相撲エクササイズ、力士の訓練に使う動作をエクササイズに取り入れたもの。今朝テレビで見てこれは良いとさっそくトレーニングに取り入れようと思う。昨日起き抜けに筋トレをやりすぎて左足の筋肉を傷めた。そろそろ危ないなと思っていたけれど、やはり期待どうりの筋書きになった。
私は何をやっても気がはやってやりすぎる。わかっているくせに生来のせっかちで、もう少しもう少しと焦り、結局やりすぎてすべておじゃんになるというパターン。わかっているのに毎回の失敗は本当に馬鹿である証拠なのだ。
最後にもう一回というときが一番危ない。昨日の午後は足を引きずって歩いた。甥が先日アメリカのおみやげと言って持ってきてくれたステッキが役に立つとは。甥はサッカーの女子チームのトレーナー?というのか、選手たちの健康管理やトレーニングの指導とか、私にはちっともわからない世界の仕事をしている。その試合に付いて行ったらしい。真っ黒な顔してぬーっと現れるとぎょっとする。
急に現れて「ほら、これアメリカの土産」と言って差し出したのがステッキ。甥に期待することはないけれど、せっかくアメリカまで行って杖を買ってくるなよと言いたい。わたしゃそんなもの無用だと言いたいが、せっかくだからともらっておいたのがすぐに役に立つとは!年は取りたくないもの。
今朝テレビで相撲の動作を取り入れたエクササイズを見て、これはいいのではとやってみたら、その後頗る調子がいい。これから先たった一人で世の荒波を乗り越えていかねばならぬ身、健康こそ一番の宝なのだ。
地震や津波、火事、戦争、いつ何が起きても不思議ではない世の中だから、老人であっても一人で生き抜いていく覚悟はできている。それでも足腰が立たなければ他人様のお世話にならなければいけない。それはもしかしたら他の人の命を奪うようなことにもなりかねない。私を助けることで若者が犠牲になってはいけない。そう思っているので今は筋トレに励んでいる。
その励むという言葉が私には最も危険なことであることも重々承知で、とかくやりすぎず現状維持。さきほどしこを踏んでみたら足の痛みが緩和されて解放に向かっているようだ。これでまた午後にもう一回と言ってやりすぎて逆戻りしないように頑張る(?)この言葉がいけないのかなあ。
目の状態もかなり改善されて、この先呑気に暮らせれば私の老後は安泰なのに、またなにかあたらしいものをやりたくなるのが常のこと、まったく自分自身がよくわからない。安定を嫌うというか、落ち着かないというか。
熊の騒ぎはまだ収まっていない。毎日映像を見せられるともうたまらない。それは危険を世間に知らしめることは重要だけれど、くまさんの親子が柿の木に登って美味しそうに柿の実を食べている映像を見ていると、この子達はもうすぐ駆除されてしまうのだなあと悲しい気持ちになる。共存できたらどんなにいいかとも。
動物の世界では人も含めて、共存すること必要だけれど、それぞれの立場からいえば、殆どのものが敵になる。同じようなものを奪い合いながらの生存をかけた戦いなのだから。しかも、もうすぐに終わろうとしている今年は例年にない猛暑で、野菜や果物、魚介類にまでその影響が及び、不作を招いている。乏しい食料を巡っての争いが起こって、動物も人も大変な思いをしている。
私は仕事をやめたら猫と一緒にのんびりと暮らすつもりだったのに、まだなにか自分にできることがあれば社会奉仕に駆けつけないといけないかもしれないと思っている。でも足がすぐにだめになるようでは役立たずの上に足手まとい、知恵もないし、人を動かすような人徳もない。残念至極だなあ。
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