2023年3月23日木曜日

当たり!

最近のnekotamaはグチグチと ぐちばかり。これは読んでくださる人たちにもあまり良い気分ではないと思うので今日は少し明るい話題を。

毎日サムライジャパンの優勝の報道ばかり。彼らはすごいけれど、もう食傷気味。毎日かわいい翔平くんの顔を見ても見飽きはしないけれど、野球に興味のない私にはたんにすごい奴らという印象しかない。しかし良くもここまで百点満点の天才が日本人の中で生まれたものだと感心する。食傷気味とか言いながら私が現場にいたら大泣きに泣いたかも。テレビに釘付けになったのも白状しておくけれど。

私は昔よく姉たちから言われたものだった。戦後の日本の1番悲惨な時期に生まれて親も私も栄養失調で育たなかった。この時期に生まれた私の同級生たちは多分今の日本人の平均身長の最低線にあると思う。私の次の年に生まれた人はすでに身長が上昇し始めている。それで情け容赦もない姉たちはわたしのことをこういう。「nekotamaちゃんはね余り物でできているのよ」ひどいでしょう?だから私は大手を振って小さいことも脳がちょっと少なめなことも気にしないでいられるのです。

翔平くんは日本人だけでなくアメリカ人の中でもすごく体格がよく存在感があってだれもがお手上げ、天才と認められる存在なのだ。しかし、もう連日の同じ報道はかんべんしてほしい。この間政治家が何をしているかというと、たぶん陰で都合の悪いことをやり過ごしているのかもしれないと思っている。首相がせっかくウクライナに行っても誰も興味がなさそうで、この人もなかなか不運な人だと思う。1番不運なのはウクライナの人だから早くプーチンが心入れ替えて世界に平和がもどってくるようにと祈らずにはいられない。

さてなんか冴えない私だけれど、今日はそれを吹き飛ばそうと言うより、連日の野球の報道にうんざりして小雨降る街に繰り出した。桜もそろそろ満開、今年の我が家の花見は来週。なんとか今年も花のある花見ができそうでホッと安心。最近視力が弱り、眼鏡の度が合わない。いよいよレンズを新しくしないと使いものにならないと思ってメガネ店へ出かけた。

店は空いている。小雨の肌寒い日だったから街自体がガランとしている。店に入ると客は私だけ。待ってましたとばかりに色々勧められて、有料でいつもより詳しい検査を受けることとなった。次々に赤や緑の画面、縦が見えるか横がはっきりしているか、どちらが切れているか上か下かなど訳のわからん検査が続くので私はすっかり飽きてしまってもういい加減な返事ばかり。それでも何らかの結論が出たらしく無事に検査は終わったようだった。

そして支払いのとき、タブレットを取り出したスタッフがくじを引きませんかと言ってきた。およそこの世で1番くじ運のない人は私なので断った。当たらないからいいと。

子供の時から絶対にくじは当たらない。ガラガラと箱を回すとポンと飛び出してくる丸い玉はいつも赤。ティッシュペーパーか、そういえば私が子供の頃はマッチだったかしら。絶対に当たらないと信じているからいけないのかもしれない。せめてもう少し欲を出さないと出てくる玉も張り合いがないのかもしれない。

以前白銀台の商店街で買い物をしたらちょうどくじが引けるだけのくじ引き券があったので試しに引いたら洗剤があたった。大きめでえらく重いからくじ引き所のおじさんにあなたに上げると言ったら断られた。せっかくだから持っていってくださいと無理やり持たされて重くて泣きたくなった。思えばその時が私の最高のくじ引き運だったらしい。後にも先にもそれっきり。その後はくじを引く気持もすっかりなくて券はいつも無駄になった。そんな事言わないでと言われて画面をポン!いきなりタブレットがわめき出す。「おめでとうございます!大当たりです」はい?

絶対当たらないと思っていたからまさかと思った。「私クジは全く当たらないことになっているのよ。みんなに当たるんでしょ?」「いえいえ、とんでもない。このところずっと当たりが出ていないからそろそろ出るとは思っていたけど」店員さんたちが大喜びしてはしゃいでいるからこれは本当なんだ。面白いなあ。だって今日は私はメガネを2つ、それぞれ良いレンズに替えて、それにいつもは受けない有料の検査まで受けて、だから金額はかなりのものとなるのにこの喜びようはなんだ。自分の店が損するというのに。

このまま帰るのは悪いからいつもは入らない保険に入ってきた。出来上がって受け取りに行くときに菓子折りでも持っていこうかしら。





























2023年3月19日日曜日

憂鬱な春

 この頃私が鬱々としていることをわかっているようにメールが来た。どこかで状況を噂にでも聞いたのか、久しぶりでお食事一緒にどう?なんて。

もちろん二つ返事。ロンドンにご主人と暮らしているもう一人の友人が今日本に帰ってきているから会いたいとも。彼女たちAさんとKさんが揃ってやってきたのが寒い雨模様の夜。約束の時間に予約していたレストランに行くと満面の笑顔の彼女たちが陽気に手を振ってきた。

嬉しくて3人共笑いが止まらない。何を聞いても何を言っても女子高生みたいにはしゃぐ3人は女子高生とは程遠い年齢だけれど、でも、この人達っていつおばあさんになるのかしら?と思えるほど若々しく話題も豊富。彼女たちと一時期、仕事を一緒にした。その仕事が今思えば人生で1番楽しい仕事だった。アンサンブルの名手が集まった。ステー上は活気に満ちていた。

コンサートミストレスのKさんを中心とした仲の良い仕事仲間たちだった。Kさんは残念なことに数年前に亡くなってしまった。ちょうど花の時期、春の吉野に私と二人で桜を見に行ってそのあと彼女はさっさと逝ってしまった。いつもサバサバとして辛いときも絶対に顔に出さない我慢強い彼女はなくなる前日までメールをやり取りして、必ず来るはずの返信がふっつりと途絶えたきりになって。だから春は悲しみのとき。

そんな気分を察したかのように優しい友人達が集まってくる。今年のバレンタインには女子からのチョコレート。去年ご主人を亡くして悲しみにくれているはずの人から私に励ましのプレゼントが届いた。逆じゃない?本当に私は友人に恵まれているとしみじみ思う。思えばこの人達は東北大震災のときも身を寄せ合うように集まった。大げさな慰めや言葉はなくてもお互いの状況を確かめあうために集まった。会って顔を見て安心して別れただけ。

歳を重ねるとどちらかというと悲しい出来事が多くなる。家族や友人との別れ、猫も年老いて足腰が立たなくなってよろよろ、自分も片足が痛くてスキーができないもどかしさ。でも長年の友人達と会うとその喜びは若い頃のそれよりも深く心に届く。なんて幸せな時間をすごしてきたのかと感謝が湧いてくる。

その一方で、私は今対面している問題があって、それも以前は良い友人だと思っていた人との確執。その人の仮面が剥がれたときの裏の顔の凄さに驚いた。周囲が皆呆れているのに本人は平然としている。本当にこの人は不幸な人だと思う。これから先彼女の事実を知っている人は彼女を相手にしなくなる。この歳になって人生の最後を穢してどうするのかと思う。つい最近まで彼女の味方をしていた人たちも状況がわかるにつれてどんどん離れていく。彼女もこんな惨めなフィナーレを迎えるつもりはなかったはずだと思うけれど、大人なのだから責任はとってもらわないといけない。せめて最後に身を清めてほしい。それが私の今の悲しみなのだ。










2023年3月16日木曜日

ほんとに大変

古典音楽協会の定期演奏会は、角道さんのコンサートマスターの分は今年の秋の回でピリオドが打たれる予定。しかし残った団員で継続の道がひらけてきた。 今その準備で年中会議が開かれ、今までになく活発な意見が交換されている。それはそれで今まで練習と本番だけしか会えなかったようなメンバーがお互いを知るよい機会となった。

私はこの秋で一応引退するということになっているけれど、来年の春の定期演奏会のプログラムの最後の曲がメンバーだけでは人手が足りないから臨時雇いで手伝うことになった。皆さんにやめると言ったから今回にはたくさんの方が訊いてくださった。やめやめ詐欺になるといけないので本当はきっぱりと辞退すればいいものなのにやはりどこかに未練がある。これでもう一回もう一回といっているうちに足腰が立たなくなってもまだ執念で這い出して来るなんていうとホラーだから本当にあと一回の延長。

今日はベートーヴェンのヴァイオリンソナタの6.7.8番の音合わせをしてきた。どこで演奏するのかというと実は会場練習のエキストラ。ソリストのために本番前日の会場を押さえておいたらその日彼は他の本番が入ってしまってできなくなった。それでピアニストが私にソリストのエキストラで来てもらいたいと依頼してきたのだった。ラッキー!こんな本格的な会場でちゃんと合わせられるなんて願ったりかなったり。二つ返事で引き受けた。まずはピアニストの自宅の音楽室で数回合わせる。もちろんその間ピアニストはソリストとも合わせて2倍練習ができるというわけだし、私はまだ弾いていなかったベートーヴェンの6番のソナタが弾ける。

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタはもう全部弾いたような気がしていた。今回初めてまだ弾いていないことに気がついた。もしかしたら譜読みくらいはしたかもしれないけれど、とにかく記憶がない。今回弾かせてもらえるのはラッキーだった。

私はこのように今まで勉強してきた。大抵の人は他人の代りに弾くなんてプライドが許さないとか自分のコンサートの曲目でもないのに弾く必要はない、あるいはそんな暇はないとか言って断ると思う。けれど、それはチャンスなのだ。たとえ一回でも譜読みをしておけばかならず後で役に立つ。合奏団の定期演奏会が終わったばかりだったから他の曲を弾く余力はなかった。それでざっと楽譜に目をとおしただけ、美しいけれど他のベートーヴェンの曲とはなにか雰囲気が違う。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタといえば最初の3曲はともかくとして4番、5番のスプリング・ソナタ以後名だたる名曲が並んでいる。その中でやや印象が薄いという感じは否めない6番、しかし弾き込んでいくうちになんとも魅力的な曲に変化していく。

私が最も数多く弾いたのはクロイツェルソナタ。ピアニストがお好みの曲のようで注文が多い。ずいぶんたくさんのピアニストと弾かせていただいた。その次はスプリング・ソナタ、4番、7番、8番などがそれに続く。そして6番を弾くというのは今回が初めて。御本人たちはベートーヴェンのヴァイオリンとピアノのソナタの全曲演奏をやっていて今回が最終回。そのおこぼれで私が6番のソナタを弾かせてもらえたというわけで。

私が断らない人だと皆さん知っているからこういうチャンスが訪れる。こういうのを「ひとのふん**で相撲をとる」というのかしら?相撲取りにしては超小型ですが。


















2023年3月10日金曜日

古典音楽協会70周年

 先日古典音楽協会の70周年記念定期の第一回目の演奏会が行われた。たくさんの方たちが聞いてくださって、会場は温かい拍手に包まれた。

今年の秋の定期演奏会が第二回目、これでコンサートマスターの角道さんが引退される。そして私もこれで古典音楽協会での演奏に対しては最後になる。視力が弱って楽譜がよく見えないのが非常に辛くなってミスも増えてきたのがその理由。

合奏では弦楽器の同じパートは二人で一つの楽譜を見る。正面から見れば楽譜は自分の見やすい位置におけるけれど、二人で見ると相手の都合も考えてちょうど中央に来るように調整する。すると相手側にある楽譜は斜めから見ることになるので、大変見にくい。それでつまらないミスが出ることもある。長年お隣で弾かせていただいたコンサートマスターの角道さんは私に対して好きな位置に楽譜を持っていきなさいとおっしゃる。ご自身は暗譜しているからと。お見事!85歳にしてこの自信。

優しいメンバーに支えられ私もこれまでやってこられたけれど、次世代の若者が演奏する場所が少ないことを考えて引退するのが一番良いのではと思った。「古典」での演奏自体はやめるけれど他の形での協力は惜しまないし、新体制のファン第一号になりたいと思っている。

私がこの合奏団に参加したのはヴィオラのメンバーがひとり足りないというので当時のヴィオラのトップの伊藤正さんから誘われたのが始め。伊藤さんは大変真面目な方で本番はとても緊張するけれど隣が私なら緊張しないという?変な理由からだった。

私が一緒だとホッとするという人がよくいる。ヴァイオリンの古い友人も仕事場に行って私がいると安心するのよと言う。私は精神安定剤か!私は人間だあ、薬じゃないと叫びたなる。けれど友人達の信頼の証としてありがたく言葉をそのまま受け取っておこう。

先日コンサートが終わって楽屋にドサっとお祝いが届いた。これ誰の?と訊いたら私宛のものが多かった。え?私が引退するのは次の回なんです。ご遠慮したいと思ったけれど、お花のきれいなこと、お菓子の美味しそうなことでつい全部頂いてきてしまった。これで私はまた豚になる。

コロナ以来禁止されていたロビーでの面会が解禁となり大勢集まってくれた。音楽教室創立以来から今に至るまでの生徒たちも集まってくれて嬉しいけれど、次の秋の定期にはもうやめたものと思って誰も集まってくれなかったらどうしよう。まだ秋にも弾くのよ私は。やめたものと思うならいいけれど、死んだと思われかねない。まだ弾きますよ。独りでならまだ演奏予定ありですよ。クドクド言うけれど。

古典のメンバーは仲が良かった。物静かで品が良く他人の悪口は言わない。自己主張も控えめ。その中でガンガン主張する私は異端児だった。けれど暖かく仲間として迎えてくれた。活躍するチャンスもたくさん頂いた。そしてまさかこれほど長続きするとは思わなかった。

けれど新体制からはまさかの資金不足で青息吐息、こんな状態でさっさとやめてしまうのは無責任でなんとか資金確保に動きたいと思う。皆様が聞きに来てくださるのが希望の星なのです。どうぞ次世代古典音楽協会もよろしくお願いします。

次回は9月28日(木)午後7時開演 東京文化会館小ホールです。ご来聴お待ちしております。






2023年3月5日日曜日

ジャズ

グレン・ミラーのサウンドというのはいつも思っていたけれど、不思議なコードを使う。どうも我々主にクラシックを弾いている連中にはおっとっと!訊いているのと弾くのは大違い。あのサウンドを考えたグレン・ミラーはえらい!といつも思う。ほんとにこの音でいいの?と思って音をだす。弾くと素敵な音になるのが楽しい。ジャズを広辞苑で調べると「アメリカに発生した民衆音楽。20世紀初め南部のニューオリンズで黒人の民族音楽をもとにしたブルース、ラグタイムなどが白人の音楽と融合してできたもの」とある。

今回ジャズのコーラス・グループの伴奏をした。女性と男性二人ずつのジャズのコーラスさんは長年一緒に歌っているというので息がぴったりで私達もたいそう楽しませてもらった。曲はグレン・ミラーやプレスリーなど。ジャズとクラシックと言っても音楽に変わりなく、音楽は常に楽しいものだけれど、こんなに楽しそうにお客様に聞いてもらえるのは羨ましい。クラシックもひとつ途中で手拍子などしてもらってもいいのではと時々思うけれど、やはり権威的なクラシック音楽にはシーンと静まり返った空間が好きな人が集まる。私も演奏途中でプログラムをガサガサと音を立てめくる人を見るとむっとする。

今回そのジャズコーラスグループの伴奏の仕事を頂いた。私は仕事はジャンルを問わない何でも屋だったからクラシックだけでなくジャズも演歌も大いに弾かせてもらっていたけれど久しぶりでジャズに対面すると、最近少し反射神経が鈍っているので時々乗り遅れて苦笑する。なにも私みたいな後期高齢者にわざわざ依頼しなくても、もっとバリバリの若手が大勢いるだろうにと思うけれど、ヴィオラ奏者のFさんが引っ張り出してくれたので喜んで参加した。彼女のファッションを見るのも一つの楽しみなので。

案の定、彼女は背中も胸も大きく空いた素敵なドレス、たかーいほそーいヒールを履いているので、ちびの私は彼女の肩くらいしか届かない。ウルフカットとでも言うのか、毛先のカットが特徴的なショートカット。ファッションモデルも真っ青な雰囲気。私といえば、メキシコのポンチョを長くしたような袋状のものを身にまとい体型を隠す。足元はすでにハイヒールが履けない状態なのでペッタンコに近い、それでも一応シャンパンゴールドのサンダル。ますます身長の差、ファッションセンスの差が目立つけれど、このアンバランスが面白いかもなんて呑気に考えている。

高輪のホテルの一室が、歌う人も聴衆も明らかにお金持ちそうな人たちで埋まっていた。乗りに乗った人たちが大いに楽しんでいるので時間はどんどん延びていく。おいてきた猫のお腹が心配。家に帰ると空腹で喚く元気もないのかぐったりとしている猫。慌てて餌を与えてさてと考える。私は先日、空腹のすすめを説かれてダイエットをする決意をしたのだった。ここで夕飯を抜けばもしかしたら今日からダイエットが始められるかもしれない。膝が痛くなって階段が降りにくくなってからリハビリに励んでいたけれど、最近ひどく疲れて膝の痛みもますますひどくなっていた。

ある日考えた。私は何でもやりすぎる、たぶん早く直そうとしてリハビリをやりすぎたのでは?その後2日ばかり筋トレをやめてぐうたらしたら、なーあんだ、痛みがひいて体が楽になった。やはりやり過ぎ、焦りすぎだったようだ。

仕事から帰ったその夜はヨーグルトだけ食べて寝た。寝付きが悪くなるかと心配したけれど、沢山仕事をしたせいか、たちまちぐっすり眠ってしまった。途中で目が覚めたけれどまたすぐに眠れた。翌朝はほんの少々のオートミールとドライフルーツに豆乳をかけてつまみ食い程度に。昼はスーパーで買った小さなお弁当半分に味噌汁だけ、なんだか調子がいい。断食となると大変だけれど、この程度で体調が良くなるなら続けられるさ。

と、思ったけれど、これも毎度のことながらそのうちやりすぎになるのだろうなと。そしてある日突然リバウンドが起きて元の木阿弥。自分の意志の弱さに呆れることになりそうな。何事も程々ができない性格をもとから断たないといけないようだ。

面白いのは、最近私はアマゾンのプライムヴィデオでグレンミラーの映画を見ていた。古い作品でなんとなく時代遅れの感があるけれど時々観たくなる。その直後にコーラスの仕事を頂いたので偶々ではあるけれど面白いなと感じた。そういうのって時々ありませんか?