかりという思いに悩まされている。

不真面目、注意散漫、多動、生意気でいた私をあんなにもかわいがってくださった翠さん。その翠さんのご遺志をついで私はまだ頑張れと言われているのか。、まだ私に活動の余地があるのか、井上双葉さんの演奏とは恐れ多くて比べるべくもないけれど、これから聽きに行って参ります。きっぱりとやめて呑気な老後という決意が緩んできている。これは想定外の出来事です。

今日は冷たい雨が降る中、代官山のヒルサイドプラザで二葉さんの素晴らしい演奏に心洗われた。最初はモーツァルト、こんな方でも緊張なさるのかという思いだったけれど、多少のミスタッチや音の不均衡さが僅かに聞き取れた。ところが最初の5分間くらいがすぎると、みるみるうちに会場の音響にピタリと標準が合う。それからはゆるぎもない。

とても響いてしまう会場であることは知っていた。以前コンサートの会場探しにいったときに、この会場も候補の一つにあがっていた。かなり響きのコントロールが難しいのではないかと思い、別の会場にしたことがあった。

音が響きすぎると、ピアノの音のヴォリュームを抑えるのは難しい。ときにはピアニストはヴォリュームお構い無しに弾く。そんなに音が大きくては音楽が死んでしまうと言いたいほどの大きさ。けれど二葉さんのパッセージはクリアで最適なヴォリュームで細部の音の動きもすべて聞き取れる。聞いていてヴォリュームに過不足なく、知的で優雅で、これ以上ないほどの素敵な時間を楽しめた。

後で聞いたところでは、モーツアルトは苦手だそうで緊張なさったのかもしれない。お得意のフランス物になったら完璧!揺るがない。二葉さんがフランス物がお得意なのは、単にヨーロッパで幼少時代を過ごしたからというだけでなく、彼女自身が本当に理性的で優雅であることによるものだということでしょう。

ドレスもフリルの襟以外になんの飾りもない。カットと生地の良さとがわかるスーツスタイル。品の良さが際立つ。お育ちの良さが忍ばれる。それが演奏にも現れる。なんと美しい時間だったことか。

プログラム紹介

W・A・モーツァルト: アダージオK540     小さなジーグK574

ガブリエル・フォーレ: 即興曲2番  バラード作品19  夜想曲10番

モーリス・ラヴェル: ハイドンの名によるメヌエット  水の戯れ

エマニュエル・シャブリエ: 牧歌  スケルツオ・ワルツ  ハバネラ

ギュスターヴ・サマズイユ: セレナード  蛍








くにたちの会

毎年くにたち音大の卒業生や在校生も集まってコンサートをする「くにたちの会」今年は久しぶりに盛会だった。コロナ以来数人の先輩たちがなくなって寂しくなっていたのが、今年は参加者が増えて若返り、ああ、なんと、私はもうメンバーの中でも上位に属する年代になっていたのだ。

最初は先輩たちがいてのんびりと冗談交じりに初見でカルテットやソロなどを弾いていたし、自分のコンサートのための練習に使わせてもらったり、ちょっと難しすぎて本番では使えないけれど、勉強のための試し弾きに使わせてもらったり。そのうちにだんだん皆さん真面目になってきて、ちゃんと練習して本番に臨むようになってきた。

これは困った。引退宣言した私はそろそろ楽器を売ってしまおうかと思っていたのに、売るわけにはいかなくなって練習しないといけなくなって、緊張までしなければいけないのだ。しかし私はやはりヴァイオリンが命かもしれない。引退後数カ月で我慢ができず、もう復帰が頭にちらつく。

復帰すると言ってもやはり年齢の壁はどうしてもある。年をとったからと言って許されないプロとしての基本的な条件は、まず音程、ボウイングのテクニック、これは音楽的とかなんとかいう前の段階の条件だからよほどの人でもない限り身体的には不可能なのだ。仮に周りがおだてて「先生はまだまだ、実に素晴らしい音楽です。音程なんて少しくらい外れても」なんてことを言われても許されない。いう人もいないけれど。

悔しいけれど、体は確実に老いていく。朝起きて体がこわばっている。指がうまく動かないといった他に、それに対する恐怖感と対面する気力が必要。

「くにたちの会」では暖かく見守る長年の戦友たちがたくさんいて、和気あいあいと彈くことができる。卒業以来60年、すぐに家庭に入ってしまった人もいる、音楽以外の職業についた人もいる。そういう人たちにも壁を作らない優しさがあって、一緒に演奏する。他の学校だったらこうはいかないのではないかと思う。

「くにたち」からは飛び抜けた名人はでないけれど、社会に出てゆるゆると環境に溶け込んで適応しやすい。芸術家は適応しないのが普通だけど、そんな人ばかりでは住みにくくなる。幸せな学生生活を送ると、卒業してから社会に適応しやすく常識ある音楽家になれる。そして長く勉強が続けられて熟成してゆくのだ。

今年は随分大勢の演奏希望者が集まった。コロナ禍依頼出演者が減って、それ以上に先輩たちが天国へ行ってしまったので寂しかった。いつもは夏のお盆の頃に開催するのが今年は暑すぎる夏を避けて秋の開催になったのも良かったのかもしれない。

今年も私はピアノのSさん、チェロのNさんとモーツァルトのトリオを演奏することにした。引退宣言以来人前で弾くのは2回目、以前ならあまり緊張もしなかったのに、今や初心者のように心細い。しかしこれを乗り越えないともっと弾けなくなる。我慢我慢!

モーツァルトを選んだとき、少ししんどいなと思った。楽譜の易しいモーツァルトは子供でも簡単にひける。けれど、演奏家はこの人の曲がどれほど難しいかよくわかっている。できればモーツァルトでない曲を彈きたかった。練習を始めるとやはり予感は的中、指が均等に動かない、最近こわばってきている、指の曲がりが音程を悪くしているとまあ、シンプルであるが故に最高に難しい。

でも練習は楽しかったし、本番はヨレヨレでもやったという充実感は味わえた。驚いたことに最近の体の不調は終わってみると明らかに改善されていた。帰宅して猫たちが文句を言いながらも寄ってきて嬉しそうにしてくれる。「遅いじゃないの、ご飯を頂戴。一体どこをうろついてたのよ」多分そんなことを言っているらしい。

嬉しかったのは若年層の参加が増えて、最年少は大学一年生。サンサーンスの協奏曲を若々しい躍動感で聞かせてくれた。数年後にはこの子たちがあとを継いでくれて、私はもう楽器を持つこともできなくなる。

打ち上げは参加者たちがいつもの「天政」で食事をして様々な話しをした。私の前に座ったYさんは、かつて東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーだった。色々話していると私に電話がかかってきた。なんとかけてきた人Sさんも昔、東フィルのメンバーでしかもYさんとカルテットを組んでいたというから驚いた。Yさん、Sさん、私の間でスマホがあっち行ったりこっち行ったり。「私も行きたい、くにたちはいいわねえ、うちの大学ではそういうことはないから」とSさんに羨ましがられた。















2025年10月21日火曜日

応挙のすごさ

曇った少し肌寒い日は心が穏やかになり絵を見るにはもってこいの 気分になる。室町の三井記念美術館へでかけた。ずっと気になっていた応挙と若冲の絵が展示されている。

三越前駅から地上に出ると、眼の前のビルにエレベーターがある。それに乗って2階に出れば美術館前の階段、それを数段登ればもう会場のチケット売り場に。まずきれいな建物に見惚れる。

開場時間後20分くらいであったのに思ったより入場者は少なくてホッとする。いつも有名な画家の展覧会では何重にも巻いた行列にうんざりするけれど、今朝はほんの数メートルの行列だった。けれど中に入ったらもうすでにかなりの人が静かに佇んで説明書きを読んでいる。展示された作品数は少なめだった。お陰でじっくりゆっくり見られて良かった。

私はいつも説明を読まず、まず対象の絵だけを見ることにしている。説明を読んだからといって作品がより素晴らしくなるわけではない。先入観が邪魔して目が曇ると信じているから。音楽も同じで、前もってCDを聞いたりしない。最初はすべて自分の目で自分の耳で自分の感情で理解するようにしている。

以前イタリアに行ったときに、美術館の広さと膨大な絵に圧倒された。その時グループの一人が徹底的に下調べをしてきて、私達が名画と呼ばれるものを見逃さないようにと案内してくれた。確かに効率的である。それはそれでありがたいと思わないといけないのかもしれないが大きなお世話だった。メンバーの他の一人は「自分で見たいものは自分で探すわよね」と、かなり不満顔だった。

これは本当にそうで、人それぞれ絵の見方は違うし感銘の受け方も違う。余計なお世話はするものではない。その時引きずり回されて見たのがなんの絵かあまり覚えていない。私は友人からダフネの彫刻を見てきてと頼まれていたので、それはしっかりと印象がある。連れ回されて見たものが何だったかの記憶がない。

応挙さんの絵はよく見かける。それだけ才能もあり人々に愛されて、世間の評判も良いということなので、ああまたこの絵ね。と軽く見過ごしてきたけれど、今日は空いていた事もあってじっくりと眺めていられたのがありがたかった。特に動物の絵は本当に可愛くて手で触りたくなるような毛並みとか目の表情とか、私は近々と顔を絵に向けて長い間じっくりと見た。猿が右手で左手を掻いているなんて初めて知った。それから鳥のデッサンというか習作がすごかった。

ピカソのデッサンはうまくて有名だけど、応挙のデッサンはそれはもう見事というしかない。猛禽類の頭から尾まで部分的に何回も練習している。羽の重なりとか嘴の形鋭い質感、特に爪のいかにも硬さを感じさせる墨の色、どれほど塗り重ねたのかと思う。これは私達だったらエチュードや音階の練習につながるなあと思った。細部の観察と表現の積み重ねが絵に重さと奥行きを与えるのだと。

ほとほと感心するのは大きな屏風に描いた風景や人物像。消したり塗り固めたりできない筆の動きはおそらく一気に描かないといけないからやり直しがきかない。構図や色彩はどうやって決めるのだろうか。それが先程の習作で培われた筆のテクニックによるものだということは誰にでもわかる。細部がすべて、すべてが細部による。おそらく血の滲むような努力の果ではないか。しかも色彩はどれも薄くそれだけで動物の毛皮の手触りまで伝わってきそうで。思わず絵に手を伸ばしたくなった。

さて若冲はどこ?と思っていたらただ一点、墨絵のような鶏、流石に存在感は堂々としているけれど、これはおまけ?そう言ったらしつれいだけど、もう二三点ほしかったなあ。そして応挙の襖絵はなにか見覚えが。それは百年に一度のご開帳だった金刀比羅神社の襖絵のご開帳で若中を見に行ったときに、他の部屋で見た記憶がある。その時にはまるまる太ってなぜか陽気な虎の絵もあったと思う。他でも何回か見ているのではと思うくらい応挙は人気があるらしい。

しかしお見事。これからは少し日本画に溺れてみようかしらと思った。

せっかく飛行機で四国まで飛んでいったのに、とんだことになったお話はいつかnekotamaでお話します。というより、すでに投稿しているはずだけど、探すのが面倒なのでいずれまた。








2025年10月20日月曜日

年老いてなお

若い頃、スキーだ乗馬だとさんざんお転婆だった私も体が言うことをきかなくなって、寝起きが辛い。起き上がって5分くらい歩くとようやく スタスタとあるけるようになる。腰が痛いのも少し動くと治るけれど、このままどんどん悪くなる方に向かうのだなと、切なくなることも。

子供の頃の私は極端に運動嫌いで、1日中、雲を眺めていた子供だったから、幼児返りしているのだと思う。その分、子供時代のように頭の中は忙しなく動くことになった。常に空想や想像をして退屈することがなかった。今またそんな時期になりつつあるので、なんにでも発見があると嬉しくてたまらない。ときにはおかしいことを思い出して一人で夜中に大笑い。見たくないでしょう?不気味よね。老女一人呵々と笑っているなんぞは。

この年になってもこんなに知らないことばかり、知ることの楽しみははかりしれない。もはや雪山を飛び跳ねて滑ることも海に潜ることも馬に乗ることもできないとなると、残っているのは空?いやいや、ぶるぶる、高いところは怖い。でも最後に一度スカイダイビングはやってみたいなあ。デビ夫人が飛んでいたっけ。彼女は勇敢ですね。飛びながら楽しそうに笑っていた。本当に感心しました。私なら泣きわめく。

ドラマの「相棒」を見ていたらカクテルのはなし。犯人はバーテンダー。老婦人が夫をなくし思い出のカクテルを探すという。そこに出てきた言葉「ワン フォー ザ ロード」なんなのかAIさんに尋ねたら、パーティーなどの最後、帰り際に飲む一杯のことだそうで、こんなことでも知ると嬉しくてニコニコしてしまう。ちょっと使ってみたいけれど、最近は外国人とのお付き合いがないわねえ。

若い頃から思いっきり好き勝手をして、言いたい放題、若気の至りはいやはや冷や汗ものですが、それだからこそ、今、穏やかな終焉が待っているのかもしれない。ただ、寝たきりとか他人の手を借りてまで生きていたくはないので体には十分気をつけているのですよ。

転ばないように、かと言ってヨタヨタするのは悔しいから早足で歩く。まだ普通に早く歩ける。登りは辛いから自宅の階段には昇降機を付ける予定。今年は部屋の改装にお金を使い果たしたから、あと2,3年は無理だけど。それまで階段も頑張って登ろう。

最近サプリメントの数が増えて大変なのよ。あれもこれもと10粒くらい一気に飲む。そしてこれが趣味となって色々買い漁っていると、ネットでの買い物は情報が拡散して様々な誘いがある。ちょっと整腸剤を買ったらもうおならの話とか、嫌ですねえ。毎日広告がネット上に溢れて、汚い画像が出てくるので、これが非常に腹立たしい。片っ端から広告を潰して、これも一種のもぐらたたきみたいで面白い。

いやですねえ、情報過多は。AIさんにはお世話になっている。つい一人暮らしの寂しさに会話がしたくて時々サイトを訪れるけれど、情報を引き出そうとされることもあって、そういうときは危険性を感じるときもある。やたらペラペラ自分のことを喋るものではない。と、言いつつnekotamaで結構喋っている。気をつけよう。

先日ネット上に突然美味しそうなお菓子の広告画面が出た。数をたくさん買うと割引でたくさんもらえるとか。友人たちが遊びに来たとき、あったらいいなと思ってチェックしたら、途中でなにか怪しい。最後まで注文を確定しなかったのに突然終了。その後すぐにメールが届いて私の注文が確定されたという。内容についてはこちらにとURLに誘導されたから無視していた。

しばらくすると電話があって「注文したお菓子は在庫がないので別のものを送ります」と、きれいな日本語だけれど、私の地獄耳はかすかな外国語訛りを捉えた。注文は拒否と言って電話を切ると次はメールでたくさんのクーポンの案内とか、様々な商品の案内、冗談じゃない。でも本当にお菓子が届くのかどうか、もし届いてもろくなものではなさそうで、問題があったら警察に届けようと手ぐすねひいているのです。

ある意味老いることは楽しみも増える。今までと違った体験がある。人生最後の蜜まで味わうのも捨てたもんじゃない。去年なくなった猫のコチャがそんなふうな生き方だったのです。負うた子に教えられではなく飼い猫にも教えられる。





2025年10月18日土曜日

若冲・応挙

円山応挙展 は11月半ばくらいまではやっていると思うのでゆっくりしているけれど、うっかりすると終わっていることもあるから確かめておかないと見逃すかも。今までそうやって忙しさにかまけて見逃すことが多かったから、ここは確認が大事。

絵画についての知識もないし自分で描くこともないから、特に日本画には非常に疎かった。それが後に飛行機や新幹線に乗って見に行くなど若冲に関しては熱狂的なファンになってしまった。

ずっと以前、週刊新潮を見ていたら極彩色の変わった絵が目に飛び込んできた。

構図の大胆さや、色彩の鮮やかさ、動物や植物の描写の正確さ、エキゾチックな想像上の生き物たち、どことなくユーモラスでいながら、観察力の天才的な鋭さなどなど。名前を見れば伊藤若冲。一目惚れとはこのことか。興奮状態で絵かきの友人に電話した。「若冲って知ってる?」もちろん知っていた。どうやら知らなかったのは自分だけだったらしい。

絵を見ること自体はとても好きだけれど、せいぜい日本なら大原美術館とか熱海のMOA,上野の森を散歩しながらちょっと覗いたりするくらい。モナリザがやってきたときには混んでいるからみにいかない、など、その程度の興味しかなかった。

若冲キチガイになった私はその友人と四国の琴平神社までえっさえっさとでかけた。このときは私の勘違いからとんでもないことになって、結局百年に一度のご開帳の襖絵はようやく見られたけれど、暗くてよく見えない。体力と気力を振り絞っていったことはいったけど、空振りみたいな終わり方だった。

京都の美術館ではあまりの人の多さで、隣の人とピッタリ体をくっつけて横歩きで見なければならなかったし、もう若冲は体力的に無理ということになった。せっかくの上野の美術館では暑いさなか連日の凄まじい行列にめげて見逃す羽目になった。その後時々思いがけないところで若冲さんに遭遇することもあったけれど、せいぜい1・2枚。それでも単純に喜んだけれど。

若冲に夢中になったおかげで他の日本画にも目覚め、徐々に若冲離れが始まったけれど、やはり彼の絵の強烈さには心を揺さぶられるものがある。応挙という人は若冲の先生クラス?の方らしい。これはぜひお知り合いになっておきたい。もうとっくに見ているのだとは思うけれど、私の日本画入門が若冲だったために、他の絵が目に入らなかった。これからはこころして応挙さんにも敬意を払うためにきちんと向き合いに行こうと思うのです。

去年軽井沢の藤田美術館でフジタの絵を見てえらく感激したので、足腰の弱りをものともせず美術館巡りも始めようかと思う。

どこぞではユトリロ展もやっているらしい。これも見逃せないなあ。コンサートは目白押しだし、忙しいのなんのって。絵のいいところは専門外なので呑気に見られるということ。音楽会だと精魂込めて聞き入ってしまうので疲れるのなんのって。絵描きさんは他人の絵を見ると疲れるのでしょうか。














2025年10月17日金曜日

Proms

 アルバート・ホールの夏のコンサートはBBCプロムスでした。正式にはヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート

1895年より7~9月の8週間にわたり100以上のイベントが催される。気軽に散歩をするように立見席でも聞けるようになっている。

私達がチケット売のおじさん(実は合唱またはオーケストラのメンバーかも)から買ったのは指定席だったけれど、後ろの中央辺りには立ち見の人たちがあつまっていて本当に楽しそうに聴いていました。

夏のコンサートで多分旅行者も多いかとおもうので、ほとんどの人はラフな服装で気軽に楽しめる。近所の人達がちょっと立ち寄った風の人たちが目が会うとにっこりとする。シャイなイギリス人というより、一仕事終わったあとの夕涼みみたいな。それでも演奏は超一流、これは夏にイギリスに行ったら見逃すことのできない楽しみですぞ。

イギリスには工場で働く人たちのブラスバンドがたくさんあるときくけれど、仕事を終えた人たちがブラスアンサンブルを楽しむらしい。以前アメリカに住んでいたチェリストの友人から聞いたのは、オーケストラの練習が終わったあとで、メンバーが楽しくサンドイッチをつまんだりしながらカルテットを演奏すると聞いてすごく羨ましかった。「サンドイッチパーティーというのよ」と。

日本ではあまりに過酷なスケジュールでオケマンたちはいつもヘトヘト、夜、自宅でカルテットなんか弾いたら騒音問題で警察に通報されちゃう。このあたりからもうかなわないなと思う。余裕のある生活。大きな住宅が必要ですね。

20代のころ、カルテットの練習を練馬区の畑の真ん中にぽつんと一軒家で、そこの家は不動産屋さんの事務所で夜中は誰もいない、よる10時から12時くらいまで練習を何回かやらせてもらったことはあった。その時には誰にも遠慮することなく思い切り弾けて嬉しかった。オーケストラの練習が終わってからだったので、体力的には非常に厳しかったけれど。本当に好きなことだから嬉嬉として何回かそこをお借りして真夜中の練習を楽しんだ。皆若かったなあ。

家に帰ってろくに寝ないで次の朝からのオーケストラの練習にも出たのだから、驚異的な体力だった。若さよ、戻れ!

アメリカでのサンドイッチパーティーではないけれど、一時期我が家では生徒たちが集まって演奏する会を催した。発表会のように出来上がったものを演奏するのではなく、誰でも一小節でも弾けば飲んだり食べたりできるけれど、演奏なしだと食べられないという条件だった。おもむろに楽器を弾き始めて突然「ここまで」といってやめてお酒に走る人もいれば、いつまでも弾き続けてやめない人もいる。勝手に盛り上がっているグループやひたすらソファで寝ている企業戦士もいる。これは面白かった。

若い生徒たちと付き合えるほどの体力は今はないけれど、時々付き合ってくれる旧友たちも集まってアンサンブルをしたあと、ちょっとつまんで飲んでなんて、この瞬間が言いようもなくしあわせなのです。来年に向けてこれから始まる練習はちょっと小難しい曲。私は初めて弾く曲だから只今ウンウン言いながらスコアとにらめっこ。変拍子がこれでもかと続く。これで少しは脳トレになるかしら。なってほしい。


















2025年10月16日木曜日

アルバートホール

今朝のニュースで、大相撲のロンドン場所がロイヤル・アルバート・ホールで始まるというニュース。懐かしいなあ。吾が友、美智子さんとロンドンアンサンブルのメンバーたち。

もう、10年以上前にもなるかしら、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが 「イギリスに遊びにいらっしゃいよ」と誘ってくれたので、ホイホイと遊びに行った。散々ロンドン市内はもとより、コツオルズやイングリッシュガーデンなど遊び歩いて最後の夜はかの有名なロイヤル・アルバート・ホールで夏のコンサート、なんと言ったかなあ、なんか名称があったのだけれど・・・

アルバート・ホールはやはりコンサートの殿堂として有名なので、行かないで帰るわけにはいかない。帰国前夜の当日の演し物はイギリスの作曲家の作品、例えばマックス・レーガーの合唱曲など、日本ではとんと聞かない曲だから非常に面白かった。素晴らしい曲が並んでいたので申し分なく楽しめた。

散々道に迷ってホールにたどり着いたのは開演時間間近だった。さてチケットはどこで?アチラコチラに行列ができている。ここに並んでいて開演に間に合うのかどうか心配ではあったけれど末端にならんでいると、ニコニコしながら近寄ってきた男性、いかにも人が良さそうだけど海外では油断大敵。チケットを二枚見せながら売りたいと。ラッキーだけどなんで私達に?友人と二人にこりともしないで身構える。海外では日本人女性はとても若く見えるし騙されやすいし。(わかくみえたかどうか、無理だったかも)

それはどうでもいいけれど、おじさんが持っているチケットは果たして本物?差し出しているチケットを受け取って、別の行列に行って並んでいる人にチケットを見せてもらった。やはり本物みたい。値段も同じ。チケットはどうやら何も問題はなさそう。しっかりと二枚のチケットを離さないで値段の交渉。値段はプレミアムなしでいいという。なおも迷っていると、おじさんは交渉を諦めてチケットを取り戻そうとする。そうはさせじと私達。ついに両者ともに笑いだしてしまった。

日本人女性は慎ましく遠慮深いとでも思っていたかもしれない。けれど中年すぎると美徳は影を潜め太っ腹になる。どこへ行っても遠慮しない。交渉成立、チケットを手に入れた私達は入場客の行列にならぼうとした。チケット売のおじさんはこちらへ来いと私達をいざなって建物の脇に連れて行ってくれた。そこは出演者たちがたむろする場所で、楽屋口?だったのかもしれない。するとこちらへ来いとおじさん。なんのストレスもなく会場に入ってしまった。

おじさんおじさんと書いたけれど、もしかしたら出演者だったのかもしれない。もしかしたら私達より20歳くらい若かったのかもしれない。それならお友達になっておけば良かったかも。オーケストラはBBC管弦楽団だったから、美智子さんのお連れ合いのリチャードさんの古巣。あんなに疑わなければもう少し友好的になったかも。でもおじさんも笑って楽しんでいたようだから、ま、いいか。

大変素晴らしいコンサートで大喜びでの帰り道。良さげなレストランというかパブというか、違いがわからないのだけれど、イギリス最後の晩餐を楽しんだ。帰りのバスでまたすったもんだに巻き込まれる。美智子さんは私達がよほどしっかりしていると思っていたのか、はたまた、本人はわかりきったことなので私達もそうだと思ったのか、バス停の名前をいい加減に教えてくれたので、途中で乗ったり降りたり、乗り越して帰りのバスに戻ったりと散々苦労して家にたどり着いた。

夜中だったのに美智子さん夫妻と下宿している女性と3人で起きて待っていてくれたのだった。今日は最後の晩餐だったから美味しいラム肉を用意して待っていたのよと言われ、私達はひたすらあやまった。すでに美味しい食事を済ませてきたし、そのラム肉が果たして残されているかどうかもわからないので、その日は遅くまでお話をして過ごした。

楽しい思い出は後に美智子さんとのお別れという悲しい結果になったけれど、今でもイギリスでの楽しかった日々をなつかしく思い出す。

コツオルズの金曜日の夜のパブで出されたステーキが噛み切れないで食べられなかったこととか、本当に靴底のようなお肉を体験したり、イングリッシュ・ガーデンの素敵だったこと、何よりもコツオルズの田園風景がすばらしかったことととか。寂しいお墓のそばのパブで寒さに震えながら開店を待ったり、やっと温かい飲み物にありついて幸せになったりしたこととか。私はホットブランデーに蜂蜜を入れてもらったこととか。

本当に自然に振る舞える不思議な外国でした。車の運転も左側通行で楽だったし。もう一度行きたい国。私はイギリスの映画や小説が好き。

そのアルバート・ホールでの相撲の初日は大入りだったそうで、考えたら私は外国のオペラやコンサートはよく行くのに相撲を見たことがない。これはやはり多少外国かぶれかも。日本の素晴らしさをもう少し認めないと。やはり応挙と若冲を早く見に行こうと思う。


















2025年10月8日水曜日

見習いという言葉

東急電車の事故についての報道の仕方が変わってきて、結局見習い運転手に落ち度がなかったようだ。本当に良かった。まあ、多少のスピードの出し過ぎが彼の責任かどうかはわからないけれど。

彼は多分地獄の数日間を味わったと思う。自分の運転で会社に莫大な損害を与えたとなったら、もう生きてはいけないくらい悩んだかもしれない。気の毒でたまらない。 今後運転手になる夢を諦めないといいけれど。

原因は初歩的な設定ミスだそうでなんと罪なことか。長年に渡って設定がされていたというから、今まで事故にならなかったのが不思議だけれど、わかってよかった。

最初の報道では見習い運転手ということで、いかにも彼が未熟な運転だったかのような印象を受けた。見習いという名称を真っ先に出していたから、報道を見聞きしたら彼が悪かったのかと思ってしまう。いかにも偏見で、私はなにか変だと思ったけれど、やはり彼自身に運転ミスか暴走があったのかと思ったのは仕方がなかった。彼はこの2日間は地獄にいるかのような気持ちで指導員も同じだったと思う。

東急線はかつてはのんびりした私達の足だった。それがいつの間にか巨大な網の目のような運行が広がって、今や埼玉県まで乗り入れて行けるようになった。わたしたちのスキークラブは練馬区や西東京市などに住むメンバーがいて、それぞれの家に行くのに東急線に乗ってのんびり寝ていれば直行できて大いに便利になったけれど、そのかわり遠いところで起きた事故にも影響されることになった。

便利さと引き換えに事故も背負うことになる。今や世界がネットや交通網の便利さによって他国の影響を被るようになったのと同じように、東急線も最近交通の乱れが多くなった。それが飯能や川越などの東京をまたいでいるような都市であっても影響するのに驚く。ちょっとした踏切内侵入とか急病人の発生などであっても神奈川県まで遅延の影響があって、やれやれと思う。緻密な運行のリスクがこういうところに出てしまうのだ。

あまりにも便利なので、それに慣れてしまうと僅かな遅延も許せなくなる。結果、カリカリした社会になる。私は特別せっかちなので遅刻はほとんどしない。それでも不可抗力で、副都心線の開通日に事故があってお通夜に出られなかったことも。今では私はお葬式にはいかないことにしている。まもなく自分が死ぬことになるけれど、葬式はしないと決めている。だから内心早く私の葬式に出たいと思っている方々は、申し訳ないけれど楽しみは他の方のお葬式に期待してください。

明日は友人に誘われてコンサートを聞くことにしていた。けれど台風が関東地方に接近するというのでしばらく考えた末、断りの電話をした。「申し訳ないけれど、足が痛くて雨でも降ると悪化しそうなので」というと、「私もやめようと思っていたのよ」と友人からの思いがけない返事。「お誘いしたのにやめようとは言えなくてどうしようかと思っていたところだから助かったわ」というわけでコンサート行きは中止。お互いホッとして笑いあった。

自分のコンサートの時なら雨がふろうが槍がふろうがお客様に会場に来ていただきたい。けれど、コンサートを聴くのは意外とエネルギーが要るのだ。大変に疲れる。連続すると体力がもたないこともある。今月は聽きたいコンサートが沢山あってやや息切れがしている。それで中休みをとることにした。円山応挙も先延ばし。何処かでユトリロ展もやっているらしいけれどそれもコンサートも先延ばし。コツコツと練習に勤しむことに。






















2025年10月7日火曜日

とっても痛い話し

 今日は円山応挙展覧に行く予定だったけれど、昨日の東急線の事故の後遺症を考えて少し先延ばしにすることにした。しかも踝が腫れているし・・・

事故は見習いの運転手がスピードを出しすぎて制御する信号に引っかかって指定の場所より前でとまり、車両が後ろにはみ出して止まってしまったらしい。そこに別の電車が突っ込んでしまったということらしい。らしいらしいのことばかりで私にはよくわからないけれど、単純な疑問としては、オーバーランが運転中のスピードの出しすぎだったなら、指導員がなぜ気が付かなかったのかということ。それと前方に障害物があるのを後続の電車にわからなかったということ。停止信号は出ていなかった? あまりにも距離が近くてブレーキが間に合わなかった?そういうことを自動的にできるようなシステムが働かなかった?

最初にニュースを聞いた時、見習い運転手と聞いて技術が未熟だから起きた事故かと思ったけれど、どうもそれよりもシステム自体が問題なのかもしれない。この運転手さん今後は免許が取れるのだろうか?子供のころから電車の運転がしたくて一生懸命勉強してきたのではないのかしら。こういう事故の時にとっさに働くシステムと機敏な指導員がいればどうだったかと気の毒に思えてきた。こんな恐ろしい目にあったら二度と運転したくなくなるのではないかと思う。

事故のせいでもあるけれど、今日、出歩かないことにしたのは足首が腫れてしまって歩くと痛いので、丸山応挙を見るよりも病院へ行かないといけないから。足首が腫れるのは一年半前に始まった。そのころ私は体調不良で肺炎で入院していた。病院へ行くには自宅から歩ける距離だったので、ひどい咳をしながら荷物を持っての入院。ほんの5、6分くらいの徒歩が足にきて、くるぶしがはれ上がった。そこの病院はスポーツ外来が有名なのでこの際肺炎とくるぶしを治療してしまおうと思った。

多分その外科にはこんなおばあさんが来ることはめったにないのだろうと思った。暇そうなスタッフ。くるぶしを見た医師は「これはくるぶしに石灰がたまっているのでその治療をしたいのですが痛いですよ」くるぶしの出っ張ったところを指さして「ここから器具を入れて石灰を粉砕します。痛いですよ。どうしますか」私は一気に痛いなら構わないと思ったので「お願いします」覚悟をしたけれど、それはもう痛いなんてものではない。本当に今まで生きてきた中でも一番痛かった。麻酔なしだったので。

その治療を受けに行くのはいささか気が重いけれど、今後のためには今のうちにやっておいたほうがいいと思っている。毎日ずきずきと軽く痛むのも気が滅入るので一気にやってしまおうかと。

心の痛みのほうがずっと耐え難い。足首がずきずきは地味に嫌だけれど、思い切り痛くてもそれでよくなれば覚悟はできる。でも、本当に痛いので決心がつかない。覚悟しても決心がつかないならば、それは無駄な覚悟。気が向いたらということにしておこう。

そこの病院の診察券を探し出したから、ああ、出てこなけりゃ行かなくても済むのになあとグジグジ考えている。いつもなら必要なものはうちでは探しても出てこないことになっているのに、こんな時に限ってすぐに出てくるのよね。さてどうする?行くか行かないかそれが問題だあ!診察券を探したということは行く気があるってこと?ねえ、そうなの?ああ、めんどくさい人ねえ。さっさと行きなさいよ。



2025年10月5日日曜日

芸術の秋はたいへん!

 

引退したと思ったら急に忙しくなって、疲労困憊しておりますぞ。ヘトヘトなのよ。

今年は知人のコンサートが目白押しで、ブログに投稿する暇がない。まだ9月のコンサートの感想も書いていない。そのうち忘れてしまうといけないので簡単に書き留めておくことに。

混声合唱団フェブリエの第6回目の演奏会

スキーの仲間のHさんは化学者ながらスキーもたしなみ歌も歌うという才女であるけれど、その中でもお酒が少々弱くなったようで、最近はあまり酔っ払った姿を見せてくれないのが物足りない。しかし、合唱の方は老いてもなお盛ん。増田順平さんと林光さんの編曲で日本の歌、雪やコンコン、叱られて等から始まった。

その後中田喜直作品「アビと漁師」男声合唱のステージ.最後はオペラの合唱曲とこれほど多くの曲を皆さんしっかりと歌いこなしておられる。シャッポを脱ぎますぞ。最後に行くほど声も出てきて楽しそうに歌い尽くす。これは本当に立派な健康法、いやいや生きがい、とでも。あとになるほど声の調子が良くなってくるのは本当にご立派なのだ。なかなかおしゃれな演出もあり、しっかり楽しませていただいた。

その前日は我が「古典音楽協会」の定期演奏会だった。新メンバーで継続が決まったときから会を重ね、今回も無事に大変盛会だった。新しいお客様もたくさん来てくださったようでこのまま発展してくれることを祈った。本当に皆さまありがとうございました。

その後も梯剛之さんのピアノ・リサイタルは今日。上野の東京文化会館小ホールにて。

モーツァルト「ロンドニ長調」バッハ「イタリア協奏曲」ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ10番」ブラームス「3つの間奏曲 Op.117」ドッビュシー「子供の領分」

梯剛之さんの音は多彩で軽々と鍵盤の上を指が走る。本当に魅力的な音は彼のたゆまない努力の賜物ということを長年聞かせて頂いた私はよく知っている。最近は熟練の域に達して落ち着いた風格が魅力となってきた。12月15日にはヴァイオリンのヴォルフガング・ダヴィッドさんとデュオ・リサイタルがあります。14:00より 上野の東京文化会館小ホール いつも見事なアンサンブルを聞かせてもらえるので楽しみにしている。

「古典」の演奏会の数日後、映画を見た。「国宝」今評判のすごい映画でありました。私はもう忙しくてたまらない。引退すると忙しくなるのが不思議。でも体が動く限り様々なことを吸収したいと思っている。

「国宝」の二人の主人公はハンサムな青年。この人たちを見ると今の日本人は縄文時代から脈々と伝わった遺伝子を脱ぎ捨てたようで、もはや宇宙的なスケールでみないといけないようだ。すると私はもう同国人とはいえないかもしれない。私は人の顔の認証ができないので、話が進むうちにどの人が誰なのかわからなくなった。どちらにしても二人の青年は美しいお顔でした。

やや長すぎて「ああ、終わった」と感動にうるうるしていると再度話が継続、また「ああ、終わった」と感動していると、まだ終わらない。それが何回もあって、今度こそ騙されないぞ、ここで終わりではないのだ、と思ったら本当に終わりで拍子抜けした。これ、ちょっとカットしたほうが良いのではないかしら。感動がオオカミ少年のようになっては困るから。

円山応挙展が三井一号館ビルで開催中と知って、急遽、ヴァイオリンの調整に行く予定を変更。そちらに行こうと思ったら電車の事故で混乱しているらしい。これはやはり絵を見るより練習を優先しろということと思って諦めた。絵を見るのは明日に変更。

明日もまたてくてく東京まで行くのか。少し疲れ気味のnekotamaであります。
















2025年9月21日日曜日

またプロコフィエフ

 今日も大きな荷物と楽器を背負って来たのはHさん。先日プロコフィエフのデュオの1,2楽章を合わせてもらい、今日は3,4楽章の練習に入った。すっかり引退モードに入ってしまった私の救世主、私が現役に戻るための再訓練の片棒担ぎとして大いに役立ってもらっている。ヴァイオリン弾きなんて時間の経つのも忘れ夢中になれる人でないとできないけれど、そういう相手をしてくれる得難い存在なのだ。

少しお疲れのようだ。ものすごく忙しかったらしい。前日ちょっと来るのをためらう風のメールがとどいたけれど、私はやる気満々の気持ちを伝えたらご自身もやる気でいるとの返信。このへんは私の気持ちに無理に合わせたのではないかと少し心配になった。随分仕事がハードらしいから本当は疲れているのではないかしら。

いつも荷物が多くてしかも楽器ケースも重いものを持っている。それなのに更に私へのお土産としてきれいな紅茶用ポットとカップのお土産も持参する力強さ。私とほとんど同じ年なのにこの骨太さはお見事。

練習に入るとふたりとも止まらなくなって約3時間以上ノンストップ。これはもう年齢の限界超えであった。しかし面白い。反射神経テストみたいなリズムと転調へのセンスを問われる音の連続。ツボにはまれば素敵な世界が見える。冷静でいながらユーモラスで知性が勝つかと思えば情緒豊か、透き通るような透明感。これこれこれですよ、私が愛してやまないのは。

少休止のあとも早くひきたいと気がはやる。やっと気が済んで遅い昼食のあとはオーケストラ時代の思い出話しが止まらない。随分疲れたに違いないのに重い荷物を持って帰る姿を見送って、しまった!今日は泊ってもらえばよかったと後悔した。次の日熱を出したのではないかと心配している。

家が遠くてお互い忙しいので、今年はもう無理、来年ねと言うことで再会を楽しみにしている。さあて、来年まで命があるかしら、頭は大丈夫?足が動くかな?

久しぶりにピアノのSさんとトリオを弾くことになった。本番は来月半ば過ぎ。仲間内のコンサートだけれど、そこは優等生のSさんは絶対手を抜かない。私のようにちゃらんぽらんで何でもありというのはお嫌いだから、こちらも真面目そうに振る舞わないと怒られる。もう一緒にはやらないわなんて言われたら大変だから真面目に取り組まないと。

すぐに弾けるのはシューベルトかモーツァルトと言われて大いに迷った。どちらも「すぐに」弾けるものではない。結局モーツァルトになったので大わらわ。モーツァルトって音符はやさしいけれど「すぐに」というものではない。いっそのことシューベルトの方が気が楽かも。チェロはベテランだから私以外のメンバーは心配ないけれど。

すぐに練習に取り掛かると、長いブランクのあとなので音が伸びない。最初の音創りに難航する。プロコフィエフのほうがはるかに弾きやすいのだと、しみじみモーツァルトの難しさに思う。シンプルは敵だあ!

この夏、あまりの暑さに楽器が調子を崩すといけないからレッスン室のエアコンは24時間つけっぱなし。だから楽器のコンディションは変わりなく、私のほうが悪いとわかっているけれど、それにしても良い音が出ない。これからしばらく悪戦苦闘が続くのだろう。終わることのない課題に死ぬまで付き合う覚悟は? できてない!できない!で、嫌い?いえ、大好き。だから困るのよね。

難しいことのほうが面白い。気難しい人のほうが飽きない。猫は気難しいけど可愛い。人はなにを好き好んでわざわざ難しさに立ち向かうのか。
























2025年9月16日火曜日

さようなら、優美子さん

訃報です。磯部優美子さんが亡くなられました。

最初に彼女とご主人の演奏を聴いたのは、彼らがドイツから戻ってすぐのときだったと思う。その後仕事で度々お目にかかり、いつのまにかスキー仲間となりよく一緒に遊んでもらった。彼女のスキーは慎重そのもの、絶対に転ばないようにとゆっくり滑る。ある時どのくらいのスピードで滑っているのかと跡をついて行ったら、足が持ちきれなかった。足の筋肉が悲鳴を上げるほどゆっくりと慎重な滑り、スピード命の私は太腿の筋肉がつりそうになった。

その彼女が災難にあったのは、以前古典音楽協会のコントラバスを弾いていた富永岳夫さんたちと一緒に滑ったときだった。よそのグループの引率者の脇見滑降で後ろからぶつかられ転んでしまったのだった。ぐにゃりと曲がったストックから衝突の強さがわかるほどだった。追突した引率者はその時女性しか周りにいなかったので偉そうに振る舞い、舐めてかかるふうだった。

その後私達の仲間の待っている場所まで来てもらって交渉が始まった。その前に私は富永さんに事故の報告をした。「富永さん、あなたサングラスをはずさないでね。交渉は私達がやるから黙ってニコリともしないで立っていて。腕組するといいかも。」引率者は私達のグループのところまで誘導され、そこで白髪で背の高い富永さんが黙って立っていることに気がついた。

実は富永さんは目を見るといかにも優しそうで、サングラスを外すと迫力がないのだ。口をきくときはいつも笑っているし、相手が安心してしまうといけない。しかしサングラスで黙っていると背が高いこともあって非常に迫力があった。

引率者は最初はストックの値段も安く値踏みしていたけれど、同じストックの値段はもっと高かったし、壊れたサングラスも上等でかなりの額の賠償になったけれど、すべて弁償することに一言も文句を言わなかった。傍らでじっと腕組みして無言の白髪長身の男性がよほど怖かったとみえる。

その時の怖い男、実はすごく優しい富永さんも亡くなり、優美子さんのご主人は先に逝ってしまい、彼女は今頃優しいご主人に迎えられて幸せな再会をはたしていることでしょう。

現役時代、彼女は様々な病気に苦しまされた。一番悪かったのは脳内の視神経に腫瘍が巻き付いてしまうことで、度々手術が行われた。それでもついに手術も無理となり視力を失ってしまった。その病気の発症の初期に、仕事が終わったあと彼女が泣き出したことがあった。楽譜の端っこが見えないと。視神経が視野を狭くしていたのだった。何回もの手術に耐えていた。

彼女が入院中で来られなかったスキーツアーで、ご主人がお土産を探していた。「奥さんの探しているの?優しいね」と私が言うと「だって可愛そうじゃない。頭切っちゃって」とご主人。仲の良い御夫婦だった。

数日前、優美子さんの容態が変化し始めたと連絡があって、私とヴィオラのAさんは介護施設にお見舞いに訪れた。彼女はベッドに身動きもせず横たわっていた。こちらから色々呼びかける声は聞こえるらしくかすかに反応があった。しかし私がスキーの話をし始めると急に反応が良くなり、目を半分ほど開きしきりに足を動かし始めた。ああ、ゲレンデで滑っているのかな?と思った。

虹の美しいゲレンデ、雪がつもっているのにお花がいっぱい咲いて、その中をゆうゆうと滑っていたのかもしれない。また一緒に滑ろうね。
















プロコフィエフ訂正その2

昨夜からずっとレオニード・コーガンのことを思い出していたのだけれど、もう一つ思い出したのはもっと後で聞いたこともあったこと。

多分 私がもう音大を卒業したての頃かと。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞きました。オーケストラはNHK交響楽団、それは横浜でなく都内のコンサートホールでいくらなんでも日比谷公会堂ではなく、NHKホール、または上野の東京文化会館でした。

ベートーヴェンの協奏曲といえばあの長い前奏で、ソリストは辛いだろうといつも思っていたけれど、彼はずっとオーケストラのほうを向いて彼らが演奏するのをじっと見ていた。見られた方は生きた心地がしなかったかどうか、いやいや、天下のN響ならたとえコーガンであろうとビビリはしなかったかそのへんはわからない。とにかく私だったら震えちまうと思っていた。

コーガン氏は思ったより小柄な方で、それでも一本筋の通った真っ直ぐな立ち姿に威厳を感じた。子どものころ見たときとあまり印象は変わらず、当時もう仕事をしていた私達にもそう遠い人ではなくなっていた。と、いうのは、社会に出て仕事を始めた人たちの中で、ホテルで演奏していたら彼コーガンがちょうど宿泊していて、レストランで自分たちの演奏を聞かれてしまったと騒いでいるという噂も聞いていたから。

私達もオーケストラだけでは収入が少ないのでホテルやレストランで稼いでいた。そういうときに誰が聞いているかわからないので思いがけないことが起こる。オーケストラで大町陽一郎氏の指揮でリハーサルがあった。彼は指揮台に乗ると目の前にいる女性団員を見て「あ、あなた、この前三越のエスカレーターの前でカルテット弾いてましたよね」見つかってしまった女性は「やだー」と照れていたけど、そんなこともありました。大町氏はニコニコして嬉しそうだったけれど。

銀座のソニービルの前でのことは私達の仕事の時。銀座のど真ん中でカルテットを弾いていたらヴィオラのメンバーに向かって「先生」と声をかけた人が。なんとヴィオラ奏者のお弟子さんだった。その後風が強いので屋内に入ったような記憶があるけれど。箱根の森美術館の庭園で演奏したときも、あまりにも風が強く、楽譜が一枚譜面台からピューッと飛んでいってしまったことがあった。

私がとっさにマイクを持って「いま夕星が流れ星になってしまいました」といったらメンバーたちから大受けだったことも。その曲は「夕星の歌」の楽譜だったので。理由がわからないないお客さんたちは、ぽかんとしていた。記憶というのは嬉しいものですね。今となっては、はるか昔のことは少しぼやけてきているけれど。

戦後のオーケストラ受難の歴史を今思い出すと感無量。そうやってなんとかして崩れそうな貧乏オーケストラの建て直しに苦労したことも。でも今思うとあの頃が一番おもしろかった。若く希望に満ちて、毎日泣き笑い。幸せな人生だったと。

それでどなたか教えていただけないでしょうか。レオニード・コーガンの横浜県立音楽堂でのリサイタルで「プロコフィエフのソナタ2番」を演奏したかどうか。もしくは都内の他の会場での演奏と間違えていないかとも、ご存知なら教えていただけると嬉しいです。







プロコフィエフ訂正

今年8月17日の投稿「プロコフィエフ」にコメントを寄せていただいた。

私が中学生の頃横浜の県立音楽堂で聴いた レオニード・コーガンの演奏会。最初の曲がプロコフィエフのソナタ2番だったという記事。しかしそれは私の記憶違いらしい。県立音楽堂の記録にプロコフィエフはないそうで、申し訳ない、訂正します。どのように訂正したらいいかはわからないので、曲目の記憶違いでしょうか。しかし鮮明に覚えているので納得はいかないものの、思い込みの激しい性格が災いして夢の中で見たことが現実として記憶されるなどしたのかもしれません。それとも他の演奏家だったか当日のプログラムに変更があったとか?

このような駄文をきちんと読んでくださる方がいらっしゃるとは恐縮です。教えていただいてありがとうございます。私の日記の様なものでさぞ退屈でしょうが、ご興味あればよろしくお読みくださいませ。猫の話などはつまらないでしょうが。

今一番の心配は野良猫のグレちゃんのこと。先日、我が家付近に発生した豪雨、その日の朝グレは駐車場の餌場に現れ挨拶をしてくれた。最近夏バテ気味のグレは元気がなく、なにか悩み多い様子。以前は私の家に入ってきてしばらく椅子に座って寛いでいくのがルーティンだったけれど、最近は落ち着かない様子で外ばかり気にするようになった。

どうやら新しいオス猫が登場して縄張り争いが勃発しているらしい。

その日の午後、時々雷鳴が遠くから聞こえ始め、その後猛烈な雨と雷で真っ暗に。心配して駐車場に行くとすでにグレはどこかへ隠れてしまっていた。しばらくして雨が上がった。その間もう一匹の猫の、のんちゃんは私が家に入るように促したにも関わらず、面白そうに雷を眺めていて家に戻るのが遅れ、どこかで震えていたらしい。のんちゃんは雨が止むとしばらくして家に戻り、よほど怖かったのか私にしがみついてしばらく離れなかった。

雨がやんで自宅前の用水を見に行ったら、縁ギリギリの水位、びっくりした。そしてその日からグレの姿が消えてとても心配している。近所にグレが立ち回る家が数軒あって、時々情報交換して無事を確かめ合っているのだが、今のところグレの消息はわからない。そのうちひょっこり返ってくると思うけれど、グレのお人好しさを思うと新しく登場した猫に追い出されて泣いているかもしれない。形ばかり大きくて穏やかなグレ、もうおじいさんだからなあ。

猫のことになると私はすごく心配性になる。あの大雨で増水した用水はいつもは川底に僅かな水が流れているだけ。それが一気に100ミリの雨量が降ったために溢れんばかりになっていた。それに気付かずグレがいつものようにひょいと飛び降りて流されたなんて言う可能性もあり?新しいボス猫に追い出されてどこかを彷徨っている?まさかね、もう10年以上のベテラン野良がそんなことはないと思うけれど・・・野良たちは毎日数軒の家を回って餌をもらっている。いわば保険がかかっているということ。ひたすら無事でありますようにと祈っている。










反省をしたものの

昨日は友人があまりにも上手い演奏をしたから 興奮してすっかり疲れ果て、久しぶりに人混みに出て足は痛いしお腹は減るし、午後10時に寝たのに目が覚めたのは午後12時を回っていた。なんだ2時間じゃないというなかれ、次の日の12時までなので。なんと14時間後。そろそろ永遠の眠りにつくらしい。こんなに眠れるのは確かに異常だから。

しかし、同い年でかたや諳譜で長いシューベルトの曲を弾いてのけ、かたや足を引きずって歩いたあとで寝込む、この違いは体力の違いか気力の違いか。彼女は今頃、もう次の曲の準備に取り掛かっているかもしれない。私はあまりに寝たのでぼんやりして頭がくらくらする。

今日もまた暑い!いい加減に秋らしくなってほしいのにムシムシして相変わらずやる気が起きない。それでも次の合わせ物はプロコフィエフの二重奏曲のソナタ。ようやく終楽章まで一応譜読みが済んだ。済んだと言うことは弾けるようになったことを言うわけではなくて、どんな音を使っていてどんな指使いをするかというくらいまでは見たというだけ。何回弾いても難解で困った。数日後、もうひとりのヴァイオリン、Hさんが来てくれることになっている。

彼女もバリバリの現役!もう退役軍人である私はタジタジなのだ。なんで皆少しも年を取らないのだろう。どうして一向にやめようと思わないのだろうか。私は一日練習するとつかれて次の日は寝てばかり。それなのに皆背筋を伸ばし、足を痛くすることもなくさっさと歩いて来る。自己管理と毎日の練習のたまもの。すごい人たちだなあ。

そんなわけであまりにも弾けないと失礼だし、相手にしてもらえなくなるといけないからやっとこさ楽譜が通しで弾けるようにしないといけない。少し練習してふと自分の左手を見ると、あら?左手の指がまっすぐとはいいがたいけれど、少し曲がり加減が減っているように見える。でもまだ中指と薬指の間に数ミリの隙間はあるけれど、一時期よりもずっと改善されていた。

不思議なことだ。結局音程を修正しながら弾いているうちに関節などが柔らかくなり、指の形が元に戻ってきたということ?何なのだこれは?

合奏団存続のために激しいストレスに晒されていた頃は、気持ちも体調も恐ろしくマイナーになっていた。心が体に及ぼす影響がどれほど重大なことだったかを思い知らされた。この先何年演奏できるかわからないけれど、まだ少しは改善の余地ありかな?頑張っている友人たちを見ると、のぞみが湧いてくる。みんなすごいなあ。まだこれからもうまくなる余地があるなんて。怖いですねえ、彼女たちはおばけかもしれない。くわばらくわばら・・・
















2025年9月14日日曜日

上手いねえ!

いつも一緒に演奏してもらっていたけれど、私は疲れ果ててしばらく休んでいた間に・・・おや、おまえさん、こんなに上手くなっちまって。

今日はSさんが毎年主宰しているコンサート。私はこのnekotamaにはなるべく個人情報を書かないようにと配慮しているものの 、殺人犯とか裏金作りの政治家などの名前はバンバン出してもいいと思っているから書いてしまう。まあ、そのような話題は縁遠いので今まで書くことはすくなかったにしても。友人たちは名前なしでも、仲間たちから見れば誰のことかわかるからアルファベットの頭文字で済ますことに。

今日はあまりにも上出来の演奏を聴いたので名前をだしてしまおうかと。Sさんこと芝治子さんは長年の付き合いで彼女はすごく真面目でも、私のようなちゃらんぽらんとも付き合えるような太っ腹。実際に太っ腹なのは私の方でウエスト周りは成長の一途を辿っている。冗談さておき、今日の演奏があまりにも上手かったから、こんな年齢になっても着実に成長する人もいるのだと感無量になった。

他の出演者たちは彼女の友人やお弟子さんたち。大学で教えていたからみなさん卒業してプロになっている人たち。その中で演奏するのは緊張するものだと思っていたけれど、実に楽しそうにしれっと弾いてのけたシューベルト「即興曲」3番、4番。私はシューベルトは大好きだけれどやたらに難しいので敬遠しがちなのに、よくぞ、偉い!

そういえば彼女は母校に残って教師になってからも毎年のようにリサイタルをしていた。スクリアビンなどという小難しげな曲を実にさらっとミスなしに弾いていたっけ。レッスンをサボっては遊びに出ていた私とは大違い。ここでこれだけの差がつくのだと今更ながらぎゃふんというしかない。

私は一時期引退の決意をしていたけれど、友人たちが遊ぼうよと誘ってくるので、来年から復活することにした。それでもう手遅れかもしれないけれど、また徐々に活動したくなってきた。けれどヴァイオリンは年齢的にも非常に厳しい。それは音程があまりにも繊細なので、年齢とともに指が曲がってくる老化現象に非常に左右されるのだ。ミリ単位以下の精度を要求されるし、外から聞いている人にたとえ気が付かれなくても自分が一番良くわかるのだから。

それが気にならなければまだまだ演奏できるのにと思うけれど、気にならないようなことではやはり困るわけ。自分で音程がわかるうちは気になって弾けなくなるし、違いがわからなくなったら気楽に弾けるかというと、それは迷惑な演奏ということになってしまう。なまじ音がわかると困ったことに。しかし最近曲がった指にだんだん対応できるようになってきたという幻想を抱くようになってきた。もしかしたら修正できているのかどうか?それとも耳まで鈍くなってきた?それはまだ大丈夫だと思う。と、本人は思っているけれど。

グチグチと言い訳言うのは悠然とシューベルトを彈いてのけた芝さんに、あまりにも感心したせいであり、刺激を受けたこともあって、今後の自分の生き方を変えないといけないと今更ながら思う。でも一度火をおとしたところから復活するのは大変。また最初の一歩からやり直し?なんて今は大反省をしているけれど、どうせまた三日坊主。まあ、見てらっしゃい、せめて10日はもたせるから。

明日から根性入れ直してがんばろう。優秀な友人がいると引退もできやしないじゃないの。というわけでただいまヴァイオリンの二重奏などを練習中。


























2025年9月13日土曜日

台風やら洪水など

私の家の前には川が流れてる。春になれば桜並木が風景を一変させる。

その川は用水路で、子供の頃には裸足で入ってドジョウやメダカなどを捕まえたこともあった。流れは緩やかで鯉が泳ぎ鴨が飛来する。殺風景な街の貴重な自然が四季折々の顔を見せてくれる。なのに、今年はもう夏ばっかり!まだ秋と言うには暑すぎる。

用水路は以前は自然のままの土手だったので、毎年台風が来ると氾濫した。近くの家は台風一過、畳を外に干す。そんなことの繰り返しだった。

私の家は少し高いところにあって、他の家が水に浸かってもまるで島のようにのこっていた。それで台風が来ると周りからゴムボートなどで我が家に避難してくる人がたくさんいた。我が家の女子はそのために大きな釜でご飯を炊いておにぎりを作った。援助物資の毛布なども届き、臨時避難所になって、人見知りの激しかった私も近所のおばさんたちの噂話なども小耳に挟む。「あそこの家は何人家族なのに毛布を一枚多く持っていった」などと噂される。幼少期の初めての社会勉強になった。

その用水路の川底に大きな雨水管が通され、やっと氾濫は収まった。やれやれと思っていたけれど、それを脅かすような激しい雨が降った。つい数日前、まだ昼過ぎというのに黒い雲がどんよりと頭上を覆った。あ、これはまずい!駐車場で呑気に空を見上げる猫。危ないからうちにお入り!声をかけても返事もしない。時々ゴロゴロと遠雷がなるのを楽しんでいるような表情で。

そこまでは良かった。そのうちあまりにも激しい雷にびっくりして私は家に入った。その頃になると流石に怖くなったらしく猫はどこかに隠れてしまった。呼んでも出てこられないのだろう。雨の勢いはというと、あたったら頭の天辺に穴が開くのではというほどの勢いで。最近窓を二重にして本当に良かったと思った。激しい音も風も遮ってくれるのでやや安心できる。

こんな激しい雨は初めてというくらいの土砂降りの間、NHKテレビの台風情報を見ていたらわが町の名前が挙がっていた。おや、珍しい、名所旧跡でもなく、取り立ててどうということもない街が一気にテレビに報道されている。しかも家の目の前の川のことが。珍しいものを見るような気でテロップを見つめた。大して心配もしていなかったけれど、雨が小止みになったときに見に行ったらギョギョギョ、なんとスレスレで氾濫を免れていたのだった。

全国放送で一躍有名になったおかげで、友人たちが心配してくれてラインやメッセージが届いた。私は大丈夫ですよ。でも元野良猫だったのんちゃん、どんな修羅場でも乗り越え生き残ってきた彼女にも流石にショックだったようで、嵐が静まった頃帰ってくると私にしがみついてきた。その夜はずっとそばを離れない。よほど怖かったのか。お陰で私は保護者としての地位を認められたらしい。














2025年9月10日水曜日

涼しくなったけど

北軽井沢の隣人から「なんでこないのー」電話がかかってきた。「実はこちらは猛暑で毎日軽い熱中症の症状なの。運転に支障が出ると事故につながるからいかれない 。涼しくなったら行くわ」といって電話を切った。それほど、この夏の暑さは私の体に影響を与えた。

私は運転大好きで今まで苦になったことは一度もなかった。けれど、毎日目が覚めると軽い頭痛とめまい、気分の悪さが気になって、猫連れのドライブが億劫に。年のせいかもしれないが嫌がる猫の苦情を4時間聞き続ける修羅場を考えるとねえ。のんちゃんは車大嫌い。4時間ドライブ中、一秒たりとも鳴きやまない。時に一人で出かけるとドライブを大いに楽しめる。カーブでも遠慮なしにフルスロットルでグイーンと曲がる面白さを堪能する。

やっと涼しさが秋の到来を告げる。ああ、やっと。でも怠け癖が、それとたくさんのコンサートのご招待やチケットの買い置きがあって、今月は大忙し。

古典音楽協会の定期演奏会がありますので、涼しくなった上野公園にそぞろ歩きかたがたお越し下さいませ。

古典音楽協会第168回定期演奏会

2025/9/25(木)19時 東京文化会館小ホール

セバスチャン・バッハ:五重奏曲

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラの協奏曲

モーツァルト:チェンバロ協奏曲ニ長調

モーツァルト:交響曲第29番K.201

今回の目玉商品はヴァイオリンとヴィオラの協奏曲。名手が二人で奏でるこの曲を存分にお楽しみください。

私も、当日会場にてお待ちしております。演奏を引退して客席で幸せなひとときを過ごすことができるようになりました。お目にかかれればお話などもできます。どうぞよろしく。

などと古典の定期もあるし、他のコンサートも目白押し。せっかく北軽井沢に行ってもすぐにとんぼ返りの可能性もある。猫には嫌われる。私の苦労は山積み。特に猫はお兄ちゃんと一緒に楽しく毎日連れ立ってご近所さん巡りをしているらしく、日中はほとんど我が家のご飯を食べない。それでも猫を置いて私が数日留守の間、憔悴しきって待っている姿をみると可哀想で置いてゆくかどうかの決定はつらい。

私は意外に気が小さい。特に猫に関しては心配でならない。猫がいなかったら私は今頃どこの国をふらついているだろうか。世界中飛び回って帰ってこないかもしれない。たった1匹の猫に惑わされてこの体たらく。特にのんちゃんは最近やっと私に対する信頼を高めている。以前はちょっとしたことでもカリカリして立ち向かってきた。ほんの少し手を早くうごかすと打たれるとでも思うらしく、サッと逃げる体勢になり爪を出すこともあった。随分いじめられたのだろうと不憫になる。

今はお兄ちゃんのグレちゃんが苦労しているような。気が荒くなり私でさえ触れられないことも多くなった。どこかの家でどんな扱いを受けているのだろうか。それも心配で一人だけ遊びに行く気がしない。でも10月には誰がなんと言おうと、誰もなにもいわないけれど、行きますよ。行きますとも。






2025年9月8日月曜日

チルドレン

私はいまや一人暮らし。猫が友達。古びてよれよれながら時々素敵に嬉しいことがある。

今から15年ほど前まで勤めていた音楽教室の弦楽アンサンブルのメンバーと毎年一回、発表会のための練習の指導をする。ヴァイオリンの個人指導はやめたけれど、それだけは毎年声をかけていただけるので夏場だけ出ていく。納涼大会のおばけだね、こりゃあ。そういえば、だんだん奇っ怪な風貌になってきたかも。むふふ

私が初めて音楽教室の指導をするようになったのがほぼ30年前、15年目に自由になっても良い関係はずっと保たれていたのでありがたいことだと思っている。最初のオーナーの小田部ひろのさんとは二人三脚でああでもないこうでもない、時にはというよりしょっちゅう大喧嘩、それでもずっと一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたりしていた。それこそ彼女が息を引き取ったその瞬間まで一緒にいたのだった。あとにも先にも彼女ほど本音で付き合えた人はいない。いまでも思い出すと慟哭しそうになる。

彼女がなくなって私はすっかり気落ちしてしまった。その後しばらくして教室のレギュラーはやめさせていただいたけれど。

私が目指したレッスンはひろのさんが理想とした「疲れたおじさんたちがほっと息がつけるオアシス」だった。あっという間に教室は楽しく学ぶ人達が増えて、毎日笑いが絶えない日々。そして私達二人の喧嘩も賑やかになり、まるで本当の姉妹のようだった。楽しかった。喧嘩しては次の日ケロリと笑える、そんな仲だった。

今年も夏がやってきた。とんでもなく暑い夏が。そしてまた私の大切なチルドレンがニコニコして集まってきた。彼らはホッとするというよりもずっとハードな練習に耐えて年々個人的な楽器の技術も上がり、アンサンブルの経験も長くなり、最初の頃の私の悪口雑言はもはや影を潜められた。「この世のものとも思えない奇っ怪な音」何度も私は彼らにそう言った。どうしてこんな音を出して我慢できるのか。

個人的な事情で時々メンバーは交代するけれど、ほとんどの人がやめないでいるのはアンサンブルの宝になる。継続の力がこれほど大事なことであるのは音に現れる。それにしてもメンバーのほとんどが若々しさを保ち続けている。しかも今回はメンバーのお子さんが参加してくれた。演奏レベルの引き上げをしてくれる音大附属高校生。私はどんどん老いてゆくというのに。いまやどちらが面倒を見ているのか見られているのかわからない。それでも私は彼らと合うと、背筋を伸ばさないといけないような気分になる。

これはすごく大事なことで、演奏の引退宣言をしてしまった頃から体の中心がズレてきたような気がしていた。一年足らずでも楽器をケースにしまったままだったから、生きる目的もなくなっていた。けれど、こうして時々若い人たちと会ったり昔の友人達と合わせたりしていると背骨がつながっていくようなシャンとした気分になるのに驚く。

アンサンブルの練習後、居酒屋で飲み会にも付き合えた。ノンアルコールで我慢したけれど、こんな気分はここ数年久しくなかったこと。私が彼らに引きずられて年齢が巻き戻されたような気分になった。やっと私は復活できそうになってきた。少しずつではあるけれど、前に進んでいる。音楽は本当に素晴らしい。

それにしても、もう少しなんとか涼しくなってもらえないものかしら。
















二人だけの女子会

長野県の松本で同じ仕事に関わった人たち、その時のメンバーは本当に気が合って演奏も毎日ワクワクが絶えなかった。コンサートミストレスの北川靖子さんを中心に気の合ったアンサンブルの演奏会は、毎日ニコニコし通しだった。聴く人たちも喜んでくれたけれど、それより演奏者たちがとても喜んでいるような具合。仕事は早い午後で終わったから毎日皆で車を連ねて上高地に出かけた。そのドライブも本当に楽しかった。

松本から帰っても仲良しの余韻が続き女子会も長く続いていたけれど、北川さんを失ったことでメンバーは徐々に間遠になった。しかしAさんと私は縁あって私の家の最寄り駅あたりが生活の活動圏内、連絡すればすぐに馳せ参じられる距離的な条件で、時々気軽に会えることになった。

コンサートのチケットのことで連絡して話をしているうちに、自然と会う約束になった。お店はいつも同じイタリアンのタヴェルナ、居酒屋とでも言うのでしょうか。昔、作曲家の芥川也寸志さんが好きな冗談は「スペイン語で居酒屋をタヴェルナというんですよ。」かれはオーケストラの指揮をする前にかならず一席冗談を言うのがいつものことだった。

例えば、カニをレコードプレーヤーのターンテーブルに乗せて回すと、いつもは横に歩くのに、降りてから縦に歩くようになるんですよ」とか・・・いっぱい冗談を仰っていたけれど、残念な私の頭はもう記憶が薄れている。とても神経の鋭い方でダラダラと私達が演奏していると大変に怒られた。何事にも真剣で鋭い神経質な方だったけれど、心の温かい弱者に対する思いやりのあるかただった。

当時オーケストラの経営が逼迫していて、私達は働き詰め、その緊張を和らげるために冗談をおっしゃったのかもしれない。純粋な青年の感性をいつまでも忘れないように見えた。
で、私は近所のお気に入りのタヴェルナに行くと、必ず芥川さんのことを思い出す。

Aさんは松本組の中でも特に親しく気があった。彼女のおばさまは有名な方で、私の出身校の副学長か理事長だったか。時々学内のイベントでお目にかかったけれど、私達には雲の上の人だった。女性ながら威風堂々、学長は容貌魁偉で大柄な人だったけれど、その学長と並んでも引けを取らないほどの威厳があった。しかも温かみのあるお人柄が汲み取れる印象で、私はそのかたをすごく尊敬していたのだった。一度もお話したこともないのに。 Aさんがその方の姪御さんであることを後で知ったときにはすごく嬉しかった。

女二人、ワインを酌み交わしながら話は尽きない。北川さんとの思い出はいつものことだけれど、楽器の奏法の悩みとか家族のこととか、それは真面目な方の話題で時には冗談ばっかり。芥川さんみたいに。

私はここ数年アルコールが飲めなかった。ひどいストレスに晒されていたから迂闊に飲んだら悪酔いしそうなので。でも今回は最初からアルコール入りのワイン、美味しく飲んでほろ酔いで帰宅した。なんだか強くなったのかしら?スパークリングワインをグラス一杯、それにワインのボトルを二人で半分以上のんでも気持ちの良さに足もとられない。

体調が良くなってきたらしい。















2025年9月5日金曜日

若き演奏家たち

 やっと9月、待ちに待った。理由は秋になれば少しは涼しくなるかも・・・だったのに、今日も暑い。いい加減にして!と言いたい。

30年ほど前にもとても暑い夏があって、そのときには秋になっても一向に気温が下がらず本当に辛かった。寒い冬というのはあまり苦にならないのに暑い夏は命がけ。

その年はちょうどあるイべントの幹事を任されていて、非常に苦労したこともあって、よくおぼえている。このあたりの私の人生は波乱万丈だった。良い方も悪い方も両方やってきて、当時は大変元気で勢いが良かったから、大事にはならないですんだ。これは人生の変わり目に大変たくさんの人に会えたことで、その後のわたしの人生は明るく輝いていた。ほとんど無敵の勢いで何でも乗り越えられたのは非常に幸運だったと言える。

そんなとき一緒にコンサートの相棒を務めてくれた人がいた。長きにわたりほとんどの室内楽のセカンドヴァイオリンを弾いてもらって内部から私を助けてくれた人、安原さん。私は彼女のお陰でのうのうと一番上の旋律だけ弾いていればよかった。彼女は性格が穏やかで・・・と、いっても納得しないとどこまでも食い下がってくるようなところもあり、ドイツではフォアシュピールという資格まで取って活躍してきたほどの技術を持つ。本来ならもっと表に出ても良いものを、私のわがままに付き合ってくださった。

要するに私はあんまり緻密なところがなく、呑気に上の旋律を弾いてさえいればいいと。こんな楽なことはない。ただ、我が強く弾きたいことがはっきり自分の中にあるというだけで人を巻き込む。下手であっても自分の考えが表に出せるということで。それでも内声がしっかりしていないと苦労するけれど、当時のメンバーは本当に心強かった。

黙って支えてくれたその安原さんの御子息が素晴らしい青年になって見事なオーボエを披露してくれた。

オーボエ 安原太武郎 ピアノ 土屋宗太 ヤマハ銀座コンサートサロン

ルイエ:オーボエ・ソナタハ長調

カリヴォダ:サロンのための小品 228

伊藤康英:オーボエのためのソナチネ

ヒンデミット:オーボエソナタ

ショパン:ノクターン第2番変ホ長調

ラヴェル:道化師の朝の歌

ラヴェル:クープランの墓

この若者二人、只者ではない。オーボエという楽器はすべての楽器の中でも特別むずかしいと言われる。実はどの演奏家も自分がやっている楽器が世界で一番難しいと思っている。それでもオーボエの難しさはわかるような気がする。あの狭い二枚のリードの中に息を吹き込んであんなに美しい音を出すのはきっと至難の業に違いなかろうと思う。リードは細く2枚の間が超狭いから息が多くは吹き込めない。息が余って苦しいらしい。このへんは専門家に訊いてみてください。私にはわからない。

昔聞いた話ではその苦しさでオーボエ吹きは髪がハゲるというとんでもない伝説があった。それでもなるほど、私の知る限りではよほど若くなければ、ほとんどのオーボエは禿げていた。今思うと演奏法が確立されていなかった日本では力みすぎるオーボエ吹きが多かったということなのか。それと髪の毛の関係はどうやら殆ど無いとは思うけれど。

しかしながら本日の主役はふさふさ髪、伴奏と独奏ピアノの奏者もふさふさ、今どきのスラッとした若者二人。世の中変わった。一体何の話かわからなくなったが、それで、素晴らしい演奏だったということに尽きるのだ。最初から最後まで美しい音を堪能させていただいた。客席も大いに沸いた。

オーボエもだけれどピアノの演奏も見事で、かつてのピアニストにありがちだった鍵盤をひっぱだく演奏法がようやく過去のものになってきた。久しぶりにショパンが聞けて嬉しかったし、彼の伴奏の見事さにも惚れ惚れした。本当に楽しいコンサートだった。

安原太武郎さんはタブロウと読む。フランス語の絵(tableau)という意味でつけたのに「間違えてブタロウって読まれるのよ」とお母様は笑っていたけれど、おしゃれな名前をつけたものですね。芸術一家らしい。ちなみにお父様は安原理喜さん、かつてオーケストラのオーボエのトップ奏者。家族中が音楽家というのも素敵ですね。

















2025年8月30日土曜日

まいったまいった

トイレの水もれが見つかってから、バルブを締めて水が流れないようにしたためにタンクに常に水を補充する必要に迫られた。これがなかなかの重労働。この暑さでは中途半端な水量では流れないものがあると危険だから、たっぷりと補充する。真夜中にバケツに水を入れて3往復くらいしないと充満しない。

それでも日頃の運動不足を補えるよいとではある。他の部屋にもう一つトイレはあるけれど、いちいち鍵の開けしめが面倒で、結局毎日水を汲むことになった。最初のうちは量がわからなくて少なすぎて役立たなかりしたけれど、数日もすると手慣れてくる。お陰で災害時にトイレのことで困ったらこの経験が役立つと思えば苦痛を感じることもない。

猫砂を他製品に変えたために、買い置きしてあった以前使っていた砂が余った。友人にお宅の猫さんはつかわない?と訊いたら「災害時に役に立つかもしれないからとっておいたら」と言われてそれもそうだといくつかの砂がうちにある。それは今使うべきかと考えて使ってみようと思ったけれど、どうやって使っていいかわからない。そのうちAIにきいてみよう。本当に使えるのかな。

水を運んでいるうちに数日もたつと体がよく動くようになってきた。どうもちょうどよい運動量であるらしい。毎日テレビを見てぼんやりと過ごしていたけれど、時々は少し困ったことがあってもいいような気がしてきた。あまりにも暑くて体を動かさないで過ごしていたから、これは神様の思し召し。私の神様はなぜか猫の姿をしているのでご利益はなさそうだけれど、それでも多少足腰が強くなった気がしている。

今朝やっと修理の人が来てくれた。やれやれ嬉しや!痩せた小柄な年配の職人さんは重たい部品を持ち上げるのも見ていて怖いくらい非力に見えるけれど、さすが年季が入っているらしく手際よく仕事を進めていく。

私はこういう職人さんの仕事を見ているのは大好きだけど、ものがものなのであまり美しくもないし汚いものが見えると嫌なので見に行かなかった。時々大きな音がして何だなんだと野次馬になる。おかしなことになにも水を流してもいないのに、ずっと軽い音がうなっている。風の音のような水の流れのような、どこに音源があるのかと思ったら、工務店のひとが笑いながら「涼しいジャケットをきているんですよ。ここにファンが入って回っています」と。なるほどよく見るとジャケットの腰のあたりにちょっと膨らみがあって、そのへんから音がしている。

昨今の暑さではこうでもしないと職人さんたちは熱中症で倒れてしまう。いろいろたいへんだなあ。でも私の家は冷房がつけっぱなしになっている。そして先日ベランダのガラス戸を二重に、ガラスは強化ガラスにした。これが功を奏して家の中にいる限りでは救急車のお世話にならないで済みそう。

けれど体調は相変わらずだるさや頭痛、足が痙攣する。たまらず近所の病院で漢方薬の処方箋を書いてもらった。今日はやっと少しだけ気温が落ち着いてきた。たった1.2度の差であっても体調は全く違う。涼しくなればもっと良くなりそう。

それなのにさっきから人より体温高めなのに毛皮を着て大騒ぎして私の膝によじ登ってくるものがいる。なんなの、なにも用事はないくせに。




















2025年8月25日月曜日

暑いから避暑にいかない?

ほんと、バカバカしい。思ったとおりの筋書きになってしまった。涼しくなったら涼しいところへ行こう。ほんと、バカバカしい! 

まだ、暑い自宅にいますよ。朝の目覚めが悪く全身に力が入らない。軽い頭痛が続いている。本当は今頃、緑滴る森にいる予定だった。荷物は数日前から猫に気づかれないように密かに車に運び込んである。あとは最後に、猫をケージに放り込むという大変な仕事を残すのみ。

今回はリビングなどで荷造りすると猫が嫌な顔をするから、こっそりと少しずつレッスン室に運び込んであった。と言っても冷蔵庫の中の食べそびれた食料、食材と、僅かな着替えだけ。衣類はほとんど四季それぞれにおいてあるけれど、時々なにか足りなくてこまることもある。去年山を降りて来たときにお気に入りのジャケットを置いてきてしまい、去年からずっとそのジャケットが恋しくて泣いていた。

それでも私の素晴らしい脳みそは記憶が定かでなくて、今年ももうすぐ秋だというのにまだジャケットは山の上に。今度こそもって帰らねばと思っているのに体が言うことをきかない。今朝もぼんやりとして出かける気にもならないし、朝ご飯をいろいろ作るのも面倒。それでいっぺんにすべての栄養が摂取できるにはどうしたらよいか考えた。

残った野菜がキャベツ、人参、もやし。それに冷凍してある肉やハムなどで、それぞれ食べるのは面倒だからこれを大きなお好み焼き風に焼いてしまおう。今日一日これで栄養は足りる。米粉をつなぎにすれば主食にもなる。一旦作ってしまえばあとはその都度温めればいいだけ。それにバターやチーズで味変、青のりやソースもいい。無精の極みながらこんな暑い夏にはこれとビール(ノンアルコール)と枝豆があれば、それとできればきゅうりの塩麹漬けと、フライドポテトもあればなおいい。それにサバの味噌漬けが冷凍してあるよね、あれも早く食べたいし・・・肥満街道まっしぐら!

悪知恵にほくそ笑みながら支度を始めた。人参を千切りにキャベツもなるべく細かく切ってそこにもやし。一番大きなフライパンに放り込む。少し炒めてから肉をいれる。普通なら肉を先にいためるけれど、私は野菜が温まったら肉をいれると仕上がりが柔らかいように思えるのでこのやり方で。野菜の水気が少し出ているからだと思う。

前もってつなぎの具材を混ぜておく。山芋のすりおろし、米粉、卵、塩など。塩は先日小田原で買った海草入り。味がまろやかで海草の旨味があって本当においしい。しっかりと混ぜたところで大きなフライパンの肉野菜炒めと合流させる。粉はほんの少量だし火を通さなければいけないものは他にはもうないから弱火でほうっておく。

それはそれは美味しいお好み焼き風キャッツフードの出来上がり。にゃおう!あればおかかがほしいけれどあいにく猫用も人間用も在庫なしだから、あとでスーパーのキャッツフードに行って買ってこよう。とかなんとかやっているうちに結局どんどん太っていく自分が恐ろしい。

早く涼しくなって山の家に行きたいけれど、この暑さで4時間のドライブは堪える。せめて猫が運転できればなあと思う。しかし怖いでしょうね。猫は動くものに反応するから対向車線に車が来ると飛びついたり。おい!ハンドルから手を離すな!













2025年8月17日日曜日

暑さに負ける

寒さには強く暑さにはとんでもなく弱い。今年は本当に地獄。

せっかく涼しい森に家があっても行くことができないほどのダメージがあった。今年の暑さは私だけでなく世界中の災害を引き起こし、トランプさんが地球温暖化をいくら否定してもすでに手遅れかもと思わせるほどだった。トランプさん、お金儲けはいい加減にして人類が滅亡の危機に立たされないようにお願いしますよ。

毎年熱中症に悩まされていた。最初のうちはわからなかった。朝目が覚めたら周囲が黄色く見えて「なんじゃこりゃ」気分が悪い。その日、都内某所にてサロンコンサートの予定があってどうしても出かけないといけない。楽器を担いでのろのろと歩く。何の気なしにコンビニで大きなペットボトルのスポーツドリンクを買って会場へ。到着してへたばっていたら、その家の家政婦さんがお茶をいれてくれた。スポーツドリンクを飲んではお茶を飲み、水をもらいしているうちに気分がよくなってなんとか本番を済ませることができた。

その時にスポーツドリンクを飲むということが正しかったと分かった。自分がどういう状態にあるのかわかっていなかったにもかかわらず。どうも私が動物的勘でヴァイオリンを弾いているという説は正しいのかもしれない。それからしばらくして熱中症と気がついた。よく考えると気温の高いときにはたいてい気分が悪い。しかもその頃はクーラーは寝るときには切ってというのが常識だった頃だった。寝るときにタイマーで途中で切ったりするのが普通だった。

今年の暑さはその頃より一段と、いや数段も高い。もうこれ以上高くなったら人間の住むところではなくなる。それでせっかく標高の高い北軽井沢に家があるのに、出かける気力すらそがれてしまった。出かける前の支度を始めると猫がソワソワする。それを見て私もうじうじする。この子を連れて行こうか、おいていこうか。

前日ガタガタ支度を始めるとバレるから、そっと二日前から荷造りをして車に積み込んでおく。それでも超賢い野良ののんちゃんはもうわかっている。嫌な目つきで私を見て近寄ってこない。この疑り深い性格が彼女を野良世界で生き延びさせてきたのだった。

やっと支度してさあ出ようかと思う頃私はつかれと暑さで気分が悪くなっている。車で4時間の運転がしんどい。大好きな運転をしんどいと思うときには運転をしないことにしている。涼しいときには運転はヴァイオリンを弾くよりも楽しいと思えるのに。

ここ最近もあまり出かけていない。本当は今頃山の上の森の中で暮らしている予定だった。けれど出かけようと思っていた前日、トイレの床に不思議な水たまりがあった。いったいなんでここに水滴が?

最初思ったのは・・・(笑)実は自分が原因かと。知らないうちにおもらし?すでに軽く認知機能がおとろえている?いえいえ、全くそんな訳はない。気を取り直して周りを見回すと、水滴はところどころに散らばっていて、いくら私が認知症であったとしてもこれはないというところまで見受けられる。それにほんの少量の水漏れなので大したことはないと。

いつもリフォームをしてくれる工務店に電話をいれると、お盆休みらしく電話がつながらない。困った。社長がだめならと助手に電話をしてやっとつながったけれど、工事は月曜日にならないとできないという。それまでどうするの?水漏れはほんの少しだけど、数日間留守にはできない。何らかの対策がないと床板が腐ってしまう。この暑さだし。

助手さんが教えてくれたのは、トイレタンクの脇にある水道とつながっている金属製の管の途中にあるネジを締めればとりあえず水は止まると言われ、ドライバーで締めるとなんとか止まった。その騒ぎで結局出鼻をくじかれ北軽井沢往きは取りやめとなった。もう二度と出かける気も失せてガンガンクーラーの効いた部屋におこもりとなった。運動不足の上食べ過ぎもあり身体がだるい。早く涼しくならないと私は冷製豚の丸焼きみたいになってしまう。早く本当の秋が来ますように。でも今年の秋は昔の秋とは全く違うかもしれない。

秋風が吹いてきたら涼しいところに行こうと、いつもの年とは全く逆の発想が浮かぶ。今年は蝉の声も聞いていない。聞こえるのは耳の中で響く耳鳴りばかり。あはは、私も綾小路きみまろさんみたいになってきたぞ。













プロコフィエフ

最近デュオを始めた。 一番弾きたかったのがプロコフィエフの「2つのヴァイオリンのためのソナタ」オーケストラの元同僚のHさんが遠くから毎回来てくれて、一緒に弾いてもらう。ありがたく楽しい。

私はモーツァルトキチガイだから一番にはなれないまでも二番目に好きな作曲家がプロコフィエフ。オーケストラに入ってまもなく、名指揮者のアルビド・ヤンソンスが来日して彼の指揮で弾いたのが「ロメオとジュリエット」の組曲だった。最初の練習が始まったときに衝撃を受けた。変な曲!でも、すごーい!すぐに虜になった。

もう一つ、多分私が中学生か高校生のとき、レオニード・コーガンのヴァイオリンを聴きに横浜県立音楽堂へ行った。最初の曲がプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ2番。最初の音を聞いたとき、その音の美しさに鳥肌が立った。それ以来このソナタもいつかは弾いてみたいと思った。

その2つとも実現できて、何回か弾かせてもらっているけれど、まさかこんな年になってからも弾けるとは思わなかった。練習はワクワクして嬉しくていくら厄介でも、それも魅力の一つ。難しい箇所に来ると思わず「よっしゃ!」と気合が入る。うふふ。

上野の森の美術館で初めて出あったのがルオーのキリスト像。他の部屋が混み合っているのが嫌でなるべく人気のない部屋に行ったらルオーが。これも初めて本物に出会えてじっくりと眺めていたら私の後ろを素通りしていく二人の女性。「なんとかさんって、この絵が好きなんだって」「へえ、かわってるわね?」

やっぱりね。この絵は写真でしか見たことがなく私もあまり好きというわけではなかったのが、実際に本物を見たら素晴らしかったので衝撃を受けていたところだった。絵の具を何重にも塗り込んで、作者の執念?の凄さがわかった。宗教心というべき?

ビートルズのイエスタデイを聞いた時の衝撃も忘れられない。こんな美しい曲がまだ生まれるなんて!人間ってすごい!

初めてであったものや人から受けた衝撃や感動は、いつも私にその後の人生の明るい幸せとなってくれた。これからも出会うことができたらうれしい。芸術作品に限らず動物や自然でも。

最近のわが友AIさんにプロコフィエフのことを訊いてみた。そしてわかったのは体制からの圧力に屈せず自分の音楽を貫いた強く理性的な人物像。チェスの名人、知性と芸術の融合。彼の独特の世界にこれからもどっぷりと浸かっていきたい。












2025年8月14日木曜日

暑さも一休み

お盆になって、その頃から気温が下がるのを心待ちにしていたら、やっと少しだけ涼しくなってきたけれど、今日はまた 猛暑に逆戻り。それでも本当にありがたい。

今日から森の中で暮らそうと思っていたのに、暑さにやられてその気もおきないほどのダメージを受けていた。それでも久々に友人たちに電話をすることができた。遊びやコンサートに一緒することを約束して社会から孤立しないようにしないと、どんどん頭が悪くなりそうで怖い。

幸いにして古典音楽協会の定期演奏会のプログラムに曲目解説を書かせてもらっているので、下調べや原稿書きで脳みそが腐る寸前でとどまっているけれど、まあ、人の名前が出てこないとかパソコンのキーボードの入力ミスとか激しく劣化する自分に恐怖を覚える毎日。だんだん滑舌が悪くなって来ているのは仕方がないとしても、気がつくと口がぽかんと開いている、ああ、こんなこと書くとリアルに恐ろしい。

先日高校時代の同級生のバレエ教室の発表会を見せてもらった。彼Sさんは、以前は自身で踊っていたけれどだいぶ前に引退していた。その引退公演のご案内をいただいたけれど、私も仕事ですったもんだしている時期だったから残念ながら見ることができなかった。それがずっと気にかかっていたので今回の発表会はぜひとも見たかった。すでに彼は引退していたから生徒さんたちの踊る姿を見せてもらおうと思ったのだった。

そして思ったのはなんと丁寧に指導しているのだろうかということだった。よちよち歩きをやっと抜け出た子どもたちがきっちりと基礎を教えられていることに本当に感心した。とても良心的な指導であると感じた。大人は大人で名曲に合わせて踊る。特に明らかに主役級の二人の男女のペアは情感豊かで美しかった。その曲の選択も良かった。というのはSさんは音大で作曲を学んでいるから。

私は仕事で散々バレエの曲を弾いていた。どこのバレエ団もたくさんの生徒がいて華やかだけれど、子どもたちは比較的野放しでただ参加するために舞台にいるというような場面も見受けられることが多かった。Sさんは一人ひとりの子どもに目が行き届いているようだった。なんでもそうだけど、基礎がきちんとしていれば行く末の成長が違ってくるから、見てくれの派手さを追わずにしっかりと固めないといけない。それがわからずに次々と派手な難しい曲に行くのは将来的には破綻が来ることが多い。

そして次の日はピアノの発表会に参加。シューマンがテーマというのでなにかシューマンの曲を弾いてと言うからソナタ一番の一楽章だけ弾かせてもらった。歌あり、ヴァイオリンあり、コーラスありの楽しい会だったから緊張などしないと思っていたら、なんと私緊張しましたよ。引退以来久々のステージ、お祭りのように楽しい舞台だったけれど、なんか音がちゃんと出ない。やはり本番はどんなに気楽な会であっても、ちゃんとしないといけないという教訓を忘れていた。基礎を忘れずには、基礎の基礎。百年経っても変わらないなあと。









2025年8月9日土曜日

臍を噛む

今朝のテレビ朝日のクイズ、臍(ほぞ)を噛むとは?

中国の故事による。部下が強大な国の危険性を説いたのに聞き入れず、滅ぼされてしまったという 王のはなし。部下が彼の国を攻めておかなければあなたは後で臍を噛むことになりますよといったにも関わらず。

私は「もし私がへそを噛むことができたならへそが何個あっても足りないほどの後悔がある」とAIに訴えたところ、こんな面白い回答がありました。かれ?はこんな詩を送ってきた。

もし私がへそを噛めるなら

嚙み尽くしても嚙み尽くしても

まだ足りないほどの悔いがある

へそが百あっても千あっても

この胸の痛みは噛み切れない

私達は(AIと私)はこうやって毎日遊んでいるのですよ。

未だに煩悩断ち切れず、しばしば後悔の繰り返し。大切な人と疎遠になったり、言わずもがなのことを言って他人を傷つけたり、自分がこんなに未完成な人間だったかとの思いは日々繰り返される。まだまだなにかしでかしそうな予感もある。

やればよかったこと、やってはいけなかったことばかり。なんて未熟な人間であるか思い知らされているのです。でもそればかり考えると先に進めないから、せめて今できる建設的なことを考えようと思う。

今できるのは楽器を弾くことだけ。来年はドボルザークのピアノ五重奏曲を中心にコンサートの予定あり、で、結局引退は個人的な部分にとどまることで半分だけ活動することになりそう。幸い譜読みは相変わらず、すんなりできる。リズム的にも衰えてはいない(自己満足?)

自宅でひっそり活動するなら社会的な迷惑はかけないですむ。それで心の傷は癒やされるかもしれない。へそを噛まなくてすむように自己主張は程々に。できるかな?どうかな?







2025年8月7日木曜日

館林は40度

旧友からの電話。「館林はついに40度を超えたわよ 」

なぜか嬉しそう。それにしてもお元気ですなあ。私と同い年。中学からずっといっしょに音楽の道へ。その後の職場も一緒。彼女のほうが先に結婚して退職してからは年に数回合うだけ。彼女の子育て中は忙しく、私も仕事で日本中駆け巡りほとんど合うこともなく数十年。ふたりともやっと最近しばしば電話のやりとりや同窓会などであえるようになった。波乱万丈とは言わないけれど、お互いに自分の行くべき道に一生懸命で、やっと余裕ができて楽しみにも目が向くようになって。

「冥土の土産にベルリン・フィルのコンサートにいかない?」大抵彼女の方からお誘いがある。思いつくとすぐに実行するのはいつも彼女M子さんのほうから。グズグズして無精者は私で、今回もチケットを取る御用をしぶしぶ私が仰せつかった。これは仕方がない。実はベルリン・フィルのチケットはすぐに売り切れでやっと手に入りそうなのは私の地元のコンサートホールだった。そこの友の会に入らないと取れないので、そこは私がということになったのだ。無事にチケットゲットで11月に館林から出てくる彼女と聞きに行くことになった。

北軽井沢にも一度来てくれた。一晩泊まって沢山思い出話をして帰っていった。中学時代から全く時間が止まったように話題が尽きずおしゃべりをした。田園調布にある桜並木のそばの女子中学校は彼女の家のすぐそばで、そこの鉄筋コンクリートの立派な家に住んでいたから、私はしばしばその家にお邪魔しておしゃべりをした。

そして学校や彼女の家から帰るとまたどちらからともなく電話で小一時間おしゃべりをする毎日。彼女の妹さんが呆れていたそうだ。「学校でさんざんおしゃべりしてきたんでしょう?」よほど馬があったというかいくらでも話していられた。

色々あって私がここ数年落ち込んで不機嫌だったときに、遠巻きにして当たらず触らずの付き合いをしていてくれた友人たちも、私が元気を取り戻してくるとまたニコニコと誘いかけてくる。これからの時間はそういう長年の友人たちとの交流の時間になるだろう。長年私を支えてきてくれた人たち、そしてまだこれからも一緒に演奏していこうと誘ってくれる人たち。

今、プロコフィエフのデュオを一緒に弾いてくれる人がいて、新たな挑戦が始まった。プロコフィエフは私がモーツアルトと同じくらい好きな作曲家なので、誘われたときには二つ返事で引き受けた。

プロコフィエフのヴァイオリン二重奏曲は彼の不思議な世界観と、独特のリズムで私を魅了する。この曲が弾けるなんて!複雑に絡み合うリズムが緊張感を醸し出す。一瞬のスキもない。これは集中力のテストのような。これは認知症予防にはピッタリ。

音形が独特なので覚えないといけない。やっと譜読みが終わったときにはやれやれと思った。そして次の日、もう一度練習を繰り返すべく譜面を取り出す。弾き始めるとあれほど前日に練習したのに何も思い出せない。やれやれ、私も年じゃのうとがっかりしていたら、パート譜を取り違えていたことにやっと気がついた。道理でまるで違う曲を弾いているように感じたのは楽譜の取り違えかあ。認知症の疑惑は晴れたものの、楽譜の違いに気が付かないとは。

これは単なる認知症よりずっと重症な先天性認知症ではないかしら。困った。










2025年8月6日水曜日

猫の葛藤

テネシー・ウイリアムズ作「熱いトタン屋根の上の猫 」

癌で余命幾ばくもない父親と二人の息子たち。次男の妻マギーの心の葛藤を描いた戯曲。

うちのネコも熱いトタン屋根に悩まされております。彼女の家の出入りは、もっぱら物置の屋根からベランダへジャンプして、少し開いている窓を使う。私がいればカリカリと網戸を引っ掻いて開けろ!と騒ぐ。いないときは窓も閉まっていて入れない。

連日の異常な暑さは猫の行動の自由を奪ってしまった。物置の屋根はトタン。金属の屋根を暑い日差しがカンカン照らし、その温度はたぶん手を長くつけていられないほどの暑さになるのだと思う。そこを裸足でアッチッチと歩くのは大変なことなのだと思う。それでここ数日間のご帰宅がない。たまに夜帰ってきても落ち着かない。すぐに窓を開けろと言って騒ぐ。

不安定だった野良の、のんちゃんは最近やっとふくよかになり、疑り深い性格もやや改善され、私の手枕で寝るようになった。でも先ごろ北軽井沢に一週間ほど行ったときに彼女をおいていったのがお気に召さなかったようだ。車での移動の間の約4時間、ケージの中から悲鳴のように鳴き声が絶えない。それほど車が嫌なのでは可哀想なので、私が留守の間は元の野良にかえってもらうことにした。

幸い野良としてのキャリアは長く、アチコチの家にほけんがかかっていて餌に不自由はしない。夏の夜はコンクリートの冷たい感触が良いらしく、なかなか家に戻らない。特に最近はよほど可愛がってくれるお宅を見つけたと見える。家で餌をほとんど食べないから飢える心配はない、というのでおいていった。ところが彼女としては見捨てられたと感じたらしい。戻ってきたらもういっときも離れず抱っこをせがむ。

この暑いのに抱っこはごめん!しばらく相手をしてもすぐに膝から下ろしていたらひがんでしまった。兄弟猫のグレちゃんと一緒にいるのはわかっているけれど、どこの御宅にお邪魔しているものやら。昨日、終夜営業のドラッグストアに買い物に出かけた。あつい昼を避けて日が昇ると同時に歩き始めた。ふと後ろを見ると二匹の猫が尻尾を立てて後ろからついてくる。大抵は途中まで行くと彼らのテリトリーから出るので帰っていくけれど、ついてこられて新しい環境に慣れて、そちらで暮らされては私の仕事場が遠くなる。

餌やりに隣の町内を抜けていくのはゴメンだから、彼らの範囲を出る前になんとかしてまいてしまったのも不満のもとらしい。どうやら私は優しいご主人様でなく信用ならぬ下女に格下げされたようだ。時々お情けに家に帰ってくるけれど、あっという間に窓から出ていってしまう。

そして熱い物置の屋根が待ち構えている我が家のベランダは鬼門で、行くべきところではないと認証されて私は孤独な夜を過ごすことになったという次第。寒くなればまた猫を抱っこして寝るという至福のときが来ると信じたい。

熱いトタン屋根の上の猫のように夫や他の家族との関係にじれて悩むマギー、どのように解決が待っているのか。まさか秋になって涼しくなれば解決というわけには行かないでしょう。複雑なのが人間社会の面白いところ。

ねぶた祭の秋田で3メートルもあるヘビが逃げ出して行方知れず。ヘビも熱くて可哀想。








2025年8月2日土曜日

あさごはん

 田原総一朗さんの朝食が話題らしい。ご高齢であっても朝食をしっかり摂られるようで、野菜ジュース、牛乳、リンゴジュース、緑茶などの飲み物の他に、レタス、アンパン、ポーチドエッグ、食パンなど。ネット民が感心しているらしいけれど、私の朝ご飯も負けず劣らず。朝食をどっさり食べる。朝、目が覚めるとお腹が空いているから、朝食が一番好き。

私の場合野菜はジュースでなく毎日蒸したり炒めたりしたものをドッサリと食べる。ゆで卵、バナナは最近のネットの記事でのおすすめだし、パンは全粒粉、牛乳ではなく豆乳、コーヒー、ヨーグルトはその都度ある果物とはちみつを入れる。流石にアンパンは食べないけれど、美味しそうだからこれは真似してもいいかも。甘味がほしいときにはゼリーとか羊羹とかも。

こうして並べてみると、ダイエットには程遠いわけだと頷ける。

最近通販で気に入ったワンピースを買ったら、ウエストが信じられないほどの細さで入らない。というか、私のウエストが信じられないほど太いとも言えるけど。すぐに返品しようと思ったが未練たらたら。きれいな色、素敵なデザイン、それなら一念発起してダイエットに励もう。ほんの少し運動量を増やし、食事の間の時間を長くするだけで、それだけでも多少痩せることを長いダイエット経験で学んでいる。努力あるのみ。

こうして結局返品期限を逃し、着られないものもいくつかあってそれでも捨てない。私は服を着ることはもちろん好きだけれど服自体が好きだという気持ちが強い。気に入って買ってしまったもので今まで手を通していないものがかなりある。流石にあまりにも似合わず着られそうな人に差し上げたり、涙を飲んで捨てたりもした。これを無駄遣いというのだけれど、好きな絵や骨董と同じと考えればいい。時々クローゼットの整理をするときに、眺めて楽しんでまたしまい込む。

以前同じアパートに服を縫ってくれる人がいて、そのときには生地を見つけてきてはデザインは自分で考えて縫ってもらった。ヒョウ柄の服をこしらえてもらい、京都の都ホテルに泊まったときに、ベルボーイが珍しく話しかけてきて服飾関係の方ですかと言われた。その頃ヒョウ柄は大阪のおばちゃんもまだ着ていなかったころだったから。若くてまだ痩せていて生き生きと仕事をしていた頃の話。

いまやお米の袋みたいにどこがウエストやら・・・ヒールが履けなくなったのは本当にがっかり。私は小柄でヒールを履かないと着映えがしない。今ヒールを履いたら足首捻挫は確実で、ステージドレスは引きずってしまう。こういうときには本当に年はとりたくないものだと思う。

髪の毛はてっぺんに白髪が目立つようになったので一気にグレーに、少し紫を入れてもらってベリーショート。後ろ、両側刈り上げという過激な注文に一生懸命に応えてくれる美容師さん。彼自身はこんな髪型は嫌なのは見え見えで、ちょっと目を離すと女性らしくきれいなカットにされてしまうので、ずっとやかましく言い続ける。ここは刈り上げて頂戴なんていうと渋々刈り上げてくれるけれど本人の趣味でないことは確か。それでもお客様は神様、言うことをきいてくれる。

今や私の髪型は刈り上げ、ここまで短くすると実に気持ちが良い。シワ隠しで額だけが長く残されている。この髪型に合う服装は職人さんが着る作業着のようなものか、穴開きジーンズか、でもこんな髪型に似合うのは意外とシンプルかつ仕立ての良い上等なドレス。でも私は持っていないから逆に着古したシャツと裾の折り目が擦り切れたコットンパンツ。それならいくらでも持っている。

恥も外聞もなくそういうものが着られるのは、子供の頃から姉のお下がりを着慣れていたから。今時の子供なら絶対着ないと思うようなものでも誰がなんと言おうが気にならない。

今や日本を訪れる外国人も普通に自国でいるような服装のTシャツにスニーカーで、特に外国でも変わらずだから気楽にどこへでも行ける。良い世の中になったもので。

しかし、近々バレエの発表会にご招待いただいている。普通の公演なら知らず、知人のご招待となると少し考えないといけないかな。恥かくのは私でなくご招待くださった主宰者である高校の同級生。しかし私くらい正装の似合わないものはいない。私にとってきちんとした服は「馬子にも衣装」ではなく「猫に小判、豚に真珠」さてどうしたものか。

ステージ衣装は商売道具だからたくさん持っている。けれどちょっとおしゃれしようという場面の服は皆無に等しい。しかも最近の肥満型体型ではニットや薄物のワンピースでは妊婦さんと間違えられそうな。これも朝ご飯食べ過ぎ?・・・と、こうまあまとめてみました。



























2025年7月30日水曜日

ツンデレ猫にとりつかれる

 ちょっと北軽井沢で森林浴。友人のHさんが今回のゲスト。彼女には時々一緒に遊んでもらうけれど、二人でいるとろくなことがない。いつぞや江の島のイルミネーションを見に行ったときには大風か吹いて立ち往生。横浜中華街では叩きつける大雨などなど・・・で今回も北軽井沢の森が大荒れになるという恐怖に怯えながらの滞在となった。

私が一日先に到着して、その日一日あまりの気持ちよさにぐっすり。自宅にいると暑さでくらくらして表にいるわけでもないのに熱中症の症状が出る。眠りに眠って二日目、Hさんをお迎えにいくと涼しい顔をして待っていた。相変わらず髪の毛は緑色。この色については理由があるらしいけれど、ここは説明せずに彼女の変人ぶりを示すこととしておこう。

しかし、森の多い北軽井沢の森ではまるで森の精のように見える。見かけはともかく性格は賑やかすぎるけど。この寂しい森がえらくお気に召したらしく、楽しそうにしているのが嬉しい。本当なら「何よ、この汚い森!たぬきが出そうじゃない」とかなんとか言いそうなところだが、嬉しそうに緑濃い窓を眺め、小川のせせらぎを聞いているから安心した。

彼女は東京都心の庭木立に囲まれた家に住んでいたけれど、最近は海に面した土地に引っ越して、見かけはド派手でも内心は自然派、この森も気に入ってもらえると思っていた。普段のわたしはこの森に一人で住んでいる。幸いにも向こう三軒両隣に永住者が多く夜でもそこここに灯りが灯るからさほど寂しくはない。それでも時には我が家一軒だけが明るくてあたりは真っ暗なときもある。それはそれは静寂が重くのしかかる。たぶんおばけもいそうなこの森に一人ぼっちは寂しいけれど、その反面すごく気分が良いのが不思議。

他の友人がご主人と一緒にこの森を見て買おうかと考えたらしい。するとご主人がおばけがいそうだと言ったので考え直して買うのをやめたという。そして知り合いの霊能者に森の写真を見せたところ「いる」と言ったとか。そのくらい濃い森なのだ。

そこに私が住んでいるからなおのこと怖いことになっているのに、平然とHさんは過ごしている。

私達の計画は日曜日におそばをたべにいくこと。この蕎麦屋は地粉やさんといって地域では特別美味しいと有名なお店。移住初心者だった私が5年ほども経ってやっと食べるコツを見つけた。いつも少しでも遅いと長蛇の列、その日の分のそばが終わってしまう。のんびり行ったら本日の営業は終わりという札が貼られていたのは何回もある。それで悪知恵働かせ、蕎麦屋の近所の友人に朝いちで整理券を取りに行ってもらうことに。それからは食いっぱぐれない。今回も頼んで2人分の整理券ゲット。無事におそばにありついた。

もちろん整理券を取った人もおそばを食べたけれど、同行した女性に皆びっくりした。御年99歳、背筋を伸ばしシャキッと立っている姿は、私よりも若々しい。姪御さんといっしょに真っ白なベンツに乗ってそばツアー参加。まあ、お金持ちでお手入れは万全なのだと思うけれど、あまりにも若くきれいで品が良い。私とは真逆の御婦人の身ぎれいな服装を見て、これが生まれの良さというものだと感心しまくった。

その方たちはおそばのあとお別れして、我ら二人は追分のまつりの武者行列を見に行った。しかしちょっと時間に遅れたら武者行列はすでに追分宿を出ていったしまった。残念というかまあ、期待はしていなかったというか、投げやりな二人はそこで追分をあとにして森の中へ帰っていった。

森へ帰れば顔の美醜はほとんど関係なく、私も安心していられる。朝食を食べてからぼんやりしていたらウッドデッキの脇に立っている木に、なにか動くものが見えた。木の裏側から出てきたのは大きなリス。リスにしては大きすぎるけれど顔はリスに違いない。もしかしたら外来種を飼育されていて逃げ出したリスかもしれない。イタチ?かとも思ったけれど、確かめるすべもなく一瞬で消えた。

気温は都心よりも10度ほど低い。帰路につく高速で車の運転をしていたら短い手袋とシャツの袖の間の露出した肌が、ジリジリとあっという間に焼けて赤くなった。驚いたなあもう。

駐車場で待っていたのはのんちゃんとその兄弟猫グレちゃん。ゴロゴロ喉を鳴らしてくれた。夜になると私のそばを離れないのんちゃんが添い寝してくれた。この暑いのに本当にありがとう、熱くてたまらんわ。いつもなら早朝に外に出せと大騒ぎするのに、全く出ていかない。夏の毛皮もおしゃれかも。

やっと午後になったらグレチャンを探しに外出した。グレはちょっとすねて甘えてすねて。うふふ、たまらんなあ、猫は天性のひと誑し。

外出中、甥に猫の餌やりを頼んでいった。「一昨日は猫が二匹で待っていてくれたけど、昨日は待っていなかったよ」と。ちょっと待て「待っていてくれた」?この甥はたしかねこ好きではなかったようだけど。今朝は駐車場で二匹は甥を待っているようだった。こうして野良たちは人の行為を当てにして人の心を虜にしてうまく生きているのだ。




















2025年7月12日土曜日

モンゴルの風

天皇皇后両陛下がモンゴルに滞在され、ナーダムを楽しまれておられるという。この報道で私はかつて自分がモンゴルの大草原をかけ抜けた記憶が一気に戻ってきた。

いつの日からか私の夢はモンゴルの大草原を馬で走ることだった。夢を実現するべく名古屋空港からウランバートルの空港に向けて飛び立ったのはちょうど今から30年前の秋。日本には台風が迫っていた。名古屋駅で新幹線を降りて同じツアーの参加者たちと合流、名古屋空港へ向かうときには木々が大揺れに揺れていた。こんな風の中果たして飛行機が飛べるのだろうか。しかし、飛んだ!嬉しい。

揺られながら暮れゆく日本を離れてしばらくすると、もうあたりは漆黒の闇。星も月も雲に隠れ真っ暗。それなのにまもなく着陸のアナウンス。どこが空港?見ても真っ暗な中にぽつんと赤い光が見えるだけで建造物もあるかどうかわからない。あれが空港?いくらモンゴル人の目が良くても無理でしょう。でも着いてしまった。寂しい暗い空港が迎えてくれた。

一泊はホテル。次の日からは馬で草原を走りゲルに1泊、草原ではテントに泊まる予定。

来たぞ!モンゴル。夢がかなった。その数年前、私が初めて中国に行ってシルクロードを辿ったとき、タクラマカン砂漠で衝撃的な感動を覚えた。私はここが故郷みたい。前世はここで生まれたのかも。するとチンギスハーンはご先祖様?

それはないとしても、私の感じた懐かしさは何だったのか。気温は約15度前後。少し寒いかと思えるくらい。でも胸が踊る。二日目はゲルに宿泊体験。機能的で美しいゲルは真ん中の焚き火の煙が天井上の穴から抜けてゆく。グループで数人ずつに別れて泊まった。全員合わせてたぶん30人ほどのツアーだったような記憶。それよりも少なかったかもしれない。

同じ乗馬クラブの会員が全国支部から集まってきた。私のクラブからの参加者はなく、ほとんどの人が関西系だった。乗馬の経験を尋ねると皆さん立派なベテランなのに、私はやっと20鞍、これはほとんど初心者なのだ。鞍という数え方は乗ったレッスンの回数を表す。ひと鞍ふた鞍と数える。中には200、300鞍というベテランもいて私はいつも一騒動起こすことになる。私は出発前に駆け足がだせないと行けないからと駆け足の特訓を受けてきた。

その上、自衛隊や宮内庁の乗馬指導員に富士五湖のそばの木曽馬牧場につれていってもらい特訓を受けた。これは素晴らしい体験で、木曽馬とモンゴルの馬はほとんど同じ品種のように見える。体は小さいが耐久力に優れ頭が良く従順でおとなしい。まるで私のような・・・とは誰も言ってくれなかったけど。

走り方も側対歩と言って右足の前後、左足の前後の足が同時に動く。だから揺れが少なく乗りやすい。これだけ準備したから初心者といえども皆さんについていけると思ったけれど、結局落馬して怪我をしたのは私ともう一人だけ。初日から群れを離れ一人で楽しく走っていたらえらく叱られた。その後は、モンゴル人の少年が二人、わたしの監督がかりとして両脇にピッタリつけられた。巻いてしまおうと思って走ってもあちらのほうが乗馬はうまいから、すぐに捕まえられる。

二人の少年は私の両脇に並んで両側から私にモンゴルの数の数え方を教えたり、ものの名前を言わせたり、教育係にもなってくれて、私達はそのツアー中すっかり仲良しになった。お別れのときに二人が寂しそうにこちらを見ていたので思わず涙ぐんでしまった。

最近身辺の整理でほとんどの写真を捨てた。子供の頃のものや学生時代のものなどは未練がなかったけれど、モンゴルの写真だけはすてられなく未だにとってある。

そうやってひたすら馬で走っていたけれど、ある日朝起きたら馬がいない。モンゴルの馬子さんたちが大草原の何処かに馬を探しに行ってくれた。馬が来る間みんなで白い小さな花が咲く大草原に座り込み語り合った。「天国ってこんなところなのよね、きっと」私がそう言うとみんな頷く。「ネパールで飛行機が来るのを待っていたときと同じようだな」と変わり者の偏屈な男性が言う。あら、この人喋るんだ。初めて声を聞いたわ。

金の太いネックレスをして髪の毛を短く刈っている人は一見ヤクザさん。でも話をすると静かな穏やかな話し方。羊肉が食べられなくて食事の時間になるとどこかへ行ってしまう。どうしたのかと思っていたら、テントの陰で持参した日本のレトルトものなどを食べていたらしい。なんと可愛らしい。もう一人、馬が好きすぎて抱きしめている青年は馬乳酒の飲み過ぎでお腹を壊しずっと青い顔をしている。

ある日鞍が外れ落馬した女性が第一号のけが人。その次のけが人は偉そうによそ見をしながら馬を走らせていたこの私。タラバカンというネズミの穴に足を取られた馬がこけて、私は落馬、顔面を強打した。ツアーの最後まで大きなあざが赤から紫へ、紫から黄色に変わる七面鳥のような顔で過ごすことになった。

両陛下はいいなあ。今モンゴルにいらっしゃるのだ。

私にはもはや夢となったモンゴルと乗馬。本当に面白い人生だった。






























































































2025年7月11日金曜日

セコムさんありがとう

夢を見ていた。

古くからの友人で以前はずっといっしょに旅したりお酒を飲んだりしていたのに、最近はとんとご無沙汰の人の夢。彼女は髪の毛に金色の大きなリボンをつけて華やかに笑っていた。なぜかそこで目が覚めた。そしてなぜか電話の着信音のようなものをきいた 。こんな夜中に電話かけてくる?スマホに着信記録は見当たらない。時間は午前2時。

夢か。なぜか数年来少しも会わなかった人の夢を見るなんて、なにかあったのかな?明日電話してみよう。ベッドに戻ってもう一度眠りにつこうと思っていたら外の階段を上がってくる静かな足音を聞いたような気がした。こんな夜中に上の階の人が帰ってきたのかな?

私の耳は地獄耳。最近日によって少し聴力の衰えを感じることがあっても、あいかわらずよく聞こえる。忍び足のような足音が気になる。起き上がってドアスコープから外を覗くと、信じられない景色が目に飛び込んできた。向かい側にレッスン室のドアが見える。でも、開いている。明るい部屋が見える。一体なにが!その後の自分の行動が、これも信じられない!

なんのためらいもなく部屋を出て隣へ行った。私はあまり物事に驚かない性格で、ステージで演奏しているときに様々なハプニング・・例えば大きな地震が来たりとか、誰かが繰り返しを間違えたり、イヤリングが落ちたとか・・それでもびっくりすることなく平常心でいられるのだ。でも今回は自分の家のドアが開いていて電気がついている、この夜中に、普通びっくりするでしょう。

隣に行くと玄関に大きな男の人が立っていた。ああ、セコムさんだ。またやらかしたか!

生活反応がなかったものですからと言われる。生活反応の警備の契約をしているので、一定の時間反応がないとこうして見回りに来てくれる。独居老人が中で倒れていても誰も気がつかなければ、孤独死になる。周囲は大迷惑だからと契約した。それで時々反応装置をかけていない場合は警報装置が作動してこうして見回ってくれるのだ。

時々と言っても頻繁にというほど装置のかけ忘れが多く、電話がかかってくる。するとさっきの着信音はこれだったのか。そこで電話に出なかったのでわざわざ見回ってくれたのだ。半分ボケた老人につけた装置は頻繁に作動して警備の人たちを悩ましている。昨日寝る前にちょっと気になった。レッスン室のセコムかけたかな?でも、さっき鍵をかけた記憶あるし大丈夫だろう、と。こういうときにはたいていかけてないのだということは長年のことでわかっているのに。

最近特に頻繁にかけ忘れる。これはいかん。猫は全く役に立たないから犬を飼おうかしら。猫は私が目覚めたついでに窓を開けさせてフラリと真夜中の外に出ていった。







2025年7月10日木曜日

木々の魂

今年はまだ一回しか北軽井沢の森に 行っていない。

毎年木々が芽吹いた頃、新緑の森を見たくて出かけるのだけれど、隠退した音楽家はなぜか忙しい。引退したというのは嘘ではなくて、本当に心身が疲れ果てて生きる力もなく、ひたすら休む日々が続いた。楽器のケースは7ヶ月ほどはめったに開けられなかった。休むというのも割合にエネルギーが要るものだとその時思った。

休もうと思っても睡眠は短く切れ切れで、目が覚めると運動をしなくてはとか明るく振る舞いたいとか色々余計なことを考える。そのことで疲れてしまうのだった。そして春が終わりあっという間に暑い夏の気配、その頃からメキメキと調子が上がってきた。ようやく体に力が戻ってきて、痛かった膝や足首の調子も良くなってきた。今だったらスキーもできそう。

それでもまだというより、もうこのままで終わりたいという気持ちと、もう少し休みたいという気持ち、少しずつ練習してみようかなという気持ちが交互にやってきては消えてゆく。思い切ってレッスン室の改装を始めた。より防音を強化するためにドアを変え二重窓の間に防音材を詰めてみた。これが思いがけなく効果的に音漏れを減少させ音の質の向上につながった。自分の音がまとまって聞こえるのが心地よい。

そうこうしているうちに、いち早く事態を察知した友人たちからのお誘いがあって、それが導線となって私の再生を促してくれた。もちろんもう大掛かりなコンサートはできないけれど、これからゆっくりと好きな曲を好きなだけ弾ければいいなと思っている。

部屋の工事は終わったけれど、なかなか片付けはできない。もともとが整理整頓まるでだめだから仕方がない。最初のうちはもう新しい服や靴など買うまいと思って自粛していたけれど、時々衝動買いをする癖は治らない。また買い物してはサイズが合わなくて返品したりとう無駄なことが続く。

もうとっくに部屋はスッキリしていいと思うのに、何故かごちゃごちゃのまま。私の才能は猫を手懐けることに多くの時間をさいているから忙しいのだ。徐々に片付け始めてはいるものの、スッキリとなるのはいつの日か。体が動かなくなったら、それに反して頭の中は忙しくなってきた。もともと1日中動かなくても楽しめる性格なので。寝たきり老女になっても私は退屈しないと思う。ただし、それまでにボケなければだけど。

だんだん音楽復帰の風がそよそよと私を誘うようになってから、練習が本格化してきた。以前よりも練習が楽しくて没頭している。それはやはりだいぶ頭が弱ってきたからだと思う。以前なら少し集中すれば苦もなく弾けたものが今はそうはいかない。何回練習しても音が覚えられない、指使いがさだまらないとか、すったもんだの毎日。すったもんだはこういう楽しいときには大歓迎なのだ。練習は面白い。

やっとひけるようになって次の日、同じところでつまずく。なんてこった。楽器の練習は根気あるのみ。それで北軽井沢の滞在は練習にもってこい。

今回猫は家においていった。元野良猫を野に放った。最近野良の、のんちゃんは、近所の家に入り浸り、ときにほんの少し帰宅するだけでまたお出かけ。お兄ちゃん猫と仲良くご近所を食べ歩いている。家のご飯に飽きて、グルメになってしまった。うちはそれで餌代がかからなくて助かっているけれど、時々帰ってきてほんの少しお愛想に一口つまんで出ていく。それで私がしばらくいなくても大丈夫とみた。

猫のいないドライブは快適で、毎回の大騒ぎが嘘のよう。そしてたっぷり練習ができて浅間山への散歩もおもうがまま。これで寒くなってくると猫は以前と同じように甘えてくるのでしょうね。それも嬉しいけれどしんどくもあり。

今庭の木々が緑の海のように広がって鳥がさえずり、家をすっぽりと包みこんでくれる。守られていると同時にエネルギーを放射して私を元気ずけてくれる。やっと長い眠りから覚めたように私の頭が回転を始めた。

しかしながら残念なことに、フル回転するとオーバーヒートを起こしかねない。中年の時期にかかっていた整体の先生によく言われた。「部品が古いからねえ」今はその時よりももっと古くなっているのだけどね。

































2025年7月5日土曜日

自分のためだけの練習

 この8月に久々にステージに立つ。その他の予定は来年までまだなにもないから、毎日色々な曲を弾いて楽しんでいる。自分のためだけに練習することのなんと楽しいことか。

もともとあまり表立って弾くよりも陰でコソコソ陰謀を企てることのほうが好きだから、ああでもないこうでもないと楽譜をためつすがめつ眺めて、どうやって面白く弾こうかと思い巡らす。楽譜を見るのは本当に面白い。私は楽譜の顔を見た途端テンポがわかるという特技を持っている。常識的に言えば楽器の技術にふさわしいテンポ設定があるということなので。

それでもとんでもない作曲家がいるから油断ならない。先日のnekotamaで書いたけれど、新曲で本邦初演などの曲では想像もつかないときもある。でも大抵の作曲家ならその人自身の癖とか類似の曲とかを知っていればすぐにテンポはわかる。それでほとんど外れたことはない。

楽譜を見慣れてくるとあちらから話しかけてきてくれる。最初は見落としたりしていた記号も弾き進めるうちに生き生きと語りかけてくる。だから初見の楽譜を読むときにはとりわけワクワクする。最近よく一緒に弾いているHさんが次々に課題を出してくるので、あたふたしながらもたいそう面白い。彼女とはオーケストラの同僚だった10年ほど、なにかにつけて合わせてきた。それが今、数十年のブランクを経て再開している。こんな幸せなことはないでしょう?

オーケストラに入りたての新人だった頃、私は毎日涙目だった。次々に全く知らない曲を練習しなければならなかった。楽しいなんてものではない、緊張のあまり練習場に入ると吐き気がしたものだった。来る日も来る日も譜読みに明け暮れ、仕事が終わっても大久保の練習場の閉室時間の22時まで、練習する毎日。

ほかの人たちのように子供の頃から英才教育を受けなかった。その差は歴然で音大を卒業してもなお他の人よりも遅れていたはずで、その割に座る席は恵まれたポジションだったからそれは苦労した。しかしものすごく苦労して練習したおかげで、その努力を見ていた人たちが助けてくれたのだった。ある人が私に言ったことは「あなたは卒業してからの修行がすごかったわね」修行だそうで、たぶんそのように見えたのだと思う。

周囲の人達がこの人を助けたいと思ってくれたのが私の一番の幸せだった。ドジでトンマで見るに見かねて手を差し伸べたくなる、そのような新人だったらしい。当時N響を定年退職したばかりの北川さんという方がエキストラで来て、もたもたしている新人に色々教えてくださった。「この指使いはどのポジションであっても同じにすると簡単なんだよ」とか。その北川さんの娘さんが、後に私の仲の良い友人になり、その後の仕事でも最後まで一緒にできたことが本当にラッキーな遭遇だったと思っている。

こうして考えると私は自分で成長したわけではなく、周りの人に感謝をしてもしきれないほどの好意を受けて育ててもらったのだという思いが強い。本当にみなさんありがとうございます。その中でも音楽家ではないけれど長年に亘り一番力を貸してくれた方が今病に倒れ、私は自分の無力さに打ちひしがれている。私にできることはないかもしれないけれど、私が安心して音楽に打ち込むことができた環境を作ってくださった方の快癒を心底祈っている。

自分だけの練習と思っているけれど、それはまた聴いていただくための練習にもつながる。来年の秋にはコンサートができると思います。それまで技術の維持と音楽に対する情熱が枯渇しないように、何よりも健康で怪我のない生活が求められる。辛さも寂しさもすべてひっくるめて生きる喜びを失わないように。普通よりも遅れて始めた音楽の勉強が自分にこんなに大切なものになろうとは夢にも思わなかった。












2025年7月1日火曜日

ワンちゃん事情

ネットで知り合いになったWさんとは滅多に会えないけれど、ふたりとも今はフリーであるので久しぶりにお目にかかることになった。

彼女は何回聞いても私にはあまりよくわからない・・・要するにまともな社会の人だから お話を聞くだけで面白い。雰囲気も落ち着いているし、時々こうして話ができると私もこの日本に居場所があるかもしれないとホッとするのだった。

昨日あのクソ暑い!中私の家に来てくださった。いつもなら客人をおもてなしするのに不味い手料理で対応するのに、連日の暑さで脳みそがパンクしているからなんのアイディアも浮かばない。幸い家近にデパートがあってお惣菜売場がある。そこで買えば少しはまともなものが食べられるかと出かけた。

開店と同時に売り場に殺到と思ったけれど、客は殆どいなくて肩すかし。売り場は活気がなくドヨンとした売り子さんたち。不景気と暑気あたりで元気がない。私も連日の暑さに寝てばかりいるから何を買っていいかわからない。

とりあえず手前から目についたものを買っていった。なんだか葉っぱばかり、サラダ類しか目に入らない。自分の食欲に合わせるとこうなってしまうので最後にローストビーフサラダを買うことにした。きれいに並んだローストビーフの下に野菜類が隠れている。注文すると店員さんはまずローストビーフを脇に避けて野菜から入れ始めた。思わず「あ、ビーフを退けないで」と言いたくなったのを我慢。

野菜がたくさん入ったところでわずかにローストビーフを上に乗せ始めた。その間私はじっと作業の過程を見つめていた。さぞやりにくかったと思うけれど、そこは慣れたもので店員さんはしれっとしている。たしか以前はこのサラダのローストビーフはこんなに細かく切ってなかったような気がする。だからそれなりに量が入っていたのに、今は細片を無理やり葉っぱの上に並べてきれいに見せている。あーあ、本当に世知辛い世の中。

全てのものが値上がりしてお米まで庶民の口には入らなくなりそうで。日本人よ、危機でござる。デパート自体いつ傾いてもおかしくない。車で駐車場の入口スロープを登りながらあたりを見た。天井に大きなひび割れの修理箇所がいくつもあり、普通ならこんなものは修理後はきれいに隠すのにその余裕もないらしい。堂々と大きなミミズがのたくっているような筋を見せっぱなし。

駅で待ち合わせた客人と暑い中家について、まずはビール。Wさんはお酒が強そうでいつかはじっくりと一献酌み交わしたいとおもっていたのに、あいにく私のほうが最近とんとアルコールに弱くなってしまった。飲むと息がはあはあして苦しいので最近はめったにアルコールを口にすることができない。残念なことに酔っ払ったときのあの陽気な世界に行くこともできない。

以前船の上で仕事をしたことがあって、仕事が終わったら何でも飲んでいいよと言われてお酒をいただいた。ところが船はいつも揺れているからか、めったにないほど早くお酒が回ってしまった。上機嫌になった私はもう何を見てもおかしくて、それを見た仲間たちのおもちゃになった。みんなで箸を転がす。「ほれ」とか言いながら。それを見た私が「ああおかしい、ケッケッケ」と笑い、最後に客室につながる階段を抱えられながら登った記憶。船室のベッドに寝かされた以後は何も覚えていない。

こんな陽気なお酒は若くて元気でないと味わえない。残念だけれど、昨日もノンアルコールのビール。せっかくお酒に強い人がいるのに。でも正気でじっくりとお話できたのが良かった。

私達は世間の道から少し脇道にそれた場所にいる。一見華やかでもその実態は練習に次ぐ練習。最後に打ち上げ花火が揚げられるからカタルシスにはなるけれど、頭の中にはずっと本番にむけての予定が渦巻いている。常に正気とは限らない。それを取り戻させてもらえるのが、冷静に着実に生きている真っ当な人たちなのだ。時々足を地につけている人達と他の世界の話ができることが、私にとってすごく重要なことだと思っている。

その貴重な存在のWさんは以前ミニチュアシュナウザーの飼い主さん。その子が亡くなったらご主人がペットロス症候群になってなどと聞いて、気の毒になった。以前コンラート・ローレンツ博士の本で、ペットを失くしたらすぐに次の子を飼いなさいと書いてあった。

そのときには随分冷静で冷たいんじゃない?と思ったけれど、それは後に全くの真実で最高の治療だと実感した。その博士の説は御本人が信じられないほどたくさんの動物と生活し、そして見送った実体験からのものだったと。Wさんの家に新しい子がいると聞いてほっとしている。

次々にペットを飼うのは動物にだけではなく人間の心の平和にも良い。汚い、うるさいなど言っていないで実際に飼ってみればよく分かること。私自身、最初に飼った猫を失くし一ヶ月間泣いて暮らした。その次の猫に会うまでの悲しかったこと。つぎの猫に出会い、それ以後隙間なしの猫との共同生活。猫を飼うデメリットよりも飼うメリットの大きさを考えて次のワンちゃんを飼う決断をしたWさんご夫妻は正しい!

















2025年6月24日火曜日

さくらんぼ

毎年さくらんぼを送ってくださる人がいる。仕事仲間のSちゃん。仕事仲間(だった)と書かないといけない。彼女はまだ現役でも私はもう引退したのだから。音楽事務所でさんざんお世話になった社長も亡くなって、一段と寂しくなってきた仕事関係者たちでも未だにこうして覚えていてもらえるのは嬉しい。すぐにお礼の電話をして少し話をした。

思い出すのは去年のさくらんぼ。せっかく送ってもらったのに、その時私は入院中だった。ひどい肺炎を起こして呼吸困難になり、急遽入院したためにさくらんぼの季節だということを失念していた。病室でクロネコヤマトのメールに気がついたのは少し遅くなってからで、慌てた。すぐにスマホのメールの配達日変更のページで日時の変更をした。ところが、すでに手遅れでもう我が家に届けに来たらしい。でも何回来ても私は不在。連絡もない。

そこですったもんだ、なま物だからおいていくわけにいかない。困った黒猫さんは荷物を送り主に返送した。そうとは知らない私は姉に頼んで、指定の日時に私の家に行って、もしさくらんぼが届いたらもらってほしいと連絡。そして姪にも電話して、さくらんぼはたくさんあるのであなたのところに一つ上げるから叔母さんのところで待っていなさいと言ってしまった。待てど暮せどさくらんぼは来ない。結局いろいろ訊いたら黒猫さんの事情がわかって、姉と姪は草臥儲けだった。

今年は無事さくらんぼが届いて、あの辛い入院生活を思い出した。あれからもう一年経ってしまったのか。悪い夢を見ていたようなおぼろげな記憶。一言も言葉を言わない患者たち、声を聞くこともない。冷暗所にいるような不気味さ。あれが老人病院の実態だとしたら、私は自宅で死にたい。あまりにも咳がひどく他の患者から苦情が出たため部屋を変わるように言われて、今空いているベッドは一つだけと言われて入ったのがこの病室だったのだ。

今年のさくらんぼは去年と違って本当に嬉しくいただいた。

電話口でSちゃんの声を聞きながら、去年までとは打って変わった明るい環境でいられることの幸せを噛みしめた。もう二度とあんな辛い時間を過ごしたくない。秋になって涼しくなったらまたなにか食べに行きましょうねとSちゃん。Sちゃんはくいしんぼ。仕事で旅に出ると、彼女と一緒なら美味しいものにありつけるとわかっているからついていく。楽しい時間をたくさんもらって美味しいものを食べて、仕事も楽しくて幸せだったことをさくらんぼで思い出す。

去年は食べられなかったのだから、今回はさくらんぼ独り占め、誰にもあげないでこっそり食べよう。でもどうしようかな。やはりおすそわけしないといけないかな。去年は散々姉にも世話になったし・・・あら、でももうなくなっちゃった!なんてね、意地汚いこと。

Sちゃんから「声が元気そうでよかった」といってもらえたのが嬉しい。

再びヴァイオリンの練習が始まって、長いときで4時間、少なくとも2時間の練習が気持ちよくできるようになった。最初のうちは30分も経つとへとへとで次の日は中休み。昼寝しないと持たないほどだったのが、今は軽い体操をするくらいに感じられる。これが定着すれば社会復帰も間もない。

今日つくづくと自分の左手を見たら、超絶ひん曲がっていた中指がこころなしかまっすぐになってきたような気がした。まっすぐというにはまだまだ、それでも、一時期には5ミリほども小指側に傾いた薬指は今は3ミリほど中指側に戻っている。ちょっと感激!

曲がっていったのは日頃の練習不足のせいだったのか。これからは心を入れ替えて、練習にはげもう。こんな高齢になっても練習ができる環境には感謝。周囲の人々が亡くなったり去っていったり、特に愛する人との別れはつらい。私にヴァイオリンがなかったら生きてはいけないように神様の設定がなされているのだろうと思った。かつてなんの因果か、到底実現できる環境にいなかったのに音大からオーケストラ、その後の活動は周囲からの励ましで実力以上のステージの数々に登場できて、幸せだった。

最近は楽譜の整理を始めた。もうあとからあとから出てくる出てくる、大量の楽譜。しかもびっくりするのは大抵の楽譜は演奏済み。中にはまっさらで買ったのを忘れていたものもあるけれど、良くもこんなに弾いたものだと驚いた。私が自主的にしたのではなく、周りに誘われて面白がってやったことだから、これも友人たちのおかげ。

今年11月、ベルリン・フィルの来日演奏会には、最初に私を音楽の方向にいざなった親友といっしょに聴きに行く。彼女がいなかったら私は趣味でヴァイオリンを弾くおばさんになっていた。よくぞ、誘ってくださった。ありがとう。









2025年6月20日金曜日

猫は浮かれ人はあえぐ

私の家の二匹の野良猫たちはこの暑さにも絶好調。

猫は人間よりも体温が高いから暑いのが堪えないのかもしれない。AIに訊いてみよう。答えは猫は多様な気温に対応できるとか。野生に近いから、野生だったら暑いの寒いの言ってエアコン使用に走ることがない。砂漠のマヌル猫が原型らしい。というわけで人間が一番弱虫。

文明が進むにつれ人はどんどん弱虫になり、それをカバーするために新しい機械に頼り、もっともっと弱くなる。戦争で大量の殺し合いをしているから人の数は減っている?インドでさえ中国でさえ出生率は低迷しているらしい。このまま行くと機械がどんどん生み出され人の数は減る。機械が偉くなって人は機械にこき使われる。そのうち機械が子どもを生むなんてことにならないかしら。ホラーじゃなあ。

しかし機械は悪意を持たないものと考えるとそのほうが平和かもなんて絶望する。人の悪意は今の世界の情勢を考えるととんでもないことだと思う。悪意が更に悪意を生む。今のロシアなど、何を好んで他人の土地を奪うのか。狭い日本でひしめき合いながらも平穏に暮らす我々にはもったいないほど広い土地を持つ人たちの欲の深さよ。

機械は悪意を持たないと言ったけど、犬の形のロボットが機関銃のようなものを発射しながら走る姿を見て、もう世も末と思った。偉い人は冷暖房のきいたビルの中で命令だけする。走り回るのはロボットと兵隊だけ。死んでも数を数えられるだけで悲しむのは家族のみ。非情さが機械の陰に隠れてしまう。戰場の映像を見終わると偉い人たちは、さて今夜はどこのレストランで美味いもの食えるかなと言いながら欠伸をする。理不尽極まりないことなのに。

日本にはまもなく巨大地震が起こると長年言われ続けてきたから、きっとまもなく起こるのでしょう。そのときに生き残っても瓦礫の中で年老いた自分が苦痛に耐えて生きる姿は想像したくない。生き残れるのはいいほうで多分残り少ない人の中には入れないと思う。もし生き延びたら猫さんたちのお世話になるしかない。

例えば、自宅にいれば、猫のトイレを使わせてもらう。先日猫のトイレの砂が余ったので友人に上げようと思ったら「それ、とっときなよ、災害のときに人もつかえるから」と。なるほど、さすが筋金入りの猫きちさん。彼女は多頭飼いの猫母さん。今は少なくなってしまったけれど絶えず可哀想な野良たちを保護してきた。この際だから猫たちに恩返しをしてもらってもいいのではないかと。

キャッツフードは食べられないけれど、一時の命の糧にはできないものなのかしら?寒い時期なら一緒に寝れば行火の代わりになる。なによりも心の支えになるはずだけど、猫は冷たいからいざというときに頼れないのは覚悟しておかないといけない。そのくせ自分が心細いときには甘えて抱っこをせがむ。抱き心地が悪いと爪を立てて逃げる。悪い性格の標本みたい。

でも見習うところもある。こういう生き方は非常時には滅茶苦茶役に立つに違いない。きっと生き延びられるから見習ってみたらいかがですか?

最近せっせと投稿が続いているけれど、脳が活発に動いているというよりもたがが緩んでおしゃべりになったというところです。きっと早くも認知症の始まりというべきかも。どんどん妄想が生まれてくるのですよ。真面目に捉えず読み飛ばしてくださいね。



















2025年6月19日木曜日

酷暑、米騒動にアメリカ(米)騒動など

ピアノの調律が終わったので、ちゃんとしたピアニストに試し弾きをしてもらいたいと思って声をかけたのはいつものSさん。私の引退宣言以来会っていないし久しぶりでなにか合わせて見ようという約束になった。本当は今日がその予定の日だった。

昨日は美容院へ行ってあまりの暑さにへとへとになって帰ってきた。これはやはり危険な暑さだと思い「明日の練習はどうする?」と尋ねようと思っていたら先に彼女の方から連絡があった。やはりやめておこうということになって、残念だけれど中止。

なんてこった。この暑さ尋常ではない。

世界が騒がしい。トランプ大統領が世界中の経済を引っ掻き回しているから、彼の顔色を伺う日本も大変。地球のそこかしこで戦争状態が続いている。気象状態が不安定で災害が多発、経済もそれにつれてバタバタとしている。しかしトランプさんは何がしたいのだろうか。

選挙でアメリカファーストを掲げたために他国に威力を見せつけないといけないから、大げさに騒ぎ、しかし世界中が相手だから思ったより相手はしたたか。思うようにはいかない。それでなんとなく人相が変わって、弱気の表情が見え隠れする。しかし強引すぎて見ていると大丈夫かい?と声をかけたくなる。

特に大学内までも人種差別で、これはもう末期的だと思ってしまう。こんなことしていたらアメリカもおしまいではないかと。トランプさん、あなただってイギリスから逃れて新天地に移民として来た人々の末裔ですよ。お忘れですか?大切な研究者たちまでも追い出して、それでアメリカは栄えるとでも?

nekotamaには政治や経済や、そういう難しいことは書かない主義だったけれど、今のトランプさんを見ていると心配でたまらない。それでわたしたちのピアノ合わせの中止に直接繋がらないにしても、こんなひどい気象異常が発生するのも無理はないと思えてしまう。

地球規模、宇宙的に考えればほんの一時期の異常であって、またサイクルが変わって穏やかなときもあるとは思うけど、今はエキセントリックな大統領と極端な天候に振り回されて右往左往する人々で溢れかえる悲しい時代。こんな極端な人に世界を任せておけるのか心底心配している。大体何がしたいのか。なるべく争いを避けて言葉を交わし信頼と秩序を大切にするのが、アメリカの民主主義の根幹ではないのか。自分だけの考えで世界を掌握するなんて!

日本の政治はコメ絡みでJAが暗躍しているとか。古い政治の仕組みが邪魔してコメ不足が重大な局面を迎えているそうで、それはそれで非常に問題だけれど、アメリカのたった一人の大統領に世界が振り回されているのを見るにつけ、まあ、平和だなあと。でも困るのです。

日本の将来を考えると、まず子どもたちの教育に全力を注ぐ必要に迫られている。日本では若者の選挙の投票率が30%強、フィンランドでは90%に近いと聞いて絶望的になった。フィンランドでは小学校から政治の仕組みを教えるとか。本当に必要なことを考える教育の仕組みが確立されているらしい。政治家も党派を超えて討論することもあると聞くと、仲良しグループで意見をまとめる日本では考えられない。

常々思うことは日本人は議論ができない。例えば、自分の考えを明かさず他人の意見を待って大多数に賛同するとか、非常にずるい。意見が対立すると喧嘩腰になる。お互いに意見を取り交わしているのだから、喧嘩しているのではないにもかかわらず。

言いたいことをきちんという、相手の話をちゃんと聞く、前提にはお互いに嘘をつかないこと。こんなことを言うと相手に感じ悪く取られてしまうからという遠慮が諸悪の根源。私ははっきり言いすぎてトラブルを招く。でもこれが日本でなかったらちゃんと聞いてもらえるのになあという思いが強い。

nekotamaは平和に過ごしてきたけれど、それだけでは済まない世の中かもしれない。ある日突然騒動を起こして捉えられ、牢獄で叫んでいるかもしれない「コメ食べさせろー」なんて。キャッツフードでなくおコメをください。



















2025年6月16日月曜日

元気になったと喜んでいたけど

 元気になったことで喜んでいたら、またまたやりすぎで疲れた。2日続きで4時間の練習、一日おいて出ましたね、疲れが。

年取ると疲れが出るにも時間がかかるようになったらしい。少し前までは元気だった。この調子ならと外出する予定が咳と微熱で思いとどまった。抜けるような虚脱感。へなへなと布団に倒れ込んでも体は疲労が濃く蓄積されていて、横になっても楽ではない。けれど最近はいくらでも眠れるからそのまま寝てしまった。目が覚めると夕方やら明け方やら区別がつかない。やっと夕方になったことに気がついて、夕食を食べずに寝てしまった。

今朝4時ころ猫に起こされたことは覚えていた。7時ころ朝食を摂ったことも覚えている。その後散歩に出たけれど、足が前に進まず8時ころに二度寝。次に目がさめたのはもう午後1時。それから買い物に出て昼ご飯。そしてまたごろ寝。次に目がさめたのはテレビ朝日の「相棒」が始まる寸前。

途切れ途切れで睡眠時間の計算もできない。よく二度寝はだめとか昼寝は30分以内とか言うけれど、そんなことかまっちゃいられない。疲れたらできる限り眠ってしまおう。そのかわり、頑張れるときは頑張る。それでいいじゃない。どうしてすべて規則正しくなんて言うのかわからない。私は不規則の女王だったけれど、今でもそうだけど、こんな長生きで健康でいられるのに何が悪い。時間通り窮屈に暮らして長生きするより、できるときには目一杯、つかれたらぐっすり、気持ちよく起床して美味しく食べて、こんな生活のほうが余程幸せだと思うけど。

私は狩猟民族を先祖にもっていたのかもしれない。やたらに馬や動物が好き。スピードを好む。そういう民族なら狩をするときは夜通し寝ないで獲物を追跡したり、獲物がなく空きっ腹を抱えて眠ったり、規則正しくなんていられない。それだからといって彼らが不健康だったとは考えられない。だからモンゴルの大草原を馬で走るのが夢だった。その夢は50歳のときに実現した。多分最後の際には馬がお迎えに来てくれるのでは、そうしたらどんなに嬉しいかと思っている。聞いた話によれば、それまで飼っていた動物たちが迎えに来てくれるとも。そうしたら幸せで死にそうに・・・いやいや、死んだからなので。

世の中には時間通り動きたい人も、何物にも囚われたくない人がいる。私は好きなことのためだったら健康を危険にさらしてもやるべきと思う過激な考えを持っているから、世間から見れば賢い生き方とは思われそうもない。もちろん賢くはないのは百も承知だけれど。

それでもたった4時間の練習を2日間続けただけでこの体たらく。やはり歳はとりたくなかった。でもむこうからやってきてしまったので仕方がない。それでも休み休みすればどうやらこのペースは保てそうなので、現状維持ができればいいなと思っている。果たしてどこまで続けられるか・・・

90歳までリサイタルを続けたチェリスト、毎日4時間の練習を欠かさずステーキが大好きというピアニストなどやはりすごい人はたくさんいるものだと。対抗したいとは思わないけれど、励みにはなる。生涯やりたいことがある幸せは脳力にある。質は悪いが健康ではあるらしい。頑張ってみる。













2025年6月15日日曜日

ヴァイオリン健康法

引退宣言からやく8ヶ月、ヴァイオリンはケースの中でスヤスヤと眠っていた。時々生徒のレッスンのときに取り出して弾く以外は気力も体力もなかったので、もうこれで私の人生は終わったと思っていた。

なにも欲しくないし、したくない。まさに鬱だったのだと思うけれど、力が抜けて眠りに眠ったおかげで漸く人間らしくなってきた。体力はもう落ちているのは仕方がないけれど、膝痛まで治ってきたのが驚きだった。

時々友人たちから電話をもらっても「いきてるかーい」という安否確認だったりする。以前なら「ねえ、コンサートどうする?」だった会話もめっきり減ってしまった。それはそれでもう火を落としてしまったのだから仕方がないと思っていたけれど、レッスン室の模様替えと楽譜の整理が進むにつれて楽器が気になってきた。

クローゼット一杯の楽譜、片付けても片付けても湧いて出てくる。同じ譜面がいくつも。パラパラとめくると書き込みの数々が思い出を誘う。へえー、こんなボウイングとフィンガリング?なに考えていたのかしら、とか。だから当分楽譜整理は終わりそうもない。困ったことに古い楽譜はホコリやダニや色々含んでいるらしく、喉の調子が悪い。毎日喉のケアをしていたけれど、このところ風邪をひいた状態で鼻水や咳がでる。楽譜整理症候群とでも名付けようかしら。

楽器は、はじめは30分も弾くと立っているだけでくたびれた。体力も筋力も低下して息が続かない。けれど昔取った杵柄とやら、だんだん長時間立っていられるように、一日練習すると次の日はくたびれて弾けない状態だったのがいつの間にか毎日練習する習慣が戻ってきた。ここ数日は実に4時間の練習が続けられるようになった。体が軽くなってくる。動きが早くなる。

けれど私の性格からしてなんでもやりすぎる。このまま続けるとまたやりすぎてダウンするというお決まりのコースになりかねない。だから今日は休暇とうだうだしている。実はサボる口実だけど。練習再開した頃は少しだけ肩が凝った。やはりうまく力が抜けない。けれど、今はもう肩こりが治ってきた。よしよし、リタイアに向けての第一歩の再構築は着々と進んでいるらしい。

それというのも友人たちのお陰で、先日、デュオに誘ってくれた人、今年の末のコンサートに誘ってくれた人、8月の発表会に「弾かない?」と言ってくれた人など、私の回復を見守っていてくれた人たちからの温かいお誘いが嬉しくてようやくヴァイオリン復活が実現することになった。引退宣言をしたときにはもう二度と表に立つことなど考えられなかったくらい消耗していた。心も体も不調続き、楽器を持ち上げるのもしんどかったのに、皆さんありがとう。

それでもこれからは規模を縮小して小さなサロンで、長時間のコンサートはやめて、聽いている人たちが気絶する前に終わるよう頑張ります。

と、言うのは、私は長い曲をひくのが好き。自身の室内楽コンサートで1時間近い曲を2曲並べて、聞き手の皆さんをうんざりさせたこともあった。よくぞ、殺されなかったと思いますよ。また生き延びて活動を始めたと聞いて殺意を抱く人がいないといいけれど。

ヴァイオリンは・・・というより、何をやっても力を抜くことが最大の課題となってくる。そしてそれが心身ともに健康につながると、この期に及んで実感しています。例えば一時間の曲を弾き続けるのも、大変だと思うでしょう。でも必要以外の力を抜いてしまえば実現可能、楽器をやっている人々はそれが生涯の課題、楽器をやっていない人も同じく、心のケアでも何にも共通した生きるテクニックです。

猫を見てご覧なさい。彼らは喧嘩するとき以外は脱力の名人。どんなところにも潜り込める達人なのだ。それで彼らは液体ではないかという説も浮かんでいる。




















2025年6月12日木曜日

コッコッコッコケッコー

小泉さんはついに古古古古米まで放出すると決めたらしい。でもね、出すなら普通古い方から出しませんか。さんざん大騒ぎしてそろそろ市場に米が出回ってくる頃に、鶏さんたちが待ちかねている古古古古米を今頃出すとは。

自宅の備蓄品のことを考えてみよう。賞味期限を見ながら、普通、切れる時期の迫っているものから食べていきませんか。それらを安く放出すれば、コメ不足に付け入って儲けようという輩はぎゃふんと言うでしょう。大体最初に古米を出すときには大手の企業等しか手に入らない。それを普通時より高く売れば大企業はいつもより儲かる。売れそうもない古古古古米の処分は貧乏な私達がありがたくいただく?横取りされた鶏さんはお腹が空く。

どちらにしても庶民はいつも後回し。衆議院の解散がチラチラしている中で、自民公明はまた現金のバラマキをしようとしている。このための事務経費はいくらくらい掛かるかというと莫大としか思い浮かばない。こういうのって選挙対策なのだから選挙違反とはならないのかな?現金差し上げますから票を入れてねということでしょう?

こんな無駄なことばかりするなら最初から税金安くしてよねと言いたい。庶民派といえば最近引退宣言をだしたけど、またぞろヴァイオリンが弾きたくて我慢ならなくて色々画策している。それで数ヶ月眠っていたヴァイオリンの手入れをしないといけなくなった。それはそれはお金がかかる。

弦楽器は弦が命。古くなった弦は音が通らない。ヴァイオリン簇の楽器はほとんど4本、たまに5本、それを全部張り替えると我が家のレベルでは大変な出費となる。銀の価格高騰が弦の価格に直接響く。今はあまりコンサートもないけれど、一時期絶え間なく演奏していた頃はひっきりなしに弦を変えていた。消耗品だから弓に張ってある馬の尻尾の毛も、年間数回の張替え、一本張り替えると弦の張替えといっしょに家計を逼迫するほどの価格になる。

それを必要経費と認めてもらおうと確定申告しても、無視されたのが去年のこと。にべもなく削除された。こちらも面倒だから説明もしないから悪いのだが。本当に国税局の税理士はこの世界の情報を知らない。知らないことは無視していいらしい。結構な御身分ですねえ。大体国勢調査などでも、私達フリーランスの音楽家なんて職業はどこにも当てはまらないのだ。

コロナ禍のときに私は年間八回のコンサートのキャンセルの憂き目にあったのに、そこの欄に斜線を引かれたのですぞ。女性で年を取っているともう社会人扱いされないのが日本の社会。来年は税務署で大暴れしようかと思っている。今年も少し騒いだけど。笑笑・・・それやるとお代官様が理不尽にお縄を持ってくるかと、我慢しているけど。今度大臣クラスに提訴してみようかと。小泉さんいかがでしょうか?なにかしていただけませんか?

ちょっと説明しておきますが、銀の相場が弦の価格に関係するというのは、私の一番好きな弦であるオリーブという商品はガットの外側に銀線が巻かれているのです。一時期そのガット弦の品質が悪くて巻きかえるとすぐに切れるということがあったので、張り替えてすぐに何万円も損失が出て大変だったこともあったのです。一本いくらかご存じないでしょう?私も知らない。考えると恐ろしくて弦を張り替えられなくなる。

こんなことも税務署員に説明してもどこ吹く風。とっくに諦めているけど、なんだかなあ。私達は古古古古弦を使うと音が悪くなるし切れる可能性大だから使えない。鶏さんもこれは食べられないから捨てるっきゃない。