2024年9月30日月曜日

かわいそうなのんちゃん

 元野良猫のんちゃんは不幸な前半生が原因でなかなか人になれない。私が駐車場で彼女をだっこしていたら「あらっ!この子抱っこできるの?私は撫でることもできないのに」といって驚いていた人がいた。ちょっと優越感。私だって一朝一夕に抱っこさせてもらえたわけではなく、長年の信頼関係の末やっとこさ触れることができたのだった。

今はベッタリと抱っこをせがんでくる。姉との北海道旅行は嬉しいけれど、のんちゃんの世話係がいなくなってしまう。甥に餌やりだけは頼んだけれど、心配でならない。他の家に行っていじめられないかしら、とかなんとか。寂しがって私を呼ぶ声が聞こえそう。でも彼女は筋金入りの野良だったから、今回ものりきれるでしょう。

姉はのりこという名前なので若い頃はのんちゃんと呼ばれた。北軽井沢の家の前の持主の田畑純子さんはなぜかノンちゃんと呼ばれていた。これは「のんちゃん雲に乗る」の主人公由来のニックネームらしい。そして野良は「のら」の、のんちゃん。そして「古典」のコンサートを毎回聴いてくださるお客様の中にも典子さんがいらっしゃる。私の周りには3人ののんちゃんと一匹ののんちゃん。

その中で唯一人間でないのんちゃんは前半生はかわいそうだったけれど、後半は幸せであってほしい。いまだにビクビクしながら生きているので、どれほどの辛酸を嘗めてきたかがわかる。それなのに放浪癖のある飼い主は彼女を残して、とっとと北海道に行ってしまう。

やっと自由な時間がとれると思っていたけれど、今月はシーズンとはいえコンサートを聽く予定が目白押し。結局北軽井沢の滞在は少なくなる。コンサートの標準を軽井沢の大賀ホールにあてるほうがよさそうで。私自身も、もし演奏を再開することがあれば軽井沢でと思う。実に響きの良いとても素晴らしいホールなので。地の利はない。音楽家仲間たちとの接点は少なくなろうし、今まで聞いてくださった方たちとも疎遠になるかもしれない。

最初はパラパラの客席、でも回を重ねるごとに増えるとするなら言葉に例えると「怖いもの見たさ」アハハ、なんか残念だなあ。








2024年9月29日日曜日

皆様本当にありがとうございました

 本日最後のステージ終えました。

古典音楽協会166回定期演奏会は、客席からの応援がひしひしと感じられる温かい雰囲気に励まされ、無事に終わることができました。前回も今回も新しいメンバーの紹介を兼ねた独奏が呼び物。若者の達者な演奏と熟練のベテランが共に心から楽しんで演奏できたと思います。

コンサートマスターのお隣はまだ20代、その隣に80歳のnekotama、この年齢の差は楽器を鳴らし始めればあっという消える。言葉も身振りもいらない。音さえ聞こえればすぐに反応し共鳴してなんと幸せな時間がもてることか。私は本当に豊かな終わりを迎えられたのだ。

皆さん引き止めてくださる。ありがたいことだけれど自分の限界は十分わかっている。他人がこの年まで頑張っているのを見れば、素晴らしいことと称賛できるけれど、自分のことは厳しい目で見てしまう。やはり指の変形による音程の悪さはいかんともしがたい。少しでも音程を外せば心が折れる。気にしていると他のこともうまくいかなくなる。

当日はあまりにもたくさんの花束やお菓子など頂いたので、我が家のガレージで花屋を開業することにした。お菓子もありますよ。売り場では新入りの猫が対応します。

少なくともチケットを売るよりも、もうかりそうな気がする。長い年月に亘り毎回毎回聞きに来てくださった方々にお礼を申し上げます。不本意ながら楽団の経済は逼迫しており、十分な資金が貯まるまでは私達は聴いていただくに足る演奏が必要条件になる。

コンサートが終わったら車に乗り切れないほどのお花など、中には数日前になくなったコチャの姿を描いてくださった人も。聞いていただいた上にお花やお菓子も頂いてなんとアコギな商売かと思われるでしょうが、古くからの慣習につきお許しください。

未練といえば未練、しかしなにか新しいことに出会えるという希望もあって、私はこうして度々環境を変えてみるのだった。今までたどった道筋はほとんど真っ直ぐだったけれど、あとから考えると必然だったことがよくわかる。今回もそうであるといいけれど。

例えばオーケストラをやめたときは、ある人の行為が気に食わなくてだったし、音楽教室をやめたのはある人の境遇に同情してだったし、その同情が仇となって私を半病人にしたのだった。だから今回も多分次に待っていることは私にとってすごく重要なことに違いないと考える。平和な時間が過ごせるかもしれない。修羅場かもしれない。できるなら修羅場が良い。きっと血沸き肉踊るでしょう。何が起こるかな?私に平和が訪れるのはいつの日か。

さて、最後のステージは本当に満足のいくものだった。穏やかな温かい空気、ワクワクする躍動的なヴィヴァルディの2つのヴァイオリンの協奏曲。若手と中堅が立ち上がる。きれいなひとたち。ヴィオラはおじさん二人。もっさりと穏やかに、しかし音は美しい。コンサートマスターの音は透明で明るく会場に広がっていく。幸せだったなあ。素敵な人達にあえて。

先になんの予定もないというのが嬉しい。と言っても北海道には姪の新しい家を姉に見せるというミッションが待っている。呑気な姉を飛行機に乗せてレンタカーで連れ回さないといけない。荷造りだけでも甥が心配してどんなカバンにしたらいいか問い合わせてくる。いいよね、周りから大切にされているということは。私なんか誰も心配してくれない。でもそれは私が極端に口を出されるのをきらうからなんだけど。可愛くない性格は損。

今年は足の状態がいいからスキーに行けるかもしれない。毎年「古典」の定期演奏会が3月頃にあるので、思い切ってすべらないくせがついている。怪我をして舞台に穴を開けるといけないから。ソロでもあろうものなら、心配でスキー場にもいけない。その心配がなくなった次シーズンは行きたい放題?ワクワクするなあ、久しぶりに。














2024年9月24日火曜日

虹の橋を渡るコチャ

 コチャは今頃虹の橋をわたっているかもしれない。今日の午後5時ころ、命の火が消えました。

2001年というから今から23年前に不妊手術を受けている。生まれたのが少なくともその半年から一年、あるいはそれ以上前かもしれないからだいたい23歳~24歳で、長寿がめでたいかといえば疑問だらけ。おむつを付けて寝転がっているコチャは可愛いいけれど、本人は苦しみとの戦いだったかもしれない。

一昨日、仕事で少し長めの外出をした。長い猛暑の夏が明けてようやく秋の気配がした日だった。それでも暑さはまだまだといったところ。出かけるまで冷房をつけて出るか消して出るか迷っていた。けれどコチャの寝ているサークルにシーツを被せれば寒くはないと判断して冷房をつけたままにした。7時間後、帰宅したとき少し冷えたかなと思ったけれど、シーツを剥がすと反応があって口をもぐもぐする。これはお腹が空いたときの催促の合図なので。

それでおむつを取り替えるとかなりの量のおもらしがあって、これではお腹が冷えてしまったかもしれない。でも餌を目の前に置くと早速食べにかかった。良かった、食欲があるなら大丈夫とその場を離れて10分くらい経った頃もう一度見に行くと、お皿の餌に顔を突っ込んで動かない。あわてて首を持ち上げて餌を見せるとまた食べ始めた。

しかしそこまでだった。それ以上は食べられないとみたので餌は片付けた。水分補給のため水を強制的に飲ませていたけれど、いつも飲み込む量とは明らかに違う。途中で喉をつまらせむせてしまう。窒息の危険があるのでいつもの半分くらいしかのませなかった。あいにく連休で病院は休み。

それでも夜中に餌と水を与えるとわずかではあったけれど、飲食してくれた。寒いといけないと思い行火を出してタオルの下に入れた。そのせいかよく眠ってくれた。今朝サークルにかけてあったシーツをめくってみると、明らかになにか変。声をかけても返事がない。いつもならお腹が空いたと餌の催促をするのに。

私はこれはもう限界なのだと悟らされた。全く同じ姿勢でいるからもう逝ってしまったのかと思ったら私の声にかすかに反応する。良かった、明日一番で病院へ行こう。お昼ころ何回か普通の声で鳴いたので私が返事をしたら安心したように大人しくなった。しかし午後4時ころ声を掛けるとわずかに耳をうごかしたのに、その1時間後には全く反応しなくなってしまった。

ほんの僅かな気温の差でも、彼女にとっては体力を奪われる大変な影響だったらしい。悔やまれるのは昨日冷房をかけて出かけたこと。熱中症を心配したことが裏目になった。閉店間際のスーパーで菊の花を買った。骨と皮だけになった遺体は軽くて小さな箱にすっぽりと収まった。コチャ、長い間他の猫が邪魔で、やっと私を独占することができたと思ったら又野良猫を家に入れてごめんね。

猫嫌いの人間大好きなコチャ、数年前まで生きていたモヤという猫だけとは仲良しだった。モヤは賢く心優しい猫だった。コチャみたいな自分の考えを押し通す猫にはうってつけの。今頃虹の橋の向こう側からコチャを迎えに来たモヤと、二人並んであちらに歩いていく姿を想像する。






















2024年9月23日月曜日

今の時代

素晴らしいこととひどいことが、前の時代を上回るほどの規模で起きているようだ。

大谷翔平はどこまでも記録を伸ばし、昨日投稿していくそばからすでに53-55に到達してしまった。人々はあっけにとられて見守るしかない。本人はさして大事とは思っていないような淡々とした表情で自分を語る。自分がとんでもない男であると言う前に、日々のスケージュールがうまく行っていることを喜ぶかのように。たいしたものです。

もう一人怪物が生まれた。大相撲の大の里は石川県出身。史上最速の昇進記録が生まれ間もなく大関になるらしい。

記録はやぶられるためにあるというけれど、それにしても人類の進化はどこまでいくのかしら。私は進化に取り残され縄文人の域を出ることができない。第二次世界大戦のお陰で日本が最悪の食糧事情にあるときに生まれたからとはいえ、もう少し伸びしろがあってもよかったんじゃない?と言いたくなる。よって、体力も気力も知力も最底辺でうごめいている。活躍している彼らにエールをおくることしかできない。

このまま平和が続いてくれれば日本人も世界的な逸材たちが生まれると思うけれど、また変な動きが起きないとも限らない。理性的な人たちも災害の真っ只中で、いつでも冷静でいられる保証はない。

また能登地方が災難に或っている。地震で被害を受けたそばから大雨が押し寄せて仮設住宅も床上浸水に。なんという気の毒な。大の里の故郷は災害と大の里の大関昇進と悲喜交々、どちらに感情を持っていくか戸惑っているのではないか。

私は災害の起こった地域に雀の涙の寄付などしている。東北の地震の時まではなんのためらいもなくお金や物資の寄付をしていたけれど、その行き先に不透明なところがあると聞いて考えた。物資は気持ちはありがたいけれど、ご遠慮したいというのが被災地の本音らしい。東北の地震では古着の寄付を募る古着屋さんがいた。私も古着ではいくら寄付でも悪いから安物でも新品で贈ったけれど、人づてに聞いたところでは大きなお世話で大迷惑らしいので物資の寄付はやめるることにした。

古着屋さんの呼びかけは好意からと信じたいけれど、一部アジアの国々に流して売り、一部を寄付に回すそうで、なにか変ではないですか。お金にしてもどこともしれない団体に流れることも多いそうで、今回のように仮設住宅の建設も遅い、しかも今回の大雨で床上浸水になって踏んだり蹴ったりの状態らいしい。寝具なども新しくしたばかりだと思う。それが水に浸かって絶望的な事態に。なぜこんなに復旧が遅いのか、石川県様お尋ねしたい。国会議員様、わたしたちの代表として最大限の尽力をしてください。

国はあてにはならない。今や総理大臣のi椅子を巡って、議員さんたちは自分のことしか考えていなさそうで。スポーツの世界で若者がこんなにすごいのに、政治はほとんど進化なし。というよりも、昔の大政治家と呼ばれる人たちが良くも悪くも懐かしい。考えると絶望的になる。












2024年9月20日金曜日

すごい!

 大谷翔平くん51-51記録おめでとうございます。

私はスポーツ観戦はほとんど興味なくテレビでもサッカーを時々見るけれど、最近は否応なしに野球の翔平くんが飛び込んでくる。なんとまあ、世界的にもこんな人は百年に一度くらいの才能ではないかと、ほとほと感心している。

顔は童顔なのに体格はアメリカの選手をも凌ぐ。何を食べてこんなに育ったのか知らないけれど、よほどご両親の育て方が良かったと見える。心根の優しい礼儀正しい好青年が今、世間を騒がせている。

ヴァイオリンの世界では日本人の女の子、吉村妃鞠ちゃんが参加したコンクールというコンクールで一位をとっている。今頃、戦後がやっと終わったのではないかと思える。日本は馬鹿な戦争を起こしたために長い間世界の水準よりも体格も実力も劣ってしまったけれど、これからは本来の姿で世界からも尊敬されるのではないかと期待している。今、世界中で紛争が絶えないその中で貴重な才能が殺されているのではと痛ましい。

才能ある彼らに共通しているのは礼儀正しく物静かで明るい。自分の才能をひけらかすでもなく、淡々と練習に励んでいるのではないか、そして落ち着いて行動する。いざというときに慌てず騒がず節度を保った態度に感動する。

こう書くと私は正反対だなあと思い至ってがっかり。

自分がおっちょこちょいだとは百も承知している。あるときは宅配便のおにいさんに「ハンコがつかないわ」というと落ち着いた声で「反対向きです」とおにいさん。はんこの尻尾の方で力任せに押したつもり。百年待ってもそりゃあ押せないわなあ。

即決でことを始めては途中で失敗。料理のレシピは読んだつもりなのに理解する前に行動するので生煮え半茹で。あるいは茹ですぎ焦げすぎ。まともにできたことがない。これもいうなれば家族が愛情深かった、深すぎて甘やかされた結果。私が時々気まぐれで夕飯の支度などすると皆が食べる前に母が「今日はnekotamaちゃんがつくったんだからね」言外に「文句言ってはだめ」

すると家族は口を揃えて「おいしいおいしい」と食べてくれる。ひとりだけ3番目の姉だけが「あんたの作った料理は味に締まりがない。ヴァイオリンの弾き方と同じだね」と的確な批判をする。私はこの姉が一番物のわかる人だと思っている。

私も厳しくされていればもう少しまともに育ったかもしれないけれど、母にとって兄弟の6番目などはまともでもまともでなくても元気ならそれでいいらしい。

来月、私と2番目の姉は北海道に旅行の予定。遊び暮らしたおかげで私は旅行の計画を立てるのに長けている。準備万端なのにコチャの世話をどうしようか、病院やペットシッターなどの手配に駆けずり回っていた。ほとほと困ってかかりつけの病院に相談したらあっさりと入院させてくれることになった。たしか最近は入院を引き受けてもらえなかったはず。やはり北軽井沢の病院の親切さを誇大報告したので医師がやる気になったか。よかった。

コチャは今朝病院で点滴をしてもらい(又々尾籠で)糞を出してもらって超ご機嫌でご飯を食べた。お元気ですね、お婆ちゃま。餌に向かって顔から突っ込んでくる様子にはまいった!















2024年9月11日水曜日

意志が弱くて

猫の治療費を捻出するために倹約を誓ったはずだったけれど、季節は秋、夏のシーズンもののバーゲンが始まっている。これに乗らなきゃまた来年まで新しい服は手に入らないと焦ってしまう。つい面白い服のバーゲンに足をとめてしまった。

この面白いというのが曲者、面白くない服は着たくないけれど面白すぎる服は着るのに勇気がいる。それでもごくおとなしい服は買っても着る気がしない。結局nekotamaさんって変な格好するねと言われる羽目になるのだ。

普段は普通のTシャツとパンツ、それはランズエンドというごく真っ当なメーカーのものだった。質が良くて古くなっても色落ちしたりヨレヨレにならないから結局それで会社が儲からなくて消えてしまったのではないかと思っている。私は数十年もののシャツなど未だに着ている。実に着心地良く、本当に残念。

今日は久しぶりに気分が良くて隣町のショッピングセンターに行く気になった。ずいぶん長いこと塞ぎ込んでいたからこれは少し回復の兆し?と自分でも嬉しかった。暑さもようやく緩んできているようだ。暑い暑いといいながら今年の夏はさほどこたえなかった。クーラーはガンガンつけっぱなし。エコどころかエゴそのものの資源の浪費、でも毎年熱中症でダウンするのだからこのくらいは許してほしい。それで今年は熱中症にはまだなっていない。

ショッピングセンターの二階の片隅にちょっと気になる出店、それはもう勘でしかないけれど足を止めた。他に客の姿は見えない。なかなかおもしろい服で色鮮やかで、手に取っていたら売り子さんがいつの間にか私のそばに立っている。やっと獲物が来てくれてうれしそうに。

面白そうな服数点をああでもないこうでもない、結局4着買ってしまった。私がひっそりとひと気のないコーナーで買い物をしているにもかかわらず、いつの間にか人が増えてきた。しかもこのコーナーだけ。

思い出がある。もうなくなってしまったけれど、麹町にメイミというステージドレス専門店があって私はそこの開店当初からの客だった。そこで買い物しているとオーナーが「nekotamaさんは招き猫なんですよ。いつも他のお客さんがたくさん入って来ますから」と言われた。そして彼女は「ほらね」

地下にあるお店に階段から靴音がしてぞろぞろと人が入ってきたのにはびっくりした。それ以来気をつけていると、いつもそんなことが続いた。それまで閑散としていた店に人が入ってくる。なるほど、他の店ではどうかというと、やはりほかでも私は招き猫。

今日もそんな感じのことが起きて、我ながらびっくり。びっくりして面白がって買ってしまった服を帰宅してから見たら、一つずつがあまりにも個性的だからどうやって組み合わせるか見当もつかない。また無駄使いをしてしまったかな。コチャの治療費どうするの。

10月になったら北海道の姪の家を見に行くことになっている。札幌に新しく家を建てたというから。それを見るのも目的の一つ。本当はもっと下心ありで、姪が飼い始めた犬がジャックラッセルテリアで、私がかねてより飼いたいと思っていた犬種なのだ。どうも血の繋がりというのは恐ろしい。他の姪の車はプジョー、これも私の好きな車で、なんとも言えない深みのある色合いが気に入っている。姪になんでプジョーにしたの?と尋ねたら「色がすき」ですって!

北海道は大雪山で早くも紅葉が始まっているらしい。大雪山といえば、はるか昔、札幌で仕事を終えレンタカーを借りて北海道巡りを企てた。その頃北海道には梅雨がないと言われたその梅雨時だから7月頃。なんの計画もなく大雪山を登っていき疲れたからシートを倒して寝ていた。実に静かで気持ちが良い。と思ったら安全のための?パトロールが来てこちらをジロジロ見ているから慌てて引き上げた。女性一人で山の中、これは自殺するのではと勘ぐられたかもしれない。

一人で車を走らせ飽き飽きした。10日ほどかけて一周するはずの計画は早くも3日ほどで終了。なぜなら一緒に景色を見て楽しい会話ができる人が傍らにいない。サファリパークで熊を見ながら掃除係りのおばさんとしばらく話したのと、ドライブインのおじさんに女性一人車旅をびっくりされたのと、それしか人と接触しなかったから。当時の北海道の観光シーズン以外のひと気の無さたるや。富良野のプリンスホテルでさえ閑散としていた。今ならいやというほど人だらけだと思うけれど。

ドライブインのおじさんがびっくりしたのは、私が借りたレンタカーが九州ナンバーだったから。この車は、はるばる九州から北海道まで様々な土地を経てやってきたのだ。故郷に戻れたかな。

今なら私は一人でも耐えられる。北軽井沢の森の中の生活が孤独になれさせてくれたから。でもコチャがいなくなったらどうかな。寂しいでしょうね。コチャが生きることに執着しているというよりも私がコチャに執着しているのかもしれない。コチャ、死なないで。






















2024年9月9日月曜日

コチャ蘇る

コチャはすごい!奇跡的!

明日をもしれない命と思われたコチャ。毎朝目が覚めるとコチャが寝ているサークルを覗くのが怖かった。 あるときはぐったりと、あるときはかすかにニャアと鳴くだけ。立つこともおぼつかない。無理に餌を与えると怒って噛みつかれた。しかし、末期かと思われる猫のかみ方にしてはすごく強く、歯が食い込んで次の日からしばらく左手の人差し指の付け根が腫れた。

噛まれたときにすぐに傷口に口をつけて毒を吸い出した。そうしないと猫の爪や歯で受けた傷は恐ろしく腫れ上がる。場合によってはひどく化膿して大事になることもある。

コチャが元気なくうなだれているとき、北軽井沢に連れて行くかどうかたいそう迷った。かかりつけの動物病院はホテルはやっていないし、他の知らない病院に行くのはためらわれる。それで森の大木の下に埋めることになることも覚悟して連れて行った。それが吉と出て北軽井沢動物病院との御縁ができた。

時々夜中に具合悪くなったときには救急病院へ連れて行くけれど、過剰な治療で目玉が飛び出るほどの請求書がくるし、必要でもない手術をされたこともあった。その時の経験から過剰な治療は猫にとっては地獄、いつも後で可哀想なことをしたと後悔することになった。今回もコチャはもう末期的で力尽きているものと思っていたけれど、時々見せるびっくりするほどの力強さが私に治療をやめさせない。

今まで多くの猫を見送ってきたけれど、自力で食べられなくなったら治療はやめることにしていた。そしてある日私のベッドの横で静かに眠るように逝ってしまった彼らを見つけることになる。きれいな顔をして毛並みも艶々して呼べば起き上がりそうな。

歴代の猫の中でもコチャは特別。やせ細り足腰立たず、目は白濁してボソボソした被毛に覆われて、それでも生きていたいという意志がはっきりと伝わってくる。力なく呼ぶ声に近づくと口をモグモグさせて食べたいという。起き上がりたい、おむつが汚れているから交換してという。北軽井沢から戻った日にかかりつけの獣医師に相談した。

自力で食べられなくなったらもうそれ以上治療はしないという私の考えを知っている彼らはそれに沿った治療だけをしていたけれど、ここでもう一度頑張っているコチャの意志を尊重することにした。それに向けて治療開始。今までは通常の点滴だけしていた呑気な彼らも、急に態度が変わって真剣になった。私との会話はお互いタメ口だったけれど、急に敬語を使われて私は目を白黒させた。

治療はすごくお金がかかる。私も覚悟して自分でできることはやらないといけない。けれど自宅で点滴をするのは怖くてまだできない。北軽井沢の先生は皆さんご自分でする方が多いですよと言ったのでやればできるらしいけれど。こちらの先生からも点滴をしながら説明してもらったけれど、できるかなあ。できないと我が家の経済は逼迫して靴も買えなくなる。(買ったけど)商店街で500円のシャツを買おうかと迷ったけれど、買わないで帰ってきた。そう言いながらお気に入りの靴のクリーニング(高い)にはお金を惜しまない。このへんでもっと締まり屋にならないといけない。

仕事は引退するから本格的に北軽井沢の庭作りに励もうと思っていたけれど、それも規模の縮小を迫られるかも。宝くじ買おうかなあ。


















2024年9月7日土曜日

氷見雨晴海岸

北軽井沢の家の日当たりの悪い陰気な森を少しでも明るくしたいと 、行くたびに何かしら花を植えてくるのだけれど、なんの効果もない。あまりにも敷地が広く木が多すぎて日当たりが悪い。住宅地としては適さない場所だから、それを承知で住んでいる以上文句は言えない。

前の持ち主、人形作家のノンちゃんの夢は木々が生い茂り草茫々で手つかずの自然のまま、私の夢はバラが咲くイングリッシュ・ガーデン。ロンドンに遊びに行ったとき、自然のままのように上手く配置された草花たちの優雅な姿に見とれた。

元々私は動物専科、花は殆ど知らないし植物の性格は大概意地悪っぽいから特に好きというわけではない。それでも森の青々した庭にはもう少し色が欲しくなる。それなのに私の庭はいつまでたっても花が増えない。これは近所にすごく意地悪な人がいるからに違いない。

常時いるわけではないから月の半分以上は留守というと、庭に入ってやりたい放題できるわけで、せっかく植えて帰った花のさく植物はことごとく荒らされている。早春に水仙が咲いたときは本当に嬉しかった。でも次の滞在時に入っていくと見る影もなく引き抜かれた水仙の残骸。真っ赤な花の咲く木を買ってきて庭の奥に植えておいたら、花を引きちぎり根っこから引き抜いて森の奥へ放り投げられていた。それでもまだ生きていたから今度は表の方へ植え替えておいたら薬のようなものがかけられて半分立ち枯れ。涙が出た。

私に対する敵意だったらさもありなん、でも何も言わず走って逃げることのできない草木に意地悪するとは卑怯者め!本当に腹が立つ。去年ひまわりは根本から引き抜かれて並べて横たえられていた。前回庭のシンボルの大木の前にビオラの株を植えてきた。けれど今回行ったら跡形もなく全部消えていた。気の小さいどす黒い腹の犯人のことが想像される。

それでもめげずにまだ球根を植えているから来年こそは花の咲くきれいな庭に変身できるかも。その球根は富山県に居住する古くからの友人のKさんから頂いた。今回もくださるというのでひょいと軽井沢始発の新幹線に乗った。北陸新幹線が便利になった。駅まで車で迎えて頂いて街の神社などに寄りながら氷見の海岸を目指す。この小さな由緒有りげな神社は柱に弁慶の拳骨の跡があるというけれど、果たして弁慶だったのか森のくまさんだったのかはわからない。しかし神社に詣でると気を感じるのは私だけではないと思う。不思議ですね。

このあたりは義経が奥州に逃れて歩いた道筋らしい。もののあわれというけれど、義経伝説にはいつも涙がつきもの。雨晴海岸には義経岩という岩があって、海岸の砂地にはたぶん義経のお后の小さな祠がある。その下の岩穴で逃亡中に雨宿りをしたという。義経は弁慶に守られながら疲れた体を休めたのか。

今の私達はのんびりと海の青さに魅入られているだけ。厳しい逃亡生活は想像もできない難儀だったと思う。日本の歴史に名を残す彼らに畏敬の念を抱くのみ。凄まじい出来事が日本を変えていったのだ。

どれほど見ていても飽きない景色の氷見の海岸を後にして市場を目指す。なにか買い物をして少しでも災害の助けにでもと思ったけれど、考えがまとまらず食事をしただけで帰路についた。この被災地に一体何をしたらいいのかは後で考えることにしてひとまず北軽井沢の我が家へ。まだ日が残るのにゆっくりしていられない理由は具合の悪いコチャのことで、前日から入院させていた。

北軽井沢動物病院という評判の良い病院が我が家のすぐ近くにある。以前から気になっていたけれど今回は一日家を空けるとコチャになにか起こるといけないと考えたので前泊させたのだった。病院とペットホテルを兼ねているから夜中になにかあっても治療してもらえる。ボロボロの猫を見て獣医さんたちもたじろいだふうだったけれど、しっかりと診てもらえて受け取りに行ったときには女医さんに甘えている最中だった。前日餌をやろうとした私の手を噛んだくせに。

コチャにはすごく強い意志があって、生きる力がはんぱない。見ていると勇気をもらえる。猫嫌いの人好きで、若い頃から多頭飼いの我が家では他の猫と交わらず、押し入れで孤独に暮らしていた。そこで温存した体力が今役に立っているらしい。おむつをして寝ているだけなのにパワーを感じる。

頂いてきた球根は秋植えて来春咲く株らしく、これだけあれば家の庭は花だらけになろうというくらいたくさん。木が多すぎるのが欠点で、木を切りたくないけれど日当たりが悪いのは困る事情があって、一度は造園業者に入ってもらわねばと思っている。来年花盛りの庭でコチャが遊ぶ姿が見たい。
















2024年9月1日日曜日

合宿中止

 今日は音楽教室の弦楽アンサンブルの合宿のはずだった。居座り巨大台風のせいで中止になってしまった。

本来は私の群馬県の山の家に皆が来てくれて楽しくやっていたのに、コロナ感染拡大以来中止や変更が続いて寂しい。けれど今回の台風では、もう呑気に過ごすことはこれから先もできないのだと覚悟させられた。地球温暖化のせいだけではないかもしれないし、地球が活動期に入って人間の都合などお構いなく自己変革を遂げようとしているのかもしれない。

「長いものにはまかれろ」なんて言葉はうまいこと言ったものだと感心する。もうギブアップ。災害を防ぐために人間が作った建造物などはそれだけで自然破壊になっている。巨大な高層ビルの立ち並ぶ埋立地は海風を遮って高温の原因になる。木を切り倒して建造物を作るのが好きな人達は、自分とその家族の命を劣化させていることに気が付かない。

最近私のオアシスである北軽井沢も、訪れるたびに新しい家が作られている。おやまあ、ここも家が建つの?と自分の家は許されても他人には建てられたくない。わがままなものです。

今回の北軽飯沢合宿はnekotama投稿のとおり、介護年齢に入った人たちが家を空けられなくなったことやなにかで都内に場所を変更。せっかく夜中でも大騒ぎできる環境を手に入れられた私は無念。誰もいない(と思われる)森の中で夜中にヴァイオリンを弾くのは楽しい。遅くまで楽しくお酒を飲んで、真っ暗な森をホテルに帰っていく生徒たちの笑い声が思い出される。

もしかしたらリスやムササビが聞いてくれるかもしれない。熊さん一家にはダンスを踊って欲しい。風の強い日、どんぐりの落ちる音で私の中で童話がかけそうな気がする。この家の以前の持ち主は童話作家と人形作家の御夫婦の家だったのだから。皆の共同で使える家にと思っていたけれど、大人たちは他所様の家にはズカズカと訪れるものではないという常識で縛られて一向に来てくれない。私なら我が物顔で借りて住み着くのに。猫の匂いがするから嫌なのかもしれないけれど(笑)

以前の持ち主、人形作家のノンちゃんは、そんな私が嬉しかったらしい。環境を気に入って私がしばしば訪れるので、それを心待ちにしていた。帰るというとがっかりして「もう帰っちゃうの。今度はいつ来るの」と寂しそうに言われた。御夫婦のことはもう思い出でしかないのが悲しい。

一人で怖くない?とよく聞かれる。人間さえいなければ怖くはない。住み始めた頃、夜中にシャッターに当たる大きな音を聞いたときには眠れなくなった。けれどそれがムササビかリスなどの小動物の衝突音だと聞かされて、その後は怖くない。むしろ車の音などが聞こえると怯えてしまう。

台風が過ぎた頃北軽井沢に行く予定。猫のコチャはまだ生きている。私はもう諦めようと思い介護をやめるつもりなのにそれができない。彼女の生きる力はすごい。今日はもうだめかもとサークルを覗くとグラグラしながら立ち上がっていたり、ご飯食べたい?と訊くと口をモグモグさせて食べたいという。飲み込む力もなくなってきているのに。ペーストと水でやっと命を繋いでいる。北軽井沢のおいしい空気を吸えば元気が戻るかも。

お知らせ

古典音楽協会の定期演奏会が9月27日19時から東京文化会館小ホールで開催されます。

コレッリ:合奏協奏曲

チマローザ:オーボエ協奏曲

ヴィヴァルディ;2つのヴァイオリンの協奏曲

テレマン:2つのヴィオラの協奏曲

バッハ;ブランデンブルク協奏曲第5番

今回のヴィヴァルディのソリストはベテランの石橋敦子さんと新人の大谷桜子さん、テレマンのヴィオラ協奏曲は予定されていたソロの中竹さんが体調不良のため急遽三戸誠さんが代役を務めてくれることになった。もう一人のソリスト梯孝則さんと三戸さんは古くからの楽友ですから息のあった演奏になると思います。

ブランデンブルク協奏曲のフルートは大澤明子さん、今までは客演奏者でしたが今回から正式にメンバーとなっての演奏。一同嬉しく期待しております。

新体制の古典も今後ともどうぞよろしくおねがいします。