2018年4月15日日曜日

梯剛之とモーツァルト

東京文化会館小ホール

モーツァルト ピアノ協奏曲K.413,414,415

梯剛之さんは私の知人の息子さん。
お父さんはN響のヴィオラ奏者だった。
彼とは学生時代からのお付き合いで、一緒に弾いたり飲んだり。
飲むとこの上なく愉快になる人なのに、そういう姿を家では見せないようだった。
八ヶ岳音楽祭にはいつも剛之さんと一緒に参加している。
父子は食事のときには私達と同じテーブルで一緒に食べる。
剛之さんに「お父さんは飲むと愉快だよね」と言ったら「ちょっと!そういう話はしないで」と大慌てで止められたから、家庭では厳しい父親であるらしい。
ここで暴露しても大丈夫かなあ。
皆さんここは読まなかったことに。

そんなわけで剛之さんの演奏は、彼のずっと若い頃から何回も聴かせてもらった。
毎回厳しい研鑽の跡が見える演奏で、音色の追求をするあまり音楽が前に進まなくなった時期があったり、つぎに聴いたときには軽く輝かしい音が飛び跳ねたり。
それは手にとるように彼の追求する姿勢の現れだった。

幼少時に光を失って、日本の学校では受け入れてもらえず、ウイーンに。
お母さんと二人で苦労を重ね、数々のコンクールで輝かしい成果をあげている。
段階を踏んでずっと聴いている私には、彼の成長が嬉しい。
お父さんと同じく冗談の好きな普通の青年だけれど、音楽は増々深みを増している。

毎年8月14日に行われる国立での同窓会コンサートに、彼も参加してくれた。
私はその時同級生のSさんと、モーツァルトの「ソナタ」Eーmollを弾いた。
モーツァルト弾きの彼の前でモーツァルトを弾くのはいささか気がひけたけれど、大きな声で「ブラボー!」と拍手をしてくれた。
性格の良さもお父さん譲り。
猫の弾いたモーツァルトは、にゃんにゃん言って聞き苦しかったでしょうに。

今日のモーツァルトは格別のものだった。
K.番号が若いから彼の若い頃の作品だけれど、3曲続けて作曲されたものと思うのに、それぞれとても作風が違う。
特に413は音楽の骨格だけのようなシンプルさであるのに、剛之さんが本当に上手く弾いたのには感激した。
一緒に聴いていたピアノのSさんが「こういうのって1番難しいのよね」とつぶやいた。
416は風格すら漂う成熟した作品となっているのには驚いた。
僅かな時間差でこれほど進化するものなのか。
モーツァルトの天才たるゆえん。

今日のオーケストラはアカンサスⅡ。
我らが「古典」のメンバーであるヴァイオリンのNさんと梯さんのお父さんが、このアンサンブルのメンバーでもある。
学生時代に結成されて、その後皆それぞれの道で活躍。
今再び集結してこうやって演奏できる。
演奏も良かったし、そういう事情を知るとなんて幸せなことだと思う。

アンコールはショパンのピアノ協奏曲の2番、第2楽章。
モーツァルトを演奏する時の真珠を転がすような華やかさと軽さは姿を消して、心を焦がす恋や人生の悩みを背負って歩く姿を表すような深い音。
力強い表現と強弱それぞれの響きの豊かさ。
ピアニストとして剛之さんがまだ伸びていくことを暗示するような素晴らしい出来栄えだった。
ショパンが始まった途端、私の心が急に若い日に戻ったのには驚いた。
なにもかもが新鮮で激しくて、そんないきいきした感情がこみ上げてきて涙がこぼれた。
やはりピアノはショパンが最高。
アマデウスよ、許して。

父親が弦楽器奏者ということが剛之さんに影響を与えているのではないかと思うのは、私の独断と偏見かもしれない。
流れるように鍵盤の上を移動することで、なめらかでアタックの少ない奏法が出来る。
無駄な上下動はしないですむ。
これは弦楽器の奏法と似ている。
上から叩くようなピアノ演奏はよく聴くけれど、弦楽器は弓を返す時にアタックをどうやって少なくするかを目指す。
それが出来るようになるまで苦労するのは、こんな簡単な作業がいかに難しいかということで、それのピアノ版といえばおわかりいただけるかしら?
今後も楽しみに聴き続けていきたい。












2 件のコメント:

  1. 梯剛之さん、聴きにいけなくて本当に残念。 YouTubeで見てみます。

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    1. またの機会に是非!
      あの音を聴くと、くせになります。

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