2023年3月19日日曜日

憂鬱な春

 この頃私が鬱々としていることをわかっているようにメールが来た。どこかで状況を噂にでも聞いたのか、久しぶりでお食事一緒にどう?なんて。

もちろん二つ返事。ロンドンにご主人と暮らしているもう一人の友人が今日本に帰ってきているから会いたいとも。彼女たちAさんとKさんが揃ってやってきたのが寒い雨模様の夜。約束の時間に予約していたレストランに行くと満面の笑顔の彼女たちが陽気に手を振ってきた。

嬉しくて3人共笑いが止まらない。何を聞いても何を言っても女子高生みたいにはしゃぐ3人は女子高生とは程遠い年齢だけれど、でも、この人達っていつおばあさんになるのかしら?と思えるほど若々しく話題も豊富。彼女たちと一時期、仕事を一緒にした。その仕事が今思えば人生で1番楽しい仕事だった。アンサンブルの名手が集まった。ステー上は活気に満ちていた。

コンサートミストレスのKさんを中心とした仲の良い仕事仲間たちだった。Kさんは残念なことに数年前に亡くなってしまった。ちょうど花の時期、春の吉野に私と二人で桜を見に行ってそのあと彼女はさっさと逝ってしまった。いつもサバサバとして辛いときも絶対に顔に出さない我慢強い彼女はなくなる前日までメールをやり取りして、必ず来るはずの返信がふっつりと途絶えたきりになって。だから春は悲しみのとき。

そんな気分を察したかのように優しい友人達が集まってくる。今年のバレンタインには女子からのチョコレート。去年ご主人を亡くして悲しみにくれているはずの人から私に励ましのプレゼントが届いた。逆じゃない?本当に私は友人に恵まれているとしみじみ思う。思えばこの人達は東北大震災のときも身を寄せ合うように集まった。大げさな慰めや言葉はなくてもお互いの状況を確かめあうために集まった。会って顔を見て安心して別れただけ。

歳を重ねるとどちらかというと悲しい出来事が多くなる。家族や友人との別れ、猫も年老いて足腰が立たなくなってよろよろ、自分も片足が痛くてスキーができないもどかしさ。でも長年の友人達と会うとその喜びは若い頃のそれよりも深く心に届く。なんて幸せな時間をすごしてきたのかと感謝が湧いてくる。

その一方で、私は今対面している問題があって、それも以前は良い友人だと思っていた人との確執。その人の仮面が剥がれたときの裏の顔の凄さに驚いた。周囲が皆呆れているのに本人は平然としている。本当にこの人は不幸な人だと思う。これから先彼女の事実を知っている人は彼女を相手にしなくなる。この歳になって人生の最後を穢してどうするのかと思う。つい最近まで彼女の味方をしていた人たちも状況がわかるにつれてどんどん離れていく。彼女もこんな惨めなフィナーレを迎えるつもりはなかったはずだと思うけれど、大人なのだから責任はとってもらわないといけない。せめて最後に身を清めてほしい。それが私の今の悲しみなのだ。










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