2024年12月10日火曜日

平和な日々

9月に引退宣言をして呑気な日々を送っています。しかし毎日が緊張に次ぐ緊張の生活が一変してしまうと、どうもボケが加速しているようでだんだん心配になる。私の内なる声がヴァイオリンを弾きなさいと囁く。

まず手の指が油切れになって関節がギクシャクしてきた。肩が固くなって きた。姿勢を保つのが大変。常に背筋を伸ばすのは楽器を弾いている間はなんでもないけれど、テレビを見ているとだらしなく椅子の背もたれによりかかり、ああ、つまらないことなどと思いながらの数時間。時間がもったいないと思う反面、普通だったらこの年でこれほど健康ならそれだけでも御の字と自分に言い聞かせる。こうして一日は暮れて行く。

野良猫だったのんちゃんがどんどん家猫らしくなり、私と一緒にのんびりツヤツヤ。緊張が溶けてきた。今まで外でどれほどの苦労をしてきたかと思うと可哀想でならない。それでも野良にしては地域猫として毎日の餌も不自由しないで生きられたのはラッキーだったのではないかと思う。

のんちゃんは非常に頭がいい。猫でも知能の高い気の強いものが生き延びられるようで、これは人間社会でも同じ。のんちゃんが人の心を読み取る術は恐ろしいほど。それが彼女に野生猫の魅力を与えていた。しかし今や安穏に慣れて、大きな搗きたてのお餅のようになってしまった。私も同じようにだらしなく広がっているような気がする。

そんなことでだんだん退屈になってきたので海外旅行にでも行ってみたいと思うことしきり。今知人が海外に行っている。私の姪とその娘が今頃ニューヨークで自由の女神とはじめましてと挨拶しているかも、軽井沢在住のY子さんはエジプトへ。みなさんこの円安のさなかに大したものです。どこへ行きたいかと尋ねられても困るのほどアテもない。

本当にこんな平和な日が私に来るとは思わなかった。退屈と言ったら罰が当たる。少し休ませてもらいましょう。休むとなると徹底的に何もしないけれど、家の中が少しだけきれいになってきた。「これできれい?」と驚かれるかもしれないけど、これでも精一杯なのよ。

海外はどこに行きたいかといっても目的はないけれど、非常に自然の厳しいところに行きたい。この年で一人参加は旅行社のツアーでうけいれてもらえるのかどうか。以前チベットへ行ったときには中国の旅行社に手紙を出して一人でいった。ガイドさんと車付きだから費用はかかったけれどわがままに行けた。現地人とも思う存分触れ合えた。中国人の家庭の誕生日のお祝いにも招かれて、彼の国の知識人階級がたいそう洗練されていることも知った。今の円安では費用が跳ね上がるけれど、個人旅行が一番望ましいところ。

ツアーで参加しても途中で一人になりたくなる癖があって、顰蹙ものと非難される。若い頃イタリアに女子4人でいったときは、皆一人になりたいという人で助かった。途中、ミラノで一人で靴屋巡り。どうしてもサイズが合わなくて買えず本当に残念だったけれど、向こうの店員さんがとても親切で時間をかけてつきあってくれたのには感激した。壮大な教会の直ぐ側に素晴らしいステンドグラスがある小さな教会を見つけた。暗いろうそくだけの照明の穴蔵のような建物。それも一人で気ままに探さないと出会えなかったと思う。

こうやってだんだんやる気が出てくるのを私は待つ。決して勤勉な人間ではないので向こうから訪れるのを待っていると、不思議なことに何事もうまくいくのだった。

春になったら飛び歩いて自宅にはいないかも。その時のんちゃんをどうするか考えている。もともと野良だから放っておいても一人でも生きられるけれど、私は裏切り者とみなされるだろう。ホテルぐらしは彼女にとって最悪だし、近所の猫好きさんたちに頼むしかない。

地域猫排除の話がもちあがったときに、近所のお兄さんが、自分がすべての責任を持つと言って地域猫受け入れの方向に持っていってくれた。こういう人がいてくれて最近は安心していられるけれど、まだまだ猫の受難話を聞くことが多い。

でも猫のことで悩むだけの日々は本当に平和なのだ。








2024年12月5日木曜日

素晴らしい音の世界

ヴォルフガング・ダヴィッドさんと梯剛之さんのデュオ ・リサイタル

東京文化会館小ホールにて

毎回聞かせていただいているが、今回は圧巻のステージだった。最初から最後まで息のピッタリあった素晴らしいアンサンブル、ダヴィッドさんのウイーン魂が炸裂。今にもヴァイオリンを弾きながら踊りだすのではないか、いや、実際踊っていたけれど喜びに溢れた演奏で会場中の人々の心を捉えて離さない。梯さんはソロコンサートもよく聞かせていただくけれど、今回もまた磨き抜かれた音色を堪能した。

プログラム 

 モーツァルト;ソナタK.378

 ディートリッヒ/シューマン/ブラームス;FEAソナタ 

 私はこの曲を初めて聴いたけれど、周りの人たちも聽いたことがないと言っていたので、自分がすごく無知と言うわけではないと安心した。

FEAというのはドイツ語の Frei aber einsam (自由にしかし孤独に)の頭文字をとったものだそうで、この作品を献呈された19世紀の大ヴァイオリニストのヨアヒムの口癖だったという。ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初演するほど親交の深かったヨアヒムが仲を取り持ち、ブラームスは初めてシューマン家を訪れた。シューマンはブラームスの才能を高く評価し、ヨアヒムのためにシューマン自身とブラームスの弟子のアルベルト・ディートリッヒ、そしてブラームスの3人の合作によるソナタの作曲を提案した。という経緯がプログラムにかかれている。

私は初めて聴いたので最初の音で「あ、ブラームスだ」と思ったのは間違いで、彼のお弟子さんのディートリッヒが第1楽章を、2・3楽章はシューマンが、そして4楽章はブラームスが作曲した。名前を伏せていたけれどヨアヒムはすぐにどの楽章が誰の作品か当てたという。初演のピアノはクララ・シューマンが弾いたそうで、夢のようなお話し。彼らの演奏を聴きたかったなあ。随所にFAE(ファ・ラ・ミ)の音が用いられている。

初めて聞いたけれど本当に素敵な曲だった。なぜこの曲は頻繁に演奏されないのだろうか?早速楽譜を探そう。作曲家同士の親交は聞くだけでワクワクする。当時の作曲家同士は、私が思っているよりもずっとひんぱんに交際していたらしい。お互いに刺激を得て、作曲技術を切磋琢磨したのだろう。

次は シューベルト:ピアノとヴァイオリンのためのロンド

 バルトーク;ルーマニア民族舞曲

 クライスラー;ウイーン風l狂想的幻想曲  ここまで来るとダヴィッドさんのお家芸、彼も楽器も弓も梯さんも客席も踊る踊る!割れんばかりの拍手でコンサートが終了した。

帰りがけにマネージメントオフィスのスタッフが「彼らは昨日、石川県の白山から帰ってきたばかりなんですよ」え、白山?私が素晴らしいパワーを貰ったあの勝山市の平泉寺に近いではないか。道理ですごい迫力だと思った。

私も今迄で一番つらい時期に福井県の勝山市に行った後、ジグゾーパズルのピースが適所にピタリとハマるように問題が解決し始めた不思議な体験をした。あのへん全体が霊的な雰囲気を漂わせている。北陸はすごい!

パワースポットって本当にあるのだと思った。

コンサートからの帰り道、一緒に帰る電車の中でも友人とニコニコが止まらない。「なんだか体がホカホカするわね」「そうねえ」








2024年11月25日月曜日

暑い夏につかまって

 知人の納骨のために暑いさなか隅田川を渡っての墓参りの帰り道、悲しい思い出にふけって多少涙ぐんでいたからだと思う。信号無視で捕まった。

東京駅から右折して日比谷通りに至るまでの信号が3つか4つ、1つ目は直進と左折の矢印が同時に出る。しかし2つ目か3つ目の信号機だけ直進が青でも左折の矢印が出ない。日曜日の昼過ぎで他に車がいなかったこともあって気が付かなかった。もちろん一回ごとにちゃんと信号を見ないといけないのはわかっているけれど、心が塞いでいてなんとなく。これが事故の元だということもわかっている。普段の私なら絶対に見逃さない・・・と思う。

左折を始める前に対角線上にパトカーがいるのも目の角で見ていた。しかし左折を終わるとパトカーが動き出した。私の後ろについて走ってくる。自覚症状のない私は平行に並ばれても、なんでこんなに一緒に走っているのか不思議だった。他に車もいないのに馴れ馴れしく呼びかけてくる。「そこの車停まってください」

おそらく相手もわかっていたと思うけれど、故意ではなく不注意ということが。穏やかに丁寧に呼びかけてくるのでやっと気がついた。「え、私?」鼻先を指さして窓越しに見るとのんびりと頷くおまわりさん。「そこの信号は直進だけで左折はあとから出るんですよ」全く同じような交差点の一つだけ違う出方をするなんて。何ゆえじゃよ!

多分引っかかる人がたくさんいるのだろう。巣の中の蜘蛛のように待っていれば獲物がとれるのだ。パトカーが停まっている時点で気がつかなければド素人。運転歴59年の私がまんまと捕まった一番つまらない捕まり方だった。それで今日は運転免許センターで講習と実技試験を受ける羽目となった。来年免許証の更新ための罰ゲームみたいなもの。

時間が来て集まったのが10人ほど。これがみんな違反者なのかしら。4年ほど前の更新の普通の教習のときよりも多少元気がよろしい人が多い。普通のときにはトイレに行ったまま自分の部屋がわからなくなったとか、歩くのもやっとで大丈夫かしらと思う人がたくさんいた。たぶんそういう人はとっくに免許を返納しているものと思える。もはや違反すらできないとか。

本当にドキドキした。もしこの教習で落とされたら何回も試験を受けて、それでも無理となったらもう免許はもらえない。すると猫を連れて北軽井沢に行くこともできなくなる。せっかく猫の部屋を作ってもらったのに無駄になってしまう。

まずはいつもの認知機能のテスト。これはもう3回目だから手慣れたもの。そして実車テスト。前回のテストでは慎重に走ったら遅すぎると言われたから、今回は景気よく多少やりすぎかと思うほどシャカシャカ走ったら早すぎると言われた。それも認知機能の衰えからくるコントロール失調みたいな言われ方。口を尖らせて前回言われたことでそうなったと抗議しようと思ったけれど、やめておいた。

結果としては良い点数をもらえたけれど、その後の視力検査がいけません。視力、動体視力、暗さに対する順応性などは今までより衰えている。やはり年齢には抗えない。

メガネで矯正できる部分が少ないことも残念で、さてどこまで運転できるか未知数。運転大好きな私が運転しなくなる日はもうすぐそこに迫っている。多くのことを次々に諦めることしかできないなんて。

女性の受験者は二人。試験後にお昼食べて帰りましょうと、どちらかともなく誘って話をしていた。お仕事は?などといううちに私がヴァイオリン弾きだというと非常に喜んで「私のいとこがミュージシャンで富山の滑川のあるグループのヴォーカルなの」と話が弾む。

そのうちに私の元生徒だった女性が某ヴァイオリン奏者が好きで、彼女は彼の側にいたいために舞台関係のスタッフとして働いているというと、その人は喜んで、実は私もその人が大好きでよく聴きに行くと。本当に世の中せまい。おばさん同士はあっという間にコミュニケーションが取れるのにおじさんたちは皆ブスッとして、てんでんばらばらに散っていった。
















2024年11月1日金曜日

何もしない日々

きちんと眠れるのは通常3時間ほど。あとは昼寝やうたた寝で体力維持の穴埋めをする。時々泥のように眠っても5時間ほど。ショートスリーパーだった私はそんな生活を何十年か続けてきた。仕事にも友人にも恵まれて幸せだったけれど、常に緊張した毎日。たいてい1年半以上先まで仕事の予定が詰まっていた。なんとありがたいことだったかとは思うけれど、気の休まることがなく、常にイライラしていた。

なんにも予定のない生活に憧れてやっと手に入れた。このところ全く目的なく行動している。時々コンサートを聴きにいくだけ。ヴァイオリンはレッスンのときに生徒さんと一緒に弾くだけ。こんな気楽なことはない。9月の古典音楽協会の定期演奏会が終り、私は引退宣言をしてプロとしての演奏をやめた。

さてなにかおもしろいことはないかと思ったけれど、みつからない。いままで送ってきた生活のなんと面白かったことか!結局一番自分の好きなことを仕事にできていたのだと感謝している。それならなぜやめるのかというと、やはり年令による体の機能と気力の低下。ここ数年の合奏団の存続に向けての一連の事件があってそのストレスが私を半病人にしたのだった。

今の私はもう何ものにも煩わされることなく、一日7.8時間眠眠る平和な日々を送っている。元気な私を見て「まだまだできるんじゃない?」「もう少しやったらどう?」などとご親切に言ってくださる人も。でも自分のことは自分がよくわかっております。

それで、ぼんやりとテレビを見ているとここ最近は大谷翔平選手のことばかり。いくら彼が稀代の名選手と言ってもあまりにも偏った報道は困ったもの。政治家の裏金問題、選挙、犯罪の多発があろうと一向に野球から離れられない。日本人全員野球ファンではないし、翔平君が一人で野球をしているわけでもないし、彼が一人でドジャースを優勝に導いたわけでもない。本当にすごいと思っても、世界の数多の優秀な人の一人であるというだけ。

今まさに戦争が起こるかどうかかたずをのんでいる国々の人達がいるのに、日本だけはまるで自分たちがゲームの優勝を導いた如く大騒ぎをしている。ニューヨークヤンキースの選手たちは日本人の熱気に負けたのではないかと思うほどなのだ。ちょっとひどすぎませんかね。などと考えている。決して大谷さんに憤っているのではない、彼は本当にすごい。マスコミのバカバカしさに・・・あるいは非常な大金が儲かるこういうゲームにも疑問符が浮かぶ。地球の温暖化にも関係があるでしょう。莫大なエネルギーを使い、大金が儲かるにしてもバカバカしいほどのムダ遣い。

地上で飢えと差別と戦いに苦しむ人達のことを考えると、自分が平和でいることすら罪悪感が湧いてくる。私は生まれて初めて、残された人生をだれかを助けるために使いたいと思う気持ちになっている。今のところ猫社会にわずかに貢献しているだけなのだが・・・

今や私にはいくらでも眠れる自由と、眠らなくてもいい自由がある。今夜はドジャースの凱旋パレードが日本時間の午前3時からあるらしい。中継があるならずっと起きていてテレビを見たい。やはり私もすっかり毒されているのです。






はとかんさんんのこと

 今後のより良い人生のために模索中。

ブログつながりの知人のWさんの宅に押しかけてお話を聽くことになった。彼女となぜ知り合いになったかというと、私の恩人であるヴァイオリニストの故鳩山寛さん繋がりによる。nekotamaに彼の話題を投稿したのはこのブログを始めた頃。オーケストラ時代の思い出などを書き込んでいたら、ある時鳩山さんのことでというメールだったか書き込みだったかいただいたのだと思う。

鳩山さんは沖縄出身で、お父様の遠山寛賢さんとその夫人靜枝さんの教育により天才ヴァイオリン奏者として日本の楽壇に登場した。幼少時代は台湾の台北で幼稚園の経営者であったご両親のもと何不自由なく育ち、ご両親の音楽的環境もあって才能を育んできた。ご両親も実に教育熱心で特にお母様の考えが進歩的だった。お父様はひろし少年のためならどんな苦労も厭わなかった。

「はとかんさん」後にオーケストラでお世話になった頃は業界ではそう呼ばれていたから以後、この名称で呼ばせていただく。

お父様は様々な場面ではとかんさんを世に出すための行動を起こされている。10歳のときには上野音楽学校に連れて行き教授たちの前で演奏させて彼らの称賛を浴びる。体に合わない大人用の汚い楽器を見た外国人教師が嘲笑したというが、演奏が終わると彼らは静まり返ったという。12歳で第5回毎日音楽コンクール一位、もちろん歴代最年少であった。天才少年と言われ、ボストンの音楽大学へ留学、近衛秀麿氏のオーケストラのコンサートマスターを務めた。近衛家と総理大臣を生んだ鳩山家の援助を受けて華々しい活躍をした。様々な経緯から遠山姓を鳩山姓に変わり、以後「はとかんさん」と呼ばれることになる。

わたしがオーケストラのオーディションを受けたのは音大を卒業してまもなく。ベートーヴェンの協奏曲を弾き、初見に出された曲はバッハの組曲のヴァイオリンパートだった。実は高校時代からすでに京浜フィルハーモニーというバロック音楽の研究会のようなところで弾いていたので初見の楽譜もなんなく演奏できてめでたく合格。

初めて団員として上野の東京文化会館の控室のロビーでウロウロしていた私に、にこやかに近寄ってきたおじさん、それがはとかんさんだった。「あんた楽器はなに?いい音してたね」それが最初の出会い。その後はかれがハイドンの弦楽四重奏の連続演奏を試みていた頃、何回か出演察させていただいた。「あんた、私の右腕になりなさい」あるときそう言われて様々な演奏会にほとんど出していただいた。

その頃オーケストラでは世代交代が始まっていて、戦後の日本のヴァイオリン界は戦前のそれとは大違い。たくさんの優秀な人材が輩出しており、はとかんさんが天才的なヴァイオリン奏者ということも話題から埋もれてしまいそうな頃だった。しかも沖縄、台北などで育ち、性格がおおらかで何事にも我関せず、アメリカ生活が身についてしまってハッキリ物を言う。日本的な忖度や遠慮などない性格が反感を買うことも多かった。彼をひどく嫌う人もいた。しかしそれはとんでもないことで、彼が当時すでに日本の業界から少しずつ外れ始めていたというだけで、主流におもねる人たちの偏見以外のなにものでもない。

ある時渋谷公会堂の前にサングラス、アロハ、麦わら帽子の出で立ちで座っているおじさんがいた。私が通ると大声で「ホウー」と奇声を上げてニコニコと手を振っている。やだ変な人と思ったら、はとかんさんだった。臆面もなくいい年してそういうことを無邪気にやるから困るのだ。

ある時電話があった。いつにもなく悲痛な声で「僕はもうだめだよ、さようなら、さようなら」それが最後だった。

彼のお嬢さんのご自宅に一緒にお悔やみに行ったのは、前述ブログ仲間のWさん。彼女は台湾の大学で教えておられた父上と大学生だった兄上と幼少期を台湾で過ごされた。台湾育ちの音楽家として、はとかんさんに興味を持たれ、nekotamaに鳩山さんのお名前を見つけた。そのつながりで後に古典音楽協会のコンサートに毎回来てくださるようになった。Wさんのブログに垣間見られる知識の豊富さに今回最後の演奏を終えた私の、今後の知識の泉になってくださる期待を持っているのです。















2024年10月18日金曜日

おお忙しい

一昨日は高校のクラス会、昨日は雪雀連の集まり、今日はコンサートと大忙し。

引退宣言してこれからは家の片付け、より良い終末期を迎えるための 準備にと思っていたけれど、私の機嫌がだんだん良くなるにつれて、また人が集まってきて浮かれ騒いでいる。掃除どころではない。どうやら私は招き猫。一生遊びの仲間には事欠きそうもないらしい。忘年会にリコーダーアンサンブルをという計画になって、さて、家のリコーダーはどこに?見つかるわけはないと思うから買いに行かねば。

遊びをせんとや生まれけむ・・・憶良のうたは常に私の頭の隅に陣取っている。真面目な日本人は遊ぶことに罪悪感があるらしい。真面目に議論しているときに少しでもふざけようものならハッシと睨まれる。緊張に風穴を開ける行為は罪らしい。一瞬の笑いが凍りつくような視線を浴びることもある。とかくこの世は住みにくい・・・と漱石さんも言っているではないか。

コンサートは鹿野由之さん(バス歌手)のリサイタル。友人に誘われて初めて聴きに行った。銀座三越の裏手の王子ホールは満員。コンサートが始まる前の客席は、普段私達が聞きに行くような雰囲気とは少し違って賑やかだった。さすが声楽家の集まりは声量と歯切れが違う。誰の声も「よく聞こえるから内緒話ができないの」と声楽家の友達が言う。

プログラムを見れば私の大好きな曲がズラリ。舌なめずりをしながら待ち構えていると、立派な風貌の男性が登場。その歩き方や胸の張り方が堂々としていて、さすが長年オペラの舞台で人びとを魅了してきたスターの貫禄。声を出すと驚いた。声の質の素晴らしさ声量の豊かさは、日本人離れしている。こんな人がいたなんて!

私は第二次大戦後の日本人歌手の気の毒なほどの体格の貧弱さ、発声の悪さを散々聞かされていたので、時代が悠かに変わってもこれほどの変化は期待していなかった。弦楽器もそうだけれど、今や日本人の演奏家は世界で通用という以上のレベルであろうと思われる。私の若い頃の声楽の発声は喉を詰めて振り絞ったような声、大げさなビブラートが笑いを誘った。ある時、スタジオで高名なテノール歌手の録音の仕事があって、始まると私は笑いを噛みしめるのに苦労した。自分のヴァイオリンは棚に上げてだけれど。

しかしその当時の声楽家たちは日本の貧しいレベルの技術に翻弄されて四苦八苦だったと思える。わたしたちの弦楽器もまた然り、管楽器に至ってはなおさら、ホルンはかならず音がひっくり返るレベル。それらの先人の苦労あってこその現在の世界的な演奏家の輩出なのだ。笑ってはいけない。よくぞここまでと思う。

鹿野さんの選んだのはモーツァルトとヴェルディ、フィガロ、魔笛、ドン・ジョバンニ、ああ幸せ。ナブッコ、マクベス、シモン・ボッカネグラ等々。圧倒的な声量が最後まで衰えない。これだけ良くぞ持ちこたえるものだ。

久しぶりに銀座にいけたのも嬉しかった。友人に会えたのも嬉しかった。コンサートの素晴らしさに酔いしれて幸せが戻ってきた時間があった。着ていく服がないと思って久しぶりに銀座で買い物しようかと思ったけれど我慢。それより日本橋で気に入ったメーカーの靴を探そうかと思ったけれど、それも我慢。そろそろムカデの本性を直さねば。最近靴を何十足か捨てた。本当にそのくらい履いていない靴がゴロゴロしていたので自分でびっくりした。一体いくらくらい無駄遣いしたのか。それだけあれば上等な服とコートとハンドバッグが揃う。

結局履くのは本当に足にあったものだけだから、その中の一部。長年お気に入りのスニーカーを履いていたら通りすがりのお姉さんに指さして笑われた。「わあ!レア物」ロゴマークが目立つので気がついたらしい。「これ?靴もレアだけど私はもっとレア物よ」といったら黙って気まずそうに逃げていった。十年穿こうが二十年使おうが私の勝手。友人たちだってもう七十年ものヴィンテージだわい。まいったか。




















2024年10月11日金曜日

今年もどんぐりの弾丸

北軽井沢のしんと静まり返った夜は、もののけが跋扈するのかもしれない。けれど数日前、夜中にいきなりドカンと屋根になにかあたったか、誰かが壁を叩いたかと思えるような音がして流石にびっくりした。窓という窓から家の周りを覗いて音の原因を確かめようとした。森は真っ暗。

もし、人がいたら怖いけれど、誰かがいる様子もなく一安心。一人暮らしの美女を狙っているならお生憎様、ここには恐ろしく気の強いアマゾネスがいるからお気を付けて。しかも化け猫と一緒だから噛みつかれたら大怪我するぞ。

家の玄関の真ん前に樹齢何年になるか数えられないほどの大木が立っている。元のこの家の持ち主、人形作家のノンちゃんのお気に入りだった。その大木に巻き付いて樹液を吸って生きてきた太いツタが数本あった。長年に亘りチュウチュウと大木の汁を吸って来たので、直径4,5センチもあろうかと思える太さで巻き付いていたのを私が根こそぎ退治したのだった。しっかり巻き付いていたので遙か上の方までは切り取れず、ぶら下がっていた。それが数年経って枯れて落ちてきたらしい。数本のうち一本だけ残してあとはみんな落ちてしまった。ああ、この音だったのかと思った。

朝ウッドデッキの落ち葉を掃いていたら風が吹くたびに身の回りにバラバラと弾丸のように落ちるどんぐり。この季節、森は賑やかな音で季節の移り変わりを教えてくれる。ここで胸を抑えて「ウーン、やられた」と演技しようかと思ったけれど、ひと気がないので無駄なことはやめた。あくまで観客がいなければやる気にならない。

ヴァイオリンも聴いてくれる人がいなければ練習する気になれない。そういうところが真の芸術家でないのがバレてしまう。せっかく楽器を持っていったのにサボりっぱなし。ノンちゃんは私のヴァイオリンが自分の家に響きわたることがうれしくて、この家を私に残してくれたのに。反省して努力いたしますよ、ノンちゃん(田畑純子さん)でもやっと引退したのだからしばらくはお休みをください。そのうち軽井沢に演奏拠点ができるかもしれない。森の木に語りかけながら弾けるようになるかな。

今回も4日間しか日がとれなかったので、大急ぎで庭仕事。いただいた球根がたくさんあったので馴れない作業、へっぴり腰でスコップで穴を掘る。手入れがされていなかった原始林を切り開いて作られた別荘地は、枯れ落ち葉が堆積して木の根っこがそこここに、地面が凸凹で掘りにくいし、まっすぐに並べて植えるのも一苦労。初日は雨で作業できなかったけれど、二日目は少し晴れ、気持ちの良い気温と風と、命の源のようなゆっくりした時間。

楽しく作業を終えてぐっすり眠ったその夜明けには、体中ミシミシと痛む。腰痛はするわ、足は攣ってしまうわで年齢を思い知らされた。それでも心地よい疲れは朗らかな気分を運んでくれる。一人でいてもなにか喋っている。猫はなんにも聞いてくれない。彼女は興味津々の森には出してもらえず、1日中ふてくされている。一度ハーネスを付けて散歩に連れ出そうとしたらくねくねと体をよじらせて、どうしてもハーネスを付けられなかった。

なんとかして森になれさせたいけれど、野生動物がいるので危険でもあるし。ただいま彼女の家を建設中。少し大きめのゴミ用ネットみたいな。今回の滞在中に何でも屋さんがセットしてくれた、なにやら居心地良さげな鳥小屋風。ここに私が入ろうかなと言ったら、作業を見に来た仲間たちがここでキャンプしたいと言っているそうで。人間に盗られないように、猫よ頑張れ!