2025年12月11日木曜日

足だけではなく手も

 左足の痛みが和らいだので気を良くしてお風呂に浸かった。ぬるめの温度でゆっくり時間をかけて、さて湯船から出ようと思ったら・・・出られない。左足が猛烈に痛くて湯船から出られない。どうしようかと思ったけれど一晩中お風呂で過ごすのもつまらないから、思い切って片足を抜くと衝撃的な痛さ。しかし温めれば良いと思ったのが想定外に痛いのはなぜ?

その後も長い時間痛みは治らなかった。今朝やっと小康状態になって一安心。

ヴァイオリンの練習は日々コツコツと行っている。もう一年ほど楽器はケースにぬくぬくと入って寝ていたものを引っ張り出してきたので、すこぶるご機嫌が悪い。いや、楽器のせいでなく自分のコンディションが悪いのだけど。それでも今は2時間は休憩無しで弾けるようになった。

最初は20分も弾くと息も絶え絶えになった。指は絡まり、現役時代でも一度として故障したことのない肩や腕に痛みが走る。それでも体の柔らかさが幸いしてそれはしばらくしてクリア。しかし、左手の指の方はそうはいかない。第1関節から外側に見事に曲がった薬指。それとは逆に薬指側に寄りかかるようになっている小指。要するに両方の指がお互いに寄り添いながら動くのだ。

中指は真っ直ぐなので薬指と先の方で別れ別れ、手全体として眺めていればさほどの違和感なく普通の手に見えるけれど、左手の中指と薬指の先は約5ミリほどの隙間が空く。これはもうヴァイオリン弾きにとって致命的。ゆっくりの動きならなんとか修正できるけれど、早いパッセージは薬指と小指がお互いに邪魔し合って時々とんでもない事になる。

ヴァイオリンの音程は、ほんの少し指が傾くだけでも音程が合うか合わないか、日頃ドキドキで調整をしながらの作業。指自体が曲がってしまうとは思いも寄らない出来事だった。それでも最近は調整しながらの音程もやや安定してきたと思っていたけれど、それはモーツァルトを弾かなければという条件がつく。

あのモーツァルトの明快、単純な音楽は音程のズレは許されない。こんなに難しい作曲家は他にいない。特に早いパッセージであっても途中の音程が悪ければ絶対バレる。何よりも自分が気持ち悪い。何回も何回も練習して、指の動きのほうが多少改善したけれど、音程はまだまだ。

毎日の練習のお陰でだんだんモーツァルトも慣れてきたけれど、16分音符の連続では小指と薬指がお互いに触れ合っているため邪魔し合う。薬指の下に小指が潜り込んでしまい、動きが取れないときもある。小指を持ち上げようと思うと薬指が上に乗っかっていてどいてくれなかったりもする。それを無理に跳ね上げると、反動で薬指が指板を叩いてしまうことも。

小指がどいた途端に薬指が指板を叩き、その勢いで弦が弾かれてピッィカートが鳴ってしまう。特に早いパッセージでは思いもかけず左手のピッツィカートの連続という超絶技巧ができることも。もうどうしようもなく笑うっきゃない。普段そんなことはやろうと思ってもできないのに、必要でないところでできてしまうのはありがた迷惑。

途中で諦めて自分だけで弾いているときには指に勝手にさせておくけれど、もしコンサートでモーツァルトの入ったプログラムだと困ったことになりそう。もう人前でモーツアルトは弾けないのかなあ、頑張ってみるけど。

今から20年前、国立劇場のリサイタルホールで自分の還暦記念のコンサートでモーツァルトのK.334のディヴェルティメントを第一曲目に載せたことがあった。一時間におよぶ長大な曲でお客様にはさぞ迷惑だったかと思うが、どうしても好きな曲なので聴いていただいた。今思えばあのとき弾いておいてよかったと思う。その後あと2回弾く機会があった。あわよくばもう一回弾きたいけれど、おそらくもう一生弾けないと思う。左手のピッツカート入バージョンは新解釈として世の中に出してもいいけれど、最悪のレッテルを貼られる。でも面白いかも。

夢よもう一度。来年9月23日、ピアノ五重奏の演奏会を三鷹「風のホール」にて開催します。ドボルーザーク、シューベルトなどですが、モーツァルトは入っておりません。左手の超絶技巧をお聴かせできず残念ではありますが、気が向かれましたらぜひお聞きいただきたいと思います。















0 件のコメント:

コメントを投稿