毎年モーツアルトの誕生日に開催されるコンサートがある。ここ数年は目がよくみえないこととオーケストラの仕事はもうきついという理由でお断りしてきたけれど、コンサートミストレスのTさんの毎年のお誘いにほだされて出演を決めた。条件としては楽譜を一人で見ること、一番うしろの席に座らせてもらいたいということ。快諾していただいたので本当に久々にでかけた。
モーツアルトは世界中の作曲家の中で一番好きで難しい。たぶん私にとってこれがオーケストラを弾く最後のステージとなると思うので、その大好きなモーツアルトでしめくくれるのは最高だと思った。オーケストラは大勢の人が集まるので緊張感も半端でない。特に弦楽器は大勢で同じ音を弾くので陰に隠れられて安心でしょうなどとふらちな事を言う人がいるけれど、とんでもない。大勢で同じ音を弾くのがどれほど難しいかわかりますか?一人のミスが周りに影響して崩れることの怖さを度々体験してきた。一人ならすぐに立ち直れるけれど、一旦バランスを崩すと大勢での立ち直りは時間がかかる。
とても久しぶりだったけれど覚えてくれている人や仲の良い人たちがニコニコ挨拶をしてくれるので本当に嬉しかった。けれど会場の府中の森芸術劇場の楽屋は急な階段を上り下りしなければいけないので息切れと足の痛みとの戦い。手すりを持ってよっこらしょと登っていくと後ろからくる元気な人まで追い越さないでゆっくり登る。どうぞ御先にと言っても私が転がり落ちないかと心配するらしくあとを付いてくるのが申し訳なかった。
その足のことだけれど、リハビリを続けてメキメキと良くなってきた。これで春になって暖かくなれば階段くらい走って登ってやるさ、フン!と内心思っているのですよ。不思議なことに自分としては引退していたはずのオーケストラの演奏は昨日までやっていたようにまっすぐに蘇ってくる。演奏が終わったとき体中が浄化されたような清々しさを感じた。曲目はモーツァルトのレクイエム、アンコールはアヴェヴェルムコルプス、モーツアルトが喜んでくれたのかもしれない。
昨年は身の回りで不愉快なことがあってその解決に四苦八苦する毎日。そのストレスで足が痛くなったというのが私自身と周囲の人達の考え。それが解決すればもう少し元気でいられる。人は見かけに寄らないと言うけれど、長い間周囲から信頼されてきたひとに裏切られて、私たちは本当にがっかりもしたしもう少し解決しないといけないことで頭を悩ましている。今年こそ楽しい花見ができますように。
楽屋で隣の人と話をしているとメールが入った。うわー、すごい仕事が入ったわ!と私。
メールは元、私の上の階の部屋に住んでいたひとからのものだった。彼女はドイツの会社から出向してきていた。彼女が飼っている2匹の猫もドイツからやって来た。まだはっきりと決まったわけではないけれど、ドイツに戻るかもしれないということで心配性の彼女は今から様々な準備を始めている。その一つが猫のこと。
航空機には1人1匹しか動物を持ち込めない。したがって猫2匹を運ぶには2人のひとが必要になる。そのお猫様ご搭乗お世話係になってはもらえないか。私の往復運賃を支払うのでドイツまで行ってもらえないか?という結構なお話だった。もちろん二つ返事で引き受けた。まだ彼女のドイツ行きは決定したわけではないけれど、今年末か来春ということで、私はすっかり行く気になっている。
ドイツに行ったのは何年前のことだったか。40年ほど経ったかもしれない。フランクフルトの空港でレンタカーをかりてすっかり暗くなった道をワケも分からず運転し始めたときの心細さったらなかった。信号機の位置が低くて赤信号を見落としそうになったり、道がわからないで通りすがりの自転車のひとに尋ねたら、彼はUターンをして全速力でペダルを漕いで案内してくれた。まだカーナビなんて普及していなかった数十年も前のことで、よくぞ無事に帰れたものだと思う。迷い込んだ小さな田舎のカフェでは、日本人を見るの初めてなんて喜ぶ母子に歓迎された。アウトバーンはスピード制限なしだったけれど、どうしても170キロまでしか出せなかった。どうせなら200キロ超えを体験しておけばよかった。サービスエリアのレストランに入ると周りから「コリア?コリア?」とささやく人たち。「ヤーパン」といちいち訂正しながら歩く。
ロマンチック街道を楽しく走ってウイーンに到着、オペラハウスで「フィガロの結婚」を観た。あら、ここでもモーツァルトが登場。ウイーンの道路は環状の一方通行になっているのでゴミ収集車が追い越せなくてオペラのチケットを買いに行くのにジリジリしたことも。そんな思い出もはるか遠いことになっていたのにまた行けるなんて!夢を見ているみたい。