2023年1月29日日曜日

久しぶりにオーケストラ

 毎年モーツアルトの誕生日に開催されるコンサートがある。ここ数年は目がよくみえないこととオーケストラの仕事はもうきついという理由でお断りしてきたけれど、コンサートミストレスのTさんの毎年のお誘いにほだされて出演を決めた。条件としては楽譜を一人で見ること、一番うしろの席に座らせてもらいたいということ。快諾していただいたので本当に久々にでかけた。

モーツアルトは世界中の作曲家の中で一番好きで難しい。たぶん私にとってこれがオーケストラを弾く最後のステージとなると思うので、その大好きなモーツアルトでしめくくれるのは最高だと思った。オーケストラは大勢の人が集まるので緊張感も半端でない。特に弦楽器は大勢で同じ音を弾くので陰に隠れられて安心でしょうなどとふらちな事を言う人がいるけれど、とんでもない。大勢で同じ音を弾くのがどれほど難しいかわかりますか?一人のミスが周りに影響して崩れることの怖さを度々体験してきた。一人ならすぐに立ち直れるけれど、一旦バランスを崩すと大勢での立ち直りは時間がかかる。

とても久しぶりだったけれど覚えてくれている人や仲の良い人たちがニコニコ挨拶をしてくれるので本当に嬉しかった。けれど会場の府中の森芸術劇場の楽屋は急な階段を上り下りしなければいけないので息切れと足の痛みとの戦い。手すりを持ってよっこらしょと登っていくと後ろからくる元気な人まで追い越さないでゆっくり登る。どうぞ御先にと言っても私が転がり落ちないかと心配するらしくあとを付いてくるのが申し訳なかった。

その足のことだけれど、リハビリを続けてメキメキと良くなってきた。これで春になって暖かくなれば階段くらい走って登ってやるさ、フン!と内心思っているのですよ。不思議なことに自分としては引退していたはずのオーケストラの演奏は昨日までやっていたようにまっすぐに蘇ってくる。演奏が終わったとき体中が浄化されたような清々しさを感じた。曲目はモーツァルトのレクイエム、アンコールはアヴェヴェルムコルプス、モーツアルトが喜んでくれたのかもしれない。

昨年は身の回りで不愉快なことがあってその解決に四苦八苦する毎日。そのストレスで足が痛くなったというのが私自身と周囲の人達の考え。それが解決すればもう少し元気でいられる。人は見かけに寄らないと言うけれど、長い間周囲から信頼されてきたひとに裏切られて、私たちは本当にがっかりもしたしもう少し解決しないといけないことで頭を悩ましている。今年こそ楽しい花見ができますように。

楽屋で隣の人と話をしているとメールが入った。うわー、すごい仕事が入ったわ!と私。

メールは元、私の上の階の部屋に住んでいたひとからのものだった。彼女はドイツの会社から出向してきていた。彼女が飼っている2匹の猫もドイツからやって来た。まだはっきりと決まったわけではないけれど、ドイツに戻るかもしれないということで心配性の彼女は今から様々な準備を始めている。その一つが猫のこと。

航空機には1人1匹しか動物を持ち込めない。したがって猫2匹を運ぶには2人のひとが必要になる。そのお猫様ご搭乗お世話係になってはもらえないか。私の往復運賃を支払うのでドイツまで行ってもらえないか?という結構なお話だった。もちろん二つ返事で引き受けた。まだ彼女のドイツ行きは決定したわけではないけれど、今年末か来春ということで、私はすっかり行く気になっている。

ドイツに行ったのは何年前のことだったか。40年ほど経ったかもしれない。フランクフルトの空港でレンタカーをかりてすっかり暗くなった道をワケも分からず運転し始めたときの心細さったらなかった。信号機の位置が低くて赤信号を見落としそうになったり、道がわからないで通りすがりの自転車のひとに尋ねたら、彼はUターンをして全速力でペダルを漕いで案内してくれた。まだカーナビなんて普及していなかった数十年も前のことで、よくぞ無事に帰れたものだと思う。迷い込んだ小さな田舎のカフェでは、日本人を見るの初めてなんて喜ぶ母子に歓迎された。アウトバーンはスピード制限なしだったけれど、どうしても170キロまでしか出せなかった。どうせなら200キロ超えを体験しておけばよかった。サービスエリアのレストランに入ると周りから「コリア?コリア?」とささやく人たち。「ヤーパン」といちいち訂正しながら歩く。

ロマンチック街道を楽しく走ってウイーンに到着、オペラハウスで「フィガロの結婚」を観た。あら、ここでもモーツァルトが登場。ウイーンの道路は環状の一方通行になっているのでゴミ収集車が追い越せなくてオペラのチケットを買いに行くのにジリジリしたことも。そんな思い出もはるか遠いことになっていたのにまた行けるなんて!夢を見ているみたい。










2023年1月15日日曜日

少し寂しい、少しホッとした

昨日はハリー・ポッターを原書で読む最後のレッスン。最終巻の7巻完読。長い間かけて少しずつ 読み進んできた。一回のレッスンで約15ページずつ、ノロノロと蝸牛の歩み。魔法学校の校長先生のダンブルドアが深遠な言葉を述べるときには四苦八苦。レベルで言うと高校一年生レベルの語彙が85%を占めるらしいけれど、中学までしか英語を選択しなかった私にとっては読み進むとモヤがかかった状態で、毎回辞書を引く回数は増えていく。作者のローリングさんは手品のように毎回新しい言葉を持ち出してくる。

ほとんど同じ意味でも彼女は他の単語が使いたくなるらしい。そのたびにまた辞書を引く。最終巻では、第一巻からの伏線にピシャリピシャリとジグソーパズルのように回答がはめ込まれて、ああ、そうだったのかと納得すると同時に、よくここまで覚えていられるものだと感心するのみ。特に最後の7巻では今まで悪役としか描かれていなかったセブルス・スネイプの悲しい真実が明かされて涙が溢れる。

気まぐれで読んでみようと始めた読書。自分でもここまで続けられるとは思ってもいなかった。辛抱強く支えてくれたルース先生に感謝。最終巻を年が明けてまだ忙しくならないうちに終わらせてしまいたいと、今回は相当無理なスケジュールを組んだので私はヘトヘト。本当のこと言うとこの最終巻はまだ未消化の部分があるけれど、私の読む力ではこれが精一杯だった。

レッスンは池袋の貸しスペースで月に2回ほどの頻度で行われた。時にはコンサートで忙しく、または目の状態が悪いというような理由で長い休みをとったり、準備ができていなく四苦八苦というときもあったけれど、どんなときにもレッスンが終わると励まして褒めてもらえて、それが子供のように嬉しくて・・・やはり続いたのは先生のおかげとしか言いようがない。

最後の章が終わって、アメリカ人ならここで盛大にハグするかもしれない。けれど日本人よりもっと大和撫子と言われるルースさんと本家大和撫子ではあるけれど縄文時代に産まれたと思われる私では様にならないから、最後の晩餐ならぬランチをご一緒して一区切りすることになった。池袋駅に近い東通りというところにいつも混み合っているお店がある。外から見るとテラス席に数脚の椅子とテーブル。中はよく見えないけれど頻繁に人の出入りがあるからたいそう繁盛しているようだ。数年通っても正体が知れないのでいつか入ってみようと思っていた。これがチャンスというので意見が一致してここが打ち上げの場所になった。

入ってみて驚いたのは店の中は思いがけないほど広くて若者でいっぱい。13時は過ぎているのに次々と客足が途絶えない。入り口に近いところは洒落たバーのような感じに天井からワイングラスが逆さまにぶら下がっている。その奥は外から見るよりもずっと広い空間で、厨房の前がカウンター席。調理しているスタッフの多さにびっくりした。一時も休むことなく野菜を切ったりサラダを盛り付けたりパスタを茹でたり、活気に溢れていた。

好奇心旺盛な我ら二人、カウンター席に座る。かぼちゃを切っているところをジロジロ眺めてはコメントしたり野菜の種類を聞いたり、ガクタイの性癖で現場に首を突っ込む。それを無口で愛想がないながら嫌がる風もなく淡々と調理を続ける男たち。

フロアのスタッフは女性たち、すごく親切で声をかけるとすぐに反応してくれる。実に感じの良い、そして美味しいお店を見つけて満足した。こんなに良いお店と知っていたならもっと前に入ってみればよかった。もうしばらくは池袋に通うこともないので先のないわたしは残念に思う。コロナ禍で外での食事を控えていたから気になりつつも入らなかった。特にこの店は混んでいたし。でも時間は淡々と過ぎていく。残り時間の少ない私は、なんでも思いついたらやっておかないと良いものを見逃してしまうかもしれない。

そういえば雑事に紛れていてトム・クルーズの映画をまだ見ていなかった。まだ上映しているところはあるかしら。









2023年1月6日金曜日

ういーんの風

 ウイーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラのニューイヤーコンサートにご招待いただいてたのしんできました。

ウイーンフィルのニューイヤーコンサートのミニチュア版と言ってもメンバーの数が少ないだけで、進行や曲目などはほぼ同じ。美しい音色をたっぷり堪能させてもらった。この日は自動車会社の顧客や関係者などを招待しての企画に社員の一人が遇々うちのアパートに住んでいたというだけで誘っていただいた。

会場はサントリーホール、履く靴がないと嘆いていたのだけれど、実は着る服もない。着られるといったほうがいいかもしれないが、ストレスの多い生活を数ヶ月間送っていたらぶくぶくと太ってしまいどんどんウエストが入らなくなる。やっとなんとか入ってしかもあまり見苦しくない服と揃えたらほとんどいつもと変わらず、服のことは諦めて夜の六本木にでかけた。めったに身に着けない指輪とイヤリングをつけてごまかす。

六本木はバブルの頃には頻繁に仕事で行ったけれど、最近とんとご無沙汰。若い頃はニコラスというイタリアンがあって明け方まで屯していたこともあった。車を運転して家に帰ると、普段私の生活をめったに叱らない母が「そこに座りなさい」とお茶をたててこんこんとお説教された。明け方まで寝ないで待っていたのだと思ったから、それ以来12時までには帰るとようになった。しかし私が今の年になったところで思うのは、母は昼間たっぷり寝ていて早起きをしたら私がまだ帰っていないのでついでにお茶の稽古に使われたのではないかと。

会場につくと企業のスタッフの集まりだから男性はダークスーツ、女性もそれに準じた地味な服装だったから客席はほぼ真っ黒。何だ、こんなときにはスーツもまっ黒でなくグレーや茶糸もまじっていてもいいのに。これではステージから見るとカラスが整然と並んでいるみたい。ご招待いただいたのに悪口。演奏者も出てきて少したじろぐのではないかと思った。

コンサートマスターはヴィリー・ビュッヒラー氏。ヴァイオリンを引っ提げて登場。生粋のウイーン人らしい。私にとってウイーンは特別な街で、ここに住んで見たいと思った数少ない外国なのだ。ドイツからどんどん南下して旅をすると、急に風が変わる。ウイーンに着くと急に動きが楽になる。

ウインナーワルツは私がオーケストラに入った頃、ヨハン・シュトラウスの子孫のエドアルド・シュトラウスの指揮で毎年20日間くらいの演奏旅行があった。まだ20代の前半だったから見るもの聞くものすべて新鮮で、初めて行く国内の様々な都市は全部物珍しく、最も懐かしい思い出となっている。

そんなわけでシュトラウスのワルツといえば曲もよく知っているし他のオーケストラのメンバーより沢山弾いていると自負しているけれど、まだまだ知らない曲が出てくるので、いかに多作な上に名曲が多いか痛感する。家族で作っているのだから他の作曲家はかなわないわけなのだ。ひたすら楽しく華やかで、それでも駄作なら誰も聞こうとはしない。

演奏が始まると、静かに聞く人たち。なんか研修会に来ているみたい。しかし、後半になるとのってきた。黒い集団がはしゃぎ始めている。こうでなくては来た甲斐がないでしょう。ステージの演奏者たちは様々な色のドレス、ダンサーはスタイルが良く、歌手は迫力がある。きれいなだけではなく技術が高いから本当に面白いのだ。そして聴き手もドイツやオーストリなどの企業から来ている人たち。日本からも海外に出張した経験者も、私を招待してくれた人はドイツの企業から出向してきている日本人。マナーも心得ているし、ここぞというときのツボも知っていてウイーンフィルのニューイヤーコンサートと同じに進行していく。

ウイーンまで行ってニューイヤーコンサートを聞くには我が家にとっては莫大な費用がかかる。しかもめったに手に入らないチケットを待つより、こちらのコンサートで十分楽しめる。思いがけなく楽しませていただいて大満足の猫でありました。










2023年1月1日日曜日

年賀状

 というわけで年賀状はまだ作成中です。

早々と送ってくださった方々には申し訳ありませんが🎵3日遅れーの便りーをのーせーてー🎵なんて、3日で済めばいいけれど。

今朝は目が覚めたものの頭がぼんやりして使い物にならず一日うつらうつら、やっと頭がはっきりしたのは午後5時過ぎ、ヨロヨロとコンビニに行って年賀はがき選び、レジのお兄さんが「これからですか、大変ですね」「はい、大変なんです」声がかすれる。先程神社の前を通ったのに初詣は先送り。行列なんかに並んでいる暇はない。

神様はちゃんと見ていらっしゃるから少し遅れても怒りはなさるまいと勝手に決めて素通りした。大学の同級生からの年賀状の添え書きにこんな文章があった。

「貴女は新しい楽譜を手にした折 ”どれどれどんな曲かしら” と目を輝かせて譜面台に楽譜を置いて、楽しそうに弾いておられました」と。まあ、よく覚えていらっしゃること!

確かに私は初見が大好きで新しい楽譜を見ると血が騒ぐ。しかし彼女の記憶力には脱帽です。新しい本を読み始めるのと一緒で楽譜も未知の世界に分け入っていくわけなので、例えば知らない土地に行ったときに目新しい風景に接するようなもの。学生時代って・・・今から半世紀以上前ですよ。なんというか、この人絶対にボケないなと感心しきり。私は数秒前のこともケロリと忘れるのに。

たぶん私は知りたがり屋で新しいものが好きで、特に音楽が好きで、早くどんな曲か知りたがった。ヴァイオリンを始めるとすぐに楽譜が読めるようになって、一人であれこれ弾いていた。私が楽譜を見て弾いているのを見た先生はびっくりして「楽譜読めるの?」と訊かれた。3,4歳から始めないとものにならないヴァイオリンを私が始めたのは遅くて、本当はもう手遅れという程の年齢だったから自分で工夫しないとみんなに追いつけない。幸い視力と動体視力が良かったから本を早く読むときと一緒で斜め読み。今弾いているところから先へ先へと見ていく。スキーを滑るときに先の景色を見ながら滑るのと一緒なのだ。

この得意技が幸いというか災いと言うか、レッスン日の前日ささっと楽譜を読んで次の日何食わぬ顔でレッスンに行く。楽譜は読めているけれど、そうやって練習したのはすぐに先生にはバレてしまう。ちょっとオネエがかった先生から毎回お説教をいただく。「あのねえ、お嬢ちゃん、楽譜が読めたらおしまいというわけではないのね、そこからさきが勉強なんだからね」他の学生たちに「ほんとにあの子ってどうするんだろう。わかってはいるみたいなんだけど」と毎回嘆いていらしたようだ。はい!今頃になってわかり始めましたよ先生。亡き先生に謝っています。

レッスン日の前日と当日は音階やエチュード、コンチェルトなど集中するけれど他の5日間は誰彼構わず捕まえてアンサンブル三昧。結果テストの成績は良くなくても楽しい楽しい学生生活が送れた。そのアンサンブル好きが社会に出て大いに役立った。誰かいないかなというとき私の顔が目に浮かぶらしい。様々な人との出会いがあって本当に幸せな音楽生活だった。恐れ多くてそばにもよれないというような方でも私のアンサンブル好きが伝わるらしく、色々教えられながら一緒に弾いていただいた。オーケストラの新人時代にはN響を退職したばかりのベテランがエキストラでみえる。そういうときには貴重なベテランの知恵を拝借。後々ずいぶん役立った。その方の娘さんとは後になって仕事でお世話になるということもあった。

こんな思い出に浸っていて年賀状はほったらかしとなった。すみません、早く送ってくださった方たち、3日よりもう少し遅れますが平にご容赦を!















あけましておめでとうございます

 昨年後半はすっかり怠けていたこのブログを再開したいと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いします。

昨年後半はそんなわけで(どんな訳?って訊かないでください)美しい北軽井沢の紅葉も見ず、友人たちとのおしゃべりも少なく、ひたすら問題の解決に専念していた。私の性格としては一つ気になると他のことはどこかへ飛んでいってしまう。体を動かすより頭の中であれこれ考えるのが好き。それで体が動かなくなる。太る。膝や足が痛くなる。動かない、太る、とまあ悪循環ではあるけれど体調はそれほど悪くない。コロナがもう少し下火になればエステやエクステに行きたいのだけれど、今のところリハビリばかりで、まるで年寄りみたいな生活を送っている。年寄「みたい」というより全く本当の年寄りなんだけど、気持ちは20歳くらいから全く成長していない。

今年はハリー・ポッターの原書を読み切ることが初仕事。あと2章で読み終わる。イギリス人のルースさんと二人三脚で隅から隅まで読み進んでいく。彼女の忍耐たるや相当のものだったと思う。私は重箱の角をつつくような質問で彼女を困らせる。「よくそいう言い方をするのよ」と彼女が言うと私はそれでも「ここに書いてあるこの単語の意味は?」と畳み掛ける。「そういうふうによく言うけど・・」と彼女。日本語にもそういうことはたくさんある。「まあそれは」なんていうと「その(まあ)はなに?」なんて言うようなことが。あまり良い例が出せないけれど。

私はそんな小うるさい生徒だけれど彼女は怒りもしないで忍耐強く答える。時々ふるさとイギリスのお母様に電話して訊いたりして、どんな質問にも丁寧に答えてくれる。このレッスンが終わってしまうと彼女と会えなくなるのが少し寂しい。

足がなかなか良くならないので整形外科のリハビリに通い始めた。病院の待合室でこちらをしきりに見ている人がいた。あまり見ているからよく目を凝らしてみると、近所の人だった。私が気がついたのがわかったらしく、その人が手招きをする。やれやれ、待合室を横切って彼女の隣の椅子に腰掛けた。「どうしたの?足が?ふんふん、リハビリしてるの?先生は誰?」矢継ぎ早の質問が飛んでくる。先生の名前を言うと「ああ、一番良い先生よ、良かったね」はいはい、良かったです。このひとは私の父親が亡くなったときに娘である私より前に遺産相続の内容を知っていたという恐ろしい情報通なのだ。町内に彼女の目を逃れられる人はいない。

その一番良い先生のお陰で徐々に足がなおってきた。あともう一息、まだ下りの階段を交互に足を出して降りることができない。階段を降りるのは、片方の足がもう一方の足を完全に支えられないとだめだということを、この年になって初めて実感した。なんでもなくできていた日常の些細な動作が実は筋肉が衰えてしまうと、とてつもなく難しくなるのだ。それでスクワットをするときに、良い方の右足を後ろに引いて、悪い方の左足は普通のスクワットの位置でやってみると左足は右足を支えるために非常に筋肉が必要なことを実感させられた。

足が悪いと何が悲しいかというとおしゃれができないこと。せっかくきれいな服を着ても匕ールのあるおしゃれな靴が履けない。それが一番悲しい。私はムカデを先祖に持つヒトなのでやたらに靴が好き。でも先日10足ほど靴を捨てた。かかとが細く高い靴はぐらついて履けないから。残った靴はいかにも履きやすくあるきやすそうな運動靴系ばかり。ステージでは我慢していたけれど、最近はそれも我慢できない。足元がどた靴ではドレスは着ることができない。

1月はじめにウイーンから来るオーケストラの招待券を頂いた。ウイーンフィルではないけれどウインナーワルツや楽しい曲が中心のお正月プログラム。場所はサントリーホールとくれば多少はおしゃれにしたいのに履ける靴がない悲しさ。4年ほど前にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に行ったときに安いビニールのほぼぺったんこの靴を持っていった。旅先だからという言い訳は今回は通らない。うーんどうしよう。

そういう人のための専門の靴店で数足作ってもらったこともあったけれど、かえって足が痛くなったことがあった。高価だったのに2回くらいしか履かなかった。今年も新年早々靴の悩みで始まるようだ。

「一番良い先生」の筋トレはきつくない。今までジムで筋トレやスクワットをやってきたけれど、回数も多かったし力も入れた。しかし先生はほとんどの動作を10回以下に抑えむやみに力を入れさせない。ところが以前よりも効果があるので驚いている。私の場合、力を入れすぎると足がつる。夜中に痛みで目が覚める。回数も力の入れ方も少ないのにむしろ効果がある。目からウロコ。今年こそスキー場のゲレンデで愛を叫ぼう。

何に対する愛かといえば決まってるでしょう。世界中の猫さんたちにですよ。範囲を広げてワンちゃんにも、もう少し大型のぞうさんにも。世界中の人達も悲しかった。戦争やめて愛に変わらせられないかと心底思う。