2024年12月31日火曜日

ねじれ

 ものごと一度ねじれると元に戻らないどころか一層複雑になって結び目ができてしまう。ここ2年ほどそんな日々を送っていて、やっと平常心が戻ってきた。

昨日は雪雀連の忘年会で私の家にメンバーが集まった。大いに盛り上がったけれど、終わってから見るとゴミの分量の少ないことに少し悲しかった。あんなに元気だった会長の山田さんが不在。御宅で休息しているところに皆で電話をかけると、声はすごくお元気そうで皆ホッとした。声に張りがあって相変わらず記憶力も冗談力も健在。大したものです。

集まったのは10人ほどで、準備はいつも私が一人でやっている。皆さん協力を申し出てくれるけど、狭い台所につき人は少ないほうが良い。ひしめき合って仕事がはかどらないので。でも昨日はさすが私も歳のせいで手が止まる。エッと、何作るんだっけ?

それでも10人分に余るほどの食物と、行きがけにコストコに寄ってきたというHさんが巨大なケーキなど持参してくれたおかげで盛大な宴となった。嬉しかったのはHさんのお嬢さんのYちゃんがパートナーを連れてきてくれたこと。Yちゃんのお父さんは雪雀連のメンバーで会長と同じく調律の名手。彼が亡くなってからもう20年以上にもなるかと思えるけれど、彼の奥さんHさんと忘れ形見の娘さんはいまだに私達と仲良し。その家族がもう一人増えたというので、最近は私達も明るい気持ちになっている。

今年10月に山田会長抜きで会長の誕生会を祝ったときの帰り際「この次はリコーダーアンサンブルをしましょうよ」誰ともなく提案があって皆盛り上がった。さあ大変、私がリコーダーを吹いたのは今から30年前。渋谷の音楽教室が創設された年の発表会で「涙のナイチンゲール」を吹いてデビューしたとき以来。デビューだけしてその後一切吹いていないから楽器がもうないので、急いで買いに走った。

今回の日取りと時間の最終チェックで連絡すると皆さん???そんな事ありましたっけ?酔っ払い共、誰も覚えていなかった。私楽器買ってきたのよと絶叫しても、そんなこと言いましたっけ?あーあ!

でも安心した。楽器は買ったけれど、指使いももう覚えていない。だから今日はなにも吹けない。他の人達も、慌ててアルコール消毒したり押し入れから引っ張り出したりして楽器を持参したけれど、様にならないので今回は諦めて次回に期待。楽譜用意するから練習しておくようにと。

いつまでも話しは尽きないけれど、日が落ちるのは早い。足元のおぼつかないご老人様御一行なので夕暮れになる前に連れだって楽しそうに帰っていった。後片付けをしながら考えた。なんとゴミの量が減ったのか。

若かった頃、オーケストラの仲間たちが我が家に来たときには、次の日捨てるのが恥ずかしいほどの空き瓶の量。ワイン20本くらいは軽く空になった。そこに日本酒の、一升瓶が2本くらい。夜明けまで飲んで寝てまた飲んで、ずっといる人もいて、泊っていくのもいて、麻雀するのもいて、笑い声が絶えなくて、仕事も遊びも目一杯。2階の十畳ほどの部屋には布団が敷き詰めてあり、眠くなるとどこでも構わず眠り、起きては飲み、麻雀をして学生寮みたいな家だった。

雪雀連の人たちはそこまではむちゃくちゃではなかったけれど、やはり飲む量は多かった。その頃には家が建て直されて、眠る部屋はレッスン室になった。多くの人が眠れる場所がなくなったことで終電までが限度だった。そんなときにも山田会長は自分の決めた時間を守り、明日仕事が早いのでと言って帰っていった。自分を律して高齢になっても健康でいられたのはそのためで、つい最近までスキーを滑っていたのはお見事と言う他ない。

そのスキーも今年は膝と勝負。つい最近まで痛みが消えていたので今年こそはと思ったけれど、ここ数日買い物が多くて重い荷物を持って歩くことが多くて痛み再発。スキースクールのはじめが12日ころなので、それまでには治るという儚い望みを持っている。

ひどく葛藤のあった数年の後で心もネジ曲がったようだったけれど、皆にストレスのない顔しているよと言われ、アンサンブル再開しましょうと言ってくれて、まだ全快ではないけれど確実に快方に向かっている。まだ不安定だとしてもゆっくりと歩んでいこうと言う気持ちが湧いてきた。

周囲の人たちはずっと腫れ物に触るように気を使ってくれて、多分鬼のように怖い顔をしていたと思うけれど、もう大丈夫です。ねじくれた心では生きていけない。素直になるように努力します。













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