2024年9月7日土曜日

氷見雨晴海岸

北軽井沢の家の日当たりの悪い陰気な森を少しでも明るくしたいと 、行くたびに何かしら花を植えてくるのだけれど、なんの効果もない。あまりにも敷地が広く木が多すぎて日当たりが悪い。住宅地としては適さない場所だから、それを承知で住んでいる以上文句は言えない。

前の持ち主、人形作家のノンちゃんの夢は木々が生い茂り草茫々で手つかずの自然のまま、私の夢はバラが咲くイングリッシュ・ガーデン。ロンドンに遊びに行ったとき、自然のままのように上手く配置された草花たちの優雅な姿に見とれた。

元々私は動物専科、花は殆ど知らないし植物の性格は大概意地悪っぽいから特に好きというわけではない。それでも森の青々した庭にはもう少し色が欲しくなる。それなのに私の庭はいつまでたっても花が増えない。これは近所にすごく意地悪な人がいるからに違いない。

常時いるわけではないから月の半分以上は留守というと、庭に入ってやりたい放題できるわけで、せっかく植えて帰った花のさく植物はことごとく荒らされている。早春に水仙が咲いたときは本当に嬉しかった。でも次の滞在時に入っていくと見る影もなく引き抜かれた水仙の残骸。真っ赤な花の咲く木を買ってきて庭の奥に植えておいたら、花を引きちぎり根っこから引き抜いて森の奥へ放り投げられていた。それでもまだ生きていたから今度は表の方へ植え替えておいたら薬のようなものがかけられて半分立ち枯れ。涙が出た。

私に対する敵意だったらさもありなん、でも何も言わず走って逃げることのできない草木に意地悪するとは卑怯者め!本当に腹が立つ。去年ひまわりは根本から引き抜かれて並べて横たえられていた。前回庭のシンボルの大木の前にビオラの株を植えてきた。けれど今回行ったら跡形もなく全部消えていた。気の小さいどす黒い腹の犯人のことが想像される。

それでもめげずにまだ球根を植えているから来年こそは花の咲くきれいな庭に変身できるかも。その球根は富山県に居住する古くからの友人のKさんから頂いた。今回もくださるというのでひょいと軽井沢始発の新幹線に乗った。北陸新幹線が便利になった。駅まで車で迎えて頂いて街の神社などに寄りながら氷見の海岸を目指す。この小さな由緒有りげな神社は柱に弁慶の拳骨の跡があるというけれど、果たして弁慶だったのか森のくまさんだったのかはわからない。しかし神社に詣でると気を感じるのは私だけではないと思う。不思議ですね。

このあたりは義経が奥州に逃れて歩いた道筋らしい。もののあわれというけれど、義経伝説にはいつも涙がつきもの。雨晴海岸には義経岩という岩があって、海岸の砂地にはたぶん義経のお后の小さな祠がある。その下の岩穴で逃亡中に雨宿りをしたという。義経は弁慶に守られながら疲れた体を休めたのか。

今の私達はのんびりと海の青さに魅入られているだけ。厳しい逃亡生活は想像もできない難儀だったと思う。日本の歴史に名を残す彼らに畏敬の念を抱くのみ。凄まじい出来事が日本を変えていったのだ。

どれほど見ていても飽きない景色の氷見の海岸を後にして市場を目指す。なにか買い物をして少しでも災害の助けにでもと思ったけれど、考えがまとまらず食事をしただけで帰路についた。この被災地に一体何をしたらいいのかは後で考えることにしてひとまず北軽井沢の我が家へ。まだ日が残るのにゆっくりしていられない理由は具合の悪いコチャのことで、前日から入院させていた。

北軽井沢動物病院という評判の良い病院が我が家のすぐ近くにある。以前から気になっていたけれど今回は一日家を空けるとコチャになにか起こるといけないと考えたので前泊させたのだった。病院とペットホテルを兼ねているから夜中になにかあっても治療してもらえる。ボロボロの猫を見て獣医さんたちもたじろいだふうだったけれど、しっかりと診てもらえて受け取りに行ったときには女医さんに甘えている最中だった。前日餌をやろうとした私の手を噛んだくせに。

コチャにはすごく強い意志があって、生きる力がはんぱない。見ていると勇気をもらえる。猫嫌いの人好きで、若い頃から多頭飼いの我が家では他の猫と交わらず、押し入れで孤独に暮らしていた。そこで温存した体力が今役に立っているらしい。おむつをして寝ているだけなのにパワーを感じる。

頂いてきた球根は秋植えて来春咲く株らしく、これだけあれば家の庭は花だらけになろうというくらいたくさん。木が多すぎるのが欠点で、木を切りたくないけれど日当たりが悪いのは困る事情があって、一度は造園業者に入ってもらわねばと思っている。来年花盛りの庭でコチャが遊ぶ姿が見たい。
















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