PCR検査の結果を姉に知らせたらすぐに飛んできた。最初のうちは食物の入ったバスケットが遠慮がちに玄関前においてあったけれど、3日も経つと「足りないものがあったら連絡して」と言ってそれっきり。私は潤沢な食物で何不自由なく暮らしていた。こんなにも冷凍食品があったなんて、これなら震災があっても1ヶ月間は持ちこたえそうだった。それに最近サプリメントで多少カロリーの軽減、体重を極力減らすように努力しているから食べ物が減らない。
姉は小さなケーキを持参していたのでコーヒーを淹れて全快祝い。ずっと甘いものも控えていたので美味しい。今回の検査でわかったのはあれほどコロナコロナと騒いでいたのに、今は検査を受けられる場所もよくわからない。役所の対応はもはやコロナは過去のもの?症状は出なくなったけれど本当に治ったのかどうかを調べないと患者は不安で仕方がない。
今朝たまたまネットで見つけたのが自宅付近の発熱外来だったから良かったけれど、昨日まではそれも良くわからず自宅から電車に乗っていく距離のところばかり。もし陽性のままだったら他人に感染する。
見つけたのは偶々だったけれどラッキーだった。電話をして予約、到着したときにはほんの数人の患者がいるだけだった。すぐに検査は終了して医師の診察を受けると、彼女は少し腹立たしげにあなたの場合は保険診療のケースではないと。なんで同じ検査で保険が効くか効かなくなるのかよくわからないけれど現在発症していないから保険は使えないとか。発症しているのとしていないのとで検査のやり方が違うわけではないらしい。
私はもう症状が治まったこと、それでも大勢の会議とか花見とか旅行とか検査したとしないのとは大違い。PCR検査の陰性の証明があれば気兼ねなく動ける。検査のどこが違うのかはわからないから黙っていたら帰り際にも受付で今度から正しく申告してくださいと言われた。嘘ついたと思われた?なんだかわからないけれど非常に不快な思いをした。それなら最初からきちんと説明してほしい。保険が効かないとしても必要な検査だから受けたいと思っていたので。
自宅に戻って姉に陰性の報告するとえらく喜んでくれてケーキ持参の訪問となったしだい。私の兄弟たちはよく昔のことを覚えている。特に私は彼らのおもちゃだったから今頃になって様々な思い出話しが飛び出してくる。姉に言わせれば私は「夏休みの宿題はね・・・」と始まる。
私は夏休みに入ると先に日記を全部書いてしまったという。へえー、そんなことあったかしら。それで毎日その日のページを開いてそこに書いてあることを次々とやってから「はい、これでおしまい」と言って終わりにしたそうなのだ。そりゃあ能率的だわいと私は思う。10分もあれば済ませられることを済ませてあとは縁側で空に浮かぶ雲を飽かず眺め、レコードで音楽を聴き、ラジオで落語を聞く。毎日何冊もの本を読む。母はそんな私が嫌でまるで子供らしくない子供として持て余していたらしい。時々引っ立てられて近所の同い年くらいの子どもと遊ばせようとさせられるのが本当に嫌だった。話したって面白くない、縄跳び、缶蹴り大嫌い。男子は鼻垂らしてきたないし、なんて。
だから当然体操音痴、跳び箱、縄跳び、鉄棒全部できない。走らせても全力疾走なんてカッコ悪いと思っているから絶対に歯を食いしばって走るなんてことはない。そのつけが全部回ってきて、今は何でもやりすぎている。人間は生涯での運動量が決まっていると私は思っている。子供の頃運動しなかった私は今になってもスキーを諦められない。最後の海外旅行、フランスのヴァルトランスのアルペンスキーの楽しかったこと。スキューバダイビングで死にかけたり、モンゴルの大草原で落馬して大地に叩きつけられたり、大変な思いをしてもなお変ったことがしたいと未だに憧れ続けている。例えば成都からラサまでの青蔵鉄道にもう一度乗りたい・・・とか。高山病で危うかったのに。
子供の時の私がほんとうなのか、大人になってからの私が子供に戻ったのかよくわからないけれど、差し引きゼロにしてから死ぬつもりでいるから、どうぞ皆さんよろしく。