nekotama
2025年12月17日水曜日
体を動かす
2025年12月11日木曜日
足だけではなく手も
左足の痛みが和らいだので気を良くしてお風呂に浸かった。ぬるめの温度でゆっくり時間をかけて、さて湯船から出ようと思ったら・・・出られない。左足が猛烈に痛くて湯船から出られない。どうしようかと思ったけれど一晩中お風呂で過ごすのもつまらないから、思い切って片足を抜くと衝撃的な痛さ。しかし温めれば良いと思ったのが想定外に痛いのはなぜ?
その後も長い時間痛みは治らなかった。今朝やっと小康状態になって一安心。
ヴァイオリンの練習は日々コツコツと行っている。もう一年ほど楽器はケースにぬくぬくと入って寝ていたものを引っ張り出してきたので、すこぶるご機嫌が悪い。いや、楽器のせいでなく自分のコンディションが悪いのだけど。それでも今は2時間は休憩無しで弾けるようになった。
最初は20分も弾くと息も絶え絶えになった。指は絡まり、現役時代でも一度として故障したことのない肩や腕に痛みが走る。それでも体の柔らかさが幸いしてそれはしばらくしてクリア。しかし、左手の指の方はそうはいかない。第1関節から外側に見事に曲がった薬指。それとは逆に薬指側に寄りかかるようになっている小指。要するに両方の指がお互いに寄り添いながら動くのだ。
中指は真っ直ぐなので薬指と先の方で別れ別れ、手全体として眺めていればさほどの違和感なく普通の手に見えるけれど、左手の中指と薬指の先は約5ミリほどの隙間が空く。これはもうヴァイオリン弾きにとって致命的。ゆっくりの動きならなんとか修正できるけれど、早いパッセージは薬指と小指がお互いに邪魔し合って時々とんでもない事になる。
ヴァイオリンの音程は、ほんの少し指が傾くだけでも音程が合うか合わないか、日頃ドキドキで調整をしながらの作業。指自体が曲がってしまうとは思いも寄らない出来事だった。それでも最近は調整しながらの音程もやや安定してきたと思っていたけれど、それはモーツァルトを弾かなければという条件がつく。
あのモーツァルトの明快、単純な音楽は音程のズレは許されない。こんなに難しい作曲家は他にいない。特に早いパッセージであっても途中の音程が悪ければ絶対バレる。何よりも自分が気持ち悪い。何回も何回も練習して、指の動きのほうが多少改善したけれど、音程はまだまだ。
毎日の練習のお陰でだんだんモーツァルトも慣れてきたけれど、16分音符の連続では小指と薬指がお互いに触れ合っているため邪魔し合う。薬指の下に小指が潜り込んでしまい、動きが取れないときもある。小指を持ち上げようと思うと薬指が上に乗っかっていてどいてくれなかったりもする。それを無理に跳ね上げると、反動で薬指が指板を叩いてしまうことも。
小指がどいた途端に薬指が指板を叩き、その勢いで弦が弾かれてピッィカートが鳴ってしまう。特に早いパッセージでは思いもかけず左手のピッツィカートの連続という超絶技巧ができることも。もうどうしようもなく笑うっきゃない。普段そんなことはやろうと思ってもできないのに、必要でないところでできてしまうのはありがた迷惑。
途中で諦めて自分だけで弾いているときには指に勝手にさせておくけれど、もしコンサートでモーツァルトの入ったプログラムだと困ったことになりそう。もう人前でモーツアルトは弾けないのかなあ、頑張ってみるけど。
今から20年前、国立劇場のリサイタルホールで自分の還暦記念のコンサートでモーツァルトのK.334のディヴェルティメントを第一曲目に載せたことがあった。一時間におよぶ長大な曲でお客様にはさぞ迷惑だったかと思うが、どうしても好きな曲なので聴いていただいた。今思えばあのとき弾いておいてよかったと思う。その後あと2回弾く機会があった。あわよくばもう一回弾きたいけれど、おそらくもう一生弾けないと思う。左手のピッツカート入バージョンは新解釈として世の中に出してもいいけれど、最悪のレッテルを貼られる。でも面白いかも。
夢よもう一度。来年9月23日、ピアノ五重奏の演奏会を三鷹「風のホール」にて開催します。ドボルーザーク、シューベルトなどですが、モーツァルトは入っておりません。左手の超絶技巧をお聴かせできず残念ではありますが、気が向かれましたらぜひお聞きいただきたいと思います。
2025年12月10日水曜日
四股を踏む
相撲エクササイズ、力士の訓練に使う動作をエクササイズに取り入れたもの。今朝テレビで見てこれは良いとさっそくトレーニングに取り入れようと思う。昨日起き抜けに筋トレをやりすぎて左足の筋肉を傷めた。そろそろ危ないなと思っていたけれど、やはり期待どうりの筋書きになった。
私は何をやっても気がはやってやりすぎる。わかっているくせに生来のせっかちで、もう少しもう少しと焦り、結局やりすぎてすべておじゃんになるというパターン。わかっているのに毎回の失敗は本当に馬鹿である証拠なのだ。
最後にもう一回というときが一番危ない。昨日の午後は足を引きずって歩いた。甥が先日アメリカのおみやげと言って持ってきてくれたステッキが役に立つとは。甥はサッカーの女子チームのトレーナー?というのか、選手たちの健康管理やトレーニングの指導とか、私にはちっともわからない世界の仕事をしている。その試合に付いて行ったらしい。真っ黒な顔してぬーっと現れるとぎょっとする。
急に現れて「ほら、これアメリカの土産」と言って差し出したのがステッキ。甥に期待することはないけれど、せっかくアメリカまで行って杖を買ってくるなよと言いたい。わたしゃそんなもの無用だと言いたいが、せっかくだからともらっておいたのがすぐに役に立つとは!年は取りたくないもの。
今朝テレビで相撲の動作を取り入れたエクササイズを見て、これはいいのではとやってみたら、その後頗る調子がいい。これから先たった一人で世の荒波を乗り越えていかねばならぬ身、健康こそ一番の宝なのだ。
地震や津波、火事、戦争、いつ何が起きても不思議ではない世の中だから、老人であっても一人で生き抜いていく覚悟はできている。それでも足腰が立たなければ他人様のお世話にならなければいけない。それはもしかしたら他の人の命を奪うようなことにもなりかねない。私を助けることで若者が犠牲になってはいけない。そう思っているので今は筋トレに励んでいる。
その励むという言葉が私には最も危険なことであることも重々承知で、とかくやりすぎず現状維持。さきほどしこを踏んでみたら足の痛みが緩和されて解放に向かっているようだ。これでまた午後にもう一回と言ってやりすぎて逆戻りしないように頑張る(?)この言葉がいけないのかなあ。
目の状態もかなり改善されて、この先呑気に暮らせれば私の老後は安泰なのに、またなにかあたらしいものをやりたくなるのが常のこと、まったく自分自身がよくわからない。安定を嫌うというか、落ち着かないというか。
熊の騒ぎはまだ収まっていない。毎日映像を見せられるともうたまらない。それは危険を世間に知らしめることは重要だけれど、くまさんの親子が柿の木に登って美味しそうに柿の実を食べている映像を見ていると、この子達はもうすぐ駆除されてしまうのだなあと悲しい気持ちになる。共存できたらどんなにいいかとも。
動物の世界では人も含めて、共存すること必要だけれど、それぞれの立場からいえば、殆どのものが敵になる。同じようなものを奪い合いながらの生存をかけた戦いなのだから。しかも、もうすぐに終わろうとしている今年は例年にない猛暑で、野菜や果物、魚介類にまでその影響が及び、不作を招いている。乏しい食料を巡っての争いが起こって、動物も人も大変な思いをしている。
私は仕事をやめたら猫と一緒にのんびりと暮らすつもりだったのに、まだなにか自分にできることがあれば社会奉仕に駆けつけないといけないかもしれないと思っている。でも足がすぐにだめになるようでは役立たずの上に足手まとい、知恵もないし、人を動かすような人徳もない。残念至極だなあ。
2025年12月5日金曜日
動物と人
朝の散歩に出るのに、どのジャケットを着るか、ニット帽をかぶろうか、マフラーはどうしようなどと考える季節がやってきた。まだ手袋まではいらないけれど、一昨日お気に入りのニット帽を紛失してがっくり来ていたので帽子はいらない!と強がりで被らず表に出た。
いつものコース、家から500メートルほどで公園に出る。公園の周囲を一周すると500メートルあるそうで、そこで1キロ。帰りは自宅までまた500メートル、やく1.5キロの日課もつい最近までは全部回ることができなかった。それで考えたのがジムなどに行くのは面倒だから自己流の筋トレをやって鍛えようと。
朝、目が覚めるとまず、手足の上げ下げ、全身をブルブルと蒟蒻のように揺すって血流を促す。一回ずつの動作を数えて100回。それからスクワット、踵落としなど、その日の体調に合わせて時間も決めず気持ち良いところでストップ。朝食後は散歩というパターンが出来上がった。決して無理をしないように。この筋トレが効いて歩くことが楽になった。
楽器を演奏する人種はどうもやりすぎるというのが欠点で、根を詰めると際限なくなるので気をつけないといけない。練習のときに数小節を数時間繰り返し練習するようなクセがついている、いわば偏執狂的な性格のものが多い。私はそこまで根気はないけれど、それでも傍から聞いている人はうんざりすると思う。筋トレも迂闊にのめり込むとかえって害になる。今はうまくいっているようだ。
今日は本当に穏やかな木々の葉が輝く美しい朝、風もなく、足を早めて歩く人達も思いなしか生き生きとしている。暑かった地獄のような今年の夏は記憶から振り落として初冬を楽しんだ。
いつものコースに犬のいる家があって、そこの奥さんは快活で話好き。いつも犬を連れた人たちが屯している。しかもその傍らには猫もカラスも一緒にいる。みな穏やかにおしゃべりや毛づくろいやぼーっとしているものや・・・何だここは。
以前ここで私はカラスの集団がよそ者のカラスをいじめているのを助けたことがあった。息も絶え絶えに悲しそうに鳴く一羽のからす。そのいじめの輪の周りには見物の野良猫集団が取り囲み、どうしようというのか、おこぼれにあずかろうと思っているのかわからないけれど、やはり見過ごすわけにはいかない。
結果、助けたカラスは一晩入院してから近くの小さな動物公園に引き取られ、治療を継続した。園長さんが鳥の専門家らしい。良かった!
今朝、この家の近くのゴミ箱にうずくまっている2匹の明らかに野良と思える猫発見。帰り道にまだいたら保護すべきかどうか考えた。また多頭飼育が始まったら困るなあと思っていたけれど、帰り道、彼らは犬の飼い主さんたちとその家の奥さんからご飯をもらっていた。そばには餌の入った容器を持ってきた女性もいる。ああ、良かった。とりあえず餌はもらえているんだ。私の出る幕ではない。
ここまで長くなったけれど、今読んでいる本は「僕には鳥の言葉がわかる」鈴木俊貴著と「熊になったわたし」ナスターシャ・マルタン著の二冊を交互に。どちらも動物と人との関わりがかんがえさせられる。鈴木さんの方は観察による考察であるけれど、フランス女性の人類学者マルタンさんは、熊との格闘でお互いにひどく傷つき合いながら、彼女の中にくまの一部が残り、熊もまた彼女を体内に取り込んで共同体となる。人と動物の関わり合いをこれほど強烈に、感じさせられるものは読んだことがない。
まだはじめの方しか読んでいないので、読後感はいずれまた。今の日本のくま騒動、人と動物の関わり合いを深く考えてみようかと取り上げた次第です。生易しい理解では熊との共存はできないし、感情や同情だけで批判はできない。要は地球は人間だけのものではないけれど、熊に襲われたら身を守る権利はある。襲われるかもしれないからと言って、罠や鉄砲で熊を殺すというのは熊に言わせれば理不尽なこと。どう折り合いをつけるかはすごく難しい。人は数々の戦争でへいきで殺し合うけれど、動物たちは生きるための最小限の争いで済ますのでは・・・書き始めたらものすごく難しい。答えは簡単にはでない。こまった!
2025年11月28日金曜日
続「国宝」を読む
久しぶりに「雪雀連」の集まりは亡くなったスキーの先生である小川先生を偲ぶ会。池袋のライオンに昼間から集まれるというのは、皆がもう仕事に煩わされることがないという状況だから。会長の山田宏さんも参加予定であったけれど、当日の体調が優れずにドクターストップがかかってしまった。皆、会長に会えると思っていたので大変残念な思いをした。
小川先生は学生時代自動車かバイクかなにかの事故で怪我をして、そのリハビリでスキーを始めてから、のめり込んでいったらしい。講習の間、ほとんど世間話にも乗ってこない。ひたすらスキーの話だけするので誰かしら話題をそらそうと話をふっても、いつの間にかスキーの話題に戻るというこだわりよう。厳しさで有名な浦佐スキー場で修行をしてインストラクターになり、その後雪雀連の会長の山田氏に気にいられて毎年の講習会を開いてくださった。
浦佐スキー場は六日町のひなびたスキー場で派手さはないが、そこのインストラクターはいずれも名人揃い。学生時代からの初心者ではどれほど苦労したことかと思う。ある時雪の斜面を逆さ八の字で登りながら「僕はねえ、他のことでは負けないつもりだけどこれが苦手なんだ。地元で生まれ育ったスキーヤーは、ものすごく早く登れて僕はいつも遅れてしまうけど、彼らは難なく登れるんだよ。子供の時からやってるからね」と。
普通から見ると一種の奇人変人に属するけれど、真っすぐで裏表のない、生徒たちを上達させようと心底手間ひま惜しまないそのお人柄から、何やかやと長年のお付き合いとなった。
ほぼ3年ほど前から体調を崩していたらしいけれど、その頃は私も人生の転換期の慌ただしさ、長年信頼していた人に裏切られたショックで半病人になっていたのだった。そんなことでしばらくスキーもできない状態だったのでお目にかかることもなく、お別れが来てしまったのが本当に悔やまれる。そろそろ体調も戻ってきたので初心者に戻って講習を受けようと思っていたのに。
久しぶりでビールのジョッキを傾けていつも変わらぬ仲間たちと楽しく過ごし帰宅した。昨日はその疲れもあってぐっすりと眠り、目の状態がとても良い。それならば「国宝」の続きが読める。残りはあと4分の1、読みたいけれど読みたくない。終わってしまうのが惜しい。最後がどうなるか気になるのに、わかってしまうのはつまらない。
今朝6時から読み始めた。鳥肌が立つほど集中力が久しぶりに湧いてくる。まずコーヒー豆を挽いてお湯を沸かし、半カップほど淹れたときに我慢できずに本に向かった。小休止のときに飲めると思ったから飲まずにおいてあったのが、読み終えるまで口をつけられなかった。終わったときそういえばコーヒーはどうした?半分入ったマグカップは静かにそこで待っていた。
私は歌舞伎の知識もなく評論家でもなく、映画が面白くて原作を読んだという経緯なんだけど、ただただ面白かったという言葉しか出てこない。情景がはっきりと目に浮かぶ筆力。それは言葉で映像を浮かべられるということで、色々な言葉で読書の感想を述べられるようなものではなく、ひたすら皆さんに読むことをおすすめするしかない。読み終わった途端、悲しいわけでもなく涙が溢れて止まらなかった。
取り残されて冷めてしまったコーヒーがやたらに美味しい。最近のベルリン・フィルといいこの本といい、魅力のある芸術に触れる幸せはなんとも言えない。ただそこに向かう並外れた集中力を要求されるので年老いてからは体力勝負となる。
最近日本のすごさを実感している。自分が幼少の頃の環境から西洋音楽に触れ、海外の翻訳作品に親しんでばかりだったのが悔やまれる。家に琴や尺八もあったし、祖父は風流人で華道茶道を嗜んだと聞くけれど、私が生まれたときにはすでにいなかった。父は新しいものが好きでヴァイオリンを弾いたらしい。
わたしは父がヴァイオリンを弾いたというのは知らず、おとなになって押入れれから古い楽譜が出てきたので随分後で知ったのだった。そんなわけで日本の文化の素晴らしさを最近になってもっと知りたいと思うようになった。まずは「源氏物語」を読破しようかと。無知なので誰かの手助けがいる。まず古典に詳しい先生探しから始めたい。
現代語訳のものを読んでから始めるのが手っ取り早いかも。私に残された時間はもう残り僅か。時すでに遅しかもしれないけれど、なんにも知らず死ぬわけにはいかない。
2025年11月26日水曜日
「国宝」を読む
先日映画の国宝を見てえらく衝撃を受けて人に話したら、それ、本で読むほうがもっとすごいわよと 言われて読んでいる。
ベルリンフィルを聞きに行ったときに川崎のラゾーナでブラブラしていたら丸善があって、そこに山積みされていたのが「国宝」。さっそく上下巻買い求めて数日後、読み始めた。一日目にはもう2巻目の半ばまで読み進んでいったけれど、最近の老眼の進み具合でえらく目が疲れた。それで2・3日小休止を取ろうと思う。先が知りたいけれど、筋書きは映画で見ているから大体わかっている。それにしても・・・
この作家の著書を読むのは初めて。なんといううまさ!ぐいぐいと惹きつけられて本を手放すことができない。ページごとに情景がそこに映像となって浮かび上がりそうな。こんなにすごい作家がいることに今まで気が付かなかった。
幼少時代は一端の文学少女。小学6年生の夏休みに世界の名作と呼ばれるものを片っ端ヵら読んで、なんとその数は百冊ほど。一日に3冊くらいぺろりと読み終える。それでろくすっぽ内容なんてわからなかったかというとそうでもない。特に感激したのがドストエーフスキーの「罪と罰」というと本当かなと思うかもしれないけれど、自分でも疑って後におとなになってから読み返してみたらやはり同じように感激したのでわかっていたらしい。
よほどませていたのか、兄弟が上にずらりといるので耳学問でわかっていたのか。レコードと同じく本もたくさんある家で、誕生日のプレゼントはいつも姉が本をくれた。姉の持っている本は難しくて小学生ではわからないと思いつつも、手当たり次第に読んでしまう。いわゆる活字中毒でなにか読んでいないと禁断症状になった。しばらく読書をしないと、活字を読んでいる夢を見た。子供用の本は誕生日にしか買ってもらえなかったから、姉の本を読む。
私がレコードを聞いたり本を読んだりばかりで近所の子ども同士で遊ばないのを気遣って、母は無理やり私の手を引いて近所の同い年くらいの子供の家においてくる。母の姿が見えなくなると私はさっさと家に帰ってきてしまう。毎日のように繰り返された光景だった。可愛げのない嫌な子供だったのだろう。
「黒宝」の作家、吉田修一さん、この方の作品は一度も読んだことがなかった。純文学と大衆文学の賞をあわせて受賞なさっているという。そのあたりのジャンルは私の読書の範囲になかったというより、私の方が先に生まれているから、すでに読書が辛くなって読まなくなった時期からのご活躍だったのだと思う。
ヴァイオリンを弾くのに忙しかったということもあって、なかなかまとまった読書はままならなくなっていた。去年仕事をやめてやっと時間に余裕ができたので、これからは子供時代に戻って読書に勤しもうかとおもう。
「国宝」まず主人公の生い立ちや環境などの描写がまざまざと絵を見るように浮かぶ。最初からグイグイと引き込まれて文字を読んでいるのではなく映像を見ているかのように。これは先に映画を見てしまったので、その影響かもしれないけれど。一人ひとりの登場人物のキャラクターの面白さ。何と言っても歌舞伎の世界を知らない私にも、その場にいて物語に登場しているような錯覚を覚えるほどの凄腕の作家さん。
余計な説明をせず一切の無駄がない。最初に主人公が弟子として師匠の家を訪れたあたりの、景色の描写は簡潔でいてお見事。本当にうまいのだとほとほと感心する。勝手に引用してはいけないと思うので、それは作品を読まれた方ご自身で見つけていただきたい。
映画を見て少し長いのでは?と思ったけれど、実際に本で読むとこれではどこも切り離せないと思う。長くなった意味がよくわかった。気にいるとその作家の作品をほとんど読むので、これからの秋の夜長がたのしみ。さっさとメガネ屋さんに行って老眼鏡を調整してもらわないと。
2025年11月22日土曜日
記憶の彼方へ
(前回の投稿から)
私は今まで聞きに行ったコンサートのプログラムは一切保存しない主義だったけれど、今回のベルリン交響楽団のものは取っておこうかと思う。なぜ保存しないかというと、保存してしまうと一瞬で消えてゆく音の芸術に対して逆に消されない文字で保存するのは失礼かと思ったからで、全部自分の耳から吸収したものを逃すまいということなので。しかし、子供の頃の記憶違いかも知れないことがあったので今回からはそのようにしようかと思う。
先月だったか、nekotamaに投稿した子供の頃聞いたと思ったレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」の演奏。絶対に間違えていないと思うのにその時コーガンはプロコフィエフは演奏しなかったと指摘された。それをしらべていたけれど、なるほど、演奏したという記録がない。ただ聞いたと思える年号はあっていた。もしかしたら他の人?
それで他の人の演奏会を調べたら、アイザック。スターンが横浜県立音楽堂での演奏でコンサートの半ばくらいで弾いたという記録が出てきた。しかし私はどうしてもコンサートの初っ端でプロコフィエフを聞いたという記憶があって、それが心に染み付いていたのだった。
AIに頼んでしらべてもらうと、アイザック・スターンがコーガンの10年くらいあとに来日している事がわかった。と、すると私はその頃はもう成人していて、しかも演奏者の肩越しに演奏する姿までもが思い出される。肩越しにというのがどういうことなのかしばらく考えて出した結論は、私は客席の最前列あたりにいて、ヴァイオリンは客席に向かって上手側に向くので、私は下手側にいたということなのか?
それでもその肩というのが割に小柄だったコーガンのもののような印象。スターンはたっぷりした体格であったし、オイストラフと似ている。オイストラフは横浜では聞いたかどうか覚えていない。多分都内でだったかも。
で、またコーガンに戻ると、AIが言うには。当時のコンサートは労音という組織のものなら、東京以外の地方公演ではプログラムは割と流動的に変えられたという。すると当日急にプログラムが変わるということもあり得たらしい。その記録は労音に訊かないとわからないけれど、記録があるかどうかはわからないということだった。
なぜ、そんなにコーガンにこだわるかというと、あの音を誰が出したかということがすごく重要なのですよ。アイザック・スターンかもしれない。彼は実際県立音楽堂でプロコフィエフを弾いたという記録がある。その時、私も聞いていた。だから勘違いしたのかもしれないと考えられる。しかし、レオニード・コーガンの素晴らしさは私の記憶の中であの最初の音に集約されてしまっているのです。それが他の人であったら、私のコーガンの実態は何だったのかということになってしまう。
兄は私をしょっちゅうコンサートに連れて行ってくれた。それは労音のコンサートが多かった。今でも労音という組織はあるのだろうか。気が向いたら調べてみようかと思っている。
戦後まもなくの労音ではよくロシア人の演奏を聴いた。レニングラード交響楽団などは、たしか千駄ヶ谷の体育館だったかしら。ドン・コサック合唱団も人気が高かった。チャイコフスキーのシンフォニー4番を演奏したレニングラード交響楽団の演奏は、ただただ目を丸くして眺めたものだった。圧倒的な音量とすごいテクニックはほとんど人間の能力の限界のように感じた。今でこそ日本人は素晴らしくなったけれど、当時の日本の楽団は遅れていた。
今や日本人は、演奏でもスポーツでも世界に名乗りを上げて大活躍をしている。けれど、当時はあの音がわたしにとっては衝撃だった。
今や、すごくうまいヴァイオリニストは世界中で日本人が大活躍している。芸術の良いところは人それぞれ違っていいというところ。野球のように何本ホームランを打ったとかの記録だけで決まり記録だけで語られる。しかし音楽には完璧な技術の他に人間の感性が要求されることで、人それぞれの個性でも評価される。
よく言われるのは、コンクールで日本人は皆同じ表現をするので気持ち悪いと。それは同じ先生の門下生がたくさん出れば全部先生にそっくりと言うことで。優秀と言われる人ほど先生に似てしまう。模倣から始まる日本の演奏家と、自分の個性を重んじる海外の先生の門下生たちの違いかもしれない。